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転がり落ちるように、最悪。
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しおりを挟む足を踏み入れた途端、人々の騒めきが全身に襲いかかってくる。話し声、靴音、ドレスの衣擦れ、グラスがぶつかる音、背景音楽。どんな小さな音も耳元で鳴っているように大きく聞こえて思わず顔をしかめる。
レティシアは今にも倒れそうなほどフラついていたが、男は彼女の様子など気にも留めず、ずんずんと歩を進めた。
目の中に流れ込んできたのは真昼のようなビカビカした光。そしてたくさんの色、色、色。ダンスホールはおかしくなってしまいそうなほど眩しくて、きらびやかで、逃げ出したかったけれど、レティシアの腕を掴む手が緩むことはない。
動悸。眩暈。身体が震える。息ができない。気持ちが悪い。怖い。
意識が朦朧とする中、男はようやくレティシアの腕を離した。解放されたことに安堵する間もなく、ドン、と背中を押される。
言うことをきかない身体は、レティシアの意思に反して人集りの中へ飛び込んでいく。このままでは床に頭を打ちつけてしまう。分かってはいるが力が入らない。
ああ、もうダメ。倒れてしまう。
レティシアはギュッと目を瞑った。
「お気を確かに」
予想していた痛みと衝撃は訪れず、その代わり身体を包み込む誰かの体温。どうやらレティシアは、人々の中心にいたその人に抱きとめられたようだった。
「ご気分が優れないようですね。お連れ様はどちらに……?」
ゆったりとしたテノールの声。父親のそれよりも少し色の濃いグレーの瞳。俯いた頬に白金の髪がサラリとかかる。
レティシアの視界は相変わらずチカチカと点滅していたが、今自分が誰に抱きしめられているのかということだけはハッキリと分かった。
この人こそが今宵の主役、エデンガード王国第三王子、ノア・エデンガードその人である。
そして彼の隣には当然、今宵のもう1人の主役。婚約者のヘレナ・ランキッド嬢が、呆然とした様子で立ち尽くしていた。
「あ……」
レティシアはハッとした。自分の婚約者が、目の前で別の女を抱きしめているなんて、決して愉快な光景ではないだろう。けれど、身体に力が入らない。立ち上がろうとしても膝が折れてしまって、余計にもたれかかってしまう。
せめて言わなければ。この無礼をお詫びしなくては。
「……レティシア様、ですわよね」
先に口を開いたのはヘレナだった。彼女は氷のような冷たい視線でレティシアを見やると、淡々と言葉を続けた。
「いつまでそうしているおつもりなのかしら。ノア様がわたくしの婚約者だということ、知らないはずがありませんわよね?」
口調は淡々としていたが、それが逆に言葉の裏に押し込められた激情を物語っていた。青い炎のように、静かに、彼女が怒っているのは明白だった。
レティシアは頭の中で必死に弁明した。もちろん、あなたの婚約者様だということは存じております。でも今は身体に力が入らなくて動けないのです。お許しください。
もちろん頭で考えているだけでは伝わらないから意味がない。沈黙しているレティシアに対してヘレナはさらに目つきを鋭くさせる。
伝えたい言葉はもうある。あとは声にするだけ。もちろん、あなたの婚約者様だということは存じております。もちろん、あなたの婚約者様だということは存じております。大丈夫、おかしくない、言える。
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