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第四章
10 主の居ない屋敷
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*****
ラウトがザイン大陸へ旅立って十二日目。
その日の夜も、連絡用マジックバッグからアイリ宛に手紙が届いた。
ラウトから送られてくる手紙の殆どは、厚手のカードサイズの紙に木炭で簡単な一言が書かれただけのものだ。
時折、薄手の紙とペンを使って送られてくるときは、どこかの町か村の宿に泊まれたという証拠。
野営をしていると、紙を置く場所は良くて平らな岩の上か、ラウトが使う盾の上くらいしか適当な場所がない。筆記具も、ペンを使うにはインクが必要になるから、旅に持ち運ぶ人間は少ない。故に焚き火で出来た適当な木炭だ。
「ぶじだよ」
基本、ラウトの書く字は綺麗で丁寧だ。しかし不安定な物書き台に先を尖らせただけの脆い木炭では長文の筆記に適さず、どうしても線がガタガタになる。
それでも、その字がラウトのものであると、アイリははっきり感じ取ることができた。
返事は書かない。マジックバッグがあるとはいえ、紙も積もれば束になる。旅をするには不要な荷物だ。
「今日もお元気そうですね」
ギロは、ラウトが必要であると要求した品が暗号のように書かれたメモを手にしている。筆記する文字数を省略するために、旅に出る前に決めた略字が使われているのだ。
「ええ」
アイリは短く返事した。ギロ宛に送られるのは事務的な内容だとは分かっているが、自分宛てのものより内容が長いと、少々嫉妬してしまう。
ギロはアイリの嫉妬に感づいているので、手紙を素早く読み、ラウトの書斎の棚にささっとしまい込むのがいつものことになっていた。
「……んん?」
ギロが珍しく悩むように唸る。
「どうしたの?」
「いえ……ちょっと読みづらい部分が……。ああ、そういうことですか」
ギロは苦笑しながらアイリに手紙を見せた。
そこにはいつもの歪な記号が書かれていたが、最後の行に小さく二重丸となにかの文字を書いて、それらにまとめて横線を引いた跡があった。
二重丸は、料理という意味だ。
横線の入った部分は消しゴムを持たないラウトからの「ここは間違えて書いた」という意味だったが、ギロは敢えて気にした。
アイリが手紙を覗き込むと、ギロは横線が引かれた部分の最後の文字を指し示した。
横線のせいで読みづらい文字をよくよく見ると、それはアイリのイニシャルだった。
「アイリ様の手料理が食べたいようですね」
「でもやっぱり遠慮して消したってところかしら」
ギロはラウトと同じくらい、アイリとの付き合いも長い。
二人はお互いの思考をそれぞれ把握し、顔を見合わせて笑った。
「ハーブクッキーでいいかしら」
アイリは屋敷の女主人の地位に甘んじることなく、時折料理をする。とはいっても、日に三度の食事のメインはギロやサラミヤ達の仕事であるから、食事を作ることは稀だ。アイリが作るものは、お茶菓子になるものが多い。
「それで宜しいかと」
「乾燥させたローズマリーってまだある?」
「ございますよ」
「じゃあ、明日の朝作るわ」
「畏まりました」
翌朝。アイリが厨房に入ると、そこには既にギロ、サラミヤ、セーニョがいた。
「おはよう。皆、早いわね」
「おはようございます、アイリ様」
「ギロ様から聞きましたよ。私達も手伝います」
「ラウト様、便利なバッグをお持ちなのだから、もっと色々要求してくださってもいいのに。抑制的というか禁欲的というか……」
既に粉類は全てふるいにかけられ、バターも室温に戻っている。
あとは乾燥ハーブと共に混ぜて捏ねて伸ばし、整形して焼くだけだ。
「殆ど終わってるじゃない」
いちからやるつもりで腕まくりまでしていたアイリは脱力した。
「誰がやっても同じ工程ですから。残りはアイリ様、お願いします」
粉類の中には、小麦粉の他にラウトの好みにあった量の砂糖と塩が既に入っている。
厳密に計量すれば、誰でも同じ味が出せるのは道理だ。
