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第三章
19
しおりを挟む――K=インズ商会、迷宮都市支部、応接室。
「粗茶でございます」
「ああ……丁度のどが渇いていたんだ。ズズズ……、ほう、中々いい茶葉を使っているな」
「恐縮にございます。当店一番の茶葉でございますが、お気に召されたようで良かったです」
ほう、とため息を漏らすは給仕を行った人物。よほど不安だったらしく、俺の一言で救われたような、そんな大げさな表情を見せていた。
善は急げではないが、緊急事態なのでポーションの件でマッケインを頼りに来た。
しかしあいにくマッケインは留守だった。
アポなし突撃だったので当然だと思い、俺は帰ろうとした。
だが、話を聞き、どうにか手伝えないかとK=インズ商会の従業員に乞われ俺たちは案内されるがままこの応接室にて接待紛いの対応を受けている。
今、ここ。
今ほどに茶を出してくれた給仕係も、この支店のナンバーツーである副店長。
天狐姉妹と同じ亜人、頭部に獣耳が生えた犬人族の女。
その女が親し気な、それでいて一歩譲るような調子でこうやってかいがいしく世話を焼いてくる。
「こちらのお菓子もいかがでしょうか? お嬢様方もどうぞ」
「わーい!!」
「あら……、これはサクサクなのに中はしっとりでおいしいですね。こんなクッキー初めてです」
本来であれば手ずから接待などしそうにもない身分のこの女も、学園都市の女講師同様、どこかで見た顔だ。
思い出せないので大したことはない
などとは思わない。
なんせ普段から人の顔を覚えようとしない俺の印象に残っているのだ。それは俺にとっては特別を意味する。
どこかで出会っており、俺の記憶にあり、なおかつ、それが悪い思い出ではないのだろう。世話をされていても不快に思わない。
ただし、それでも思い出せないものはどうしようもない。
その悩みに費やすリソースは、今は眼前の問題に向けるべきリソースだ。
俺とて万能ではないのだから、優先順位を付けて事の処理に当たらないとパンクする。
気持ちを切り替えるべく、もう一度茶をすする。
それからポツリと何でもないことを呟く。
「しかし、副会長ともなれば忙しいのだな」
マッケインは現在別の都市に出向いているらしい。迷宮都市ではないようだ。
あちこちに飛び回っているらしく、例の試作飛行機を使い更に最近は物理的にも飛び回っているのだとか。
恐ろしいヤツめ。それだけ忙しいのだろうが、それにしてももう少し自分を大切にすべきなんじゃないのか?
と、まぁ、それだけの人物なのだ。
そもそも、それだけ忙しい立場であるあいつと普段から気兼ねなく会えていたこと自体がおかしかった。
あれは絶対に偶然や暇だったから、では考えられない。
推測を交え給仕の女、副支店長にそう訊ねると、あっさりとゲロった。
「そうですね。マッケイン様は坊ちゃんにお会いするためにスケジュールを強引に組んでおります。それでどうにかなってしまうのだから、うらやましいです」
空を飛ばねばならんほど忙しい男が、俺の為だけにスケジュールを変えていたのか。悪い気はしない。
だが、それ以上に気になる発言が先にはあった。
また、坊ちゃん呼びだ。
マッケインが広めたのかとも思ったが、どうにも言い慣れている感がして記憶を揺さぶられる。
しかし自分の記憶の中には、こんな女の記憶がない。放っておいてもいい程度の引っかかりだが、かと言って何もなかったと言うにはシコリが残りそうな、まるでノドに刺さった小魚の骨だ。
悩んでいても仕方がない。
本題に入る前に聞いてみるか。
「なぁ、お前、どこかで会わなかったか?」
まるでナンパの常套句だ。
言ってから気付いた。
キャスとシスの顔が面白いことになっている。
そんな二人と俺の様子に、おかしそうに笑い、目元に浮かんだ涙をぬぐう犬人族の女。
「まさか坊ちゃんが私ごときを覚えて下さっているとは恐縮のいたりでございます」
「あ、ああ。いや、なんとなく見覚えがある程度なんだが……」
世間話の延長線上にある、そんな何気ない疑問をぶつけただけなのに深いお辞儀をされて、なおかつボロボロと泣かれてしまった。
その大げさすぎる態度に、イヤな予感が頭をかすめる。
まさか、俺が昔抱いた女などではあるまい。この女からは商売女特有のにおいもしないし、きっと違うだろう。無理やり襲った? いやいや、大丈夫、大丈夫だ。
「坊ちゃん、私はかつてあなたに救われた住人の一人です。あの街で迫害され、朽ちていくだけだった私たちをお救い下さったこと。私たちは今も鮮明に思い出せます」
そう言って胸に手を当てた女の姿に、ある光景を幻視する。
それはかつての故郷、俺の領地と呼んでいた場所。
そこで並ぶ犬人族、この女が行う所作と同じ最敬礼の姿勢。
ずらりとならんだ犬人族たち。
強い、とても強い感謝の言葉。
色褪せ、黒ずみ、ボロボロになった俺の記憶の中にある、ほんのわずかなセピア色の光景。
ああ、そうか。
思い出した。思い出せてしまった。
「お前は、あの領地にいた連中の一人か」
言われてみてようやく気付く。この支店で働く数名に見覚えがあった。そうか、あいつも、あいつも、あの街から逃げてきたのか。
「いいえ、私たちは逃げてきたのではありません。坊ちゃんのお力になりたくて、そう! 戦うために出てきたのです! 坊ちゃんを陰ながら支える為に!」
戦うとは物騒な。
だが、そうか。
「ちょっと……、トイレに行ってくる」
そうか。
俺の味方はマッケインだけじゃなかったんだな。
まさか迫害されてきた犬人族が、折角整った安寧の地を捨てて出てくるとは思いもしなかった。
くそっ、目から、鼻から汗が出る……。
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