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喧騒の中のオレンジ
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しおりを挟む「キャロル様は護衛を連れておひとりでステージへ向かわれました」
「……あら、そうなの」
アリシア夫人はふんわりとした相槌だけしてさりげなく目線を逸らした。引っ込みがつかなくなってしまったのか、レティシアは仁王立ちのままひと言も発さず固まっている。アリシア夫人がそれ以上深く聞いてくることはなかった。
「……お前たちはどうするんだ? ここから見るのかい?」
モンフォルル公爵のおかけで話題が逸れて、アリシア夫人はホッとしたようだった。蝶の舞にだけ使われる特別な弦楽器と縦笛が、どこか懐かしいような演舞曲を奏でている。リリアーナは窓を覗きこんだ。ここはステージからは少し離れてはいるが、だからこそ踊り手たちは本物の蝶のように見えた。
「そうですね。レティシア様がよろしければ、私はどちらでも……」
どちらでも構いません、と言おうとしてリリアーナは異変に気づいた。歓声以外になにか騒いでいるような声が聞こえる。目を凝らしてよく見ると、その騒ぎの中心にいる人物を彼女は知っていた。
「……キャロル様?!」
キャロラインが人を押しのけてめちゃくちゃに走り回っている。その光景は彼女と初めて出会った時のことを思い起こさせた。キャロラインの周りには見知った護衛がチラホラ見えたが、この人ごみだ、皆今にもはぐれてしまいそうになっている。
窓を開けるとキャロラインの悲鳴のような声が耳に飛び込んできた。
「いや!! 来ないで!!」
キャロラインは後ろを気にしながらステージとは真逆の方へと向かっていた。誰に対して叫んでいるのかは分からないが、キャロラインが誰かに追われていることは間違いなかった。
そんな状況で護衛たちとはぐれてしまったら、キャロラインの身が危ない。
リリアーナは咄嗟にレティシアの顔色を伺った。レティシアも同じことを考えていたのだろう。彼女もまた不安そうな目でリリアーナを見返してきた。
リリアーナにとって「行動する意味」はそれだけでよかった。レティシアの不安は侍女である自分が解決してみせる。
「私、キャロル様を追いかけてきます。すぐにこちらへお連れしますので、レティシア様はご両親とお待ちください」
リリアーナはそう言って部屋を飛び出して行った。
* * *
どうして、どうして追ってくるの。
キャロラインは走りながらギリ、と唇を噛んだ。
息が苦しい。水を浴びたように身体中か汗が流れ落ちる。膝がガクガクとわなないて、地面を蹴る力がどんどん抜けていくのが分かる。
キャロラインはお淑やかなご令嬢たちと比べて活発な方だが、所詮侯爵令嬢だ。体力に自信がある方ではない。けれど、彼女は走らなければいけなかった。
後ろから自分を呼ぶ彼女の声が追ってくるから。
キャロラインにとって忘れたい記憶。それがすぐそこまで迫ってきている。こんな風に追い回されたらいやでも思い出す。彼女はキャロラインの侍女「だった」。
そんなに恨んでいたのだろうか。
キャロラインは彼女のことを思い出していた。少し気が弱くて、でも、頑張り屋で、つい守ってあげたくなるような子だった。本当は彼女と信頼し合える関係になりたかった。そう、レティシアとリリアーナのように。
それなのにどこで間違えたのだろうか。まるでみたいに盗人みたいに追いかけられて。なんて惨めなんだろう。
「キャロル様!!」
俯いていたキャロラインはすぐ側で聞こえた声にハッと顔を上げた。
嘘! さっきまでずっと後ろにいたはずなのに!
振り向く間もなく腕を掴まれ、振り払おうとするが、この炎天下で走り回っていた彼女にはもう抵抗する力もなく、そのまま路地裏へと引っ張られる。
「やっ……!!」
庇うように顔を覆った片腕も剥がされ、きっとこれから酷い目に遭うのだ、とキャロラインは思った。
「キャロル様、私です」
恐る恐る目を向けると、目の前には心配そうなリリアーナの顔があった。ホッとしたキャロラインは膝から崩れ落ちた。もうとっくの昔に限界だったのだ。
胸が痛むほどの荒い呼吸を繰り返しながら、キャロラインは溢れ出す安堵と喜びを噛み締めた。リリーが来てくれた。レティシアを置いて。自分を心配して、来てくれた。
「誰に追われてるんですか?」
「わ……わたくしのっ……」
息も絶え絶えになりながら訴えようとリリアーナに縋る。しかしなにかを伝える前に、キャロラインの言葉は遮られてしまった。
「キャロライン様っ……!」
キャロラインを追ってきた、彼女によって。
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