5 / 21
4
しおりを挟む
河井肥前守には三人の子がいた。
長男 幸太、次男 甚助、そして一番下の長女 寿々の三人だ。幸太は三郎と同年齢で、甚助は二つ下、寿々は六つ下だった。
三郎は河井の家に同居した。
河井は三郎に幸田村で生活するために必要な全てを教えた。
いや、教えてくれたのは河井だけではない。河井が教えたのはするべきことだけで、実際の、生活に必要な一切を教えたのは幸太だった。幸太は質問すれば、何でも丁寧に教えてくれた。そして、何でも出来た。
河井はいつもこう言った。
「米に頼らないことだ。この地形だ。洪水が来たら、稲は一瞬に流される……」
三郎も合点がいった。思い出したくない、あの津波の光景が蘇った。
稲は幸田川沿いの沼地に育っていた。沼一面にひろがり、たっぷりと実をつけた稲穂が水面に漂っていた。平和な光景だった。
この後、被害さえなければ、ある程度の余力が望める収穫が見込めた。
沼地を整備し、洪水に備える手もあると思うが、河井はそれをしなかった。昔、住んでいた者もそれくらいはしただろう。それでも洪水を防げなかったからこの地を捨てた。同じ過ちはしない、と河井肥前守は言った。
河井の家は、川からかなり離れた、山の中腹の比較的なだらかな地を切り開いて建てられていた。
幸太は、ここにきてからの開拓の歴史をこう話した。
父は、家の周辺の開墾に精を出し畑地にした。沼地を整備するよりも、畑地を増やすことに専念した。
最初に裏山に栗を植えた。将来、米が不作だった時、それに代わる穀物になるからだ。次に家の周辺の比較的なだらかな地を開墾した。そこに野菜や芋を植えた。
周辺の開墾が一息つくと、沼地に近い、低木の広がる傾斜地を焼き払い、畑地にした。そこには黍を植えた。
次に裏山の森の一隅に炭小屋を作った。
炭は銭になった。相模川を越え、当麻という町に持っていき、銭に変え、それで必要な農具を買った。特に収入になったのはブツゾウだった。
ブツゾウ? 意味が分からず、三郎は聞き返した。
仏像のことだった。何でそんなことまで河井はできるのだろうと思った。それも売り物になるほどの腕前とは……。
河井は農閑期になると、仏像を彫った。当麻の山本という刀鍛治がそれを買ってくれた。
山本は小田原に刀剣を納めている程の有名な刀剣鍛治で、最初は炭をそこで買ってもらっていたが、ひょんなことから仏像の話になり、河井が彫っていると伝えると、是非見せてほしいということになった。それで父が一番気に入っていた仏像を持っていくと、山本はいたく気に入り、買ってくれるようになったのだと幸太は言った。それは鉄製の鍬などの農具になった。刀剣以外に手を出さない山本が、唯一河井だけのために造った、特別な代物だ。「一生かかっても父に敵(かな)わない」幸太は頷きながら言った。
河井は弓も巧みに扱った。山に入って、鳥や獣を容易に射た。
手先も器用で精巧に仕掛けをつくり、それで鳥も捕り魚も捕った。だから、米の収穫が思うようにあがらなくても、何かの自然災害で全ての畑地が消失したとしても少なくとも食うには困らないに違いない、そう三郎は思った。
関口太兵衛が言うとおり、この地を支配する北条の家臣が課役を課すことはなかった。働いて得たものは全て村のものとなった。働く場所を得て、生きがいも生まれ、三郎は毎日を心行くまで楽しんだ。
河井は三郎を我が子と同等に扱い、常に、幸太、甚助と一緒に行動することを許した。
時には、幸太、甚助以上に三郎は河井と行動を共にした。そこには、河井の思惑があった。
ゆくゆく増えていくだろう村人をまとめるためにも、一家の主人として三郎に家を構えてもらう必要がある。共同して村を経営して行く同志とするためだ。今後、多数の村人が村に入ってくる。彼らを従わせるためには一人では難しさが生じるだろうと河井は考えていた。三郎を河井と同等の家格として遇することの必要を感じていた。
