ヤンデレホイホイ貧乏苦学生物語

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第1章 ヤンデレホイホイRTA

16 煙草屋の秘密⑥

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 乾いた身体に染み入るような雨音と、ぬるく柔い水のように揺蕩う魔力。
 未だ微睡の中にあるような心地良さで、薄らと瞼が開いた。

 煙草屋の売らない葉巻のことは身をもってよく分かった。

 あまりに質が良すぎる。
 こんなにドギツく、それでいて柔らかな多幸感にずしりと包まれる飛び方は初めてだった。

 こんなの絶対、高値が付くに決まっている……!

 ジャノメさんの商会で取引ができたら、儲けの一部は噛ませてもらえるかもしれない。

 僕に煙草を売ってもいいと言質はとっているのだ。今日は具体的な話を何としても進めさせてもらう!

 そう意気込み、ざらりとした薄いシーツの上で身じろぐも、煙草屋の腕の中にぎゅうぎゅうに抱き込められていて抜け出せない。

 小さく立てる寝息は安らかで、ぬいぐるみでも抱くように背中にまわった両腕は遠慮がなかった。

 しかし僕の体が動くのを感じ取ったのか、煙草屋はゆっくりと瞼を開いた。
 すでに左の眼窩は眼帯で覆い隠されている。
 
 目が合うと心底嬉しそうな、素直な気色が目元に浮かんだのが見てとれた。

「僕のクモツだ」
「激ヤバカルト村……」

 率直な感想が喉から飛び出したのを、煙草屋は気に止めなかったようだ。薄い唇は喜色ばみ、ゆるやかに口角が上がっている。

「とても気持ち良かったね。幸福だった」
「そ、れは……否定しません」

 煙草屋のてのひらは僕の後頭部にまわり、頭の丸みを確かめるように柔らかに撫でる。
 
 「クモツ」と呼びかける声はひどく甘さが滲んでいる。
 
 「煙草屋」と声をかけた時、その指先はつうと輪郭を辿って降りていき、大きな手のひら一つで片頬と口と顎を一掴みにした。

 柔らかな力加減だったので、僕は目を細めて煙草屋の隻眼の薄紫を見つめ返すのに留める。

 煙草屋は僕の視線を受けると、口を塞いでいたてのひらを離し、頬から顎にかけて包むように添え直した。

 むに、と下唇を親指の腹で押される。すぐに指先は離れる。
 数度その行為は繰り返された。
 数秒間の圧迫は唇を通る血液を少しく留め、ゆるく親指が持ち上がると再びそこに血が流れる。
 じりじりと唇に熱が溜まっていくのを感じた。

 「煙草屋」の「た」の字も言い切らぬうち、開いた唇へ煙草屋の親指が侵入した。そのまま人差し指も口角を押しながら差し込まれる。
 無骨なかたい指先に捕まれ、自由を奪われた舌は煙草屋の好きに撫でられ、逃げを打った。

「やぇろ、たぁこや……っ!?」
「どうして僕をクモツって呼んでくれないの?」
「ぇあ、ぅっ、」
「呼んで?」

 例の葉巻の取引が先だ、とか、なんかそれ呼んだら取り返しのつかないことにならないか、とかいろいろと言いたいことはあったが、煙草屋の指はどんどん僕の口腔の奥へと進んでいった。いまや咽頭にまで触れようとしている。
 
 そして指が奥に進むにつれ煙草屋の目つきもだんだんと据わっていった。起き抜けの親しみと甘ったるさは落ち抜け、かっ開いた瞳孔に見下ろされる。
 
 生理的な涙が眼球に膜を張り、喉奥で小さくえずくも煙草屋の指が抜ける気配はない。

 ていうかこんな指突っ込まれてたら何も言えないから!

 僕の喉からは意味をなさない唸り声しか出すことができなかった。
 僕が「うーうー」と唸る間にも煙草屋は「呼んで」をただ連呼するばかりのイカれマシーンと化していた。

 まずは指を抜くべく、煙草屋の手首と腕を掴み引っ張るがびくともしない。優しげな顔と裏腹に丸太のように立派な腕であった。

 ならばと口内に我が物顔で居座る指に噛み付いてやるが、既に消耗している僕の顎に大した力は残されておらず、恐らく甘噛み程度の反撃にしかならなかった。

「んええ、ぉえ……っ」
「呼んで。呼んで。なんで呼んでくれないの。呼んで。呼べよ。呼べ」
「えうぅ゛っ」
「クモツ……っ」

 煙草屋の腕を引っ張っているのだか縋りついているのだか、口内の指に噛み付いているのだか吸い付いているのだか分からなくなった頃、煙草屋はようやく指を抜いてくれた。

 自由になった咽頭と口腔に残る痛みと違和にえずいたのも束の間。

 そうして解放されたかと思えば、次いでぎゅうぎゅうと身体を抱きしめられた。
 背中にまわった腕は強く強く力が込められて痛い。

 クモツ、クモツと耳元でする音が酷く弱々しくて不安定で、ぼんやりとした頭のまま、何か悲しい気持ちばかり伝染する。
 耳殻に触れた唇は冷たくて微かに震えていた。
 
 瞬間、身体を支配したのは酷い焦燥感で、それに駆られるままに彼の背中に腕を回した。

 大きな体躯は僕を覆うように丸め込んでいる。僕ごと小さくなろうとするみたいに。何かから隠れようとするみたいに。

「だいじょうぶ、大丈夫だから……」

 だから思わず、呼んでしまったのだ。

「アンタは……クモツだ」
「……」

 薄紫の、暗闇の中で仄かに浮かび上がった一つきりの目玉がこちらを向いた。それは人魂のように朧に僕の眼球にうつる。

 雨音はいつまでも、静かに耳に鳴っていた。

 

