失敗作は蜜の味

橙乃紅瑚

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意地悪陰険腹黒ダリルの告白 - 6

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 錬金術学校の隣には、古今東西の書物が集められた大きな図書館がある。優秀な成績と弛まぬ努力を認められ、ダリルは十六の歳に学長から禁書庫に入る許可を与えられた。

 禁書庫は固く施錠されていて、一般の生徒は入ることができない。ここに入室できる者は教授と一部の生徒だけだ。ダリルは賢者の石に関する手掛かりを得ようと、埃被った書架の間を縫い進んだ。

「凄いな、ここは……!」

 上を見上げ、ダリルはほうと息を吐いた。

 遥か天辺にある壮麗な天井画に向かって、背表紙の擦り切れた古書や、獣皮で装丁された分厚い魔導書がぎっしりと積み重なっている。中には鎖に繋がれた本や、生きているかのようにうねうねと蠢く本まである。

 時折、書架の間を魔法の蝋燭が巡回し、本の状態を確認している。高窓から差し込む斜めの光が埃を煌めかせる様は、まるで金の粉が舞っているように見えた。
 
 書架の前には、青白く発光する魔法の石板がぷかぷかと浮かんでいる。それに足を乗せると、意思を読み取るかのように高いところまで連れて行ってくれるのだった。

 螺旋階段の如く積み上がった本を見下ろしながら、ダリルは一番上に位置する書架へと向かった。長年手を伸ばされることがなかった朽ちかけた本棚に、目的のものがある。

「……見つけた」

 『大いなるわざ』。
 古の言葉で記されたその本は、錬金術士たちが聖典と崇める書物だ。

 錬金術の実践書というよりは神秘哲学の側面が強い書物だが、ダリルは『大いなる業』に記されている概念に強い興味を抱いていた。賢者の石の創造を目指す上で、その概念は唯一の手掛かりだったからだ。

 錬金術とは、不完全な物質からより完全な物質を生み出すための試み。腐敗の黒化、浄化の白化、黄金の黄化、合一の赤化。その四段階を踏んで、物質はより高次の存在へと変わっていく。

 黒化ニグレドはごく初期に起きる物質変化で、主に燃焼による変質を指す。一段階上の白化アルベドは、より洗練された材料への変化。黄化キトリニタスは卑金から貴金への変換で、これを成し遂げられる者は僅かだ。
 
 そして最終段階の赤化ルベド――無から有を生み出す力、人と神の合一に至っては、誰も成功したことがなく、実現不可能な概念だと見做されていた。

 人と神の合一。この漠然とした概念はおそらく、赤い霊薬「賢者の石」のことを指している。本の中の黒鳥カラス、白鳥、金糸雀カナリア、不死鳥を見つめながら、ダリルは悩んだ。

 本当に赤化という段階が存在するのだろうか? 
 伝説は所詮伝説で、賢者の石の存在など決してあり得ないのではないだろうか。

「……諦めない。俺はこの世界を、理想の世界に変えるんだ」
 
 難解な古書を読み解きながら、ダリルはぶつぶつと呟いた。
 
「ルクスの傍にいるためには、何としても賢者の石を創り出さなければいけない。俺にはもう後がないんだよ、あらゆる材料を使ったが全く成功する気配がなかった! 何かが足りないはずなんだ。俺の知らない、何かが……!」

 頁を捲り続けた末に、ダリルはある一文を認めた。
 
 魔力を第五の元素とみなし、全属性調合を行うことで「無から有を生み出す力」を得られるという記述を。
 
「魔力を元素に、か。その理論はとうに知っているが、魔力を調合に使うなんてあり得ないだろう?」
 
 一部の人間に備わった見えない力。魔力とは感覚のような、ごくごく捉えどころのないものだ。パペットなどの特定の物体を動かしたい、何かを覆い隠したいと思った時に、脳から指先へ伝わる神経作用のようなもの。物ではないから昇華などの精製ができず、四元素と結合させることもできない。

 錬金術の調合には、必ず「物質」が必要だ。この世界に存在するものは、全て火、水、土、風のいずれかの元素に属している。気体だろうが液体だろうが、四元素に属する物質であれば問題なく調合に用いることが可能だ。
  
 だが、魔力だけは違う。
 その触れることも掴むこともできない不可思議な性質は「物質」ではない。魔力とは、直感や第六感のように存在は認識できるものの、説明や数値化が困難な概念なのだ。そんな不可視で形を持たないものを、どうやって既存の調合形式に組み込めというのか?
 
