29 / 51
誰が扉を叩いたか
1
しおりを挟む「レティシア様! 上手くいきましたね、完璧でしたよ!」
興奮気味な侍女の声にハッとすると、気づけばまたあの小さな応接室へと戻ってきていた。リリアーナはもう元のドレスに着替え終わって、脱いだ服をドレスの内側に仕込んだ袋に仕舞い込んでいる。
それを認めてようやく、レティシアにも実感が湧いてくる。そうだ。終わったのだ。乗り越えたのだ。高く険しい頂を。
レティシアはコルセットの間から手帳を取り出すと、サラサラとペンを滑らせた。
“ありがとう。リリアーナのおかげよ”
「私の力なんて微々たるものです。レティシア様が頑張られたんですよ」
そう言って笑いかけてくるリリアーナはいつも通りで、少しホッとする。一番の問題だったダンスをこなしたのだから、あとは舞踏会が終わるまでこの辺りでやり過ごすだけ。
そう思ったらどっと疲れが襲ってきて、レティシアは肘掛けにもたれかかった。
「レティシア様!」
“大丈夫、少し疲れただけ”
それを読んでリリアーナは、ホ、と息を吐く。
「今、なにか冷たいお飲み物などお持ちいたします。レティシア様はここでしばらくお休みください」
レティシアがお礼の言葉を書き出す前に、侍女はペコリと一礼し、踵を返して部屋を出て行った。
慌ただしく遠ざかっていく足音を聞きながら、レティシアはゆっくりと息を吐く。彼女は疲れていたが、その表情は穏やかだった。ホッとしたのもあるが、それ以上にリリアーナが、大慌てで駆け出していったのがおかしかったのだ。それが全てレティシアのためだということが、より彼女の機嫌を良くさせていた。
さっきまで堂々とワルツを踊っていたのに。わたくしを励ます余裕まであったのに。それが今、あんなに足音を立てて走り回って、本当におかしい人。
そんな事を思いながら、レティシアは肘掛けにもたれたまま目を閉じた。
────しかし、彼女に休息の時間が与えられることはなかった。
小さな応接室に響き渡る、唐突なノックの音。そして聞き慣れない男の声。
「レティシア様、いらっしゃいますよね」
飛び起きたレティシアは、肘掛けの隅に身を寄せてできる限り小さくなった。知らない男が、再び扉の向こうから「レティシア様」と呼びかけてくる。ガタガタと震え出した身体を抱きしめながら、レティシアは必死に頭を働かせた。
知らない人。どうして。どうしましょう。
部屋にあるのは肘掛けにローテーブルに、燭台と花瓶が置かれたサイドテーブルだけ。こんな必要最低限の物しか置かれていない小さな応接室では、隠れる場所もない。リリアーナはさっき出て行ったばかり。戻って来るにはまだ時間がかかる。
「失礼しますよ、レティシア様」
無情にも開かれる扉。もう、自分でどうにかするしかない。レティシアは恐怖に震えながらギュッと目を瞑った。
「レティシア様、探しましたよ」
ズカズカと部屋へ入ってきた男は、困ったように首を傾げる。レティシアが薄目で男の顔をチラリと伺うと、彼はギョッとしたような顔になってわずかに後ずさった。レティシアの薄目の顔が人を殺さんばかりの表情だったためだが、彼女は当然そんなことを知る由はない。
レティシアはあまりの恐怖に眩暈を覚えていた。顔を見たが、やはり知らない男だ。どこにでもいそうな、茶色の髪に茶色の瞳。痩せ型でどこか不健康そうな顔。知らない。こんな男は知らない。
「ノア王子がお待ちです。さあ、こちらへ」
そう言って伸ばされた手は、レティシアの腕を掴んだ。恐怖と嫌悪で全身が総毛立つ。振り払おうとして反射的に身体が動くが、男の手はレティシアの細腕を掴んで離さない。痩せているとはいえやはり男。力の差は歴然だった。
ノア王子が、呼んでいる? どうして、わたくしを? 知らない男の人。怖い。リリアーナに会いたい。どうして、こんな乱暴をするの。やめて。離して。怖い、怖い、怖い……!
錯乱する思考の中で一際大きく膨れ上がった恐怖は、痺れ毒のようにレティシアの全身へ回って、彼女はまともに息をすることすらできなくなっていた。
男はレティシアがずっと黙っていることに苛立った様子で彼女の腕を引っ張った。強引に立ち上がらせ、引きずるようにして彼女を扉の前へと誘導する。
「参りましょう。皆様がお待ちですよ」
そう言うと、男は、応接室のドアノブをギイ、と回した。
0
あなたにおすすめの小説
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
悪役令嬢の慟哭
浜柔
ファンタジー
前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。
だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。
※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。
「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
悪役令嬢、休職致します
碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。
しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。
作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。
作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。
悪役令嬢の独壇場
あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。
彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。
自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。
正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。
ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。
そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。
あら?これは、何かがおかしいですね。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。
パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、
クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。
「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。
完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、
“何も持たずに”去ったその先にあったものとは。
これは誰かのために生きることをやめ、
「私自身の幸せ」を選びなおした、
ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる