灰色の魔女

瀬戸 生駒

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第4章 トレイン

終宴

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「機関長。頭のをパージします。
 エンジン点火用意!」

 バカみたいにクルクルまわっていても、カージマーそのものは25snという、惑星艦航行速度で移動し続けている。
 もちろん、頭の巨大岩塊も、同じ速度で。
 そこで推進器……スラスターと紛らわしいから「エンジン」と呼ぶことにするけれども、岩塊と切り離したあと、エンジンによって別方向に飛べば、それだけでパージができる。

 今までエンジンを使わなかったのは、頭の岩塊が重すぎて、意味がなかったから。
 無意味な上にコストはアホほどかさみ、さらに精密で爆発リスクまであるとなれば、使うのはバカだけだ。

「エンジン、ルートチェッククリア! オールグリーン!」
 次席機関士の声が響く。
 今までは主にレーダーを見てもらっていたけれども、エンジンを動かしている間は、エンジンをなだめるのが機関士の役割だ。
 ようやくの出番に、心なし声が弾んで聞こえる。
 余談になるけれども、スラスターのみで宇宙を渡るトレインの多くは、機関士を乗せていない。
 面倒を見るべきエンジン自体がないのだから。

「岩塊のロック開放。
 とんでけー!」
 私はそう言ったが、第三者的には、全く変化は見られなかっただろう。
 カージマーの上には、相変わらず巨大な岩塊が載ったままなのだから。

「ロック解放確認。エンジン微速よーし!」
「距離300メートルで回頭。
 火星に向けて最短コース!」
 そう言ったところで、副長からチェックが入った。
「距離のカウントはこちらでやります。
 船長は全体指示に専念してください」
 くそー。
 なんつーか、カウントの読み上げ、好きやのに……。

 あ。そか。
「カウントはこちら。
 副長はコースと加速を計算して!
 30snで火星に戻るけど、定加速で6時間!」
 カウントは、ヒマと席次を勘案して、余裕があるスタッフが行う。
 それだけだと船務長になってしまうけれども、彼ほどそれに向かない人間も珍しいだろう。
 そこで、私と副長が取り合っていて……仕事を押しつければ、私がカウントを読み上げられる!

「定加速で6時間かけて30sn」というのは、実はすぐに出せる。
 計算式どころか、「6」「3」「0」と3回タイプするだけだ。
 この場合、重要なのは「6」。
 この船の乗組員は6つの班に分かれていて、それぞれ時間差をつけて休憩を取る。
 つまり、どの班も1時間の「Gのある休憩時間」がとれる。
「加速中」にはGが発生するのだから。

 たった1時間にすぎないけれども、人類と人類文明は、重力に最適化されて成長してきた。
 というとご立派だが、要は「自室で、蓋なしのビールをがぶ飲みできる」ってことで、これがどれほどの贅沢かを知っているのは船乗りだけだ。
 あるいはシャワー。
 惑星やコロニーには、ぶつけた水滴が、自重で足下に流れる快感に気がついていない連中が多すぎる。

「ふぅ」
 副長がため息をついて「カウント、どうぞ」と、肩をすくめた。
 勝った! と思って手元ディスプレイを見て、思わず言葉を失いそうになった。
 表示されている数字は「260」。
 ……あのやろう!

 つとめて表情に出さないようにして、私はカウントを読み上げた。
「距離270…280…290…回頭はじめ!」
 ゆっくりと、下から上に向けてのGを感じた。
 副長が左手の親指を、これ見よがしに立てているのも見逃さなかった。
 バカヤロウ!

 とまれ。船内放送をオンにして、全員に伝えなければ。
「回頭に約10分。
 その後6時間かけて定加速します。
 休憩は1時間の時間差をあけて6班。
 帰るよー!」
 船全体が揺れたかと思うような、乗組員の歓声が聞こえた気がした。

 エンジンの面倒を次席機関士に預けて、やはりレーダーに見入っていた機関長が、不意に声を上げた。
「周囲の船、デブリを躱しました」
 そりゃあそうだ。
 0.8光秒もの距離があれば、じつは当たる方が難しい。
 相対的な航路を維持しつつ、つかず離れずをキープするのと、紙一重で躱すのが……その演技が難しいだけだ。
 直径数キロメートルの岩石といっても、宇宙ははるかに広大で、あえてぶつかりに来なければ……それでも避けなければ当たる可能性があるところに投げたんだけど。
 繰り返すが、パージしたデブリが直接ぶつかれば、ぶつけた側、つまりカージマーは無限責任を求められる。
 だから「避けてくれる」という信頼のもとで、「迷惑」をばらまいたんだ。

「が、1隻だけ、ミサイルや機銃でデブリを迎撃している船がいます」
「アホなん?」
「デブリ群と船の延長線上に、コロニーがあります」

 あ……。
 船でデブリを躱すのは簡単だけれども、コロニーは鈍くて、的も大きい。
 しかも非武装か、あっても貧弱だ。
 そのコロニーへのダメージを最小にするため、あの船は単独で、むなしい戦闘をしてるんだ。
 やーって、どんなに撃っても相手は1人も死なず、速度も遅くならない。
 デブリを砕いてより小さくし、コロニーへのダメージを最小化したところで、勲章の1つももらえるはずもない。
 そのくせ、小さく砕いたと言っても、1メートルクラスのデブリなら、確実に船にダメージを与える。
 ハイリスクノーリターンの戦い。
 国家、まして軍隊に属していると、しばしばこんな理不尽に遭遇する。
 それがイヤでカージマーに来た乗組員は、かなり多い。

 とは言え。
「あれ。コロニーや船に当たったら、私ら怒られるかなー」
 つぶやく私に、さっきまでの操船に高揚した副長が、ややうわずった声で、しれっと応えた。
「ミサイルのせいで軌道が変わったって言えば……弁護士の腕次第でしょうか。
 それでも数年はかかるでしょうし、裁判は火星になります」
 なるほど。
 内戦真っ最中の木星で「国際裁判」ができるはずもないし、「発注主」や地の利を考えたら、かりに訴訟を起こされても、まず負けない。
 そもそも、「この船」を相手に単独のコロニー国家が訴訟を起こしたところで、たとえ勝訴したとしても、逆恨みされて、コロニーもろともデブリの仲間入りさせられてしまうリスクは、かなり高い。
 なにせ、ついさっきまで頭の上に載せていた岩塊のほうが、あのコロニーよりも大きいんだ。
 そのスタイルで、目がけて突っ込んでこられたら、躱すすべはないのだから。
 ハイリスクノーリターンの理不尽は、そう、「国家」も背負っている。

「あー。多数決を取ります」
 私は船橋のみんなに声をかけた。
「本船は定加速中で、救援のため航路を変えるとなると、精密な軌道の再計算と、油断している乗組員のケガも予想されます。
 そのうえで……気がつかなかった人は挙手!」
 もちろん全員が手を上げた。
「んじゃ、誰も気がつかなかったってことで、みんなテキトーにしてよし」

 さーて。火星に帰ろう。

●火星某テレビ局のドキュメンタリー取材より
「当局取材陣の乗り合わせた貨客船「K」号は、その航海の中で、運良く数々の事故をすりぬけたらしい。
 窓もない船内客室からは知るすべもないが、前後に発生した事故を調べると、航海の航路周辺で、同時期にコロニーの損傷4,軍艦の損傷3が確認されている。
 数回、激しい揺れや重力方向の激変はあったが、それらの事故との遭遇を回避したのだろう。
 その上で、なんら問題なく、1名の死傷者も出さず、木星と火星を往復した「K」号は、非常な幸運船と呼べよう。
 あるいは、コロニーや軍艦の損傷が「事故」ではなく「作為」であったとすれば、それは木星における内戦の悲惨さを示している。
 我々は1日も早く、木星に平和な日々が戻ることを、心から希求する」
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