1 / 40
第一話 赤い布の向こう側に逃げ道は無かった
しおりを挟む
※これはフィクションです。
千年前の中国に似ていて、どこか違う国。
そこには、ごく普通の女の子がいました。
その子の夢は、きらびやかな花嫁になること――ただ、それだけでした。
---
華やかなチャルメラの音。高らかに鳴り響く銅鑼の音。
紅い衣に金糸の刺繍、金と翡翠、サンゴ、真珠があしらわれた簪(かんざし)。
紅蓋頭(ほんがいとう)をかぶり、揺れる馬車の中。
――花嫁行列が進んでいきます。
沿道には人だかり。顔を紅潮させた見物人たちが、きらめく花嫁を一目見ようと背伸びしている。
馬車の窓の布のれんが風に揺れ、ほんの少しだけ中が見えたとき、あちこちから歓声が上がった。
その行列の先頭を行くのは、威風堂々たる若き将軍。立派な軍馬にまたがり、堂々と先導している。
――いや、将軍は花嫁と同じ馬車に乗っていた!
「え!?将軍が花嫁と一緒の馬車に!?ありえない!」
……そう、花嫁の私は、まさにその中にいる。
将軍様がすぐ隣に座っているのだ。
緊張で、今にも気を失いそう。少しでも距離を取ろうと、私は馬車の壁にぴったり張りついて、「壁と一体化しろ!」と心の中で念じながら、体をぐいぐいと押し込んでいた。
それを見かねた侍女が、「嫁入り前の花嫁の顔を見るのは縁起が悪い」と、間に布を垂らしてくれて、ようやく少し落ち着いたけれど――
それでも、自分の息遣いが将軍様に聞こえるのでは……と、よくわからない不安がさらに襲いかかり、馬車から飛び降りたい衝動に駆られる。息の仕方すらわからない。
なぜ、こんなことになったのか。
それは――少し前の出来事だった。
将軍様が花嫁行列の先頭を馬に乗って先導していたとき、街の女性たちが黄色い声を上げながら群がってきた。
そのうちの一人が将軍に駆け寄ったのをきっかけに、「私も!」「私も!」と、人の波が押し寄せ、大混乱になってしまったのだ。
このままでは危険だと判断され、将軍様は仕方なく私の馬車に避難してきた。
それが、今のこの状況。
……将軍様は、それほどまでに人気がある。
彼は、戦で両親を失い、皇太子(今の皇帝)に引き取られた孤児だった。王位継承権はないが、宮中で育てられ、十歳で軍に入り、数々の功績を上げ、今の平和を築いた将軍の一人。
皇帝である養父は、もうこれ以上前線に立たせたくないと都に戻し、二十五歳を過ぎたこの青年に花嫁を探すことにした。
そして、なぜか――私が選ばれてしまった。
私は、地方の県令の娘。特別な家柄でもなく、財もない。とびきりの美人でもなければ、才女でもない。
名家の令嬢たちを差し置いて、なぜ私が?