気分的に納得はいかないが、皆の好意はよくわかっていた。
「ありがとう。じゃあ、あとは私が」
アイリが生地を混ぜ始めると、他の三人は朝食の支度に取り掛かった。
混ざった生地をまとめて作業台に置き、綿棒で伸ばしていたアイリの視界に、ふと、セーニョが石窯オーブンの部屋へ入っていくのが見えて、思わず勢いよく振り返ってしまった。
「っ! セーニョ!?」
「ああ、アイリ様はご存知ありませんでしたか。セーニョは石窯オーブンが平気になったのですよ」
サラミヤが落ちそうになっていた空のボウルをさっと受け止め、作業台の上に戻した。
「そ、そうなの?」
「はい。あの、でも別にセーニョはそういうことは考えてませんよ。私達も本人も気づかないうちに、自然とああなっていたんです」
そういうこととは、ラウトも危惧していた「ここまでしてもらっておいて自分は情けない」という思考だ。
「私たちが気付いたのも、ほんの数日前です。ギロ様と私が手を離せない時に、石窯から焦げ臭い匂いがして。セーニョが様子を見に行ってくれたんです」
石窯に入れた金属皿に、前に作った料理の残り滓が着いていて、それが焦げていたのだそうだ。
「私もギロ様も慌てましたよ。でもセーニョったら『……あれ?』って」
その時のセーニョの真似だろうか。サラミヤはとぼけた顔で首を傾げてみせた。
普段は真面目なサラミヤらしからぬ表情と仕草に、アイリは思わず吹き出し、サラミヤも照れくさそうにえへへと笑った。
「ああ、でもあの壁と扉はそのままのほうがいいですよねって、ギロ様と話しました。あの壁のお陰で、オーブンの熱がこちらにこないので、快適なんです」
「確かに。……セーニョ、良かったわ」
「はい」
話し終えたところで、オーブン部屋に取り付けたカウンターの扉が開き、そこへ焼きたてのパンが並べられた。
「アイリ様、オーブン空きましたよ」
セーニョが額に汗を光らせながら、オーブン部屋から出てきた。その顔には不安も怯えも憂いもなく、ただ「パンおいしそういい匂い早く食べたい」と書いてあるのみだった。
彼女のトラウマを払拭したのは、新しい暮らしの忙しさや別の思い出による上書きではなく、ギロの料理なのかもしれない。
「ありがとう。あとは型抜きだけだから、オーブン使わせてもらうわね。ギロ、いい?」
「はい、どうぞ」
ギロの目の前には、既に人数分のベーコンエッグとスープが出来上がっている。
厨房でクッキーの焼き上がりを待ちながら、皆で朝食となった。
*****
「消しといたのに……消したとこは気にしなくていいって言ったのに……」
野営のため早朝に寝て昼前に起きたラウトは、連絡用マジックバッグからクッキーの入った袋を取り出して中身を確認し、口元をだらしなく緩めていた。
口からこぼれているのは「仕方ないなあ」という調子の言葉ばかりだが、内心は跳ね回りたいほど喜んでいる。
ラウトが使っている連絡用マジックバッグがあれば、家から鍋ごとのシチューを送ってもらうことも可能だ。
だがラウトは、普通の冒険者には実現が厳しいことをしようとは思わなかった。
魔王討伐という役目を終えた後、もしかしたら勇者の力が自分から離れていくかもしれない。
もしこの力の全てを失っても、ラウトは冒険者を続けるつもりであった。
その時に困らないように、過度の贅沢を控えているのだ。
しかしラウトも人間だ。家族のぬくもりを知る人間の一人旅は、どうしても心が弱る。
手紙にアイリのイニシャルを入れてしまったのは、そんな時だった。
慌てて横線を入れたが、ギロが気を回してくれたのだろう。
だから、これは最大の贅沢だ。
早速クッキーを一枚取り出して、さくりと齧る。ふわりとハーブの香りが鼻を突き抜けた。
あっと言う間に一枚を食べきったラウトは、もう一枚食べようとして、自制心をフル稼働させた。
これは一日の終りのご褒美にしよう。
袋を丁寧に閉じ直し、腰につけている小型のマジックバッグに仕舞った。手作りクッキーの賞味期限は三日ほどだが、マジックバッグに入れておけばひと月は持つ。
クッキーは大きな袋いっぱいに詰まっているから、魔王を見つけるまでの間は十分楽しめそうだ。
