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55話 牢の復讐者と王太子のケジメ
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「……なんの用だ、王太子」
薄暗がりから聞こえる声と、ゾクリとするような殺気に鳥肌が立つ。
まだ目も向けて居なかった牢の中にはそれらの発生源が存在した。強力な魔封じ手錠をつけられ、厳重に拘束されたカネフォーラの姿である。
……捕まって、なおこれとは末恐ろしい人だ。
「ロクに姿も見てないのに、よく俺だと分かりましたね」
「ふん、分かる者には気配だけで分かるというだけだ」
「なるほど……」
気配か、それほど研鑽を積めばその域に達するのだろうか……。
改めて拘束できたのが奇跡なのではないかと思えるほど、卓越した能力を持っている人なのだろう。
「しかし今日は嫌に丁寧だな、どういう風の吹き回しだ?」
「それはこちらで勝手に貴方を……いえ、叔父上を丁重に扱うと決めたからです」
「……貴様、何か悪いものでも食ったのか? 俺と話すよりも医者に診てもらった方が賢明だぞ」
「いえ、俺は本気ですよ。カネフォーラ叔父上」
俺が至極真面目な口調でそう言うと、叔父上は鋭い眼差しを向けてきた。
「馬鹿か、俺は貴様の率いていた騎士たちを傷つけたのだぞ」
「わざわざ致命傷を外した上でですよね。お陰であの場に居た全員の治療も間に合って、いずれ現場に復帰できるとのことです。少なくともあの場では誰一人死んでいません」
俺がそう言うと叔父上はただ無言で俺のことを睨みつけました。言い返さないということは、手加減したのは本当なのだろうな。
注意深く接してみて分かったが、この人は所々妙に正直な人なところがあるようだ。
「前にも言いましたが元を辿れば、叔父上たちは被害者ですからね。当然今回の出来事に対して最低限負うべき罪もあるでしょうが、出来る限りの減刑を図ると決めたのです」
「ほぅ……」
「そして今回のクーデター騒ぎに関しても、叔父上が主犯だとは公表せず内々に処理するつもりです」
俺の言葉に叔父上は眼帯のない右目を僅かに見張る。が、すぐにその感情を潜めた。
「だが貴様がそう言ったとしても、あの男がそんなこと許可するとは思えないが?」
「そこも問題ありません」
「父上には近々退位して頂く予定ですので」
「なに……?」
「俺から王位を退くように持ち掛けたんです。叔父上のことを引き合いに出してね」
すると叔父上は、何を考えているのかと言いたげな怪訝そうな表情を俺へ向けてきたのだった。
……あれはもう数日前のことになる。
◇
「父上、その座を退いて下さい」
俺はその日、父上に会うなり単刀直入にそう告げる。
本来その時間は、テロの事後処理についての報告をする予定だった。が、それをあえて無視しての発言である。
それはこの時こそが、その話を振るべきタイミングだと思ったからだ。他に人が居ないタイミングかつ、それ以降では叔父上の処遇が決まってしまう可能性があるため、時期的にこれ以上は待てない……いわゆる最後のチャンスだった。
俺は正直、細かな駆け引きというのが苦手だった。
王族にはあるまじきことかもしれないが、自分の感情を基準に動くことが多い人間だという自覚もある。でもそれを差し引いても、この件に関しては父上に自分の素直な感情をぶつけたかったのだ。
「……その言葉はどういうつもりだ」
当然であるが父上は剣呑な雰囲気でこちらを睨みつけてくる。
「言葉通りの意味です。父上、貴方にはすぐに王位を退いて頂きたい」
「いずれはお前に譲るはずのそれを、すぐに求める理由はなんだ」
「俺に譲って欲しいわけではなくて、父上にそれ以上王位に居て欲しくないだけです。カネフォーラ叔父上の件やエキセルソの件の真実を知ってしまいましたから」
俺の言葉に父上は苛立った様子で声を荒らげた。
「よもや、そんなことでか!?」
「俺にとってはそんなことではないんですよ……!!」
それに対して俺も強い口調で返すと、父上は溜息をつきながら頭を抱えたのだった。