 ふと浮かんだ閃きを掬い上げ、また沈めては溜息を吐く。ダリルはそれを繰り返したのち、ぱたりと本を閉じた。

「駄目だ。何の手掛かりも得られない……帰ろう」


 


 研究がうまくいかない焦りから、ダリルはいっそう夢織りの露に溺れていった。

 夢の中で紡がれる理想の世界。ダリルは田舎生まれの少年で、同じ村の女の子と暮らしている。胸の内に思い描く望みを、夢織りの露はそのまま見せてくれた。

 ――ダリル、今日のご飯は何にしようか?

 夕焼け空の下、舗装されていない田舎道を進む。麦畑が一面に広がる長閑のどかな景色を見つめ、ルクレーシャはダリルの手を優しく握った。

 ――綺麗ね。

「そうだな。ルクスはいつだって綺麗だ」

 ダリルがルクレーシャを見つめて微笑むと、彼女は照れくさそうに麦畑を指差した。

 手に伝わる温もりを楽しみながら、小高い丘の上にある家を見上げる。簡素な煉瓦造りの家は狭苦しく、けれど温かい二人の家だ。
 
 決して贅沢はできないけれど、ダリルはこの暮らしをとても気に入っていた。都会の喧騒から離れて錬金術に打ち込み、大好きな女の子と日々を共に過ごしている。隣で笑ってくれる存在がいるだけで、この心が満たされる。

 この暮らしこそ自分の祈り、自分の願いだ。
 ルクレーシャがいてくれるなら、他には何もいらない。

 ――幸せだね、私たち。ずっとこうして一緒にいようね。

「ああ、ずっと一緒だ」

 何の制約もなく、愛する女性と暮らす理想の世界。将来のことを考えずに済むこの時間が、ダリルの拠り所だった。
 
 腕の中にルクレーシャを抱きながら眠り、そして目覚めた後に空虚感に襲われる。夢と現実の落差に、ダリルはいつも泣きたくなった。
 
 ダリルは毎朝告白の練習をした。空が白んだばかりの薄明かりの中、ルクレーシャの幻に向けて熱っぽく囁く。

「好きだ、ルクス」

 ルクレーシャの写真に仕掛けを施し、立体的な幻像イメージを創り出す。透き通った女の幻影に、ダリルは切ない視線を送った。

「君が大好きなんだ。ルクスのことを考えると、胸が熱くなって正気でいられない。愛しいルクレーシャ、俺の気持ちに応えてくれないか……?」

 目の前のルクレーシャはただ微笑むだけ。ダリルは彼女に向けて手を伸ばし、そして何も触れられないことに一抹の寂しさを抱いた。

「……俺は馬鹿だ。こんなことをしたって、何もならないのにな」

 好きなら直接好きだと伝えればいい。
 それが、自分にとってはとにかく難しい。

 練習として、ルクレーシャに似た性格のパペットに告白したこともあるが、こっ酷く振られたショックに数日眠ることができなかった。

 自分はルクレーシャに依存している。彼女が自分から離れていくことが何よりも怖いから、狂ったように研究に打ち込んでいる。じっとしていると、ルクレーシャに対する強烈な劣等感に襲われるのだ。

 錬金術に対する天性の才能を持った女。勘と魔力だけで道を切り拓いていく彼女のことが羨ましく妬ましい。気を抜くとあっという間に置いていかれてしまいそうな気がする。
 
 彼女に認められたい。
 彼女と共に錬金術の腕を磨いていきたい。

 ルクレーシャに見てもらえるのなら、どんなことだってできる。

「俺の武器は何だろうか。天才の君と比べて、俺なんか……。ああ、駄目だ。ここで腐って努力までしなくなったら、どんどんルクスに引き離されてしまう」

 自分にできることは、報われる日を夢見てただひたすら努力することだけ。
 ダリルは籠いっぱいに商品を詰め、市場へと向かった。




 あくせく働く貧乏学生たちに倣い、ダリルは自作の品物を市場に卸し始めた。錬金術士としての名を売っておきたかったし、高価な錬金材料を買い揃える金が欲しかったからだ。

 賢者の石の研究にはとにかく金がかかる。実家の金に手を付けすぎると父親に怒られるため、ダリルは空き時間に執事を連れて商売をした。

 活気のある市場の片隅に布を敷き、錬金術で作り出した品々を並べる。品質の良い薬に、何種類かのハーブを合わせた茶葉、人工宝石のかけら。ダリルが作った品々はどれも人気があったが、特に喜ばれたのは湿布だった。魔力に反応して振動するその湿布は、筋肉の凝りが取れるという理由で大勢の人が買い求めた。

