27 / 43
デート編
27.道ゆきはマザーローズに見守られて
しおりを挟む
馬車を降りると、そこには長閑な平原が広がってました。
地面は青草で覆われ、あちらこちらに白い花が咲いています。
馬車が停まったのはアルフェン領の外れにある草原。
ここから道なりに進んでいくと、アルフェン領の中心街であるメルソルバに辿り着きます。
馬車でメルソルバまで行かなかったのは、歩いて街の様子を見るためです。
「空気がとても綺麗……」
「アルフェン領は四方を平原に囲まれてるから風が澄んだ空気を運んできてくれるんだ」
「そうなんですね。なんだか、呼吸をする度に体が良いものに変わっていく感覚がします」
風の柔らかさ、空気の味、そんな分かるはずのないものが違うと分かってしまうほど、アルフェン領の空気は綺麗でした。
アルフェン領の地は数度踏んだことがあり、空気が綺麗なことは知っていたのですが、平原の空気は街よりも澄んでいるように感じます。
深く息を吸い込むと、草葉の青い香りと仄かに甘い香りがしました。この香りは──
「まぁ。これ、マザーローズですね。こんなにたくさん咲いているのは初めて見ました」
緑の中に刺繍のように咲いている甘い香りの正体である白い花をしゃがんでよく見てみると、それは小さくて丸い薔薇でした。
「マザーローズ?」
オウル様が聞き慣れない言葉を復唱するように首を傾げ、屈んで私が見ている薔薇を見つめています。
「ご存知ありませんか?」
「花にはあまり詳しくなくて……これが薔薇なの?」
オウル様が信じがたそうにマザーローズをご覧になられてますが、無理もありません。
薔薇といえば花弁が幾重にも重なったものを想像されるでしょう。ですが、このマザーローズは外側に五枚の花弁、内側に五枚の花弁の二重構造になっていて、花弁が十枚しかありません。
「はい。マザーローズはその名の通り薔薇の母なのです」
「薔薇の母? 原種ってこと?」
「その通りです。この国の薔薇のほとんどはこのマザーローズを元に品種改良されたものも言われていますね」
その昔、庭の片隅に咲いていた白い小さなこの花を見つけたとある貴族が、その無垢な姿に無限の可能性を感じて様々な手法を試して品種改良を施したことがこの国の薔薇の起源とされています。
マザーローズは白く、丸く、花托が黄緑がかっているのが特徴です。
その姿はまるで珠のような赤子にも例えられ、マザーローズは真逆のベビーローズという別名もあります。
「へぇ、なんていうか素朴で愛らしい花だね」
「私もこの慎ましくも美しい佇まいが好きです。薔薇は品種改良を重ねて今の形になって、その華やかさから貴婦人の花と呼ばれるようになりました。現代の薔薇もとても綺麗ですけど、華やかなものを取り払ってもこの美しさが残るのだと思うと、そのあり方がとても素晴らしいと思うのです」
「そう聞くとなんだか、人のあり方に似てるね。文明の進歩と共に衣食住も文化や芸術もどんどん華やいで、けれど人の美徳は変わらない。変わらないものにも、変わってゆくものにも美しさがある」
「私もそう思います。人もこのようにあればよいと」
つい、饒舌になってしまいました。
貴族の娘にとって薔薇の花は親しいもので、薔薇そのものや薔薇の意匠を好まれる方は多くいらっしゃいます。かくいう私もその一人です。
マザーローズは何故か自然の中でしか育たず、人の手が加わると花を咲かせません。道の舗装や街づくりが進むにつれて群生地も減ってしまい、こんな数のマザーローズを見たのは初めてでした。
その光景は私にとっては壮観で、ついつい目が釘付けになってしまいます。
けれど、今回の目的を思い出し、ここで立ち止まっている訳にもいかないと立ち上がりました。
「──つい見蕩れてしまいました。これではいつまでもメルソルバへ着きませんね。そろそろ向かいましょうか」
「早めに着いたし、せっかくだからゆっくり歩いていこう。この平原には何度も来たことがあるけど、今日はジゼルのおかげでこの花の名前を知れたから今までとは景色も違って見れるかもしれないし」
「……はい」
土を踏み固めた道をオウル様と並んで街が見える方へと歩き出します。
また、気を使わせてしまったのでしょうか。
オウル様は相手の望みに添う時、自分が望んでいるように言葉にするのがお上手です。
そう言われると断ることも憚られ、ついお言葉に甘えてしまいます。
「あ、見て、ジゼル。あのマザーローズは他の花より大きいよ。あっちは形が一際綺麗だね」
「同じ品種でもやっぱり個性は出ますね」
「うん、どれも綺麗だけど、どれも違って見てて飽きないね」
風が平原を撫で、マザーローズの花が揺れます。
花弁がふわふわと動いて、けれど散ることはありませんでした。
──そういえば、貴婦人の象徴たる薔薇の母であるマザーローズは昔、令嬢を守護するお守りとして重宝されていた時があったそうですね。
今では数が減ってしまったので、マザーローズの刺繍や絵を施した護符が主流ですが。
マザーローズの花言葉はあなたを見守る。
守りの花に囲まれた道を一歩進むごとに、なんだか心が安心する気がしました。単なる思い込みなのでしょうけど、それでも心強く感じたのです。
「オウル様」
「なに?」
「今日は、楽しみましょうね」
オウル様から頂いた言葉を今度は私から贈りました。
同じ言葉になってしまったのは、経験不足から気の利いた言葉が思いつかなかったからです。
オウル様はあのフリージア夫人のお茶会でロウ様から私を庇って下さった時に、思わず裾を掴んでしまった時と同じように僅かに目を見開かれました。
それから顔を綻ばせて頷いて下さいました。
「そうだね。とっておきの一日にしよう」
地面は青草で覆われ、あちらこちらに白い花が咲いています。
馬車が停まったのはアルフェン領の外れにある草原。
ここから道なりに進んでいくと、アルフェン領の中心街であるメルソルバに辿り着きます。
馬車でメルソルバまで行かなかったのは、歩いて街の様子を見るためです。
「空気がとても綺麗……」
「アルフェン領は四方を平原に囲まれてるから風が澄んだ空気を運んできてくれるんだ」
「そうなんですね。なんだか、呼吸をする度に体が良いものに変わっていく感覚がします」
風の柔らかさ、空気の味、そんな分かるはずのないものが違うと分かってしまうほど、アルフェン領の空気は綺麗でした。
アルフェン領の地は数度踏んだことがあり、空気が綺麗なことは知っていたのですが、平原の空気は街よりも澄んでいるように感じます。
深く息を吸い込むと、草葉の青い香りと仄かに甘い香りがしました。この香りは──
「まぁ。これ、マザーローズですね。こんなにたくさん咲いているのは初めて見ました」
緑の中に刺繍のように咲いている甘い香りの正体である白い花をしゃがんでよく見てみると、それは小さくて丸い薔薇でした。
「マザーローズ?」
オウル様が聞き慣れない言葉を復唱するように首を傾げ、屈んで私が見ている薔薇を見つめています。
「ご存知ありませんか?」
「花にはあまり詳しくなくて……これが薔薇なの?」
オウル様が信じがたそうにマザーローズをご覧になられてますが、無理もありません。
薔薇といえば花弁が幾重にも重なったものを想像されるでしょう。ですが、このマザーローズは外側に五枚の花弁、内側に五枚の花弁の二重構造になっていて、花弁が十枚しかありません。
「はい。マザーローズはその名の通り薔薇の母なのです」
「薔薇の母? 原種ってこと?」
「その通りです。この国の薔薇のほとんどはこのマザーローズを元に品種改良されたものも言われていますね」
その昔、庭の片隅に咲いていた白い小さなこの花を見つけたとある貴族が、その無垢な姿に無限の可能性を感じて様々な手法を試して品種改良を施したことがこの国の薔薇の起源とされています。
マザーローズは白く、丸く、花托が黄緑がかっているのが特徴です。
その姿はまるで珠のような赤子にも例えられ、マザーローズは真逆のベビーローズという別名もあります。
「へぇ、なんていうか素朴で愛らしい花だね」
「私もこの慎ましくも美しい佇まいが好きです。薔薇は品種改良を重ねて今の形になって、その華やかさから貴婦人の花と呼ばれるようになりました。現代の薔薇もとても綺麗ですけど、華やかなものを取り払ってもこの美しさが残るのだと思うと、そのあり方がとても素晴らしいと思うのです」
「そう聞くとなんだか、人のあり方に似てるね。文明の進歩と共に衣食住も文化や芸術もどんどん華やいで、けれど人の美徳は変わらない。変わらないものにも、変わってゆくものにも美しさがある」
「私もそう思います。人もこのようにあればよいと」
つい、饒舌になってしまいました。
貴族の娘にとって薔薇の花は親しいもので、薔薇そのものや薔薇の意匠を好まれる方は多くいらっしゃいます。かくいう私もその一人です。
マザーローズは何故か自然の中でしか育たず、人の手が加わると花を咲かせません。道の舗装や街づくりが進むにつれて群生地も減ってしまい、こんな数のマザーローズを見たのは初めてでした。
その光景は私にとっては壮観で、ついつい目が釘付けになってしまいます。
けれど、今回の目的を思い出し、ここで立ち止まっている訳にもいかないと立ち上がりました。
「──つい見蕩れてしまいました。これではいつまでもメルソルバへ着きませんね。そろそろ向かいましょうか」
「早めに着いたし、せっかくだからゆっくり歩いていこう。この平原には何度も来たことがあるけど、今日はジゼルのおかげでこの花の名前を知れたから今までとは景色も違って見れるかもしれないし」
「……はい」
土を踏み固めた道をオウル様と並んで街が見える方へと歩き出します。
また、気を使わせてしまったのでしょうか。
オウル様は相手の望みに添う時、自分が望んでいるように言葉にするのがお上手です。
そう言われると断ることも憚られ、ついお言葉に甘えてしまいます。
「あ、見て、ジゼル。あのマザーローズは他の花より大きいよ。あっちは形が一際綺麗だね」
「同じ品種でもやっぱり個性は出ますね」
「うん、どれも綺麗だけど、どれも違って見てて飽きないね」
風が平原を撫で、マザーローズの花が揺れます。
花弁がふわふわと動いて、けれど散ることはありませんでした。
──そういえば、貴婦人の象徴たる薔薇の母であるマザーローズは昔、令嬢を守護するお守りとして重宝されていた時があったそうですね。
今では数が減ってしまったので、マザーローズの刺繍や絵を施した護符が主流ですが。
マザーローズの花言葉はあなたを見守る。
守りの花に囲まれた道を一歩進むごとに、なんだか心が安心する気がしました。単なる思い込みなのでしょうけど、それでも心強く感じたのです。
「オウル様」
「なに?」
「今日は、楽しみましょうね」
オウル様から頂いた言葉を今度は私から贈りました。
同じ言葉になってしまったのは、経験不足から気の利いた言葉が思いつかなかったからです。
オウル様はあのフリージア夫人のお茶会でロウ様から私を庇って下さった時に、思わず裾を掴んでしまった時と同じように僅かに目を見開かれました。
それから顔を綻ばせて頷いて下さいました。
「そうだね。とっておきの一日にしよう」
283
あなたにおすすめの小説
幼なじみと再会したあなたは、私を忘れてしまった。
クロユキ
恋愛
街の学校に通うルナは同じ同級生のルシアンと交際をしていた。同じクラスでもあり席も隣だったのもあってルシアンから交際を申し込まれた。
そんなある日クラスに転校生が入って来た。
幼い頃一緒に遊んだルシアンを知っている女子だった…その日からルナとルシアンの距離が離れ始めた。
誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。
更新不定期です。
よろしくお願いします。
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。
salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。
6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。
*なろう・pixivにも掲載しています。
(完結)私が貴方から卒業する時
青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。
だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・
※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。
夫は家族を捨てたのです。
クロユキ
恋愛
私達家族は幸せだった…夫が出稼ぎに行かなければ…行くのを止めなかった私の後悔……今何処で何をしているのかも生きているのかも分からない……
夫の帰りを待っ家族の話しです。
誤字脱字があります。更新が不定期ですがよろしくお願いします。
私を裁いたその口で、今さら赦しを乞うのですか?
榛乃
恋愛
「貴様には、王都からの追放を命ずる」
“偽物の聖女”と断じられ、神の声を騙った“魔女”として断罪されたリディア。
地位も居場所も、婚約者さえも奪われ、更には信じていた神にすら見放された彼女に、人々は罵声と憎悪を浴びせる。
終わりのない逃避の果て、彼女は廃墟同然と化した礼拝堂へ辿り着く。
そこにいたのは、嘗て病から自分を救ってくれた、主神・ルシエルだった。
けれど再会した彼は、リディアを冷たく突き放す。
「“本物の聖女”なら、神に無条件で溺愛されるとでも思っていたのか」
全てを失った聖女と、過去に傷を抱えた神。
すれ違い、衝突しながらも、やがて少しずつ心を通わせていく――
これは、哀しみの果てに辿り着いたふたりが、やさしい愛に救われるまでの物語。
行き倒れていた人達を助けたら、8年前にわたしを追い出した元家族でした
柚木ゆず
恋愛
行き倒れていた3人の男女を介抱したら、その人達は8年前にわたしをお屋敷から追い出した実父と継母と腹違いの妹でした。
お父様達は貴族なのに3人だけで行動していて、しかも当時の面影がなくなるほどに全員が老けてやつれていたんです。わたしが追い出されてから今日までの間に、なにがあったのでしょうか……?
※体調の影響で一時的に感想欄を閉じております。
困った時だけ泣き付いてくるのは、やめていただけますか?
柚木ゆず
恋愛
「アン! お前の礼儀がなっていないから夜会で恥をかいたじゃないか! そんな女となんて一緒に居られない! この婚約は破棄する!!」
「アン君、婚約の際にわが家が借りた金は全て返す。速やかにこの屋敷から出ていってくれ」
新興貴族である我がフェリルーザ男爵家は『地位』を求め、多額の借金を抱えるハーニエル伯爵家は『財』を目当てとして、各当主の命により長女であるわたしアンと嫡男であるイブライム様は婚約を交わす。そうしてわたしは両家当主の打算により、婚約後すぐハーニエル邸で暮らすようになりました。
わたしの待遇を良くしていれば、フェリルーザ家は喜んでより好条件で支援をしてくれるかもしれない。
こんな理由でわたしは手厚く迎えられましたが、そんな日常はハーニエル家が投資の成功により大金を手にしたことで一変してしまいます。
イブライム様は男爵令嬢如きと婚約したくはなく、当主様は格下貴族と深い関係を築きたくはなかった。それらの理由で様々な暴言や冷遇を受けることとなり、最終的には根も葉もない非を理由として婚約を破棄されることになってしまったのでした。
ですが――。
やがて不意に、とても不思議なことが起きるのでした。
「アンっ、今まで酷いことをしてごめんっ。心から反省しています! これからは仲良く一緒に暮らしていこうねっ!」
わたしをゴミのように扱っていたイブライム様が、涙ながらに謝罪をしてきたのです。
…………あのような真似を平然する人が、突然反省をするはずはありません。
なにか、裏がありますね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる