失敗作は蜜の味

橙乃紅瑚

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愛する君を逃さない、絶対に - 3

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 後輩の部屋でたっぷりくつろいだ後、ルクレーシャはフローリアンと共に街を歩いた。夕暮れ時の王都は美しい。煉瓦造りの屋根が、空の光を浴びて一斉に赤く輝いている。温かみのある景色に目を眇めながら、ルクレーシャは大きく深呼吸をした。

「ふうぅぅ……。とってもいい気分。こんなにリラックスできたのは久しぶりよ。今まで試験勉強ばっかりしてたしね」

 肩をさするルクレーシャを見て、フローリアンは微笑んだ。

「頑張っている先輩はステキですよ。甘いものが食べたくなったら声をかけてくださいね。特製のキャンディを持っていきますから」

「え、本当? フローリアンくんのお菓子はとっても美味しいからね! そんな嬉しいこと言われたらやる気出ちゃうわ」

 てれてれと笑うルクレーシャの顔は晴れやかだ。迷いが消えたその表情に、フローリアンはほっと息を吐いた。

 隣を歩くアイドルは、黒い悪魔への告白がうまくいくかどうかしきりに心配している。何だか緊張してきたわと呟くルクレーシャに、フローリアンはそっと声を掛けた。

「ちょっと聞いてもいいですか? こんなことを聞くのは失礼かもしれないけど、先輩って手持ちの服少ないです?」

「ふく? ああ、いつも同じ格好をしてるって言いたいのかしら? 確かに、私は白シャツと赤いスカートばかりよね」

 フリルのついた白いシャツに赤いスカート。これが普段の格好だ。お洒落が分からない自分をコンプレックスに思いながら、ルクレーシャは顔を赤らめた。

「この組み合わせが大のお気に入りなの。故郷を出るときにね、お母さんがこんなシャツとスカートを持たせてくれたんだ」

 赤いスカートを見つめながら、ルクレーシャは両親の顔を思い出した。

「私の故郷は、王都の人が名前を知らないくらいのド田舎でね。服は全部お母さんが縫ってくれたわ。唯一誇れるものは、村の花から作った染料だけ。お母さんはそれを使ってスカートを赤く染めてくれたの。うちは貧乏だけど、せめて少しはおしゃれを楽しめるようにって。……私は、お母さんの優しさがとっても嬉しかった」

 自分を王都に送り出してくれた親に恩返しをしたい。
 赤い色のスカートを履いていると、自分が何のために頑張っているのか思い出せる。

「それに、私はあんまり服に関心がないの。村を出るまで服屋の存在を知らなかったくらいだし。だから結局、よく着慣れたこの格好に落ち着いちゃうわ。えへへ、男の子にこんなことを言うのも恥ずかしいけどね」

 目を逸らすルクレーシャの手を取り、フローリアンは大声を上げた。

「そっ、それなら! 僕と服を見に行きましょう!」

「えっ、服を……?」

「はい! せっかくなら、普段と違う服を着て彼をびっくりさせましょうよ! 本音を言えば、僕はまだ先輩と離れがたいんです。ね? ねっ! 僕、いいお店知ってるんです!」

(うーん、そうね。まだ夕方だし、傷薬を売ったばかりだからお金はあるし、どうせならダリルに可愛いと思ってもらえるような服を着たいし……。フローリアンくんが誘ってくれるなら、行こうかな?)

 大きな眼鏡の向こうで、くりくりとした目が煌めいている。ルクレーシャが頷くと、フローリアンは嬉しそうに拳を握った。

「やったあああああああああ! よし、それじゃ早速行きましょう!」

 ルクレーシャのかごを持ち、フローリアンはぐんぐんと前に進んだ。
 錬金材料が詰め込まれたかごは重いだろうに、代わりに持ってくれるなんて優しい男の子だ。ふわふわと揺れるフローリアンの金髪を見つめながら、ルクレーシャはありがとうと囁いた。


 ********


 フローリアンについていった先は、工房区の中の小ぢんまりとした服屋だった。軒下には、繊細な刺繍が施された服がずらりと並んでいる。フローリアンは店のドアに手を掛け、中を覗き込んだ。

「ねえさーーん! いるーー?」

 フローリアンの呼びかけに、金髪の女性が顔を出す。
 彼女はフローリアンとルクレーシャの顔を交互に見つめ、赤い唇を艶やかに引き上げた。

「あら、デート? 羨ましいわね」

「ちっ、違うよ! 僕の先輩に似合う服を探してほしいんだ! あっ、ルクレーシャ先輩。このひとは僕の姉さんです」

「こんにちは、ローズマリーよ。弟と仲良くしてくれてありがとう」

 ローズマリーは色気たっぷりに微笑みながら、ルクレーシャの手を取った。
 緩く結わえられた金髪から薔薇の香りがする。妖艶な美女にじっと見つめられ、ルクレーシャは顔に熱が集まるのを感じた。

「あ、私、ルクレーシャです。こ、こちらこそ、フローリアンくんに仲良くしていただいてます」

「ふふ、緊張しないで。あなたのことは弟から聞いているわ。何でも、ユニークなものを次々と作り出す天才だとか。錬金術学校の規範である生徒に出会えて、わたしも光栄よ」

「え? あ、あはは……。ありがとうございます」

(規範だなんてとんでもないわ。私は居眠り常習犯だし、魔法式のテストはいつも赤点なのに!)

 ルクレーシャがフローリアンの方をちらりと見ると、彼は照れ臭そうに笑った。どうやらフローリアンは、姉に対して多少話を盛っているようだ。

「ところで、服を探しに来たということだけど。どんな服が欲しいのかしら? パーティー用? それとも普段使い?」

「えっと……その……。わたし、好きな男の人に告白したくて。その時に着る服が欲しいんです……」

「まあ、可愛い」

 ローズマリーはぽつりと呟き、俯くルクレーシャを店の奥に誘った。

「そういうことなら任せて、あなたに似合いそうな服はたっぷりあるから。フローリアン、外の服を仕舞ってきてちょうだい。今日はもう店じまいするわ」

「えっ、いいんですか? まだお客さん来るんじゃ――」

「いいのよ、こんな可愛い子がやって来てくれたんだもの。わたしは他人の恋を応援をするのが好きなのよ。お話でもしながら、ゆっくり服を選びましょう」

 ローズマリーは綺麗な微笑みを浮かべ、衣装棚からひとつひとつ服を取り出し始めた。

「さあ、こちらへ。あなたをもっと美しくしてあげる」


 *


 フローリアンの一番上の姉であるローズマリーは、自分が作った服をこの店で売っているのだという。彼女はルクレーシャの話に耳を傾け、真剣な顔で服を選んでくれた。

「そう、相手はお貴族様なの。それならしっかりした服を選ばなくちゃ。お貴族様の御眼鏡に適うようなものをね」

 机の上には、衣装棚から取り出された何十枚もの服が積み重なっている。ルクレーシャは申し訳ないから既に出している服の中から選びたいと言ったが、ローズマリーは手を振ってルクレーシャを制止した。

「だめよ。もしかしたら、わたしの服に魅せられたお貴族様が上客になってくれるかもしれないじゃない。服飾職人の誇りをかけて、いい加減なものを選ぶ訳にはいかないの」

「は、はい」

「そうねえ、どうしようかしら。桃色はもちろんのこと、意外と紺色も似合いそうな気がするわ。でも甘い恋の始まりには、オレンジや白のような明るい色の方がいいわね」

 机の上にまた服が積み重なっていく。様子を見ていたフローリアンは苦笑し、ルクレーシャにそっと耳打ちをした。

「ローズマリー姉さんは職人気質なんです。ああなったら止められないけど、きっと先輩に一番似合う服を選んでくれますよ」

「うん、すごく熱心に選んでくれているのを感じるわ……。楽しみだなあ、いったいどんな服が出てくるんだろう?」

 幾つかのワンピースを見比べながら、ローズマリーが眉間に皺を寄せる。しばらくしてから、彼女はあっと声を上げた。

「そうだ、あれがあった。試作品だけど、あの華やかさはきっとあなたにぴったりだわ」

 ローズマリーは奥の部屋から、一枚のワンピースを持ってきた。

 純白の布に、七色の小花の刺繍が散りばめられている。胸元には繊細なレースが施され、スカートの部分は腰元からふんわりと花が開くようなデザインだ。シンプルながらも上品で、可愛らしさも併せ持った逸品だった。

「わぁ……」

 思わず声が漏れる。ワンピースの美しさに見入っていたルクレーシャは、はっとした顔でローズマリーに訊ねた。

「こ、こんな素敵なもの、お高いんじゃ。いくらですか?」

「そうねえ、傷薬十本分の値段でいいわ。あなたに着てもらったらいい宣伝になりそうだし。……あら、安すぎるって言いたいの? それなら、あなたの恋が上手くいったら教えてちょうだい。わたしはそれで構わないわ」

 ローズマリーは器用に片目を瞑り、早速試着してみてと囁いた。




 鏡に映る自分を前に、ルクレーシャはただ息を呑むばかりだった。

 レースがたっぷり施された白いワンピースは、まるでドレスのようだ。動く度に、色鮮やかな糸で縫われたスカート部分の小花が可愛らしく揺れる。

 こんな可愛い服を着たのは初めてだ。この服を着ていると自信が込み上げてくる。ルクレーシャが鏡の前でくるくる回ると、机の上のパペットが小さな手で拍手をした。

「えへへ、ダリルくん。私可愛い?」

 パペットがこくこくと首を縦に振る。得意げに胸を張るルクレーシャを見て、ローズマリーは満足な様子で頷いた。

「似合うじゃない。これなら王子様も喜んでくれるわね」

「ふわぁっ、せんぱい! こっち向いて! すっごいキレイですよお……! ここに錬金カメラがあったらパシャパシャ写真を撮りたい!! うへへッ、やっぱり僕のアイドルは最高だあ……!」

 フローリアンがルクレーシャの周りを忙しなく飛び跳ねる。ローズマリーはだらしなく鼻を伸ばす弟を小突き、ルクレーシャの髪を結い上げた。

「襟元が派手な分、髪はきっちり上げた方がいいわ。それからお化粧もしっかりめにね」

「は、はい……」

「なんだか自信がなさそうね? それなら、わたしがお化粧のやり方を教えてあげようかしら。いい? お洒落は武器なのよ。自分の魅力をもっと磨いて、あなたの王子様を虜にしてみせなさい」

 目の前に幾つもの瓶が並べられる。見たことも使ったこともない化粧品の説明を受けながら、ルクレーシャは目を白黒させた。


 それから二時間後。

 ローズマリーからお化粧と髪結いのやり方を教えてもらったルクレーシャは、フローリアンが用意してくれた軽食を味わいながら、想い人のことについて話をした。

 クラスメイトにも、家族にも話せなかったダリルへの恋。それがこの姉弟の前では、すんなりと話すことができる。二人とも、貴族への恋を身分違いだ何だと馬鹿にせず、優しく受け止めて応援してくれるからだ。

 安心感の中、自分の恋について相談するのはとても楽しかった。聞き上手なフローリアンと、的確なアドバイスをしてくれる歳上のローズマリー。まるで本当の弟と姉ができたようで心が温かくなる。

 日が沈みきる頃までたっぷり会話を楽しんだ後、ルクレーシャは店を後にした。丁寧に包まれたワンピースを腕に抱え、ローズマリーがプレゼントしてくれた銀の翼のイヤーカフを耳に着けて。

「そのイヤーカフはね、宝石職人の妹が作ったものなの。あなたが身につけてくれたら妹も喜ぶわ」

「何から何まで……。ローズマリーさん、本当にありがとうございます! ワンピースもイヤーカフもずっと大切にします」

「ええ、大切にしてちょうだい。可愛いレーシャ、頑張ってね」

 手を振るローズマリーに何度も頭を下げ、ルクレーシャは頑張りますと力強く返事をした。フローリアンとローズマリーがここまで応援してくれるのだから、絶対にうまくいく。結果がどうなるにしろ、今のルクレーシャに想いを伝えることへの恐怖はなかった。


 *


「フローリアンくん、今日はありがとう」

 静かな夜道を歩きながら、ルクレーシャは隣を歩く後輩に笑顔を向けた。

「君がいなかったら、私はきっと決心できなかった。ずっとうじうじ悩んで、あいつへの気持ちを無理やり押さえつけて……。この先、死ぬまで後悔し続けてたと思う。フローリアンくんが背中を押してくれたお陰で、やっと区切りをつけられる」

 街灯の中の輝結晶がきらきらと琥珀色の明かりを灯している。美しい夜の景色を楽しみながら、ルクレーシャは星が瞬く空を見上げた。

「定期試験までもうすぐね。あいつに勝てるかな」

「もちろん! 先輩は最高最強のアイドル、そして僕の憧れの錬金術士ですから。誰も先輩には敵わない。華々しい勝利を収めて、ルクレーシャ先輩の名を学校中に轟かせてください!」

 ルクレーシャの手をさすさすと撫で回し、フローリアンは眼鏡の奥の瞳を輝かせた。

「忘れないでください。先輩は笑顔が一番似合うんです。綺麗な服もカワイイリップも大切だけど、笑顔こそが最高のお化粧なんですよ」

 後輩の言葉に胸が温かくなる。自分を真っ直ぐに応援してくれるフローリアンが可愛くて、つい彼の頭に手を伸ばしてしまう。夜風にふわふわと揺れる金髪を撫でながら、ルクレーシャはありがとうと囁いた。

「ねえ。フローリアンくんってモテるでしょ。綺麗な顔してるし」

「えぇ? あはは……。でも、僕は気持ち悪いドルオタですし、背も低いし、重度の近眼だし。女の子が寄ってきてくれるのは、僕のお菓子が目当てだからで……」

「確かにフローリアンくんのお菓子はうっとりするほど美味しいけど、君が好かれるのはそれだけじゃないわ。聞き上手だし、人の気持ちに寄り添ってくれるし、パティシエになるために一生懸命頑張ってる。女の子たちはきっと、君のそういうところが好きなのよ。もちろん私もね」

 ルクレーシャの言葉にフローリアンが目を潤ませる。彼ははにかみ、ルクレーシャの手をぎゅっと握った。

「へへ、せんぱい……。すごく嬉しい。僕、今の言葉を宝物にします」

 眩しいものを見るように目を眇め、フローリアンは顔を紅潮させた。
 お互いの顔を見つめながら笑い合う。二人が談笑していると、ふと道の向こうから甲高い声が聞こえた。

「ああああっ、フローリアン! やっと見つけたあああぁ!!」

 錬金術学校の生徒だと思われる女子が、フローリアンを指さして大声を上げた。彼女の手には光る棒が握られている。おそらく、昼間フローリアンを追いかけ回していたファンの一人だろう。もう逃さないと叫びながら迫ってくる女子に、フローリアンが情けない悲鳴を漏らす。

「し、しまったぁ……! 姿隠しの薬の効果が切れちゃったんだ……!」

「へ? 薬を使ってたの? 全然気が付かなかったよ」

「はいっ、先輩と身内には僕の姿が見えるようにしておきましたからね! 万が一先輩と二人きりでいるところを見られたら、僕は黒い悪魔に殺されちゃう。だからこっそり、僕の姿が見えなくなる薬を使っておいたんです……!」

 迫りくる女子から逃れるようにルクレーシャの背に隠れ、フローリアンはあわあわと口を開閉させた。

「あああっ、どうしよう。彼女に捕まったらもみくちゃにされる。ああもう、先輩を寮まで送っていかなければいけないのに。もう薬はないし、転移石は一人分しかない……いったい僕はどうすれば……!」

「フローリアンくん、私は大丈夫だから逃げて」

「ええっ? でも危険ですよお! 夜道に女性をひとり置いてくなんて!」

「大通りは明るいから心配要らないよ。それに、私には小さな王子様がついてるからね」

 ルクレーシャの胸元からパペットがにゅっと顔を出す。慌てるフローリアンを落ち着かせ、ルクレーシャは手を振った。

「さ、捕まる前に転移石を使って! 温かい言葉をかけてくれて本当にありがとう。告白、頑張ってみるね!」

 ルクレーシャを心配そうに見つめた後、フローリアンはポケットから転移石を取り出した。

「ふっ、複雑な気持ちですが頑張ってください! 先輩の恋を応援してますよ!」

 送っていけなくてごめんなさいと叫び、フローリアンは転移石を地面に叩きつけた。転移石が割れる音と共に、彼の体が光に包みこまれ、その場からかき消える。また逃げたと憤る女子生徒を尻目に笑いを溢し、ルクレーシャはその場を後にした。


 *


「ふふ、楽しかったなあ」

 頬が緩むのを止められない。今日一日の出来事を思い出しながら、ルクレーシャはフローリアンとローズマリーに感謝をした。昼間までダリルのことで思い悩んでいたのに、彼に告白すると決めた途端、胸が驚くほど軽くなった。

 ――先輩がちょっとだけ勇気を出せば、この現実もあの本みたいに輝き始めるかもしれません。

 フローリアンの言葉を反芻する。
 勇気、勇気と繰り返し呟き、ルクレーシャは自分を鼓舞した。

(そうよ。どうせ好きって言っちゃったんだから、勇気を出してあの言葉は本当だったって伝えるべきよ。大丈夫、別に振られたっていいじゃない。心配することなんて何もないんだわ)

 ワンピースが入った袋を大切に抱えながら、ルクレーシャは夜の大通りを歩んだ。整然と敷き詰められた石畳が琥珀色の光に照らされ、ルクレーシャの影を引き伸ばす。空を見上げれば、美しい満月が煌々と輝いている。こんな夜は、何でも上手くいきそうな気がした。

 大通りから裏道に曲がると、街灯が少なくなる。それでもルクレーシャは鼻歌混じりに前に進んだ。この辺りは何度も通った道だ。寮までもう少し、何も怖れることはない……。

 ふと、後ろから奇妙な音が聞こえてきた。
 ルクレーシャが立ち止まると、その音も止まる。

 後ろを振り返っても誰もいない。ルクレーシャは首を傾げ、また歩き始めた。

(気のせい? でも……)

 奇妙な音は止まない。自分が前に進む度、背後からかたかたと音がする。不気味なその音はどこか機械的で、人間の足音ではないように思われた。
 不安が込み上げてくる。胸元に忍ばせたパペットの頭を撫でながら、ルクレーシャは足早に前に進んだ。

 それに応じて、後ろから聞こえる音も速度を増す。背後から執拗に付け狙われる恐怖に、首筋に冷たい汗が滲む。

(やっぱり気のせいじゃない! 誰かが私の後をつけてきてる……!)

 尾行されている。一挙一動を見逃さぬような強烈な視線がこちらに向けられている。それも一つではなく、複数の視線が。目的の分からぬ監視に、ルクレーシャは薄暗やみの中でたじろいだ。

 炎が強風にかき消されるように、夜道から街灯の光が次々と消えていく。ルクレーシャが驚きに歩を止めると、かた、かたと音が近づいてきた。

「……っ!」

 追跡者を振り切ろうと勢いよく駆け出す。途中、かごから錬金材料が落ちていったが、ルクレーシャは構うことなくひたすら逃げた。後ろを振り返ることなく大通りを突き進み、曲がりくねった小道を通り抜けて寮に向かう。それでもしつこく追ってくる何者かに、ルクレーシャはとうとう大声を上げた。

「さっ、さっきから何なの!? 気持ち悪いのよ、もうついてこないで!」

 己の魔力を素早く球形に固め、ルクレーシャは魔法の球を背後に向かって投げつけた。光り輝く球が暗闇の向こうに吸い込まれた後、小規模な爆発を起こす。奇妙な音が消えたのを確認し、ルクレーシャはおそるおそる追跡者へと近づいた。

 爆風に霞む視界の中、何かが横たわっているのが見える。ルクレーシャは目を細め、怪訝な顔で呟いた。

「……パペット?」

 ルクレーシャの後をつけていたのは、陶器で出来たパペットだった。

 石畳の上に身を投げ出したその人形は、ルクレーシャが思わず見惚れてしまう程の精巧さと可愛さを持っている。フリルがたっぷりついた白シャツと赤いスカート。さらさらと揺れる桃色の髪と、同色に染められた錬金レンズの眼。陶器の肌は白く滑らかで、作り主の技術の高さとこだわりが感じられる逸品だ。

 まじまじとパペットを観察した後、ルクレーシャはこくりと唾を飲み込んだ。

(このパペット……。なんか私に似てない?)

 気のせいと言い切れないくらいに、パペットは自分の姿にそっくりだ。
 誰がこのパペットを操っているのか。なぜ自分の姿を模したパペットが作られたのか。その答えは分からないが、実在の人間にここまで似せたパペットを作り上げるなんて常軌を逸している。

 横たわっていたパペットがむくりと起き上がる。自分を攻撃した女に抗議するよう大きな目をぱちぱちと瞬き、パペットはじっとルクレーシャを見上げた。パペットがまばたきをする度に、写真の撮影音のような音が聞こえる。どうやら錬金レンズの奥に、何らかの機工が仕組まれているようだ。

 これが歪な視線の正体か。ガラスの眼球を前にルクレーシャが寒気を覚えていると、どこからかまた足音が聞こえた。家屋の陰から、街灯の後ろから、屋根の上から……。同じように白いシャツと赤いスカートを纏ったパペットが姿を現す。異様な光景にルクレーシャが悲鳴を上げた時、急に彼女の口が塞がれた。

「んむっ!? むぐぅ……!!」

 大きな手に顎ごと掴まれる。身を捩ろうにも背後からがっちりと抱きしめられているせいで逃げ出すことができない。声にならない声でルクレーシャが助けを求めると、彼女の耳元に聞き慣れた声が落ちてきた。

「危ないだろ、こんな夜道をひとり歩いていては。君みたいな女が無防備に歩いていたら、こうやって良からぬ男に捕まってしまうぞ」

 拘束が緩む。ルクレーシャは自分を抱きしめたままの男をおそるおそる見上げた。

「……ダリル?」

 夜闇のように黒い瞳がじっとこちらを見据えている。ダリルの表情は硬く、腕の中の女を心配する様子も、身を案じる様子も見られない。怒りを押し殺したような暗い顔が、ルクレーシャの寒気を一層強くさせた。

「俺がいない間、随分と楽しそうだったな。鼻歌混じりで歩いていたのを見かけたぞ」

「な、なによ。こうやって後ろから忍び寄らないで、普通に話しかけてくれたら良かったじゃないの」

「ああ、そうだな。是非ともそうしたかったさ。君が俺から隠れるような真似をしなければ」

 ダリルは切れ長の目をきゅっと細めた後、唇を歪に引き上げた。

「用事が済んだ後、俺は真っ先にルクスに会いに行った。パーティーで美味な菓子を手に入れたから、君に恵んでやろうと思ってな。だが君は、姿隠しの薬を使って姿をくらませた。それが気に入らなかったから少し脅してやったんだ。……如何なる方法で隠れようと、俺からは絶対に逃げられないことを思い知らせてやろうと思った」

(姿隠しの薬? ……もしかして、フローリアンくんは私にも薬を使ってたの?)

 フローリアンは、自分と二人でいるところをダリルに見つからないかしきりに心配していた。あの後輩は「黒い悪魔」に目をつけられないよう、密かにこちらにも姿隠しの薬を使っていたのだろう。

「捜し回ったぞ、ルクス。なあ、俺に隠れて一体どこに行ってたんだ」

「か、買い物をしてただけよ。というか、私がどこで何をしようが関係ないじゃない! いちいちそうやって気にするの、なんかストーカーみたいよ」

「ほう? 俺はただ、君の動向が気になって仕方ないだけだ。因縁の女がどこで何をして誰と話しているのか、勝負をしている身としては全部知りたいと思うのが普通だろう?」

(……普通じゃないよ。なんだか、ダリルが怖い……)

 端正な男の顔が近づいてくる。その目の昏さにルクレーシャは身震いし、彼から距離を取ろうとした。しかし男の手がルクレーシャの腕をしっかりと掴み、彼女を逃がさない。女の首筋に高い鼻を押し付け、ダリルはすんすんとルクレーシャの匂いを嗅いだ。

「他の男の臭いがする。それに、その耳飾りは一体どうしたんだ?」

「ああ、これ? このイヤーカフはね、服屋さんに見繕ってもらったのよ。似合うでしょ」

 ルクレーシャはわざと明るい調子で笑ったが、ダリルの表情はより一層険しくなった。

「服屋か。服に興味がなかった君が、わざわざそんな場所に寄ったのか……」

 ダリルは女の腰にゆっくりと手を這わせた後、スカートのポケットから桜の花のイヤリングを取り出した。

「いいや、似合わない。ほんの少しも、全くもって君には似合わない。好きな男の気を惹くためにそれを選んだとしたら、悪趣味と言わざるを得ないな」

「……え?」

「俺が元通りにしてやる。君には俺が作ったイヤリングの方が遥かに似合うからな」

 イヤーカフがダリルの手によって取り外される。許可なく耳を触られ、勝手に桜の花のイヤリングを着けられる。戸惑いを露わにするルクレーシャに、ダリルはわざとらしくにこりと笑った。

「うん、こちらの方がずっといい。……ルクス、そんな顔をしてどうしたんだ? 君は笑顔が一番似合うんだ。ほら、笑えよ。俺は君が好きな菓子を持ち帰ってきたんだぞ。楽しみだろ?」

 顎を掴まれながら頬をぐにぐにと揉まれる。ダリルの手の動きは優しく、全く痛みを感じなかったが、ルクレーシャは口を利くことができなかった。

(ダリルのこと、好きなのに。大好きなはずなのに。でも……)

 自分の頬を撫でながら笑えと命じる男を見ると、背筋にぞわぞわとしたものが走り、胸に澱みが溜まる。それは好意や安心感とは反対の、嫌悪感によく似た感情だった。

(なんか、嫌だな。こうやって好き勝手に体を触られたり、一方的に束縛するようなことを言われるのは……。怖くて、気持ち悪い……)

「さあ、俺の屋敷に行こう! 夕食は摂ったか? もし腹が空いているなら用意するぞ。菓子だけ食べるのは体に悪いからな」

 ルクレーシャが持っていた重いかごを代わりに持ち、ダリルは上機嫌な様子で彼女の手を引っ張った。
 行きたくないとは言えなかった。今のダリルを怒らせたら、どうなるか分からなかったからだ。

 いつの間にか、周囲からパペットの姿が消えている。人形に追いかけ回された恐怖と、ダリルが醸し出す異様な雰囲気に、告白への甘い期待が失せていく。

 ――ほっ、本当にダリル先輩でいいんですか? あの人に恋して、先輩が後悔しませんか。

 胸の中に違和感が凝り、本能的な警鐘が鳴る。
 いつか聞いたフローリアンの言葉を思い出しながら、ルクレーシャは重い足取りでダリルについていった。
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