崖っぷち貴族の私が「悪魔令嬢」の侍女になりました!

もりの

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誰が扉を叩いたか

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 「レティシア様! 上手くいきましたね、完璧でしたよ!」

 興奮気味な侍女の声にハッとすると、気づけばまたあの小さな応接室へと戻ってきていた。リリアーナはもう元のドレスに着替え終わって、脱いだ服をドレスの内側に仕込んだ袋に仕舞い込んでいる。

 それを認めてようやく、レティシアにも実感が湧いてくる。そうだ。終わったのだ。乗り越えたのだ。高く険しい頂を。

 レティシアはコルセットの間から手帳を取り出すと、サラサラとペンを滑らせた。

 “ありがとう。リリアーナのおかげよ”

 「私の力なんて微々たるものです。レティシア様が頑張られたんですよ」

 そう言って笑いかけてくるリリアーナはいつも通りで、少しホッとする。一番の問題だったダンスをこなしたのだから、あとは舞踏会が終わるまでこの辺りでやり過ごすだけ。

 そう思ったらどっと疲れが襲ってきて、レティシアは肘掛けにもたれかかった。

 「レティシア様!」

 “大丈夫、少し疲れただけ”

 それを読んでリリアーナは、ホ、と息を吐く。

 「今、なにか冷たいお飲み物などお持ちいたします。レティシア様はここでしばらくお休みください」

 レティシアがお礼の言葉を書き出す前に、侍女はペコリと一礼し、踵を返して部屋を出て行った。

 慌ただしく遠ざかっていく足音を聞きながら、レティシアはゆっくりと息を吐く。彼女は疲れていたが、その表情は穏やかだった。ホッとしたのもあるが、それ以上にリリアーナが、大慌てで駆け出していったのがおかしかったのだ。それが全てレティシアのためだということが、より彼女の機嫌を良くさせていた。

 さっきまで堂々とワルツを踊っていたのに。わたくしを励ます余裕まであったのに。それが今、あんなに足音を立てて走り回って、本当におかしい人。

 そんな事を思いながら、レティシアは肘掛けにもたれたまま目を閉じた。

 ────しかし、彼女に休息の時間が与えられることはなかった。

 小さな応接室に響き渡る、唐突なノックの音。そして聞き慣れない男の声。

 「レティシア様、いらっしゃいますよね」

 飛び起きたレティシアは、肘掛けの隅に身を寄せてできる限り小さくなった。知らない男が、再び扉の向こうから「レティシア様」と呼びかけてくる。ガタガタと震え出した身体を抱きしめながら、レティシアは必死に頭を働かせた。

 知らない人。どうして。どうしましょう。

 部屋にあるのは肘掛けにローテーブルに、燭台と花瓶が置かれたサイドテーブルだけ。こんな必要最低限の物しか置かれていない小さな応接室では、隠れる場所もない。リリアーナはさっき出て行ったばかり。戻って来るにはまだ時間がかかる。

 「失礼しますよ、レティシア様」

 無情にも開かれる扉。もう、自分でどうにかするしかない。レティシアは恐怖に震えながらギュッと目を瞑った。

 「レティシア様、探しましたよ」

 ズカズカと部屋へ入ってきた男は、困ったように首を傾げる。レティシアが薄目で男の顔をチラリと伺うと、彼はギョッとしたような顔になってわずかに後ずさった。レティシアの薄目の顔が人を殺さんばかりの表情だったためだが、彼女は当然そんなことを知る由はない。

 レティシアはあまりの恐怖に眩暈を覚えていた。顔を見たが、やはり知らない男だ。どこにでもいそうな、茶色の髪に茶色の瞳。痩せ型でどこか不健康そうな顔。知らない。こんな男は知らない。

 「ノア王子がお待ちです。さあ、こちらへ」

 そう言って伸ばされた手は、レティシアの腕を掴んだ。恐怖と嫌悪で全身が総毛立つ。振り払おうとして反射的に身体が動くが、男の手はレティシアの細腕を掴んで離さない。痩せているとはいえやはり男。力の差は歴然だった。

 ノア王子が、呼んでいる? どうして、わたくしを? 知らない男の人。怖い。リリアーナに会いたい。どうして、こんな乱暴をするの。やめて。離して。怖い、怖い、怖い……!

 錯乱する思考の中で一際大きく膨れ上がった恐怖は、痺れ毒のようにレティシアの全身へ回って、彼女はまともに息をすることすらできなくなっていた。

 男はレティシアがずっと黙っていることに苛立った様子で彼女の腕を引っ張った。強引に立ち上がらせ、引きずるようにして彼女を扉の前へと誘導する。

 「参りましょう。皆様がお待ちですよ」

 そう言うと、男は、応接室のドアノブをギイ、と回した。
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