次に町か村を見つけたら絶対に宿屋に泊まって、アイリにお礼の手紙を書こう。
ラウトは新たなやる気の元を糧に、ザイン大陸踏破の旅を続けた。
ラウトがザイン大陸へ旅立って十二日目。
その日の夜も、連絡用マジックバッグからアイリ宛に手紙が届いた。
ラウトから送られてくる手紙の殆どは、厚手のカードサイズの紙に木炭で簡単な一言が書かれただけのものだ。
時折、薄手の紙とペンを使って送られてくるときは、どこかの町か村の宿に泊まれたという証拠。
野営をしていると、紙を置く場所は良くて平らな岩の上か、ラウトが使う盾の上くらいしか適当な場所がない。筆記具も、ペンを使うにはインクが必要になるから、旅に持ち運ぶ人間は少ない。故に焚き火で出来た適当な木炭だ。
「ぶじだよ」
基本、ラウトの書く字は綺麗で丁寧だ。しかし不安定な物書き台に先を尖らせただけの脆い木炭では長文の筆記に適さず、どうしても線がガタガタになる。
それでも、その字がラウトのものであると、アイリははっきり感じ取ることができた。
返事は書かない。マジックバッグがあるとはいえ、紙も積もれば束になる。旅をするには不要な荷物だ。
「今日もお元気そうですね」
ギロは、ラウトが必要であると要求した品が暗号のように書かれたメモを手にしている。筆記する文字数を省略するために、旅に出る前に決めた略字が使われているのだ。
「ええ」
アイリは短く返事した。ギロ宛に送られるのは事務的な内容だとは分かっているが、自分宛てのものより内容が長いと、少々嫉妬してしまう。
ギロはアイリの嫉妬に感づいているので、手紙を素早く読み、ラウトの書斎の棚にささっとしまい込むのがいつものことになっていた。
「……んん?」
ギロが珍しく悩むように唸る。
「どうしたの?」
「いえ……ちょっと読みづらい部分が……。ああ、そういうことですか」
ギロは苦笑しながらアイリに手紙を見せた。
そこにはいつもの歪な記号が書かれていたが、最後の行に小さく二重丸となにかの文字を書いて、それらにまとめて横線を引いた跡があった。
二重丸は、料理という意味だ。
横線の入った部分は消しゴムを持たないラウトからの「ここは間違えて書いた」という意味だったが、ギロは敢えて気にした。
アイリが手紙を覗き込むと、ギロは横線が引かれた部分の最後の文字を指し示した。
横線のせいで読みづらい文字をよくよく見ると、それはアイリのイニシャルだった。
「アイリ様の手料理が食べたいようですね」
「でもやっぱり遠慮して消したってところかしら」
ギロはラウトと同じくらい、アイリとの付き合いも長い。
二人はお互いの思考をそれぞれ把握し、顔を見合わせて笑った。
「ハーブクッキーでいいかしら」
アイリは屋敷の女主人の地位に甘んじることなく、時折料理をする。とはいっても、日に三度の食事のメインはギロやサラミヤ達の仕事であるから、食事を作ることは稀だ。アイリが作るものは、お茶菓子になるものが多い。
「それで宜しいかと」
「乾燥させたローズマリーってまだある?」
「ございますよ」
「じゃあ、明日の朝作るわ」
「畏まりました」
翌朝。アイリが厨房に入ると、そこには既にギロ、サラミヤ、セーニョがいた。
「おはよう。皆、早いわね」
「おはようございます、アイリ様」
「ギロ様から聞きましたよ。私達も手伝います」
「ラウト様、便利なバッグをお持ちなのだから、もっと色々要求してくださってもいいのに。抑制的というか禁欲的というか……」
既に粉類は全てふるいにかけられ、バターも室温に戻っている。
あとは乾燥ハーブと共に混ぜて捏ねて伸ばし、整形して焼くだけだ。
「殆ど終わってるじゃない」
いちからやるつもりで腕まくりまでしていたアイリは脱力した。
「誰がやっても同じ工程ですから。残りはアイリ様、お願いします」
粉類の中には、小麦粉の他にラウトの好みにあった量の砂糖と塩が既に入っている。
厳密に計量すれば、誰でも同じ味が出せるのは道理だ。
気分的に納得はいかないが、皆の好意はよくわかっていた。
「ありがとう。じゃあ、あとは私が」
アイリが生地を混ぜ始めると、他の三人は朝食の支度に取り掛かった。
混ざった生地をまとめて作業台に置き、綿棒で伸ばしていたアイリの視界に、ふと、セーニョが石窯オーブンの部屋へ入っていくのが見えて、思わず勢いよく振り返ってしまった。
「っ! セーニョ!?」
「ああ、アイリ様はご存知ありませんでしたか。セーニョは石窯オーブンが平気になったのですよ」
サラミヤが落ちそうになっていた空のボウルをさっと受け止め、作業台の上に戻した。
「そ、そうなの?」
「はい。あの、でも別にセーニョはそういうことは考えてませんよ。私達も本人も気づかないうちに、自然とああなっていたんです」
そういうこととは、ラウトも危惧していた「ここまでしてもらっておいて自分は情けない」という思考だ。
「私たちが気付いたのも、ほんの数日前です。ギロ様と私が手を離せない時に、石窯から焦げ臭い匂いがして。セーニョが様子を見に行ってくれたんです」
石窯に入れた金属皿に、前に作った料理の残り滓が着いていて、それが焦げていたのだそうだ。
「私もギロ様も慌てましたよ。でもセーニョったら『……あれ?』って」
その時のセーニョの真似だろうか。サラミヤはとぼけた顔で首を傾げてみせた。
普段は真面目なサラミヤらしからぬ表情と仕草に、アイリは思わず吹き出し、サラミヤも照れくさそうにえへへと笑った。
「ああ、でもあの壁と扉はそのままのほうがいいですよねって、ギロ様と話しました。あの壁のお陰で、オーブンの熱がこちらにこないので、快適なんです」
「確かに。……セーニョ、良かったわ」
「はい」
話し終えたところで、オーブン部屋に取り付けたカウンターの扉が開き、そこへ焼きたてのパンが並べられた。
「アイリ様、オーブン空きましたよ」
セーニョが額に汗を光らせながら、オーブン部屋から出てきた。その顔には不安も怯えも憂いもなく、ただ「パンおいしそういい匂い早く食べたい」と書いてあるのみだった。
彼女のトラウマを払拭したのは、新しい暮らしの忙しさや別の思い出による上書きではなく、ギロの料理なのかもしれない。
「ありがとう。あとは型抜きだけだから、オーブン使わせてもらうわね。ギロ、いい?」
「はい、どうぞ」
ギロの目の前には、既に人数分のベーコンエッグとスープが出来上がっている。
厨房でクッキーの焼き上がりを待ちながら、皆で朝食となった。
*****
「消しといたのに……消したとこは気にしなくていいって言ったのに……」
野営のため早朝に寝て昼前に起きたラウトは、連絡用マジックバッグからクッキーの入った袋を取り出して中身を確認し、口元をだらしなく緩めていた。
口からこぼれているのは「仕方ないなあ」という調子の言葉ばかりだが、内心は跳ね回りたいほど喜んでいる。
ラウトが使っている連絡用マジックバッグがあれば、家から鍋ごとのシチューを送ってもらうことも可能だ。
だがラウトは、普通の冒険者には実現が厳しいことをしようとは思わなかった。
魔王討伐という役目を終えた後、もしかしたら勇者の力が自分から離れていくかもしれない。
もしこの力の全てを失っても、ラウトは冒険者を続けるつもりであった。
その時に困らないように、過度の贅沢を控えているのだ。
しかしラウトも人間だ。家族のぬくもりを知る人間の一人旅は、どうしても心が弱る。
手紙にアイリのイニシャルを入れてしまったのは、そんな時だった。
慌てて横線を入れたが、ギロが気を回してくれたのだろう。
だから、これは最大の贅沢だ。
早速クッキーを一枚取り出して、さくりと齧る。ふわりとハーブの香りが鼻を突き抜けた。
あっと言う間に一枚を食べきったラウトは、もう一枚食べようとして、自制心をフル稼働させた。
これは一日の終りのご褒美にしよう。
袋を丁寧に閉じ直し、腰につけている小型のマジックバッグに仕舞った。手作りクッキーの賞味期限は三日ほどだが、マジックバッグに入れておけばひと月は持つ。
クッキーは大きな袋いっぱいに詰まっているから、魔王を見つけるまでの間は十分楽しめそうだ。
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