ふたりで編むのは赤い糸

海棠 楓

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「あっ! あったあった」
 その声に樋口はびくりと震え上がり、弾かれたようにブリーフケースから飛びのいた。こんな状況、完全に他人の鞄を物色する泥棒だ。
「こんなところに忘れてたんだ、よかったぁ」
 樋口の狼狽ぶりとは裏腹に、どことなく間延びしたその声が近づいてくる。どんどん近づいてくる。でかっ。声の主は遠近法が一瞬よくわからなくなるぐらいに大柄だった。
「すみません、それ僕のなんです。部屋入ろうとしたらカードキーなくって」
 社員証がカードキーを兼ねている。その社員証はブリーフケースの外ポケット。
「すみません、どなたかの忘れ物かなって、少し中身を拝見してしまいました」
 樋口は縮こまって謝罪した。相手は容赦を示す微笑みで応えた。
「いえいえ。では」
「あ、あの」
「なんでしょうか?」
「編み物、されるんですね」
「……」
 見る見る男の顔が赤くなり、額を汗が伝った。
「……それも、ご覧になったんですね……」
 地の底から響くような声に、樋口は恐れ戦いた。
「すっすみません!!」
「……誰にも言わないでくださいね」
「え?」
「二人だけの、秘密にしてください」
「わ、わかりました……」
「では」
 依然顔は赤く、なのに血の気が引いたような、不思議な顔色のまま、相手はよろよろと去って行く。
「あっ、カバン! 忘れてますよ!」

 尋常でない取り乱しようを思い出しては、不思議に思う反面、プライベートな部分をのぞき見してしまったことを、申し訳なく思う。だが編みかけの、おそらくアクリルたわしになるであろうものを見られたことが、そんなにショックだったのだろうか。とても可愛らしい、手のひらサイズの、ころんとした黄色いアクリルたわし。一瞬見ただけでそこまでわかる。なんなら使われている毛糸がどこで売られている物なのかも察しがつく。なぜなら、樋口も編み物が趣味だからだ。だが樋口においては編み物が好きだということを特に周りに隠していないし、見られたところでショックを受けることはない。もともとのイメージとして”男らしさ”がないため、きっと周りだってなんとも思わないのだろう。だが彼のような、いかにもかっこいい男性、というタイプなら、知られると恥ずかしい趣味なのかもしれない。樋口にとっては理解しようのない世界だが。

 だが実際、外で編み物をしていると気持ち悪いと言われた男性の話や、女性にモテないなどの記事をネットで見かけるのは確かだ。けれどそれも樋口にとっては他人事だった。樋口は女性にモテなくても何の支障もない。女性に興味がない、もっとはっきり言うと恋愛対象は同性である男性だからである。



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