(最初は、腰が痛いという先生のために作ってみたんだがな。まさかこの商品が一番売れるとは思っていなかった)

 この湿布は腰痛や肩こりによく効くんだ。これがないと生きていけない――ありがたそうに湿布を受け取る老婆を思い出し、ダリルは笑い声を溢した。

(ふむ、どうやら俺は父上に似て商才があるようだ。貴族として領地を治めるより、錬金工房を経営した方がいいんじゃないか?)

 人の役に立つものを作るのは楽しい。いつか工房を構え、そこでルクレーシャと一緒に錬金術に打ち込めたら……。そんなことを考えていた時、桃色の髪が視界を横切るのが見えた。

「ルクス?」

「……あれ、ダリルじゃない。お貴族様がこんなところで何をしてるの?」

 敷布の上に座るダリルを見下ろし、ルクレーシャは首を傾げた。彼女が持つ籠の中には、瑞々しい草がぎっしりと詰め込まれている。どうやらルクレーシャは町の外に出て、錬金材料の採取をしていたようだ。

「こらルクス、採取に行くなら俺に声をかけろと言っただろう? 魔獣に襲われたらどうするんだ!」

「へーきよ。採取って言っても城門の近くだし、別に遠出した訳じゃないわ。それにあなたの力を借りなくたって、私は簡単に魔獣を追い払えるって知ってるでしょ? んじゃ、商売頑張ってね」

 ひらひらと手を振るルクレーシャを、ダリルは慌てて引き止めた。

「ちょっと、何?」

「そ、その……」

 ルクレーシャの手首を掴みながらダリルは吃った。もっと話したいのに、丁度いい話題が出てこない。

「き、君は。俺のように商売をしようとは思わないのか」

「……? 私だって、道具屋さんに薬を売って財布を潤しているわよ」

「それならっ、俺と手を組もう! 俺ならもっと上手く売ってやることができるし、ルクスは名声を高められる。そしてゆくゆくは、俺の専属錬金術士として華々しい日々を送るんだ! どうだ、君には勿体ないくらいの話だろう?」

「はぁ、またそれぇ? 言ったでしょ、ダリルの家には絶対行かないって! 大体、私にちょっかいかけなくても、あなたの調合を手伝ってくれる人間は他にもいるでしょ。そっちを当たりなさいよ!」

 ルクレーシャは手を引っ込め、不快そうに眉を寄せた。

「私はいつか村に帰るの、あなたなんかに付き合ってられないわ! ああ、卒業が待ち遠しい。意地悪お坊ちゃまの嫌味を聞かずに済む時が来ると思うと、とっっても清々するわ!」

 ずきりと胸が痛む。
 敵意を向けてくる少女を見下ろし、ダリルは沈んだ声で呟いた。

「それは俺の台詞だ。俺だって、君みたいな可愛くない女を見ずに済むと思うと清々する。どうせ侍らせるなら見目のいい方が好みだしな」

 ああ、どうして。
 どうしてこんな正反対の言葉ばかり出てきてしまうのだろう? 
 
 ルクレーシャの態度は刺々しくなる一方で、自分は素直に振る舞えないまま。昔のように桃色の髪に触れることも、華奢な体を抱きしめることも気軽にできなくなってしまった。

 何か言いたげな執事の視線が痛い。ルクレーシャとの距離がどんどん開いていく気がして、ダリルは悲しくなった。


 *


「いっけええええええええええ!!!」

 ルクレーシャの大声と共に、彼女の指先から炎の閃光が放たれる。並べられた木人形を業火で燃やし尽くした後、彼女は得意げに胸を張った。今日の体育は、危険な魔獣から身を守るための戦闘訓練だ。青空の下、ダリルは爆風になびく桃色の髪を見つめた。