最初は辞退した。父も母も驚き、何度も断ろうとした。
私も、逃げたかった。相手は国の英雄。誰もが憧れる眉目秀麗の将軍。しかも王家と親戚になるとなれば、政略結婚や側室の話も出てくる。
「そんな複雑な婚姻、いやだー!」
そう叫び、父と母と三人で話し合い、どうしても避けられないなら――と、最後の手段を取ろうとした。
正式に決まる前に、幼馴染の彼と結婚してしまおう、と。
彼も最初は同意してくれた。でも、最後の最後で、彼は断ってきた。
「理由は……聞かないでくれ」
私は泣いて懇願した。「お願いだから結婚して」と。
それでも彼は首を縦に振らず、涙をこぼしながら「申し訳ない。情けない自分を許してくれ」と謝った。
私は彼と抱き合いながら、泣いた。
彼も、きっと何かを背負わされたのだろう。嘘をついてごまかすこともせず、ただ謝る姿に、私はそれ以上責めることはできなかった。
恋人というより、兄のような存在だった。
そして、陛下から正式な婚礼の勅命(みことのり)が下され、将軍様自らがそれを持って我が家へやって来た。
勅命が発布されては、もう断れない。もし断れば反逆――家族に累が及ぶ。
私は、幸せな結婚を夢見ていたはずなのに。
それが、気づけば父と母、弟たちを人質にとられるような形で、承諾せざるを得なかった。
両親は私を心配し、使い慣れた家具や文具を持たせてくれた。嫁ぎ先で少しでも不安を減らせるように。
そして、3人の侍女と、家令として「晨(チェン)」をつけてくれた。
晨は、私が拾った子だ。
人買いにひどく殴られていたのを見て、思わずその場で買い取り、家へ連れて帰った。
当時私は十歳。彼は八歳だった。
瘦せ細った体は傷だらけで、私は泣きそうになるのをこらえて、何度もお湯を替えながら体を洗ってあげた。
食べさせ、手当てをし、ふっくらしてきた彼は意外にもきれいな顔立ちで、私は彼を弟のようにかわいがった。
読み書きやそろばんも教え、将来は自立して幸せになってほしいと願っていた。
……なのに、私の結婚が決まると、晨は家令としてついていくと言い出した。
「だめ、晨。あなたは自由になれるのよ」
そう反対する私を、晨は説得し、両親まで納得させてしまった。
――そんなことを考えていたら、馬車が止まった。
将軍様が何か声をかけ、馬車を降りていく。
私は、晨の背中に乗って正門をくぐった。
(花嫁は地面に足をつけてはいけない――)
でも、一人で歩く自信なんてなかった。
そして儀式を終え、今。
寝台に座り、将軍様を待つ。
……緊張で、どうにかなりそうだ。
次回に続く
千年前の中国に似ていて、どこか違う国。
そこには、ごく普通の女の子がいました。
その子の夢は、きらびやかな花嫁になること――ただ、それだけでした。
---
華やかなチャルメラの音。高らかに鳴り響く銅鑼の音。
紅い衣に金糸の刺繍、金と翡翠、サンゴ、真珠があしらわれた簪(かんざし)。
紅蓋頭(ほんがいとう)をかぶり、揺れる馬車の中。
――花嫁行列が進んでいきます。
沿道には人だかり。顔を紅潮させた見物人たちが、きらめく花嫁を一目見ようと背伸びしている。
馬車の窓の布のれんが風に揺れ、ほんの少しだけ中が見えたとき、あちこちから歓声が上がった。
その行列の先頭を行くのは、威風堂々たる若き将軍。立派な軍馬にまたがり、堂々と先導している。
――いや、将軍は花嫁と同じ馬車に乗っていた!
「え!?将軍が花嫁と一緒の馬車に!?ありえない!」
……そう、花嫁の私は、まさにその中にいる。
将軍様がすぐ隣に座っているのだ。
緊張で、今にも気を失いそう。少しでも距離を取ろうと、私は馬車の壁にぴったり張りついて、「壁と一体化しろ!」と心の中で念じながら、体をぐいぐいと押し込んでいた。
それを見かねた侍女が、「嫁入り前の花嫁の顔を見るのは縁起が悪い」と、間に布を垂らしてくれて、ようやく少し落ち着いたけれど――
それでも、自分の息遣いが将軍様に聞こえるのでは……と、よくわからない不安がさらに襲いかかり、馬車から飛び降りたい衝動に駆られる。息の仕方すらわからない。
なぜ、こんなことになったのか。
それは――少し前の出来事だった。
将軍様が花嫁行列の先頭を馬に乗って先導していたとき、街の女性たちが黄色い声を上げながら群がってきた。
そのうちの一人が将軍に駆け寄ったのをきっかけに、「私も!」「私も!」と、人の波が押し寄せ、大混乱になってしまったのだ。
このままでは危険だと判断され、将軍様は仕方なく私の馬車に避難してきた。
それが、今のこの状況。
……将軍様は、それほどまでに人気がある。
彼は、戦で両親を失い、皇太子(今の皇帝)に引き取られた孤児だった。王位継承権はないが、宮中で育てられ、十歳で軍に入り、数々の功績を上げ、今の平和を築いた将軍の一人。
皇帝である養父は、もうこれ以上前線に立たせたくないと都に戻し、二十五歳を過ぎたこの青年に花嫁を探すことにした。
そして、なぜか――私が選ばれてしまった。
私は、地方の県令の娘。特別な家柄でもなく、財もない。とびきりの美人でもなければ、才女でもない。
名家の令嬢たちを差し置いて、なぜ私が?
最初は辞退した。父も母も驚き、何度も断ろうとした。
私も、逃げたかった。相手は国の英雄。誰もが憧れる眉目秀麗の将軍。しかも王家と親戚になるとなれば、政略結婚や側室の話も出てくる。
「そんな複雑な婚姻、いやだー!」
そう叫び、父と母と三人で話し合い、どうしても避けられないなら――と、最後の手段を取ろうとした。
正式に決まる前に、幼馴染の彼と結婚してしまおう、と。
彼も最初は同意してくれた。でも、最後の最後で、彼は断ってきた。
「理由は……聞かないでくれ」
私は泣いて懇願した。「お願いだから結婚して」と。
それでも彼は首を縦に振らず、涙をこぼしながら「申し訳ない。情けない自分を許してくれ」と謝った。
私は彼と抱き合いながら、泣いた。
彼も、きっと何かを背負わされたのだろう。嘘をついてごまかすこともせず、ただ謝る姿に、私はそれ以上責めることはできなかった。
恋人というより、兄のような存在だった。
そして、陛下から正式な婚礼の勅命(みことのり)が下され、将軍様自らがそれを持って我が家へやって来た。
勅命が発布されては、もう断れない。もし断れば反逆――家族に累が及ぶ。
私は、幸せな結婚を夢見ていたはずなのに。
それが、気づけば父と母、弟たちを人質にとられるような形で、承諾せざるを得なかった。
両親は私を心配し、使い慣れた家具や文具を持たせてくれた。嫁ぎ先で少しでも不安を減らせるように。
そして、3人の侍女と、家令として「晨(チェン)」をつけてくれた。
晨は、私が拾った子だ。
人買いにひどく殴られていたのを見て、思わずその場で買い取り、家へ連れて帰った。
当時私は十歳。彼は八歳だった。
瘦せ細った体は傷だらけで、私は泣きそうになるのをこらえて、何度もお湯を替えながら体を洗ってあげた。
食べさせ、手当てをし、ふっくらしてきた彼は意外にもきれいな顔立ちで、私は彼を弟のようにかわいがった。
読み書きやそろばんも教え、将来は自立して幸せになってほしいと願っていた。
……なのに、私の結婚が決まると、晨は家令としてついていくと言い出した。
「だめ、晨。あなたは自由になれるのよ」
そう反対する私を、晨は説得し、両親まで納得させてしまった。
――そんなことを考えていたら、馬車が止まった。
将軍様が何か声をかけ、馬車を降りていく。
私は、晨の背中に乗って正門をくぐった。
(花嫁は地面に足をつけてはいけない――)
でも、一人で歩く自信なんてなかった。
そして儀式を終え、今。
寝台に座り、将軍様を待つ。
……緊張で、どうにかなりそうだ。
次回に続く
1
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました
織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─
定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。
─あらすじ─
美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。
前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。
そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。
番など、今さら不要である
池家乃あひる
恋愛
前作「番など、御免こうむる」の後日談です。
任務を終え、無事に国に戻ってきたセリカ。愛しいダーリンと再会し、屋敷でお茶をしている平和な一時。
その和やかな光景を壊したのは、他でもないセリカ自身であった。
「そういえば、私の番に会ったぞ」
※バカップルならぬバカ夫婦が、ただイチャイチャしているだけの話になります。
※前回は恋愛要素が低かったのでヒューマンドラマで設定いたしましたが、今回はイチャついているだけなので恋愛ジャンルで登録しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる