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「アンナ・プルナに会ったのですか? 彼女は入学直前に病を患ってしまって、休学しているはずです。本当に本人ですか?」
職員室でそう教えてくれたのは、学年主任のモーネ・ヴェロッテという女性の先生だ。
入学式のスピーチ騒動の時に、会話をしたことがある。
「プラチナブロンドにピンク色の瞳で、小柄な女の子が確かにアンナ・プルナと名乗りました」
「間違いなさそうですね。一体どういう事でしょう……と、あなた達に言っても仕方ありませんね。彼女は何をしたのですか?」
僕が彼女にクッキーを貰ったことと、クッキーに過剰な魔力が込められていたことを掻い摘んで話した。
ヴェロッテ先生は話を聞き終わると、苦渋に満ちた顔で眉間を揉んだ。
「先程も言いましたが、彼女は休学中で、自宅で療養しています。今朝も、まだこちらへ移るだけの体力がついていないと連絡がありました。あなた達から見て、彼女はどういう具合でしたか?」
僕とシャールは顔を見合わせた。
「病気だなんて思いもしなかったです。元気そうでした」
「彼女、寮の僕の部屋にやってきて、僕の侍女に僕のことを聞き出そうとして、『授業は?』と問われたら泣きだしたそうです」
ヴェロッテ先生の眉間のシワが更に深まった。
「食物に過剰な魔力を、しかも悪意あるものを込めるなど、言語道断です。プルナ家に確認を取っておきますね」
記憶を掘り起こす魔術は「悪意あるもの」と認定されるようだ。
ヴェロッテ先生と話をした次の日、教室へ行こうとすると、手前にある2組がなんだか騒がしかった。
2組と言えば……。
「ローツェ君!」
騒ぎの中心にいたプラチナブロンドが、僕の名前を叫んだせいで、その場に居た全員に注目された。
「お、おはよう?」
曖昧に挨拶すると、アンナは僕に駆け寄ってきた。
「クッキー食べてくれた?」
アンナの表情は無垢で無邪気で、それがどこか怖かった。
「ああ、うん、その……」
またしても曖昧に答えると、アンナはぱあっと笑顔を輝かせた。
周囲の男子の視線が超痛い。
「よかった! また作ってくるね!」
アンナは笑顔を振りまくと、2組に入っていった。浮ついた様子の男子がぞろぞろついていき、女子がやや呆れた顔で続いた。
「おはよう、ローツェ。こんなところに突っ立ってどうしたんだ」
後ろから僕の肩を叩いたのはシャールだ。
「アンナ・プルナがいる」
見たことをそのまま伝えるしかなかった。
「は? え、昨日の今日で復学したってのか?」
「僕にもよくわからないよ」
「そうだよな……。で、何かあったのか」
「アンナから話しかけられて『クッキーを食べたか』って聞かれたから、うん」
「なるほど」
濁した返事をしたことを、シャールは正確に読み取ってくれた。
1組の騒ぎは、アンナが教室へ入ったことですっかり落ち着いている。
僕とシャールが教室へ入ると、クラスメイト達に囲まれた。
「さっきの美少女誰!?」
「知り合いなんだろう? 紹介してくれよ」
「クッキーって、手作り?」
矢継ぎ早に質問された。
「知り合いっていうか、向こうが一方的に僕を知ってるみたいで、僕もよくわかってない。クッキーは確かに受け取った」
僕が返答をまとめると、クラスメイトからは悲鳴やため息が上がった。
「ずっと狙ってたのに」
「先を越されたわ……」
「2組の子可愛かったなぁ」
「やっぱり美少年と美少女は運命の赤い糸で」
皆好き勝手言いたい放題だ。
確かにアンナは美少女と呼ばれる部類に入るだろう。
だけど、カンジュから聞いた会話の内容や、例のクッキーの件を知っている僕としては、彼女だけはやめとけと強く思った。あれはきっとヤンデレ彼女になる。
皆との会話を適当にかわしているうちに授業の時間になり、一限目を終えた頃には騒ぎの余韻もすっかり消えていた。
さすが優等生の集う1組。みんな切り替えが早い。
「やあローツェ。先程の子を紹介してくれないか? どうやって知り合ったんだい?」
こいつのことを忘れていた。
奴――そろそろ名前で呼んでやろう――フォート・ベン・ネビス公爵令息が、下心を隠さない下卑た笑みを浮かべながら、僕に擦り寄ってきた。
若干十歳にしてその好色オヤジフェイスができるのもどうなんだ、お前。
「向こうが僕のことを一方的に知っているってだけだ。こちらから話しかけたことはないし、縁もゆかりもない。アタックしたいなら自力でなんとかしろ」
僕がきっぱりはっきり言うと、フォートは目をぱちぱちさせて、それから笑みを深めた。
「そうか、そうなのか。よくわかった。ありがとう親友!」
だから、僕とお前は親友じゃないっての。
そして何がわかったのかは、この後判明した。
「俺はフォート・ベン・ネビス公爵令息だ。俺と付き合ってくれないか?」
フォートのやつは昼休みのラウンジのど真ん中で、クラスメイトと共に「初めての学食」に訪れたアンナの正面に立ち、真紅のバラの花束を差し出しながら言い放った。
「はぁ? お断りです」
アンナの反応が予想より更に冷たいと感じたのは、他の人も同様だったようだ。
アンナの周囲にいた女の子たちも、若干引いている。
「お、俺は公爵令息で……」
「学院内で貴族階級を持ち出されても、意味ないです。邪魔だからどいてくれませんか」
美少女の背後に、猛烈なブリザードの幻影が見える。
「いい……踏まれたい……」
誰かの性癖が歪む声がしたが、どうか僕の関係者じゃありませんように。
それにしても、可愛い顔して……いや、顔どうこうは関係なしに、フォートにあそこまで言えるとは。かなり気が強いか、世間知らずか、シャールみたく実は高位貴族だったりするのか。
「こ、後悔しても遅いんだからな!」
フォートの方はアンナの態度に、目に涙を溜めて青ざめ、捨て台詞を残してラウンジから逃げ去った。
アンナはというと、フォートなんて初めから居なかったかのように、周囲の女子たちに「おすすめは何かな?」などと呑気なことを訊いている。
「強いな、彼女」
「うん」
僕とシャールはいつもの日当たりの良いテーブルで一部始終を見ていた。
アンナは、今は僕に気づいていない。
「昼休み、彼女がここを毎日使うようなら、別の場所を探したほうがいいな」
「いつもの練習室はどうだ」
「いいのかな」
「いいんじゃないか? 駄目って言われたらその時考えよう」
謎の言動をする彼女とは、できれば関わりたくない。
クッキーの件を問い詰めたいという気持ちも失せて、今はただただ、僕にクッキーを渡したことをなにかの間違いであってほしいと願うだけだった。
そんな願いも虚しく、僕はまたアンナと関わることになった。
アンナが病気だというのは本当だった。
普段は健康そうに見えるが、時折血液が逆流するような症状が起き、しょっちゅう気を失ってしまうのだとか。
ようやく貴族学院に、しかも2組に入れることになったというのに、両親からは「学院の寮では心配だから家庭教師を」と言われてしまった。
それでも学院に通いたかった彼女は、時折家を抜け出しては学院に潜り込み、あちこち見て回っていたのだそうだ。
「1組でトップの人ってどんな人かなーって、話を聞いて見に行ったら……もう、びっくりしちゃって」
以上の話をしてくれたのは、昼休憩に練習室を使うことは認められなかったため、中庭のベンチでシャールと昼食をとっていたところへ現れたアンナ本人だ。
今も、僕のすぐ右隣に陣取り、お弁当のサンドイッチを広げて寛いでいる。
シャールやシャールの侍女は彼女にだけ紅茶を振る舞わないが、お構いなしだ。
「何がびっくりしたの?」
「だって……ええと、ほら、かっこいいから」
かっこいいだけで、こんなにグイグイくるものなのだろうか。
「あのクッキーはどういう意図があったの? 実は手を付ける前に鑑定させて貰って、食べてないんだ」
「そ、そんなぁ……ふえぇ……」
ピンク色の瞳から大粒の涙がぽろぽろと溢れる。
被害者はこちらのはずなのに、何故泣くんだ。情緒不安定かな?
「なあ、あんた、えっと……」
シャールが面倒くさそうな声で、名前くらいもう知っているはずなのに興味ない、邪魔だと言わんばかりの素振りで話を振った。
「ぐすっ……アンナ、プルナです」
「プルナ嬢。どういう意図があってあんな魔力をクッキーに込めたのか知らないが、あんたが泣くのは筋違いだろう。謝罪や弁明はないのか?」
アンナは顔を上げ、真っ赤な目でシャールを睨みつけた。
「あなたには関係ない話です!」
「いいや、あるね。ローツェは俺の親友だ。親友が毒を盛られて黙って見てるなんてできない」
「ど、毒って、そんな、私、そんなつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもりだったんだ」
アンナは今度は口をつぐみ、下を向き、しばらくそのまま動かなかった。
もうじき昼休みが終わる。
僕はシャールに目配せして、早めに切り上げようと立ち上がった時だった。
「た……」
か細い声が、僕たちを引き止めた。
「た?」
「食べてくれたら、よかったのに!」
アンナは立ち上がって叫ぶと、テーブルに置いたサンドイッチの残りもそのままに、走って何処かへ行ってしまった。
「支離滅裂、無茶苦茶だな。シルビア、これを片付けて彼女の部屋へ」
「畏まりました」
シャールの侍女のひとりがアンナの食べ残しをささっと片付け、女子寮の方へ向かった。
「クッキーを食べさせて、僕の記憶を掘り起こして、何がしたいんだろ」
アンナが走り去っていった方を何となしに見ながら呟いた。
「向こうが言わない限り、こっちが知る由もないし、どうせ碌なことじゃないだろ。もし面倒ならあいつを退学させようか」
「え、それができるなら」
「奴はだめだ。公爵は難しい」
「そっかぁ……」
アンナを退学させることはしなかったが、アンナは学院内で徐々に孤立していった。
まず、シャールが「毒クッキー事件」の話をそれとなく流したのだ。
食べても記憶が掘り返されるだけで死にはしないのだから「毒」は言い過ぎだと思うのだが、自白剤も毒のようなものだからと説得された。
次に、僕自身が「親しくもないのにまとわりつかれて困っている」と周囲に漏らした。
これは本音だった。僕は学業に専念したいのに、アンナは僕とイチャイチャしたいご様子なのだ。
休み時間は居場所をあちこち転々としても見つかってしまうし、「邪魔だ」と追い返しても挫けず話に割り込んでくる。勉強のことや実のある話なら良かったが、彼女の脳内は端的に言ってお花畑で、よく2組に入れたなというレベルだ。
先に堪忍袋の緒が切れたのは、シャールだった。
「お前、いい加減にしろよ」
シャールが右手を上げると、騎士団のような制服を着た大人の男性が数人、音もなく現れた。
「シャール、誰この人たち」
「俺の護衛。王宮騎士団と同じ権限を持ってる。いいか、今すぐ俺達の視界から消えろ。次に俺たちに理由なく接触を図ろうとしてきたら、こいつらがお前を学院からつまみ出す。そして二度と学院に入れないと思え」
椅子から立ち上がったシャールがいつにない剣幕で静かにアンナを怒鳴りつけると、アンナは唇をぎゅっと噛み、顔を真っ青にして逃げていった。
アンナが遠くへ行ったのを見届けてから、シャールは椅子にドスンと座り直した。
護衛の皆さんはいつの間にか気配すらなくなっている。
「ありがとう、シャール」
僕が見様見真似でシャールの空いたカップに紅茶を注ぎ入れると、シャールは閉じていた目を半分開けて、にっと笑った。
そしてようやく僕たちは平穏を取り戻した。
そんなアンナも、ひとつだけ良いことをもたらしてくれた。
フォートが僕に構わなくなったのだ。
今度は僕を「恋敵」と認定した様子で、僕と無理矢理仲良くしようとする前の関係に戻った。
厭らしい笑みを浮かべて擦り寄ってくるよりだいぶマシだ。
こういった小さな騒動がいくつかありつつも、僕たちは学期末の長期休暇を目前に迎えた。
「ローツェはどうするんだ?」
長期休暇は実家へ帰省する生徒が多い。
「帰らないよ。往復だけで半分以上潰れるし」
長期休暇と言っても十日間だ。僕は比較的遠方からこの学院へ来ているから、移動時間が勿体ない。
「両親は寂しがらないのか?」
「予め了承済みだよ。手紙はこまめに書いてるし」
「そっか。俺は帰省するよ。シルビアを置いていくから、何かあったら彼女に伝えてくれ」
シャールから数歩下がって後ろについているシルビアが、丁寧に頭を下げた。
「何かあったらって……ありそうだもんな」
「俺が想定していた事態とは少し違うが、あるだろうからな」
僕とシャールはお互いに苦笑いを浮かべた。
職員室でそう教えてくれたのは、学年主任のモーネ・ヴェロッテという女性の先生だ。
入学式のスピーチ騒動の時に、会話をしたことがある。
「プラチナブロンドにピンク色の瞳で、小柄な女の子が確かにアンナ・プルナと名乗りました」
「間違いなさそうですね。一体どういう事でしょう……と、あなた達に言っても仕方ありませんね。彼女は何をしたのですか?」
僕が彼女にクッキーを貰ったことと、クッキーに過剰な魔力が込められていたことを掻い摘んで話した。
ヴェロッテ先生は話を聞き終わると、苦渋に満ちた顔で眉間を揉んだ。
「先程も言いましたが、彼女は休学中で、自宅で療養しています。今朝も、まだこちらへ移るだけの体力がついていないと連絡がありました。あなた達から見て、彼女はどういう具合でしたか?」
僕とシャールは顔を見合わせた。
「病気だなんて思いもしなかったです。元気そうでした」
「彼女、寮の僕の部屋にやってきて、僕の侍女に僕のことを聞き出そうとして、『授業は?』と問われたら泣きだしたそうです」
ヴェロッテ先生の眉間のシワが更に深まった。
「食物に過剰な魔力を、しかも悪意あるものを込めるなど、言語道断です。プルナ家に確認を取っておきますね」
記憶を掘り起こす魔術は「悪意あるもの」と認定されるようだ。
ヴェロッテ先生と話をした次の日、教室へ行こうとすると、手前にある2組がなんだか騒がしかった。
2組と言えば……。
「ローツェ君!」
騒ぎの中心にいたプラチナブロンドが、僕の名前を叫んだせいで、その場に居た全員に注目された。
「お、おはよう?」
曖昧に挨拶すると、アンナは僕に駆け寄ってきた。
「クッキー食べてくれた?」
アンナの表情は無垢で無邪気で、それがどこか怖かった。
「ああ、うん、その……」
またしても曖昧に答えると、アンナはぱあっと笑顔を輝かせた。
周囲の男子の視線が超痛い。
「よかった! また作ってくるね!」
アンナは笑顔を振りまくと、2組に入っていった。浮ついた様子の男子がぞろぞろついていき、女子がやや呆れた顔で続いた。
「おはよう、ローツェ。こんなところに突っ立ってどうしたんだ」
後ろから僕の肩を叩いたのはシャールだ。
「アンナ・プルナがいる」
見たことをそのまま伝えるしかなかった。
「は? え、昨日の今日で復学したってのか?」
「僕にもよくわからないよ」
「そうだよな……。で、何かあったのか」
「アンナから話しかけられて『クッキーを食べたか』って聞かれたから、うん」
「なるほど」
濁した返事をしたことを、シャールは正確に読み取ってくれた。
1組の騒ぎは、アンナが教室へ入ったことですっかり落ち着いている。
僕とシャールが教室へ入ると、クラスメイト達に囲まれた。
「さっきの美少女誰!?」
「知り合いなんだろう? 紹介してくれよ」
「クッキーって、手作り?」
矢継ぎ早に質問された。
「知り合いっていうか、向こうが一方的に僕を知ってるみたいで、僕もよくわかってない。クッキーは確かに受け取った」
僕が返答をまとめると、クラスメイトからは悲鳴やため息が上がった。
「ずっと狙ってたのに」
「先を越されたわ……」
「2組の子可愛かったなぁ」
「やっぱり美少年と美少女は運命の赤い糸で」
皆好き勝手言いたい放題だ。
確かにアンナは美少女と呼ばれる部類に入るだろう。
だけど、カンジュから聞いた会話の内容や、例のクッキーの件を知っている僕としては、彼女だけはやめとけと強く思った。あれはきっとヤンデレ彼女になる。
皆との会話を適当にかわしているうちに授業の時間になり、一限目を終えた頃には騒ぎの余韻もすっかり消えていた。
さすが優等生の集う1組。みんな切り替えが早い。
「やあローツェ。先程の子を紹介してくれないか? どうやって知り合ったんだい?」
こいつのことを忘れていた。
奴――そろそろ名前で呼んでやろう――フォート・ベン・ネビス公爵令息が、下心を隠さない下卑た笑みを浮かべながら、僕に擦り寄ってきた。
若干十歳にしてその好色オヤジフェイスができるのもどうなんだ、お前。
「向こうが僕のことを一方的に知っているってだけだ。こちらから話しかけたことはないし、縁もゆかりもない。アタックしたいなら自力でなんとかしろ」
僕がきっぱりはっきり言うと、フォートは目をぱちぱちさせて、それから笑みを深めた。
「そうか、そうなのか。よくわかった。ありがとう親友!」
だから、僕とお前は親友じゃないっての。
そして何がわかったのかは、この後判明した。
「俺はフォート・ベン・ネビス公爵令息だ。俺と付き合ってくれないか?」
フォートのやつは昼休みのラウンジのど真ん中で、クラスメイトと共に「初めての学食」に訪れたアンナの正面に立ち、真紅のバラの花束を差し出しながら言い放った。
「はぁ? お断りです」
アンナの反応が予想より更に冷たいと感じたのは、他の人も同様だったようだ。
アンナの周囲にいた女の子たちも、若干引いている。
「お、俺は公爵令息で……」
「学院内で貴族階級を持ち出されても、意味ないです。邪魔だからどいてくれませんか」
美少女の背後に、猛烈なブリザードの幻影が見える。
「いい……踏まれたい……」
誰かの性癖が歪む声がしたが、どうか僕の関係者じゃありませんように。
それにしても、可愛い顔して……いや、顔どうこうは関係なしに、フォートにあそこまで言えるとは。かなり気が強いか、世間知らずか、シャールみたく実は高位貴族だったりするのか。
「こ、後悔しても遅いんだからな!」
フォートの方はアンナの態度に、目に涙を溜めて青ざめ、捨て台詞を残してラウンジから逃げ去った。
アンナはというと、フォートなんて初めから居なかったかのように、周囲の女子たちに「おすすめは何かな?」などと呑気なことを訊いている。
「強いな、彼女」
「うん」
僕とシャールはいつもの日当たりの良いテーブルで一部始終を見ていた。
アンナは、今は僕に気づいていない。
「昼休み、彼女がここを毎日使うようなら、別の場所を探したほうがいいな」
「いつもの練習室はどうだ」
「いいのかな」
「いいんじゃないか? 駄目って言われたらその時考えよう」
謎の言動をする彼女とは、できれば関わりたくない。
クッキーの件を問い詰めたいという気持ちも失せて、今はただただ、僕にクッキーを渡したことをなにかの間違いであってほしいと願うだけだった。
そんな願いも虚しく、僕はまたアンナと関わることになった。
アンナが病気だというのは本当だった。
普段は健康そうに見えるが、時折血液が逆流するような症状が起き、しょっちゅう気を失ってしまうのだとか。
ようやく貴族学院に、しかも2組に入れることになったというのに、両親からは「学院の寮では心配だから家庭教師を」と言われてしまった。
それでも学院に通いたかった彼女は、時折家を抜け出しては学院に潜り込み、あちこち見て回っていたのだそうだ。
「1組でトップの人ってどんな人かなーって、話を聞いて見に行ったら……もう、びっくりしちゃって」
以上の話をしてくれたのは、昼休憩に練習室を使うことは認められなかったため、中庭のベンチでシャールと昼食をとっていたところへ現れたアンナ本人だ。
今も、僕のすぐ右隣に陣取り、お弁当のサンドイッチを広げて寛いでいる。
シャールやシャールの侍女は彼女にだけ紅茶を振る舞わないが、お構いなしだ。
「何がびっくりしたの?」
「だって……ええと、ほら、かっこいいから」
かっこいいだけで、こんなにグイグイくるものなのだろうか。
「あのクッキーはどういう意図があったの? 実は手を付ける前に鑑定させて貰って、食べてないんだ」
「そ、そんなぁ……ふえぇ……」
ピンク色の瞳から大粒の涙がぽろぽろと溢れる。
被害者はこちらのはずなのに、何故泣くんだ。情緒不安定かな?
「なあ、あんた、えっと……」
シャールが面倒くさそうな声で、名前くらいもう知っているはずなのに興味ない、邪魔だと言わんばかりの素振りで話を振った。
「ぐすっ……アンナ、プルナです」
「プルナ嬢。どういう意図があってあんな魔力をクッキーに込めたのか知らないが、あんたが泣くのは筋違いだろう。謝罪や弁明はないのか?」
アンナは顔を上げ、真っ赤な目でシャールを睨みつけた。
「あなたには関係ない話です!」
「いいや、あるね。ローツェは俺の親友だ。親友が毒を盛られて黙って見てるなんてできない」
「ど、毒って、そんな、私、そんなつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもりだったんだ」
アンナは今度は口をつぐみ、下を向き、しばらくそのまま動かなかった。
もうじき昼休みが終わる。
僕はシャールに目配せして、早めに切り上げようと立ち上がった時だった。
「た……」
か細い声が、僕たちを引き止めた。
「た?」
「食べてくれたら、よかったのに!」
アンナは立ち上がって叫ぶと、テーブルに置いたサンドイッチの残りもそのままに、走って何処かへ行ってしまった。
「支離滅裂、無茶苦茶だな。シルビア、これを片付けて彼女の部屋へ」
「畏まりました」
シャールの侍女のひとりがアンナの食べ残しをささっと片付け、女子寮の方へ向かった。
「クッキーを食べさせて、僕の記憶を掘り起こして、何がしたいんだろ」
アンナが走り去っていった方を何となしに見ながら呟いた。
「向こうが言わない限り、こっちが知る由もないし、どうせ碌なことじゃないだろ。もし面倒ならあいつを退学させようか」
「え、それができるなら」
「奴はだめだ。公爵は難しい」
「そっかぁ……」
アンナを退学させることはしなかったが、アンナは学院内で徐々に孤立していった。
まず、シャールが「毒クッキー事件」の話をそれとなく流したのだ。
食べても記憶が掘り返されるだけで死にはしないのだから「毒」は言い過ぎだと思うのだが、自白剤も毒のようなものだからと説得された。
次に、僕自身が「親しくもないのにまとわりつかれて困っている」と周囲に漏らした。
これは本音だった。僕は学業に専念したいのに、アンナは僕とイチャイチャしたいご様子なのだ。
休み時間は居場所をあちこち転々としても見つかってしまうし、「邪魔だ」と追い返しても挫けず話に割り込んでくる。勉強のことや実のある話なら良かったが、彼女の脳内は端的に言ってお花畑で、よく2組に入れたなというレベルだ。
先に堪忍袋の緒が切れたのは、シャールだった。
「お前、いい加減にしろよ」
シャールが右手を上げると、騎士団のような制服を着た大人の男性が数人、音もなく現れた。
「シャール、誰この人たち」
「俺の護衛。王宮騎士団と同じ権限を持ってる。いいか、今すぐ俺達の視界から消えろ。次に俺たちに理由なく接触を図ろうとしてきたら、こいつらがお前を学院からつまみ出す。そして二度と学院に入れないと思え」
椅子から立ち上がったシャールがいつにない剣幕で静かにアンナを怒鳴りつけると、アンナは唇をぎゅっと噛み、顔を真っ青にして逃げていった。
アンナが遠くへ行ったのを見届けてから、シャールは椅子にドスンと座り直した。
護衛の皆さんはいつの間にか気配すらなくなっている。
「ありがとう、シャール」
僕が見様見真似でシャールの空いたカップに紅茶を注ぎ入れると、シャールは閉じていた目を半分開けて、にっと笑った。
そしてようやく僕たちは平穏を取り戻した。
そんなアンナも、ひとつだけ良いことをもたらしてくれた。
フォートが僕に構わなくなったのだ。
今度は僕を「恋敵」と認定した様子で、僕と無理矢理仲良くしようとする前の関係に戻った。
厭らしい笑みを浮かべて擦り寄ってくるよりだいぶマシだ。
こういった小さな騒動がいくつかありつつも、僕たちは学期末の長期休暇を目前に迎えた。
「ローツェはどうするんだ?」
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「帰らないよ。往復だけで半分以上潰れるし」
長期休暇と言っても十日間だ。僕は比較的遠方からこの学院へ来ているから、移動時間が勿体ない。
「両親は寂しがらないのか?」
「予め了承済みだよ。手紙はこまめに書いてるし」
「そっか。俺は帰省するよ。シルビアを置いていくから、何かあったら彼女に伝えてくれ」
シャールから数歩下がって後ろについているシルビアが、丁寧に頭を下げた。
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例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
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※小説家になろう様にも掲載しています。
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没落した貴族家に拾われたので恩返しで復興させます
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生まれて間も無く、山の中に捨てられていた赤子レオン・ハートフィリア。
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優しい両親に育てられ、可愛い弟と共にすくすくと成長したレオンは不思議な夢を見るようになる。
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※2025/12/31に書籍五巻以降の話を非公開に変更する予定です。
詳細は近況ボードをご覧ください。
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