「……相変わらず、本当の魔法使いみたいだな」

 胸が拉げるような劣等感を味わいながらダリルは呟いた。
 
 膨大な魔力を自由自在に操るルクレーシャは、その手から炎の玉や氷の棘を生み出すことができる。更に小石を爆弾に変えたり、背に翼を生やして空を飛ぶことさえも。ルクレーシャが簡単に魔獣を追い払えると言ったのは嘘ではない。事実、彼女は魔力ひとつで何でもこなしてみせた。

「どう、ダリル。私は一気に五体燃やしたわよ。あなたにこんな芸当ができるかしら? ふふふっ、今日の体育は私の勝ちね!」

 振り返ったルクレーシャは満面の笑みを浮かべている。人間の限界を軽々と超越する女に、ダリルは嫉妬と羨望が混じった複雑な感情を抱いた。

「全く、君には参るよ。指から火やら氷やら出したり、四元素四性質を丸ごと無視したり……。本当に俺と同じ人間なのか? どうやらこの世界のルールは、君には一切関係がないらしい」

「その通りよ。元素とか属性とか、そんな難しい概念は私に必要ないの。全部魔力でどうにかしちゃえばいいんだから!」
 
 こうしたいと思えばこうなる。ルクレーシャは天に向けて指を動かしながら、己が操る魔力をそのように表現した。彼女の指の動きに合わせて、青空に白い雲が浮かび上がる。大空に雲のプリンを描き、ルクレーシャはにやりと笑った。

「なんてことだ。ルクスは絵心もないんだな」

「絵心ってなによ。他に何がないっていうの」

「謙虚さと慎重さと淑やかさ、その他諸々。ところであれは一体何だ? 君は泥団子を描いたのか?」

「違うわよ! どう見たってプリンでしょうが! もうっ、本当にやなやつ。息を吐くように嫌味を織り交ぜるんだから!」

 騒ぐ少女をいなし、ダリルは思考を巡らせた。

(こうしたいと思えばこうなる、か。それだけで世界のルールを無視するなんて、まるで神様みたいだ)

 ルクレーシャの周囲を取り巻く桜色の魔力。本来目で捉えられぬ力が、あまりにも膨大すぎるゆえに花びらのような形として現れる。ダリルは彼女から滲み出る魔力を見つめ、はっと息を呑んだ。

 ……ルクレーシャの魔力は、形がある。

「何よ、みっともなく口を開けて。いったいどうしたの?」

「まさか……」

 桜色の花びらに手を伸ばす。美しき力の片鱗を手の中に閉じ込め、ダリルは期待に胸をときめかせた。

 魔力は物質ではないから調合には使えない。だが、はっきりとした形として顕現するほどの膨大な魔力ならどうだ? 形があるならば「物質」として既存の元素と組み合わせることができるのではないか?

 事実、ルクレーシャは調合の時にいつも魔力を用いている。魔力で元素を別の元素に作り変え、錬金術の禁忌を無視してあらゆるものを創り出す。つまり彼女は無意識のうちに、魔力を第五の元素として扱っているのではないだろうか。

「……ルクス。鍵は、君だったのか……?」
 
 この世のルールに囚われない在り方。
 己の望みを何でも叶えられる奇跡の力。
 
 ルクレーシャの存在こそ、賢者の石が持つ力そのものだ。
 
 ――魔力を第五の元素とみなし、全属性調合を行うことで無から有を生み出す力を得られる。

 魔力を使うなんてあり得ない、それはただの思いこみだった。なぜなら自分の近くには、魔力を使って調合を成し遂げる人間がいるのだから!

 どうして今まで気が付かなかったのだろう? 生ける錬金釜であるルクレーシャの魔力があれば、賢者の石の錬成に手が届くかもしれない!

「そうか。鍵は、こんな近くに……」

 感動に胸が震える。ダリルはルクレーシャを力強く抱きしめ、彼女の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
 
「わわっ、ちょっ、ちょっと! 急に抱きついてこないでよ!」

「ルクスっ、ルクス……やっぱり君は最高の好敵手ライバルだ! 君さえいれば何もかもが上手くいく!」

「……ね、ねえ。いきなり態度を変えてどうしたの? ダリルってば、おかしくなっちゃった……?」

「ああ、閃いたぞ。実に晴れ晴れとした気分だ。あはははははっ! 最高だなルクレーシャ!! 君と出逢えて本当に良かった!!」

 ライバルから熱烈すぎる抱擁を受け、ルクレーシャが顔を真っ赤にする。ダリルは久方ぶりに彼女の頬をつつき、幸福に顔を崩した。


 


 ひとすじの光明が眩く輝き、先を照らす。それからの研究は驚くほど順調に進んだ。

 ダリルは強烈な衝動に突き動かされ、狂ったように研究に没頭した。彼の机の上には何冊もの研究ノートが積み重なり、頁には走り書きの文字が所狭しと記されている。危険な調合で負った火傷は、もう痛みさえ感じない。

 賢者の石の錬成なんて不可能だ。そう周囲から笑われても、馬鹿にされても、ダリルは決して止まらなかった。ルクレーシャの魔力さえあれば、絶対に成功するという確信があったからだ。
 
 花の妖精が持つ膨大な魔力を捕らえるために、ダリルは「ダイアナの樹」と呼ばれる樹枝状の合金を作成した。純銀と硝酸アクアフォルティスから作られるそれは、魔力に反応して枝を伸ばす不思議な結晶だ。分厚い参考書を読みながら、ダリルは口角を引き上げた。

「……ダイアナの樹は、月の力を象徴する銀から作られる。月が潮の満ち引きを支配するように、この銀樹もまた目に見えない力を引き寄せ、支配する性質を持つ。その性質こそが、魔力を捕捉することを可能にしているのだ――そうだ。これさえあれば、俺でもルクスの魔力を扱える!」
 
 ダイアナの樹はかつて、その不思議な性質から賢者の石の前身として考えられていた。魔力を溜め込む特性は、賢者の石の材料として用いるのに最適だろう……。ダリルは毎日毎日ルクレーシャにつきまとい、銀樹に彼女の魔力を注ぎ込み続けた。

 授業でルクレーシャが魔力を使うたび、そっとパペットを操って近くにダイアナの樹を置いておく。ルクレーシャの周りに漂う桜色の魔力は、少しずつ銀樹に吸い寄せられていった。

 硝酸の中に浸かった銀樹は、ルクレーシャの魔力に反応して枝を伸ばしていく。日々強まる魔力の気配に、ダリルの期待が高まり続ける。そして、一年かけて育ったダイアナの樹は、圧倒されるほどの力を蓄えた。

 十七歳のある日。
 ダリルは再び賢者の石の錬成に挑戦した。

 火の硫黄、風の水銀、水の塩、土のオスの実。四元素を絶妙なバランスで結合させて作成した黄金色の基材に、大きく育ったダイアナの樹の枝を沈める。水晶フラスコの中で金の液体と銀の結晶を混ぜ合わせ、錬金炉アタノールの中で四十日熱する。非常に高度な調合も、腕を磨き続けたダリルにとっては難しいことではなかった。

 そして――。

「……さて、どうだろうな」

 震える手で炉の扉を開けた時、ダリルの目に飛び込んできたのは美しい赤の輝きだった。重々しく、そして神々しい光が、暗い図書室を朝焼けのように染め上げる。

 錬金炉の奥に眠っていたのは、赤い砂だった。震える手で砂をかき集め、そっと鉄くずに振りかける。
 
 その瞬間、奇跡は起きた。

「っ……!」

 声にならない声が漏れる。目の前で鉄くずが黄金に変わっていく様を、ダリルはただ呆然と見つめた。信じられない光景に手が震え、膝が震え、やがて全身が震え出す。純金が放つ眩い輝きを浴びながら、ダリルは歓喜の咆哮を上げた。

「や、やった。やった……! できた。遂にできたんだ!!」

 歓喜の叫びが図書室に木霊する。夢が現実となった感動に、ダリルは溢れ出る涙を拭うことさえできなかった。
 
 赤い砂を握りしめる。固形だった賢者の石は掌の中で液体へと姿を変え、足元の植木鉢へと滴り落ちた。枯れかけた植物が生き返り、瑞々しい果実をならす。それはまさしく古典で語られた、霊薬の効能そのものだった。
 
 賢者の石は本当に存在したのだ。
 これさえあれば、世界を変えることができる!

「ありがとう、ルクスっ……。本当にありがとう……! 君がいてくれたお陰で、俺はようやく……!」

 ルクレーシャの笑顔を思い浮かべながら、ダリルはひたすら感動の涙を流し続けた。
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