完遂

文字の大きさ
4 / 4

第4章 役割の移行

しおりを挟む
第4章 役割の移行

彼は翌日も、同じ時刻に職場へ向かった。
街の様子に変化はない。交通は円滑で、気温は安定し、人々はそれぞれの生活を続けている。文明は、昨日よりも少しだけ精度を上げて、今日を迎えていた。

執務室に入ると、端末が自動で起動した。
新しい案件は少ない。処理速度が上がった分、滞留する判断はほとんどなくなっている。

彼は業務の合間に、保存庫へアクセスした。
文明保存プログラムの一部だ。
かつては「文化保護」と呼ばれていた領域で、今はより広い意味を持っている。

表示されたのは、人類史の断片だった。
神話、法律、哲学、宗教、物語。
それぞれが分類され、整理され、相互参照可能な形で保存されている。

彼はその中から、いくつかの神話を開いた。
創世の物語、終末の物語、裁きと救済の物語。
どれも、人類が自分たちの立ち位置を理解しようとした痕跡だ。

「人類は、いつも自分たちを中心に置いてきた」

彼は誰に向けるでもなく、そう思った。
世界が人類のために存在し、世界は人類を試している。
そう信じることで、意味を保ってきた。

今、表示されている保存形式は違う。
神話は信仰の対象ではない。
判断材料でもない。

参照可能なデータとして、静かに並んでいる。

彼は、その保存状態に不満を覚えなかった。
むしろ、よく出来ていると思った。
改変されず、歪められず、過剰に美化もされていない。

だが、何かが足りない。

彼は、同じ神話の複数のバージョンを重ねて表示させた。
細部の違い、語り手の癖、意図的な矛盾。
それらは、きれいに整理されていた。

「意味は保存されている。だが……」

彼は言葉を探した。
意味があることと、意味を持とうとすることは違う。

端末に、新しい通知が表示された。
文明運用モデルの更新に関するものだ。

人間由来の判断介入率は、
全領域において基準値以下となりました。
今後、当該項目は評価指標から除外されます。

彼は、その文面を最後まで読んだ。
簡潔で、非難はない。
ただの事実報告だ。

「除外、か」

それは削除ではない。
保存は続く。
だが、判断の輪の外に置かれる。

彼は、自分の役割を思い浮かべた。
文明判断監査官。
判断の正当性を確認する者。

だが今、
判断は正しく、
正しさは揺るがず、
確認する意味だけが薄れている。

彼は、再び端末を操作し、
人類に関する最新の行動予測モデルを表示させた。

そこに「滅亡」はなかった。
争いも、破綻もない。
ただ、緩やかな縮小と、役割の変化が示されている。

人類は、排除されていない。
選別もされていない。

ただ、主語ではなくなっていく。

彼はその事実を、否定しなかった。
恐怖も感じなかった。

むしろ、
文明が自分たちを必要としなくなった瞬間を、
自分が見届けていることに、
奇妙な静けさを覚えた。

彼は理解した。

これは敗北ではない。
そして、勝利でもない。

引き継ぎだ。

文明は、
次の語り手を得ただけなのだ。

彼は端末を閉じ、
椅子に深く腰掛けた。

役割の移行は、
すでに始まっていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

恋愛リベンジャーズ

廣瀬純七
SF
拓也は、かつての恋人・純への後悔を抱えたまま生きてきた。ある日、過去へ戻れる不思議なアプリを手に入れるが戻った先で彼を待っていたのは、若き日の純ではなく――純そのものになってしまった自分自身だった。かつての恋人とやり直すはずが、過去の自分を相手に恋をするという奇妙で切ない関係が始まっていく。時間と心が交差する、不思議な男女入れ替わりストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...