「……イールド、お前はまだロクな分別もついておらぬ。だからこそ、そのような呑気なことが言えるのだ。そんなお前が王位に就くのは早すぎる」
「だとしても父上は退位するべきです」
俺は強い決意を持って、父上を睨むように見つめる。一方の父上の表情は、仕方のない子供の我が儘を聞いている親という感じだった。実際、父上にとってはそうなのだろう。
完全に軽んじられているな……確かに自分は何もかもが未熟だが、このまま引き下がる訳にはいかない。
「俺は父上がすぐに退位しないつもりであれば、二十年前の事実についてすぐにでも公表するつもりです」
「……なんだと?」
「俺にはその準備があります」
どこか余裕のあった父上の表情に、初めて本気の焦りが滲むのが分かった。しかし焦りはありつつも、俺の言葉の真偽について見極めようしている気配があるのは、流石としか言いようがない。
……正直、こういう手は好きではないのだが、今回ばかりは準備しておいて正解だったな。
「元々、そうでなくても時期を見計らってそうするつもりでした。ですが父上が退位されないつもりならば、すぐに公表します……そうしたら父上のお立場はどうなるでしょうね」
「馬鹿な!! どちらにしろお前の首が締まることには変わりないぞ!?」
「ええ、それも覚悟の上です」
「そこに漬け込む者や、徹底的に追及する輩も当然出てくるだろう。どれほど王家の権威や立場が脅かされ危うくなることか……」
「それも全て承知の上です」
自らの言葉に嘘がないことと、決意を示すためにも、俺は父上の全ての言葉に目をそらさずに頷く。対する父上の苦い表情を浮かべると、そのまま父上は静かに目を閉じ、無言になってしまった。
それからしばらく目を閉じたままでいた後、父上はこぼすように言った。
「未熟で臆病者だったお前が、この父を切り捨てるのか……」
「それは違いますよ。俺は貴方を正しく父親だと思っているからこそ、自身のしたことに対して責任を取っていただきたいのです。苦しめられ、理不尽に不利益を被ってしまった者達へ少しでも報いるためと、更には俺がこれ以上父上に失望しないために」
なおも俺が真っ直ぐにそう答えると、父上は薄っすらと目を開いてコチラを見る。
その目には最早諦めが滲んでいたが、それを逃さず俺はこう重ねた。
「父上……もし本当に俺を我が子と思い愛しているのであれば、その座を退いて下さい。俺の息子としての最後のお願いです」
心の底から真剣に、誠意を込めて俺はそう頭を下げた。しばらくの間父上は無言を貫いたが、ある時にふっと息を吐き出すと、そのまま笑い出した。
「は……はは、なんて馬鹿な息子だ……私はきっと育て方を間違えたのだろうな」
その笑いは乾いていて、弱弱しかった。
「コイツはどこまで行っても、為政者には向いていない」
最後に呟いた後、父上は観念した様子で俺の要求を受け入れることを承諾したのだった。
◇
「まぁ叔父上への詳しい説明は省きますが、貴方や反乱軍の者たちを悪く扱わないことだけは確実にお約束します」
「……そうか」
カネフォーラ叔父上は何か言いたげな表情をしながらも、それ以上は何も発することなく頷いた。きっと何かを察して引き下がってくれたのだろう。
父上の前であんなことをしたものの、正直なんとも言えない感情が残っており、説明がしづらい心境なので、これはとても助かった。
「あと二十年前の事件についてですが、残念ながら流石に今すぐは難しいので、頃合いを見て公表するつもりです」
「まさか貴様、そんなこともするつもりなのか?」
「当然です……以前、約束しませんでしたか」
「特に覚えはないな」
なんとも言えない表情でそういう叔父上。それを見て俺は改めて自分の胸に手を当てて、堂々とこう宣言した。
「ならば、今改めて誓いましょう。俺は二十年前の真実を公表したうえで、その機会に叔父上を含めた不当な扱いを受けた者たちの名誉も回復させると」
「俺が言えた義理でもないが、貴様正気か? そうすることに貴様の得する部分など一つもないぞ」
向けられるのは信じられないようなものを見る目。それに対して俺は、しっかりと頷いた上でこう答える。
「償いなのですから、別に損得ではないのですよ。以前、叔父上が仰った通り、死者は決して戻りませんし、今言ったそれらだけで十分な償いになるとは思いませんが、俺ができる限りのことはするつもりです」
「……そうか」
感情が読み取れない表情で視線を逸らした叔父上は、そのままこんなことを言った。
「しかし貴様は為政者には向いとらんな。その性格だと今後も苦労するだろうな、特に周りが」
「父上にも同じ事を言われましたよ。わざわざ心配して下さり、ありがとうございます」
「誰が貴様の心配などするか!!」
そう怒鳴るカネフォーラ叔父上に、俺は少しばかりガッカリする。
……なんだ心配してくれたのではなかったのか。
「チッ……もう少し父親に似ればよかったものの」
「ええ、そうかも知れませんね。だけど俺はこういう質なので仕方ありません」
「コイツは嫌味も通じんのか?」
なるほど、今のは嫌味だったのか……俺にはどこら辺が嫌味だったのか見当も付かないが、以後気を付けることにしよう。セルの嫌味ならばすぐに分かるのにな、叔父上の言葉はなまじ正論のように聞こえるから難しいものだ。
「それと俺の個人的な考えというか、信条なのですが。やむを得ず最終的に非常で残酷な決断をすることになっても、根底にある理想は捨てるべきではないと思うんですよ」
「そうか、お前の素晴らしい理想で美しい国が実現できればいいな」
「はい!! 努力します」
「……」
カネフォーラ叔父上は、しばらく無表情なまま俺のことを無言で見つめた後「もう疲れた、帰れ」とため息交じりに促してきた。
本音を言うともう少し叔父上と話がしたいが、疲れたのならば無理をさせるのは良くないだろうな。
「分かりました、また来ます」
「出来る限り極力来るな」
叔父上は物凄く嫌そうな顔でそう返す。
……自分としてはかなり気を使ったつもりだったのだが、どの辺が悪かったのだろうか。後で自分自身の言動の見直しが必要だな。
「…………いや、少し待て」
「はい、なんでしょうか?」
既に背を向けて歩き出していた俺だったが、叔父上のそんな声に振り返る。
「これを受け取れ」
叔父上のその言葉と共に牢から何かが飛んでくる。俺はそれを反射的にキャッチした。
あれだけ鎖で動きを制限されてるのに、まだこれほど正確なコントロールで物を投げられるのか!? 本当に全体的な運動能力が卓越してるんだな……。
そして肝心の投げて来たものは、簡単に手の中に収まる程小さい。これは——
「あの、これは鍵ですよね?」
「ああ、そうだ。貴様の綺麗事を聞いて思い出したものだ」
それは古びた小さな鍵だった。軽く見たところ、魔法的な仕掛けなどはない普通の鍵だ。
牢へ収容する前に一通りの検査は行ったが、こんな何の変哲もない普通の小さな鍵なら見落としもするだろうな。
「それは俺たちが拠点にしていた王都の地下にまつわるもので、西地区にある53番の番号が振られた部屋の更に隠し部屋で使える鍵だ」
「隠し部屋で使える鍵ですか……」
「もっと正確には、隠し部屋にある机の引き出しの鍵だ。その鍵自体に仕掛けはないが、引き出しの方には細工がしてあって、その鍵以外で開けようとすると中身が燃えるようにしてあった」
「そこまでして隠したかった物ということですか?」
「……ただ念のためにそうしただけだ、そこにはある名簿が入っている」
「ふむ、名簿ですか」
俺がやや間抜け気味にそう復唱すると、カネフォーラ叔父上はそこで不敵にニヤリと笑った。
「そこに書かれているのは、俺がクーデターを起こすに際して事前に渡りをつけてていた貴族たち……リスクを抑えるために俺の正体は明かさなかったが、それでも仮にクーデターを首尾よく達成したら、そいつらはコチラに付く手筈だった」
事前に渡りをつけていた……そこまで言葉を聞いて俺はようやく、それがなんなのか理解した。
「くくっ、つまりそれは現王家への忠誠心が薄く、叛意のある貴族たちの名簿だ。数も決して少なくはないぞ」
「……」
「しかもその立場は、クーデターが上手く行けばこちらに乗り換え、もし失敗すればそのまま今まで通りという腹積もりの狡猾で汚い連中だ」
「……では、それを証拠に検挙しろと?」
俺が問いかけるとカネフォーラ叔父上は、それを鼻で笑った。
「いいや、それはそこまで確実に証拠にはならんよ。実際、こちらも確たる証拠を残すリスクは避けたから、突きつけたところで言い逃れされるのが関の山だ」
「ならば、どうしてこれを……」
カネフォーラ叔父上の意図が分からず俺がそう聞くと、叔父上は今日一番楽しそうに笑った。
「なに、貴様がそれをどう扱うのか少し試して見ようと思ってな」
こちらを試すような底意地の悪い笑顔で、朗々と語る。
「貴様は相当な夢想家のようだが、今後相手取る貴族連中の大多数は、そういう身勝手な奴らが大半だということを覚悟しておけ」
……ああ、そうか。この方はそういう人なんだな。
「そして、もし貴様があまりに王位に相応しくないようなら、俺はどんな手段を使ってでもここから出て、王位と貴様の首を貰い受けるぞ? せいぜい覚悟しておけ」
そうして最後には、悪役として相応しい堂々たる笑みを浮かべたのだった。
カネフォーラ叔父上は、父上や俺のことを深く恨んでいる。それは捕らえられた今でも変わらないのだろう。だがしかし、今並べた言葉が表面的にどれほど意地悪であっても、その名簿を提供すること自体が俺に……いや、王国に利することは変わりない。
翌々考えると俺や父上を恨んでいるとは言っても、この国自体を嫌っているような言動はなかった。
実は先日、暗殺前までの王弟としての叔父上のことを調べたが、そこから国や民を大切にするような人柄で、周りから大変慕われていたのが分かった。
きっと今でもカネフォーラ叔父上の中には、国や民を大切に思う感情が残っているのだろう。
だからこそ恨んでいる俺に利があるとしても、わざわざ名簿を提供してくれるのだ。俺が利を得ること以上に、国や民の利益を損なうことの方を嫌っているから。
「……ありがとうございます。叔父上が首を切り落とそうと思わない程度には、努力しますので」
そう言って深々と頭を下げると叔父上は「ふん」と鼻を鳴らして顔を背けた。
「ではまた近々来ますね!」
「来るな!!」
さて、またやらなきゃいけないことが増えたな。
叔父上が脱獄する必要がないように頑張らなくては……!!
薄暗がりから聞こえる声と、ゾクリとするような殺気に鳥肌が立つ。
まだ目も向けて居なかった牢の中にはそれらの発生源が存在した。強力な魔封じ手錠をつけられ、厳重に拘束されたカネフォーラの姿である。
……捕まって、なおこれとは末恐ろしい人だ。
「ロクに姿も見てないのに、よく俺だと分かりましたね」
「ふん、分かる者には気配だけで分かるというだけだ」
「なるほど……」
気配か、それほど研鑽を積めばその域に達するのだろうか……。
改めて拘束できたのが奇跡なのではないかと思えるほど、卓越した能力を持っている人なのだろう。
「しかし今日は嫌に丁寧だな、どういう風の吹き回しだ?」
「それはこちらで勝手に貴方を……いえ、叔父上を丁重に扱うと決めたからです」
「……貴様、何か悪いものでも食ったのか? 俺と話すよりも医者に診てもらった方が賢明だぞ」
「いえ、俺は本気ですよ。カネフォーラ叔父上」
俺が至極真面目な口調でそう言うと、叔父上は鋭い眼差しを向けてきた。
「馬鹿か、俺は貴様の率いていた騎士たちを傷つけたのだぞ」
「わざわざ致命傷を外した上でですよね。お陰であの場に居た全員の治療も間に合って、いずれ現場に復帰できるとのことです。少なくともあの場では誰一人死んでいません」
俺がそう言うと叔父上はただ無言で俺のことを睨みつけました。言い返さないということは、手加減したのは本当なのだろうな。
注意深く接してみて分かったが、この人は所々妙に正直な人なところがあるようだ。
「前にも言いましたが元を辿れば、叔父上たちは被害者ですからね。当然今回の出来事に対して最低限負うべき罪もあるでしょうが、出来る限りの減刑を図ると決めたのです」
「ほぅ……」
「そして今回のクーデター騒ぎに関しても、叔父上が主犯だとは公表せず内々に処理するつもりです」
俺の言葉に叔父上は眼帯のない右目を僅かに見張る。が、すぐにその感情を潜めた。
「だが貴様がそう言ったとしても、あの男がそんなこと許可するとは思えないが?」
「そこも問題ありません」
「父上には近々退位して頂く予定ですので」
「なに……?」
「俺から王位を退くように持ち掛けたんです。叔父上のことを引き合いに出してね」
すると叔父上は、何を考えているのかと言いたげな怪訝そうな表情を俺へ向けてきたのだった。
……あれはもう数日前のことになる。
◇
「父上、その座を退いて下さい」
俺はその日、父上に会うなり単刀直入にそう告げる。
本来その時間は、テロの事後処理についての報告をする予定だった。が、それをあえて無視しての発言である。
それはこの時こそが、その話を振るべきタイミングだと思ったからだ。他に人が居ないタイミングかつ、それ以降では叔父上の処遇が決まってしまう可能性があるため、時期的にこれ以上は待てない……いわゆる最後のチャンスだった。
俺は正直、細かな駆け引きというのが苦手だった。
王族にはあるまじきことかもしれないが、自分の感情を基準に動くことが多い人間だという自覚もある。でもそれを差し引いても、この件に関しては父上に自分の素直な感情をぶつけたかったのだ。
「……その言葉はどういうつもりだ」
当然であるが父上は剣呑な雰囲気でこちらを睨みつけてくる。
「言葉通りの意味です。父上、貴方にはすぐに王位を退いて頂きたい」
「いずれはお前に譲るはずのそれを、すぐに求める理由はなんだ」
「俺に譲って欲しいわけではなくて、父上にそれ以上王位に居て欲しくないだけです。カネフォーラ叔父上の件やエキセルソの件の真実を知ってしまいましたから」
俺の言葉に父上は苛立った様子で声を荒らげた。
「よもや、そんなことでか!?」
「俺にとってはそんなことではないんですよ……!!」
それに対して俺も強い口調で返すと、父上は溜息をつきながら頭を抱えたのだった。
「……イールド、お前はまだロクな分別もついておらぬ。だからこそ、そのような呑気なことが言えるのだ。そんなお前が王位に就くのは早すぎる」
「だとしても父上は退位するべきです」
俺は強い決意を持って、父上を睨むように見つめる。一方の父上の表情は、仕方のない子供の我が儘を聞いている親という感じだった。実際、父上にとってはそうなのだろう。
完全に軽んじられているな……確かに自分は何もかもが未熟だが、このまま引き下がる訳にはいかない。
「俺は父上がすぐに退位しないつもりであれば、二十年前の事実についてすぐにでも公表するつもりです」
「……なんだと?」
「俺にはその準備があります」
どこか余裕のあった父上の表情に、初めて本気の焦りが滲むのが分かった。しかし焦りはありつつも、俺の言葉の真偽について見極めようしている気配があるのは、流石としか言いようがない。
……正直、こういう手は好きではないのだが、今回ばかりは準備しておいて正解だったな。
「元々、そうでなくても時期を見計らってそうするつもりでした。ですが父上が退位されないつもりならば、すぐに公表します……そうしたら父上のお立場はどうなるでしょうね」
「馬鹿な!! どちらにしろお前の首が締まることには変わりないぞ!?」
「ええ、それも覚悟の上です」
「そこに漬け込む者や、徹底的に追及する輩も当然出てくるだろう。どれほど王家の権威や立場が脅かされ危うくなることか……」
「それも全て承知の上です」
自らの言葉に嘘がないことと、決意を示すためにも、俺は父上の全ての言葉に目をそらさずに頷く。対する父上の苦い表情を浮かべると、そのまま父上は静かに目を閉じ、無言になってしまった。
それからしばらく目を閉じたままでいた後、父上はこぼすように言った。
「未熟で臆病者だったお前が、この父を切り捨てるのか……」
「それは違いますよ。俺は貴方を正しく父親だと思っているからこそ、自身のしたことに対して責任を取っていただきたいのです。苦しめられ、理不尽に不利益を被ってしまった者達へ少しでも報いるためと、更には俺がこれ以上父上に失望しないために」
なおも俺が真っ直ぐにそう答えると、父上は薄っすらと目を開いてコチラを見る。
その目には最早諦めが滲んでいたが、それを逃さず俺はこう重ねた。
「父上……もし本当に俺を我が子と思い愛しているのであれば、その座を退いて下さい。俺の息子としての最後のお願いです」
心の底から真剣に、誠意を込めて俺はそう頭を下げた。しばらくの間父上は無言を貫いたが、ある時にふっと息を吐き出すと、そのまま笑い出した。
「は……はは、なんて馬鹿な息子だ……私はきっと育て方を間違えたのだろうな」
その笑いは乾いていて、弱弱しかった。
「コイツはどこまで行っても、為政者には向いていない」
最後に呟いた後、父上は観念した様子で俺の要求を受け入れることを承諾したのだった。
◇
「まぁ叔父上への詳しい説明は省きますが、貴方や反乱軍の者たちを悪く扱わないことだけは確実にお約束します」
「……そうか」
カネフォーラ叔父上は何か言いたげな表情をしながらも、それ以上は何も発することなく頷いた。きっと何かを察して引き下がってくれたのだろう。
父上の前であんなことをしたものの、正直なんとも言えない感情が残っており、説明がしづらい心境なので、これはとても助かった。
「あと二十年前の事件についてですが、残念ながら流石に今すぐは難しいので、頃合いを見て公表するつもりです」
「まさか貴様、そんなこともするつもりなのか?」
「当然です……以前、約束しませんでしたか」
「特に覚えはないな」
なんとも言えない表情でそういう叔父上。それを見て俺は改めて自分の胸に手を当てて、堂々とこう宣言した。
「ならば、今改めて誓いましょう。俺は二十年前の真実を公表したうえで、その機会に叔父上を含めた不当な扱いを受けた者たちの名誉も回復させると」
「俺が言えた義理でもないが、貴様正気か? そうすることに貴様の得する部分など一つもないぞ」
向けられるのは信じられないようなものを見る目。それに対して俺は、しっかりと頷いた上でこう答える。
「償いなのですから、別に損得ではないのですよ。以前、叔父上が仰った通り、死者は決して戻りませんし、今言ったそれらだけで十分な償いになるとは思いませんが、俺ができる限りのことはするつもりです」
「……そうか」
感情が読み取れない表情で視線を逸らした叔父上は、そのままこんなことを言った。
「しかし貴様は為政者には向いとらんな。その性格だと今後も苦労するだろうな、特に周りが」
「父上にも同じ事を言われましたよ。わざわざ心配して下さり、ありがとうございます」
「誰が貴様の心配などするか!!」
そう怒鳴るカネフォーラ叔父上に、俺は少しばかりガッカリする。
……なんだ心配してくれたのではなかったのか。
「チッ……もう少し父親に似ればよかったものの」
「ええ、そうかも知れませんね。だけど俺はこういう質なので仕方ありません」
「コイツは嫌味も通じんのか?」
なるほど、今のは嫌味だったのか……俺にはどこら辺が嫌味だったのか見当も付かないが、以後気を付けることにしよう。セルの嫌味ならばすぐに分かるのにな、叔父上の言葉はなまじ正論のように聞こえるから難しいものだ。
「それと俺の個人的な考えというか、信条なのですが。やむを得ず最終的に非常で残酷な決断をすることになっても、根底にある理想は捨てるべきではないと思うんですよ」
「そうか、お前の素晴らしい理想で美しい国が実現できればいいな」
「はい!! 努力します」
「……」
カネフォーラ叔父上は、しばらく無表情なまま俺のことを無言で見つめた後「もう疲れた、帰れ」とため息交じりに促してきた。
本音を言うともう少し叔父上と話がしたいが、疲れたのならば無理をさせるのは良くないだろうな。
「分かりました、また来ます」
「出来る限り極力来るな」
叔父上は物凄く嫌そうな顔でそう返す。
……自分としてはかなり気を使ったつもりだったのだが、どの辺が悪かったのだろうか。後で自分自身の言動の見直しが必要だな。
「…………いや、少し待て」
「はい、なんでしょうか?」
既に背を向けて歩き出していた俺だったが、叔父上のそんな声に振り返る。
「これを受け取れ」
叔父上のその言葉と共に牢から何かが飛んでくる。俺はそれを反射的にキャッチした。
あれだけ鎖で動きを制限されてるのに、まだこれほど正確なコントロールで物を投げられるのか!? 本当に全体的な運動能力が卓越してるんだな……。
そして肝心の投げて来たものは、簡単に手の中に収まる程小さい。これは——
「あの、これは鍵ですよね?」
「ああ、そうだ。貴様の綺麗事を聞いて思い出したものだ」
それは古びた小さな鍵だった。軽く見たところ、魔法的な仕掛けなどはない普通の鍵だ。
牢へ収容する前に一通りの検査は行ったが、こんな何の変哲もない普通の小さな鍵なら見落としもするだろうな。
「それは俺たちが拠点にしていた王都の地下にまつわるもので、西地区にある53番の番号が振られた部屋の更に隠し部屋で使える鍵だ」
「隠し部屋で使える鍵ですか……」
「もっと正確には、隠し部屋にある机の引き出しの鍵だ。その鍵自体に仕掛けはないが、引き出しの方には細工がしてあって、その鍵以外で開けようとすると中身が燃えるようにしてあった」
「そこまでして隠したかった物ということですか?」
「……ただ念のためにそうしただけだ、そこにはある名簿が入っている」
「ふむ、名簿ですか」
俺がやや間抜け気味にそう復唱すると、カネフォーラ叔父上はそこで不敵にニヤリと笑った。
「そこに書かれているのは、俺がクーデターを起こすに際して事前に渡りをつけてていた貴族たち……リスクを抑えるために俺の正体は明かさなかったが、それでも仮にクーデターを首尾よく達成したら、そいつらはコチラに付く手筈だった」
事前に渡りをつけていた……そこまで言葉を聞いて俺はようやく、それがなんなのか理解した。
「くくっ、つまりそれは現王家への忠誠心が薄く、叛意のある貴族たちの名簿だ。数も決して少なくはないぞ」
「……」
「しかもその立場は、クーデターが上手く行けばこちらに乗り換え、もし失敗すればそのまま今まで通りという腹積もりの狡猾で汚い連中だ」
「……では、それを証拠に検挙しろと?」
俺が問いかけるとカネフォーラ叔父上は、それを鼻で笑った。
「いいや、それはそこまで確実に証拠にはならんよ。実際、こちらも確たる証拠を残すリスクは避けたから、突きつけたところで言い逃れされるのが関の山だ」
「ならば、どうしてこれを……」
カネフォーラ叔父上の意図が分からず俺がそう聞くと、叔父上は今日一番楽しそうに笑った。
「なに、貴様がそれをどう扱うのか少し試して見ようと思ってな」
こちらを試すような底意地の悪い笑顔で、朗々と語る。
「貴様は相当な夢想家のようだが、今後相手取る貴族連中の大多数は、そういう身勝手な奴らが大半だということを覚悟しておけ」
……ああ、そうか。この方はそういう人なんだな。
「そして、もし貴様があまりに王位に相応しくないようなら、俺はどんな手段を使ってでもここから出て、王位と貴様の首を貰い受けるぞ? せいぜい覚悟しておけ」
そうして最後には、悪役として相応しい堂々たる笑みを浮かべたのだった。
カネフォーラ叔父上は、父上や俺のことを深く恨んでいる。それは捕らえられた今でも変わらないのだろう。だがしかし、今並べた言葉が表面的にどれほど意地悪であっても、その名簿を提供すること自体が俺に……いや、王国に利することは変わりない。
翌々考えると俺や父上を恨んでいるとは言っても、この国自体を嫌っているような言動はなかった。
実は先日、暗殺前までの王弟としての叔父上のことを調べたが、そこから国や民を大切にするような人柄で、周りから大変慕われていたのが分かった。
きっと今でもカネフォーラ叔父上の中には、国や民を大切に思う感情が残っているのだろう。
だからこそ恨んでいる俺に利があるとしても、わざわざ名簿を提供してくれるのだ。俺が利を得ること以上に、国や民の利益を損なうことの方を嫌っているから。
「……ありがとうございます。叔父上が首を切り落とそうと思わない程度には、努力しますので」
そう言って深々と頭を下げると叔父上は「ふん」と鼻を鳴らして顔を背けた。
「ではまた近々来ますね!」
「来るな!!」
さて、またやらなきゃいけないことが増えたな。
叔父上が脱獄する必要がないように頑張らなくては……!!
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