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第十三話 茶房の静寂の中で—陰謀の予兆
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第十三話 茶房の静寂の中で—陰謀の予兆
灯籠流しへと向かう群衆の賑わいが遠のき、茶房には、静寂が戻っていた。
第六王子は酒盃を揺らしながら、退屈そうに晨を眺める。
「お前も、あの騒ぎに行かなくていいのか?」
晨は黙々と茶器を整えながら、淡々と答えた。
「自分は、使用人ですので」
「ふぅん……生まれた時から?」
「いえ。八歳の時に奥様に買われました」
「ってことは、親に売られたってことかぁ~?」
王子の問いに、晨は曖昧な微笑を浮かべるだけだった。
「にしてもさ。綺麗な顔してるよね~。所作も、びっくりするくらい整ってる」
「……お褒めいただき光栄です。それも奥様のご指導の賜物かと」
一瞬、晨の目が泳ぐ。
「そっか~。あ、そういえば、あの侍女たちも粒ぞろいだよね。ひとりくらい、くれない?」
近くを通った明蘭の顎を、扇でくいっと持ち上げる。
「お戯れを」と冷ややかに言われ、王子はケラケラと笑った。
「冗談だよ~冗談。……さて、俺はそろそろ退散するかな~」
ふらりと立ち上がり、晨の耳元にそっと顔を寄せる。
「――その顔、昔の知り合いに似てるんだ」
そう囁いた直後、ぱっと離れて、いつもの調子で笑いながら手を振る。
「嫁っ子ちゃんによろしくね~♪」
去り際のその一言が、何故か胸にざらりとした感触を残した。
「何を言われたの?」と明蘭が訊く。
晨は曖昧に笑って、「さあ?」とだけ答えた。
---
将軍府の実室につくやいなや
「つっかれたああああああ……!」
私は長椅子に倒れ込み、簪をごそっと引き抜くや否や、机にポンポン投げつけた。
「きゃああっ、奥様ああっ!」と悲鳴を上げながら、明蘭が簪を拾い集める。
「足いた~い、肩こった~、お菓子ちょーだい!」
好き勝手に叫ぶ私を横目に、侍女たちはくすくす笑いながら後始末をしている。そうだ、とパンと手を叩き、晨を呼ぶよう命じた。
晨が現れると、私は彼の腕を掴んで「今日ね、兄様に会ったの!」と興奮気味に報告する。
しかし、晨はほんの一瞬、顔をしかめた。
「あ、ごめん。うるさかった?」
「いえ。……奥様のことではありません」
どこか思いつめたような声音だった。
そのとき、
「――将軍がお呼びです」
泰が現れ、告げた。
「こんな遅くに?」
問い返しても、泰はただ「奥様をお待ちしております」とだけ言って去った。
「……はあ。めんどくさ」小声でつぶやきながら、のろのろと立ち上がる。
-
闇夜の東屋にて
「何故、私を“将軍”と紹介した?」
「はい?」
意外すぎる問いに、私は思わず素っ頓狂な声を上げる。
将軍の表情は夜闇に隠れて読み取れない。
「私は将軍である前に、お前の夫だ」
「ええ、知ってますけど……」
「いや、わかってない。……私は、墨霖寅だ。お前の、夫だ」
「ええ、ええ。もちろん。不本意ながら」
将軍の背が一瞬、硬直したように見えた。
その後——突如としてジタンダを踏むような動作を始める。手足をバタバタ、バサバサ。
「この頑固者は、どうすれば気づくのか……!!!」
私も真面目な顔で答える。
「将軍には、誠意と尊敬の念を持って接します。慈愛の心を忘れずに」
「そうじゃない!! 俺はお前の“夫”、ただそれだけでいたいんだ!!」
「ええ、側室は取らないんですよね。ご立派です」
「誉めてないっ!!!」
将軍が肩に手を伸ばしかけたその瞬間、私は——
「きゃああああああっ!!!」
反射的に悲鳴を上げ、身をすくめる。
肩の脱臼の恐怖が、鮮烈に蘇ったのだ。
将軍の腕が宙で止まった。
「……っ。すまない。少し……酔ったようだ」
かすれた声で言い、将軍は苦しげに背を向けた。
「泰!夫人を送れ」
泰が静かに現れ、私の足元を照らす。
将軍の顔は、闇に溶けて見えなかった。
私は、穏やかに尊重し合える関係を築きたいだけなのに。
それすらも、伝わらないのか。
---
■ 書院にて ■
カラスと呼ばれる隠密部隊から密書を受け取った将軍は、文字を追うたびに顔色を変える。
蝋燭の炎が揺らぐ。
「まだだ。まだ、早い」
それが彼の決定だった。
——でも、本当はもう遅いのかもしれない。
そのとき、泰の袖から小さな下緒が落ちた。
将軍がすっと拾い上げると、泰がにこにこと話す。
「奥様が、『いつも間に立ってくれてありがとう、ご苦労様』って
俺ににあう色だとか」
律も続く。
「灯籠流しのときに俺も貰いました『これからもよろしく』って言われました。奥様の手作りです。よくできてますよね」
見せてくれよ!と泰と律は下緒の自慢話しを始めた
将軍の手がぴたりと止まる。
次の瞬間——彼は膝に肘をつき、組んだ手で顔を覆った。
泰が恐る恐る覗き込む。
「……将軍?」
「……け」
「えっ?」
「出ていけええええええぇぇぇっ!!!!」
突然、将軍が立ち上がり、叫んだ。
律と泰は叫びに押されるようにして外へ飛び出し、扉を閉める。
外で顔を見合わせ、呆然とする二人。
「……もしかして、もらえてなかった?」
「“初恋の思い出箱”(※泰命名)を抱えて泣くんじゃないか?」
「ああ,例の手巾とか飴の包紙とか。夫人に関するものが入ってるアレ?」
「子供の頃からずっと、あの人だけを見てたのに……」
2人は同時にため息をする
泰は書院の扉を振り返る。
「泣いてるかな……」
「確実に号泣してるだろうな……」
2人は顔を見合わせ、滝のように泣くだろう将軍のために、急須と湯呑をそっと文机に置いて去った。
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灯籠流しへと向かう群衆の賑わいが遠のき、茶房には、静寂が戻っていた。
第六王子は酒盃を揺らしながら、退屈そうに晨を眺める。
「お前も、あの騒ぎに行かなくていいのか?」
晨は黙々と茶器を整えながら、淡々と答えた。
「自分は、使用人ですので」
「ふぅん……生まれた時から?」
「いえ。八歳の時に奥様に買われました」
「ってことは、親に売られたってことかぁ~?」
王子の問いに、晨は曖昧な微笑を浮かべるだけだった。
「にしてもさ。綺麗な顔してるよね~。所作も、びっくりするくらい整ってる」
「……お褒めいただき光栄です。それも奥様のご指導の賜物かと」
一瞬、晨の目が泳ぐ。
「そっか~。あ、そういえば、あの侍女たちも粒ぞろいだよね。ひとりくらい、くれない?」
近くを通った明蘭の顎を、扇でくいっと持ち上げる。
「お戯れを」と冷ややかに言われ、王子はケラケラと笑った。
「冗談だよ~冗談。……さて、俺はそろそろ退散するかな~」
ふらりと立ち上がり、晨の耳元にそっと顔を寄せる。
「――その顔、昔の知り合いに似てるんだ」
そう囁いた直後、ぱっと離れて、いつもの調子で笑いながら手を振る。
「嫁っ子ちゃんによろしくね~♪」
去り際のその一言が、何故か胸にざらりとした感触を残した。
「何を言われたの?」と明蘭が訊く。
晨は曖昧に笑って、「さあ?」とだけ答えた。
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将軍府の実室につくやいなや
「つっかれたああああああ……!」
私は長椅子に倒れ込み、簪をごそっと引き抜くや否や、机にポンポン投げつけた。
「きゃああっ、奥様ああっ!」と悲鳴を上げながら、明蘭が簪を拾い集める。
「足いた~い、肩こった~、お菓子ちょーだい!」
好き勝手に叫ぶ私を横目に、侍女たちはくすくす笑いながら後始末をしている。そうだ、とパンと手を叩き、晨を呼ぶよう命じた。
晨が現れると、私は彼の腕を掴んで「今日ね、兄様に会ったの!」と興奮気味に報告する。
しかし、晨はほんの一瞬、顔をしかめた。
「あ、ごめん。うるさかった?」
「いえ。……奥様のことではありません」
どこか思いつめたような声音だった。
そのとき、
「――将軍がお呼びです」
泰が現れ、告げた。
「こんな遅くに?」
問い返しても、泰はただ「奥様をお待ちしております」とだけ言って去った。
「……はあ。めんどくさ」小声でつぶやきながら、のろのろと立ち上がる。
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闇夜の東屋にて
「何故、私を“将軍”と紹介した?」
「はい?」
意外すぎる問いに、私は思わず素っ頓狂な声を上げる。
将軍の表情は夜闇に隠れて読み取れない。
「私は将軍である前に、お前の夫だ」
「ええ、知ってますけど……」
「いや、わかってない。……私は、墨霖寅だ。お前の、夫だ」
「ええ、ええ。もちろん。不本意ながら」
将軍の背が一瞬、硬直したように見えた。
その後——突如としてジタンダを踏むような動作を始める。手足をバタバタ、バサバサ。
「この頑固者は、どうすれば気づくのか……!!!」
私も真面目な顔で答える。
「将軍には、誠意と尊敬の念を持って接します。慈愛の心を忘れずに」
「そうじゃない!! 俺はお前の“夫”、ただそれだけでいたいんだ!!」
「ええ、側室は取らないんですよね。ご立派です」
「誉めてないっ!!!」
将軍が肩に手を伸ばしかけたその瞬間、私は——
「きゃああああああっ!!!」
反射的に悲鳴を上げ、身をすくめる。
肩の脱臼の恐怖が、鮮烈に蘇ったのだ。
将軍の腕が宙で止まった。
「……っ。すまない。少し……酔ったようだ」
かすれた声で言い、将軍は苦しげに背を向けた。
「泰!夫人を送れ」
泰が静かに現れ、私の足元を照らす。
将軍の顔は、闇に溶けて見えなかった。
私は、穏やかに尊重し合える関係を築きたいだけなのに。
それすらも、伝わらないのか。
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■ 書院にて ■
カラスと呼ばれる隠密部隊から密書を受け取った将軍は、文字を追うたびに顔色を変える。
蝋燭の炎が揺らぐ。
「まだだ。まだ、早い」
それが彼の決定だった。
——でも、本当はもう遅いのかもしれない。
そのとき、泰の袖から小さな下緒が落ちた。
将軍がすっと拾い上げると、泰がにこにこと話す。
「奥様が、『いつも間に立ってくれてありがとう、ご苦労様』って
俺ににあう色だとか」
律も続く。
「灯籠流しのときに俺も貰いました『これからもよろしく』って言われました。奥様の手作りです。よくできてますよね」
見せてくれよ!と泰と律は下緒の自慢話しを始めた
将軍の手がぴたりと止まる。
次の瞬間——彼は膝に肘をつき、組んだ手で顔を覆った。
泰が恐る恐る覗き込む。
「……将軍?」
「……け」
「えっ?」
「出ていけええええええぇぇぇっ!!!!」
突然、将軍が立ち上がり、叫んだ。
律と泰は叫びに押されるようにして外へ飛び出し、扉を閉める。
外で顔を見合わせ、呆然とする二人。
「……もしかして、もらえてなかった?」
「“初恋の思い出箱”(※泰命名)を抱えて泣くんじゃないか?」
「ああ,例の手巾とか飴の包紙とか。夫人に関するものが入ってるアレ?」
「子供の頃からずっと、あの人だけを見てたのに……」
2人は同時にため息をする
泰は書院の扉を振り返る。
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