長男 幸太、次男 甚助、そして一番下の長女 寿々の三人だ。幸太は三郎と同年齢で、甚助は二つ下、寿々は六つ下だった。
三郎は河井の家に同居した。
河井は三郎に幸田村で生活するために必要な全てを教えた。
いや、教えてくれたのは河井だけではない。河井が教えたのはするべきことだけで、実際の、生活に必要な一切を教えたのは幸太だった。幸太は質問すれば、何でも丁寧に教えてくれた。そして、何でも出来た。
河井はいつもこう言った。
「米に頼らないことだ。この地形だ。洪水が来たら、稲は一瞬に流される……」
三郎も合点がいった。思い出したくない、あの津波の光景が蘇った。
稲は幸田川沿いの沼地に育っていた。沼一面にひろがり、たっぷりと実をつけた稲穂が水面に漂っていた。平和な光景だった。
この後、被害さえなければ、ある程度の余力が望める収穫が見込めた。
沼地を整備し、洪水に備える手もあると思うが、河井はそれをしなかった。昔、住んでいた者もそれくらいはしただろう。それでも洪水を防げなかったからこの地を捨てた。同じ過ちはしない、と河井肥前守は言った。
河井の家は、川からかなり離れた、山の中腹の比較的なだらかな地を切り開いて建てられていた。
幸太は、ここにきてからの開拓の歴史をこう話した。
父は、家の周辺の開墾に精を出し畑地にした。沼地を整備するよりも、畑地を増やすことに専念した。
最初に裏山に栗を植えた。将来、米が不作だった時、それに代わる穀物になるからだ。次に家の周辺の比較的なだらかな地を開墾した。そこに野菜や芋を植えた。
周辺の開墾が一息つくと、沼地に近い、低木の広がる傾斜地を焼き払い、畑地にした。そこには黍を植えた。
次に裏山の森の一隅に炭小屋を作った。
炭は銭になった。相模川を越え、当麻という町に持っていき、銭に変え、それで必要な農具を買った。特に収入になったのはブツゾウだった。
ブツゾウ? 意味が分からず、三郎は聞き返した。
仏像のことだった。何でそんなことまで河井はできるのだろうと思った。それも売り物になるほどの腕前とは……。
河井は農閑期になると、仏像を彫った。当麻の山本という刀鍛治がそれを買ってくれた。
山本は小田原に刀剣を納めている程の有名な刀剣鍛治で、最初は炭をそこで買ってもらっていたが、ひょんなことから仏像の話になり、河井が彫っていると伝えると、是非見せてほしいということになった。それで父が一番気に入っていた仏像を持っていくと、山本はいたく気に入り、買ってくれるようになったのだと幸太は言った。それは鉄製の鍬などの農具になった。刀剣以外に手を出さない山本が、唯一河井だけのために造った、特別な代物だ。「一生かかっても父に敵(かな)わない」幸太は頷きながら言った。
河井は弓も巧みに扱った。山に入って、鳥や獣を容易に射た。
手先も器用で精巧に仕掛けをつくり、それで鳥も捕り魚も捕った。だから、米の収穫が思うようにあがらなくても、何かの自然災害で全ての畑地が消失したとしても少なくとも食うには困らないに違いない、そう三郎は思った。
関口太兵衛が言うとおり、この地を支配する北条の家臣が課役を課すことはなかった。働いて得たものは全て村のものとなった。働く場所を得て、生きがいも生まれ、三郎は毎日を心行くまで楽しんだ。
河井は三郎を我が子と同等に扱い、常に、幸太、甚助と一緒に行動することを許した。
時には、幸太、甚助以上に三郎は河井と行動を共にした。そこには、河井の思惑があった。
ゆくゆく増えていくだろう村人をまとめるためにも、一家の主人として三郎に家を構えてもらう必要がある。共同して村を経営して行く同志とするためだ。今後、多数の村人が村に入ってくる。彼らを従わせるためには一人では難しさが生じるだろうと河井は考えていた。三郎を河井と同等の家格として遇することの必要を感じていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる