ダイスの神様の言うとおり!

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第一章 最初の街 アジンタ

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「昔を懐かしむのはこの辺りにして、今がどういう状態なのか確認するか」

 立ち上がり、まずは周囲の安全確認。

「右、ヨシ。左、ヨシ」

 指差し確認。
 周囲に危険物はない。
 それどころか何もない。雑草のような背の低い草が辺り一面に生えているだけだ。

 いや、よくないだろう、これは。

「前も後ろも何もない。ただの草原・・・?」

 日本ではあり得ないただ広いだけの草原。いや、春の北海道辺りなら見られるかもしれないが、あいにくと俺は知らない。少なくとも自分が住んでいた近所ではないのは確定した。

「そして、迎えがないと来た」

 天国であるならば、あるいは地獄であるならば迎えと言うものはあるはずだろう。よもや死者を草原に放り出すのが黄泉の国の正しい送迎方法なのだろうか。

「悩んでいても仕方がないか。まずは、どれ、おいっちに、おいっちに」

 移動前にはストレッチ。
 生前、不意に動いて体を痛めた事があるので、動く前には必ずストレッチを行っている。
 しかし、身が軽い。軽すぎる。
 一つ一つ、筋を確かめるような動きでじわりじわりと体を動かすが、何と言うか、すさまじいな。肉体から元気が溢れ出てくるようだ。

「気分もなんだか若返っているし、これは一体どうなってるんだ?」

 そうは思うが、実際に自分の目で確かめるのは怖い。
 なぜならば、この手の話でよくあるのは、自分の変質。

「違う自分になっている、あるいは他人に憑依してしまっている、転生した、とはよく聞くが・・・」

 違う自分など、今更怖い。怖いが、確認しないことには何も始まらないだろう。
 今まで敢えて目を逸らしていた自分の体に目を向ける。
 まずは、腕だ。

 じっと見つめる。
 その俺の視線に応えるかのように、ピクピクと自己主張する腕。

 ・・・、腕ぇ。

「ワオ」

 思わずそんな感嘆が出てくるほどのムキムキである。
 ゴリラやクマほどではないが、それなりに鍛えられているのが一目で分かるほどに、筋骨隆々としている。さすがに名前の元となった俳優ほどではないが、この質量感は確かに、とてもよいマッスルを内包しているのが感じ取れる。

「そうなると・・・、ワオ。腹はシックスパックか」

 たくし上げた服の下には、内臓脂肪とは縁もゆかりもなさそうな、見事な腹筋が存在した。ただし、皮下脂肪は全くない訳ではなく、適度に脂はある様子。

「筋肉ダルマ、と呼ぶほどではないが、これはまたお見事な肉体だ」

 呆れかえるほどに鍛え上げられ、それでも鍛えすぎるなんて無駄は含まない。動けない見せるだけの筋肉ではなく、動ける実用的な筋肉。動く為だけのマッスルが全身を駆け巡っている。生前の、デスクワークしかしていない哀れな老人のひょろい肉体など見る影もない。
 そしてこうなると、やはり気になってしまうのは、顔面の造形だろう。

「生前は普通の日本人顔だったが、さて・・・」

 鏡などない。しかし、毎日見慣れた自分の顔なら、手で触れればある程度予想は付く。
 恐れ半分、期待半分で顔に触れる。
 どきどき。

 わお・・・。

「ここだけなんで、元の顔なんだ?」

 そう、マッスルな肉体の上に乗っていたのは、若い頃の自分の顔。
 何の変哲もない、日本人の顔が、ミスマッチにも乗っていた。
 そしてここで一つの結論に辿り着く。

「少なくとも、誰かに憑依した、生まれ変わった、と言う事はない訳か」

 他人様の人生を横取りした訳ではないようで、安堵した。
 折角自由に動く身体を手に入れても、それでは気が咎めてしまうからな。

「ふむ。これで粗方確認すべきこと、いや、できることは終わったか」

 情報はこれだけ。

「そうなると、後は移動して情報収集すべきか」

 そう呟くが、段々とここが天国でも地獄でもなく、自分もまた亡者の類ではないというのが分かってきた。
 無意識に、頭に刷り込まれるように、徐々に違和感が無くなっていく。
 しかし、悪い感じはしない。むしろあたたかな気持ちにさせてくれるのは、これを行っている主が善性を持つからだろう。

「もしかして、本当に神様が?」

 生前は、神など信じないと、そう思っていた。

 結婚五年目、二児の母となった彼女を病により奪い去った神など、祈り、願い、それでも助けてくれなかった神など、信仰に値しないと、そう思っていた。

 思っていたが、かと言って否定も出来ず、結局は流されるままに子供たちと共に新年には神社にお参りし、七五三もお祝いし、近所のお地蔵さんを綺麗にしていた。
 自分の行動は、神様から見ると褒められた行為ではなかっただろう。周りと同調し、不和をきたさぬ為に作業的に事に当たっていたのだから。恨むことはしなかったが、望むこともなくなった。妥協により、何も考えずに行っていたことを、誰も奉仕していたとは認めないだろう。
 感謝も形だけのものだ。この草原に来て最初に口走った事も、心の底からそう思った訳じゃない。単に、そう言っていた方が社会では生きやすかったからにすぎない。

 だからこそ、解せない。

「死んだはずの俺が生きていて、しかも若返るなんて、一体だれの思惑なのか」

 神様は、きっと違うと思う。
 いや、そう思いたいのだろう。俺は、矮小な凡人なのだから、肝心な時に助けてくれなかった神様が、今頃になって気紛れで俺を助ける等、認めたくないのだろう。
 そもそも助ける理由も見当たらない。

 だが、それは俺視点の話だ。

「神様には、神様なりの理由があったのだろうか? あるいは、これは救いでもなく、逆に苦難の為の処置なのだろうか」

 そうして色々考えるが、やはり情報が足りない。

 物も足りない。

 少しばかり腹が減っている。グキュ~~と野趣あふれる豪快な腹の虫の音に苦笑しつつ、俺は、動き出す決心をする。

「そうだ。悩んでいても仕方がない。神頼みは、意味がない。神様とて忙しいのだ。人ひとりの為に労力は割けまい」

 サバイバルの経験など何一つない。
 だが、この強靭な肉体があればそれなりに何かは出来るだろう。炊事、洗濯、掃除はシングルファーザーだったが故に完璧にこなせるのだから、ここが人の住む世であれば、どうにでもなるだろう。

「よし、ならばまずは人を探すか」

 しかし、どこへ向かったものだろうか。
 目印は、わずかに盛り上がっている丘、少し大きめの岩、背の低いやせ細った木、その程度だろう。一番分かりやすいのは丘だが、あの何の変哲もない岩も気にはなる。変哲もないのに、妙に気になってしまうのが、気になる。

「気になることが気になるって、どうかしてるな」

 ははは、と乾いた笑いが口から飛び出た所、脳内で奇妙な音が鳴り響く。

 コロコロコロン。
 コロコロコロロン。

 四、六!

「よく分からん。だが、前に進むべきだろう。前は、きっとこっちだ」

 まるで何者かに背中を後押しされたようだ。

「気になるのなら、向かえばいい、よな。確かにそうだ」

 そんな啓示を得たような気分となり、岩を目指す事にした。
 距離にして、五百メートルくらい先だろうか。今の肉体ならばほんのわずかな時間で到達してしまうであろう距離だ。そこへ向かい、テクテクと歩くが、すぐに物足りなくなってきた。肉体が、マッスルが、自分たちを使えと叫んでいるようだった。
 俺は一度立ち止まり、周囲の安全を再度確認する。
 右、ヨシ。左、ヨシ。後方、ヨシ。前方、視界十分、ヨシ。

「折角だから、肩慣らしといくか」

 そう呟き、止めていた足に力を込め、力強く一歩、二歩と踏み出す。そして駆ける。駆け足である。
 体にそう命じ、体はそれに応えた。
 ただそれだけの、本当に何でもない動作だったのに、あっという間に加速し、あっという間に岩まで辿り着く。
 想像以上の自分の体の性能に驚きつつも、迫りくる岩を見た。

「あの岩、思ってたより小さいぞ」

 自分の背よりも低く、肩ほどまでしか高さがない。
 今の身の軽さなら、軽々と飛び越えられるだろう。

 ならば、越えない手はないな。



 後から思えば、この時は妙なテンションになっていたのだと思う。

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