《短編集》恋は婚約破棄のあとで

夢草 蝶

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後編 それはとても素敵な提案

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 お父様にダルとの婚約破棄を進言したあの日。
 私もお父様からとある提案を受けた。
 それはあの日、我が家に訪問してきたジークについてのことだった。
 件の家庭教師の件で学園に通うことになったジークだが、住まいが遠方であるために在学中の住まいを確保する必要があった。
 しかし、なかなか条件に合う物件が見つからなかったため、困り果てたジークの父親は頼みの綱として古くからの友人であるお父様に相談を持ち掛けることにした。
 息子が在学中の間、我が家でジークを預かってほしいと。
 お父君は急な仕事が入ってしまい、代わりにジーク本人を使いに出したのだと後から聞いた。
 話を聞いたお父様は、最初は迷ったらしい。
 友人の力にはなってやりたいが、婚約者のいる娘がいる屋敷に同い年の異性を住まわせていいものかと。
 けれど、その矢先に私が持ってきた婚約破棄の話を聞いて解決策を閃いたようだ。
 ダルとの婚約など早々に破棄してしまい、ジークを新しい婚約者に据えればいい、と。
 父親同士の仲が良く、お父様も以前からジークの人となりを知っている。婚約には申し分のない相手だ。実際、婚約破棄が成立した後の婚約の手続きはトントン拍子に進んだ。婚約者であれば、破局でもしない限り同じ屋根の下で暮らしていてもそう問題視されない。別に二人暮らしというわけでもないし。
 というわけで、私とジークの婚約はジークの編入時期に余裕で間に合い、今は私たちは一緒に暮らしている。
 学園でも家でも一緒だから、よく話すし仲も深まる。最初はお互い手探りで遠慮がちだったけれど、今では気兼ねなく頼み事をしたり、他愛ない話も出来るようになった。
 思い返せば、ダルとはこういう時間が足りなかったのかもしれないなんて考えるけれど、いやでもだからってやっぱり第二夫人はないわとその考えはそうそうに改めた。



 帰宅後、居間のソファで二人並んで休日にどこへ行くかの相談をする。

「ジークは牧場に行ってみたいんですよね。牛の乳搾り体験がしたいんでしたっけ?」

「うん。うちの領は農業中心で畜産とかはしてないから、動物に触れ合う機会って家にいる馬くらいしかなかったんだよね。ずっと、牧場に行ってみたかったんだ」

「じゃあ、牧場地を主軸にどこを回るか決めて──お昼はここなんてどうですか?」

「取れ立ての新鮮な卵を使った料理店──いいね。俺、卵料理好きだよ」

「私もです」

 各々の好みを話しながら、次々と予定を組んでいく。それだけでも相手のことをより深く知れている気がして嬉しい。
 もっと知りたいという気持ちが日増しに大きくなっていく。
 ジークは穏やかな青年だ。私が婚約破棄したことも気にせず、婚約者として接してくれる優しさも持っている。
 まだ知り合ってそんなに時間は経っていないけれど、その言葉や、仕草や、笑顔に胸が高鳴る理由を私はもう知っていた。
 楽しそうに観光案内の本のページを捲るジークの横顔をこっそり盗み見ていると、ふと、ジークの視線が何かに釘づけになる。
 どうしたんだろう? と開かれたページを見ると、そこには王都でも屈指の人気を誇る宝石店の特集が記載されていた。
 ジークはあまり宝石や装飾品に興味はないと思っていたのだけれど、何に興味を引かれたのだろう?
 疑問に思っていると、ジークが真剣な瞳でこちらを見る。その眼差しに心臓がドキンと跳ねた。

「セラ、よかったらこの店に行きたいんだけど、大丈夫?」

「え、ええ。このお店ならそう遠くないですし、寄れると思います。何か欲しいものでもあるんですか」

「──うん」

 少しだけ熱っぽい声でジークが頷く。ほんのりと色づいている頬に、その熱が移ったように顔が熱くなるのを感じる。
 形容し難い、けれど嫌じゃないふわふわした空気に包まれてるような。
 思わずぽーっとしていると、ジークが体をこちらへ向け、恭しく私の右手を取った。

「まだ贈ってなかったから」

「何を、でしょう」

「婚約指輪」

「こんやくゆびわ……」

 ふわふわした心地のまま、おうむ返しに呟く。
 そういえば、まだ婚約指輪を作っていなかった。
 ダルとの婚約は幼い頃に決まったから、成長する前に指輪を作ってもどうせ作り直すことになるからと作ってなかった。そのせいか、婚約指輪のことがすっかり頭から抜けていた。
 そっか。もう指輪を作っても結婚するまでつけていられるのか。
 今まで一度も指輪をつけたことのない薬指に誓いの証が輝くのを想像して、いよいよ心臓が太鼓のように激しく脈打つ。

「高価なものだからすぐに用意は出来ないけれど、どんなものがあるのか見ておきたくて。それで──セラが嫌じゃなければ、俺にセラの指輪を選ばせて貰えないかな」

 ジークの指先に少し力が籠るのを感じる。緊張しているのが伝わって、それだけ本気なのがわかって、考えるよりも先に頷いていた。

「よかった」

 ふわりと、ジークは嬉しそうに笑った。
 ──きっと、ジークは私のことが好きだ。きっかけは親が決めた婚約だとしても、ちゃんとジーク自身が私個人を好きになってくれていると感じる。
 ずっと結婚は責務と考えていたから知らなかった。一緒になる人に好意を持たれることが、こんなに嬉しいことだなんて。
 この喜びを、胸の高鳴りを、なんて呼ぶのか私はもう知っている。
 ──私は、ジークに恋をしている。
 初めての感情を噛み締めていると、ジークが照れ臭そうにそれと、とひとつ付け加えた。

「もうひとつお願いががあるんだけど」

「なんです?」

「俺の指輪はセラが選んでくれないかな? そうしたら、いつでもセラと一緒にいる気持ちでいられる気がするから」

「──今もこんなに一緒にいるのに、それ以上に?」

「うん」

 ──ああ、なんという歓喜!

「それはとても素敵な提案ですね」

 そんな提案、頷くに決まっている。
 口角が自然と上がるのを感じながら返事をすると、ジークは恥ずかしそうに、嬉しそうに、握っていた私の右手の薬指を親指で撫でた。それがくすぐったくて、私はますます笑みを深めた。

 ジークと笑い合いながら、私の脳裏にはひとつの案が浮かんでいた。

 ──貴方に指輪を貰ったら、貴方に好きだと伝えよう。
 貴方に恋をしているのだと伝えたら、貴方はどんな顔をするだろう?

 そう遠くない未来へ思いを馳せながら、今はこの幸せを噛み締める。

 どうか、笑ってくれますように。

 まだ私の胸の内にだけ秘めた案に祈りを込めながら、私はジークの手を握り返した。
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