浄霊屋

猫じゃらし

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散歩3

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 翌日、健と大智は約束の時間に再び病室を訪れた。
 由美が会釈をして出迎える。大智が翔太に手を振ると、翔太はニカッと笑って手を振り返した。秀太は由美に抱かれ、眠たそうな顔をこちらに向けた。

「では、行きましょうか」

 由美に促され、来た道を取って返して病院を出る。
 自宅へは車で送ってくれるらしく、大の男2人が乗り込んでも余裕のあるファミリーカーへと案内された。

「甘えてしまってすみません。言ってくれれば、こちらで車の用意もできたのに」

「お願いしてるのはこちらですから、気にしないで下さい」

 由美との会話はそれで終わり、大智は翔太と他愛のないおしゃべりを始めた。
 何年生? 2年生だよ。
 スポーツやってる? 野球やってるよ。 俺も小学生の頃やってた!
 秀太君は幼稚園児かな? 秀は、年少さんだよ。あれ、秀、寝ちゃった。
 本当だ、静かにしなきゃね。

 車に揺られて30分ほどだった頃、とあるマンションの駐車場に入り、車は止まった。
「ついたよ!」と翔太が忙しなくシートベルトをかちゃかちゃ外していると秀太も目を覚まし、不機嫌にぐずりだして由美に手を伸ばした。

「部屋は2階です」

 手慣れた様子でチャイルドシートから秀太を抱き上げた由美は、先導してエレベーターに乗り、健と大智もそれに続く。大智とずいぶんと打ち解けた翔太は、自宅に友達を呼ぶ前のように、うきうきと楽しげである。
 エレベーターを降り、扉をいくつか通り過ぎて由美は立ち止まる。

「こちらです」

 鍵を回し、ガチャリと扉を開けるとほのかに芳香剤の香りが漂った。
 翔太が靴も揃えずバタバタと部屋に入り、秀太もそれについていく。由美はため息をつきながら靴を揃え、「どうぞ」と手で合図した。

「おじゃまします」

 大智が玄関に入り、健が足を踏み入れようとした瞬間。

頰にピリつく空気を感じた。

冷たくピリピリと刺激してくる空気はだんだんと重くなり、それが敵意だと認識するまでに時間はかからなかった。

「大智、外へ出ろ!」

 刹那の出来事で、玄関から引っ張り出した大智の足元にはガラス片がいくつも散らばった。
 棚に飾ってあったボトルシップが、大智を、あるいは健をめがけて飛んできたのだ。
 無残にも割れてしまったボトルシップを、由美は目を見開いて見ていた。

「なんの音? あー! ボトルシップがー!」

 物音で玄関へ戻ってきた翔太が大きな声を出すと、膨れ上がっていた敵意がしゅるしゅると萎むように小さくなった。そのまま部屋の中へ、逃げ込むように消えていった。

「大智、大丈夫か?」

「う、うん。今の何? どういうこと?」

 由美がハッとして、翔太に近づかないようにと制止しながら声を荒げる。
 翔太は「パパのボトルシップが! 大事なやつなのに!」と騒いでいる。

「だ、大丈夫ですか? お怪我はありませんか!?」

「大丈夫です。由美さんも、大丈夫ですか?」

「私は全然……。すぐに片付けますので、離れていて下さいね」

 由美が震える手でガラス片を片付け終わると、健は大智を後ろへ下がらせ、先導して玄関の気配を伺った。
 先程までの冷たく重たい空気は一切感じられず、芳香剤と、小さな子供のいる家庭の暖かな匂いがする。

「……どう?」

 大智が背後から健を伺う。

「……何もいない」

 消えていった部屋の方の気配を探るが、特に気になるものは感じられない。
 あの気配の正体が順一だというなら、あるいは順一でなくとも。早急にどうにかすべきだ。

「こういったことは、今までにありましたか?」

 健が由美に問うと、青ざめた顔で首を横に振った。

「部屋の中を見ても?」

「は、はい……。あの、でも、危険があるのなら無理だけは……」

「わかっています。そこは分をわきまえているつもりです」

 健は部屋へ上がり、翔太と秀太を由美に預け、玄関で待ってもらうことにする。大智もそこで待機だ。

「何かあれば、由美さん達を連れてすぐ外へ出ろ」

「お、おう。気をつけろよ」

 大智の忠告を背に受け、健は気配の消えていった部屋、リビングへと踏み込む。念のため、扉は閉めず開けておく。
 リビングをぐるっと見回し、カウンターごしにキッチンも見てみるが、何もいない。
 リビングから続く畳の部屋は子供部屋のようで、勉強机や棚があり、おもちゃが転がっていた。そして、一角にくたびれた丸い座布団のような物、その横に小さなテーブルに水と干し肉のようなものが入った器。飾られた写真には白い犬が写っていた。

「…………」

 畳の部屋にも何も感じることはなく、健はリビングを出た。由美達が不安そうな面持ちで健を見る。

「何もありませんでした。他に部屋は?」

「あ、こちらに……」

 玄関からリビングへと続く廊下の途中に3つの扉があり、その1つを由美が指差す。
 扉をガチャリと開け、中を覗くと寝室に使われている部屋だった。
 並んだ布団は、起きてから整えられたものと、ぐちゃぐちゃのままのものがある。恐らく翔太だろう。
 特に何もないか、と健が扉を閉めようとすると、視界の端にちらりと何かが横切った。
 健はすぐに目で追ったが、確認することはできなかった。

「あの、何か……?」

 扉を閉めかけた健が、勢いよく扉を開いたので由美が驚いていた。

「いえ……気のせいだったようです」

 何かがいたと言えばいた、だが、いなかったと言えばいなかった。そのくらい、微妙な動きだった。
 はっきりせず、もやもやと心に残る。あれほどの気配が、どこにいったというんだ?

「そんな怖い顔しないで」

 大智が健にそっと声をかける。
 健は眉間に皺を寄せ、無意識に寝室を睨んでいた。
 ふぅ、と健は小さく息を吐いた。

「何もいません。先程感じた気配も、家の中にはありません」

「そんな、一体どういうことなんです?」

「わかりません。ですが、今、この家にいないことは確かです」

 憶測でしかないが、1つ言えるとしたら。

「恐らくですが、先程の気配は、由美さん達に危害を加えることはないと思います」

 健は言葉を選びながら、ゆっくりと自分の考えを口にする。

「最初、この家に入ろうとした時に、すごく強い気を感じました。それが、翔太君が叫んだのをきっかけに小さくなり消えました。部屋を見て回りましたが、どこにも見つからない。あれだけの気を隠しておけるとは思えないんです」

「それは、つまりどういう……?」

「その者が、順一さんだと仮定します。彼にとってここは自宅であり、テリトリーです。そこに俺達が入ってこようとしたので、追い出そうと威嚇したのかもしれません」

「それであんな事を……? そんな、まさか、あの人が……」

「あくまで仮定の話です。今までに、こういうことはなかったんですよね?」

「はい。夫が事故に遭ってから家に来たのは、義母と義父くらいです」

 由美が言い終えたのと同時に、翔太が「あっ」と思い出したように言う。

「ねぇママ、ばあちゃんが来たとき、急に具合悪くなったって言って帰ったことがあったよ」

「それはただ、体調が悪かっただけよ」

「急に具合が悪くなった、ですか。他に何か言っていましたか?」

「いえ、何も言ってなかったと思います」

 ただ、本当に体調を崩しただけなのかもしれない。あるいは、ここにいた者の気に当てられた?
 素直に答えてくれるかはわからないが、一度話を聞いてみてもいいかもしれない。

「おばあさんに話を聞くことはできますか?」

「義母にですか……。確認します」

 由美の頰がわずかに引き攣った。
 会いたくないのは当たり前だ。だが、ここは我慢してもらうしかない。
 大智も露骨に「うげっ」という顔をした。

「平日でも、休日でも、そちらの都合に合わせます。俺の連絡先を置いていきますので、確認が取れたら教えてください」

 健は由美に断りを入れ、リビングにあったメモ用紙に携帯番号を書いた。

「それから、何かあった時もすぐに連絡してください。朝でも夜でも、夜中でも。いつでも電話を取れるようにしておきます」

「わ、わかりました」

「では、今日のところはお暇します。大智、行くぞ」

「えっ、あ、うん」

 不安そうな由美の顔と、健の顔を大智は交互に見て戸惑い気味に健の後ろをついて玄関を出た。

「おじゃましました。翔太君、秀太君、またね」

「大智兄ちゃん、ばいばい」

「ばいばい」

 翔太が手を振り、秀太もつられて手を振る。
 扉を閉めて由美達が見えなくなると、健はガシガシと頭を掻きむしった。

「いいの?」

 大智が心配そうに扉を見る。

「いいのも何も、今は何もできない。あんな攻撃をまたされたら、俺には手に負えないぞ」

「そうだね……」

 マンションを出ると、日が傾きかけていた。
 由美達は、不安な夜を過ごすだろう。
 だが、健には何もできない。気休めになればと、連絡先を置いてきたくらいだ。
 一楓なら、もっと違うのだろうか。解決の糸口を容易く見つけて、あの家族を救ってあげられるのだろうか。

 俺は未熟だ。

 今はただ、次の動きを待つことしかできない。
 もどかしいが、大人しく、由美の連絡を待つことしか。



 そう思っていた次の日、健は震える声の由美から連絡を受けることになる。


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