恋の終わりに

オオトリ

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「心配はいらないよ。彼女も1番大切なのは、君のはずだから」

 やっと私を見てくださった殿下の顔は、ひどく顔色が悪く、やつれて見えた。

 それなのに。こんなときだというのに。私を見るその目の優しさはなにも変わらないのだ。

 残酷なまでに愛しいその目で私を見つめながら告げるその言葉は、やはり残酷なもので、微笑みを保てている自信などあっさりと消えてしまう。

「彼女も、私も。君のためにできることはなんでもするから」

 私の最もしてほしいことは、できないくせに、と叫びそうになる。

 私がしてほしくないことをしようとしている二人は、私にとっても1番大切な二人で。

 それでも、私の1番の望みを叶えることは、同時に私の最も望まない結果を呼ぶことなのだとも理解している。

「ええ。私も、大切なお二人のためならなんでもできますわ」

 無理やりに微笑んだ頬が、熱をもってしまった目の周りが、心の代わりとでもいうように悲鳴を上げている。

「殿下が苦しんでいらっしゃることを分かっていながら、ここまで見ぬふりをしてしまったこと、申し訳ありませんでした」

 引きつる顔を見られたくなくて、頭を下げる。

 私が気付いてしまったら、こうなることが分かっていたから。殿下が隠そうとしているからと言い訳をして、気づかないふりをしてしまった。

 結局は自分のための愚かで最低な判断をしてしまった私には、もうおとなしく殿下のこれからの平穏と幸福を祈る道しか残されていないのだ。

「やはり、君には気づかれていたのか」

 まるで自嘲するかのように、軽い口調で話す殿下に、何もかもを分かっていて全てを受け入れて覚悟を決めたのだと悟る。

「伯父と甥だからでしょうか?隠そうとしていらっしゃる様子がとてもお父様と似てらしたのよ?」

 努めて軽い口調で話す殿下の様子に合わせて、私も明るい口調になるように全神経を注ぐ。

「ああ、そんなところまで伯父上に似ていたのか」

 王家の血を濃く受け継ぐ、殿下とお父様は、容姿も性格も不思議なほど全く似ていない。それぞれの母親によく似ているそうだ。

 つまり、これは「病」のことだろう。

 抑えようとしていた感情が溢れそうになり、言葉に詰まる。

 どうして。と、言っても仕方のない問いが。ぶつけようのない怒りが、私の中に渦巻く。

「…妹も、母も、お父様の対応で慣れておりますから。ご安心くださいませ」

 もちろん。私だって、何度も対応してきたのだ。

 一緒にいさせてさえ貰えれば。

 どうして。

「ああ。君の大切な妹も、母君も。もちろん伯父上のことも、私に任せてくれ」

 この状態では、頼りにならないだろうけど、と笑う殿下にはおそらく私の心情は筒抜けなのだろう。それでも、この状況を覆すような話は、私達の間に起こり得ることはない。

「ええ。お任せいたしますとも」

 あなたが、私にとって頼りにならなかったことなど一度もない。と、気持ちを込めて、今ばかりは自然に微笑む。

 そこで、ふと自分のこれからしなくてはならないことが浮かんできて、すぐに表情が崩れてしまった。

「私はこれから、色々と忙しくなりますものね…。新しい婚約者も探さなくてはなりませんし…」

 つい、余計な一言を漏らしてしまった私に、殿下の表情もわずかに歪んだように見えたのは、私の願望なのか。

「君の選ぶ人なら、たとえ農民を連れてきても誰からも反対など出ない。君が幸せになれると思う人を選んでくれ」

「そうですわね…。この国において、今、私が誰を選ぼうとも問題ありませんわね…」

 あなた以外は。という言葉を言外に隠す私の返答に、今度は殿下の表情がはっきりと歪む。

「私が言うことではなかったな…。すまない…」

「いいえ…。お気になさらないで」

 おそらくは、殿下の本心からの言葉であったことは分かっている。それでも、聞きたくはない言葉ではあったけれども。

「新しい婚約者などは、後回しですわね。これからは、引き継ぎなどもいりますもの」

「君なら何も心配せずとも大丈夫だ」

 沈鬱な空気を振り払うつもりで、明るく声を上げた私に合わせるように、殿下からもあっさりと返答が上がる。

「公務も、執務も。君はほぼ私と一緒に行っていたからね」

 引き継ぎなどもいらないくらいだろう?と優しく微笑まれてしまっては、何も言えなくなってしまう。

 小さく首を横に振る私に、子供をなだめるような微笑みを浮かべた殿下が言葉を続ける。

「この執務室も、君の好きなように変えてくれればいい。もちろん、全て置いていくから、必要なものはそのまま使ってくれ」

 もう。本当に、全て終わりだ。ほんの僅かの時間すら、私達が共有することはない。と告げるその言葉に、私もさすがに返す言葉が見つからない。

「全て…そのまま使用させていただきますわ。ここにあるものは全て、一番好きなものですもの」

 お父様や、殿下が抱える病は、穏やかに過ごしていれば多少進行を遅らせることはできる。しかし、国の頭としての激務など熟していては、あっという間に儚くなってしまうだろう病だ。

 こうなってしまっては、殿下は王宮を去るしか道はないのだ。それが、私の望むことへの唯一の道でもある。

 お父様の場合は、弟である現陛下がいらした。それに、お母様は、この大陸で最も強大である帝国の皇女だ。お母様の方からお父様に惚れ込んでの縁談であったため、例えお父様が臣下に降ろうとも、お母様が望んで付いてくるのならば、なんら国益は損なわれない。

 そのため、ほとんど何の混乱もなく今の形に収まることができたのだ。

 けれど、今は違う。


 現国王には、子はお一人で、そもそも私と妹は先王の第一王子の子であり、母は帝国の皇女だ。

 もともと、私達が婚約していなければ、殿下と私とを擁立した派閥で国は荒れていただろう。

 こうなってしまった今。国を継ぐのは私か妹だ。

 けれど、妹はこれまで大した教育はされておらず、私は既に公務に関わっている。

 私までもが継承権を拒否することも、単純に国王と王配の立場を入れ替えるようなこともできない。

 そうして私が国を継ぐとなれば、元王太子である殿下は臣下に降り、私の妹と婚姻をして、同じ立場である私のお父様の後を継ぐ。
 
 つまり、これはほんのわずかな火種すら残さず、私と、国とを守るために選ばれた道なのだ。

 なぜ、これほどまでに国を思って動ける方が。なんら瑕疵のないこの方が、病を得なくてはならないのか。

 そんな理由で、王位を追われるなどと、なんと理不尽な世の中だ。

 誰にもぶつけられない怒りが、悲しみが、私の中に渦巻き続ける。

 この怒りは、この悲しみは、これからの国政に活かしてみせる。

 私の誰よりも愛しいこの方が、ほんの僅かにも煩わされることのない安定した国を作ることが、今の私に許されたただ一つの道だ。
    
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