 









 「クモツ」と彼を指し示すことになる呼称を舌に乗せた途端、彼の混乱と暴力は波のように引き、煙草屋然とした人格と態度を取り戻した。

「乱暴してごめんね。痛かったね」
「い、いえ……」

 今は粗末な麻布の上に背中から抱き込まれる形で座っている。
 全裸で。
 なぜいつも僕たちは全裸なのか?

「それで、煙草は。売らないとは言わせませんよ」
「うん。そのことでもう一つ君に、お願いがあるんだけど」

 僕はぽすりと力の抜いた背中を煙草屋の胸に遠慮なく預けた。首を伸ばして煙草屋の顔を見上げる。

「僕は、火が怖いんだ」
「ああ。言ってましたね。煙草屋なのに」
「だからもしも僕が炎に囲まれた時とか、火炙りになった時に」
「どういう想定ですか」
「君に手を握っていてほしいんだ。毒の能力で飛び散ってしまいたくない。形を残して死にたい。かたちがなければ御空が迎えに来てくださらない」
「それ僕も死にますよね?」
「うん。だめ? そっかぁ。ならせめて僕の陰茎を切り落としてほしい」
「なんて?」
「そうだなあ。勃起した時に」
「なにを言ってる?」
「罪のある男性器を切り落とすんだ」
「カルトの血は確かにここに」

 腰に当たる煙草屋の陰茎はくんにゃりとした海鼠のように力がなく、睾丸はまるきり萎びていた。
 恐らく煙草屋は勃起不全である。

「そっちは問題ないと思いますけどね」
「ふふ。君もそう思う?」

 煙草屋は愉快気に空気を含んだ笑い声を耳元で漏らした。
 吐息が当たる耳がくすぐったくて頭を振ると、ぱさぱさと乾いた髪が煙草屋の頬や顎を叩く。
 
 煙草屋の手は僕の髪を元の形に戻すように撫でつけた。

「まあ、火なら……僕の弟は水が扱えるけど……僕に似ないで頭が良くて賢くて天才の……アッ! アオ!? 今何時ですか!?」
「正確には分からないけど夜みたいだね。アワヤスカは時間の流れが乱れる」

 煙草屋の返答を聞き終えないうちにガバリと飛び起きて部屋を出る。
 店の煙草をいくつか薙ぎ倒しながら大股に足を運び、乱暴に扉を開け放った。

 雨はいつの間にか酷い土砂降りのように煙草屋の店だけに降り注いでいる。
 扉を開けた瞬間に顔面を強い雨粒が打ち、目をぎゅっと瞑った。

 額の上にてのひらをかざしてもう一度瞼を薄く開けば、水を操作している弟の姿がそこにあった。

 夜闇の中、雨合羽を着て両手にバケツを持ち、滝のような雨に打たれるその姿はさながら滝行中の修行僧であった。

 後ろから煙草屋も続いて出てくる。

 辛うじて麻布を肩にひっかけてきた僕とは違い、煙草屋は全裸でのっそりと現れ、そして土砂降りでぬかるんだ地面に何の躊躇もなく膝をつき額をつき、平伏した。

「御使だ……」

 地面に程近い唇が紡いだ声は、感激と感謝の念を色濃く滲ませて震えている。

 篠突く雨を一身に受けながら立つ弟は、肩にシーツを引っ掛けただけのほとんど全裸といって差し支えない兄と、完全に全裸で地面に這いつくばった初対面の男とを、平生通り眉一つ動かさぬ無表情に見下ろしていた。













「アオーっ!! アオ、アオ! すっごいなお前~!!」
「もういいの?」
「良い良い、十分、最高!」
「そう」

 肩に麻布を引っ掛けたばかりのほとんど全裸の兄に飛びつかれても弟は全く動じなかった。
 雨を止めると(正確には雨が降っているかのように操作していた水の支配だ)、ドチャドチャと水の塊は全て地面に落ちる。

 弟は雨合羽を脱ぎそれを寒そうな兄に被せてくれたが、全裸に合羽という完全なる変質者スタイルが出来上がってしまっていた。

「アオは本当に天才で賢くて頭が良くて能力の扱いにも長けた天才の弟だよ~!!」
「うん」

 語彙力のない形容詞の被った称賛も「うん」と簡単な返事だが、密かに弟は褒められてご満悦であることが兄にははっきりと分かるのだった。




























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