妹と婚約者を交換したので、私は屋敷を出ていきます。後のこと? 知りません!

夢草 蝶

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デート編

27.道ゆきはマザーローズに見守られて

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 馬車を降りると、そこには長閑な平原が広がってました。
 地面は青草で覆われ、あちらこちらに白い花が咲いています。
 馬車が停まったのはアルフェン領の外れにある草原。
 ここから道なりに進んでいくと、アルフェン領の中心街であるメルソルバに辿り着きます。
 馬車でメルソルバまで行かなかったのは、歩いて街の様子を見るためです。

「空気がとても綺麗……」

「アルフェン領は四方を平原に囲まれてるから風が澄んだ空気を運んできてくれるんだ」

「そうなんですね。なんだか、呼吸をする度に体が良いものに変わっていく感覚がします」

 風の柔らかさ、空気の味、そんな分かるはずのないものが違うと分かってしまうほど、アルフェン領の空気は綺麗でした。
 アルフェン領の地は数度踏んだことがあり、空気が綺麗なことは知っていたのですが、平原の空気は街よりも澄んでいるように感じます。
 深く息を吸い込むと、草葉の青い香りと仄かに甘い香りがしました。この香りは──

「まぁ。これ、マザーローズですね。こんなにたくさん咲いているのは初めて見ました」

 緑の中に刺繍のように咲いている甘い香りの正体である白い花をしゃがんでよく見てみると、それは小さくて丸い薔薇でした。

「マザーローズ?」

 オウル様が聞き慣れない言葉を復唱するように首を傾げ、屈んで私が見ている薔薇を見つめています。

「ご存知ありませんか?」

「花にはあまり詳しくなくて……これが薔薇なの?」

 オウル様が信じがたそうにマザーローズをご覧になられてますが、無理もありません。
 薔薇といえば花弁が幾重にも重なったものを想像されるでしょう。ですが、このマザーローズは外側に五枚の花弁、内側に五枚の花弁の二重構造になっていて、花弁が十枚しかありません。

「はい。マザーローズはその名の通り薔薇の母なのです」

「薔薇の母? 原種ってこと?」

「その通りです。この国の薔薇のほとんどはこのマザーローズを元に品種改良されたものも言われていますね」

 その昔、庭の片隅に咲いていた白い小さなこの花を見つけたとある貴族が、その無垢な姿に無限の可能性を感じて様々な手法を試して品種改良を施したことがこの国の薔薇の起源とされています。
 マザーローズは白く、丸く、花托が黄緑がかっているのが特徴です。
 その姿はまるで珠のような赤子にも例えられ、マザーローズは真逆のベビーローズという別名もあります。

「へぇ、なんていうか素朴で愛らしい花だね」

「私もこの慎ましくも美しい佇まいが好きです。薔薇は品種改良を重ねて今の形になって、その華やかさから貴婦人の花と呼ばれるようになりました。現代の薔薇もとても綺麗ですけど、華やかなものを取り払ってもこの美しさが残るのだと思うと、そのあり方がとても素晴らしいと思うのです」

「そう聞くとなんだか、人のあり方に似てるね。文明の進歩と共に衣食住も文化や芸術もどんどん華やいで、けれど人の美徳は変わらない。変わらないものにも、変わってゆくものにも美しさがある」

「私もそう思います。人もこのようにあればよいと」

 つい、饒舌になってしまいました。
 貴族の娘にとって薔薇の花は親しいもので、薔薇そのものや薔薇の意匠を好まれる方は多くいらっしゃいます。かくいう私もその一人です。
 マザーローズは何故か自然の中でしか育たず、人の手が加わると花を咲かせません。道の舗装や街づくりが進むにつれて群生地も減ってしまい、こんな数のマザーローズを見たのは初めてでした。
 その光景は私にとっては壮観で、ついつい目が釘付けになってしまいます。
 けれど、今回の目的を思い出し、ここで立ち止まっている訳にもいかないと立ち上がりました。

「──つい見蕩れてしまいました。これではいつまでもメルソルバへ着きませんね。そろそろ向かいましょうか」

「早めに着いたし、せっかくだからゆっくり歩いていこう。この平原には何度も来たことがあるけど、今日はジゼルのおかげでこの花の名前を知れたから今までとは景色も違って見れるかもしれないし」

「……はい」

 土を踏み固めた道をオウル様と並んで街が見える方へと歩き出します。
 また、気を使わせてしまったのでしょうか。
 オウル様は相手の望みに添う時、自分が望んでいるように言葉にするのがお上手です。
 そう言われると断ることも憚られ、ついお言葉に甘えてしまいます。

「あ、見て、ジゼル。あのマザーローズは他の花より大きいよ。あっちは形が一際綺麗だね」

「同じ品種でもやっぱり個性は出ますね」

「うん、どれも綺麗だけど、どれも違って見てて飽きないね」

 風が平原を撫で、マザーローズの花が揺れます。
 花弁がふわふわと動いて、けれど散ることはありませんでした。
 ──そういえば、貴婦人の象徴たる薔薇の母であるマザーローズは昔、令嬢を守護するお守りとして重宝されていた時があったそうですね。
 今では数が減ってしまったので、マザーローズの刺繍や絵を施した護符が主流ですが。
 マザーローズの花言葉はあなたを見守る。
 守りの花に囲まれた道を一歩進むごとに、なんだか心が安心する気がしました。単なる思い込みなのでしょうけど、それでも心強く感じたのです。

「オウル様」

「なに?」

「今日は、楽しみましょうね」

 オウル様から頂いた言葉を今度は私から贈りました。
 同じ言葉になってしまったのは、経験不足から気の利いた言葉が思いつかなかったからです。
 オウル様はあのフリージア夫人のお茶会でロウ様から私を庇って下さった時に、思わず裾を掴んでしまった時と同じように僅かに目を見開かれました。
 それから顔を綻ばせて頷いて下さいました。

「そうだね。とっておきの一日にしよう」
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