人の話を聞かない婚約者

夢草 蝶

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元婚約者

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「ヴィネ、そんなに「元」を強調しなくても、私と貴方が婚約破棄したのは周知の事実よ」

 何故か片手をポケットに入れ、もう片方のてを額に翳す気障ったらしいポーズを決めているヴィネに対し、カナは淡々とした声音で応じる。

「そう強がるなって。本当は俺にフラれてショックなんだろ? 女にとっては婚約破棄なんて恥さらしもいいところだしなぁ~。悪いなぁ、俺一人だけ最っ高の恋人ゲットして幸せ独り占めしちゃって」

(わー、私の話聞いてなーい。というか、それだと貴方は女に恥を掻かせた男になるけれど)

 恋人が出来て有頂天になり、にやにやと締まりのない顔を晒しているヴィネには何を言っても無駄だと知っているため、口には出さなかったが、カナは内心で呆れていた。
 本人は気づいていないが、カナとヴィネの婚約破棄の顛末はその起承転結がはっきりと事実として学園中に広がっており、浮気して婚約者を捨てた男としてヴィネの評判は最悪だ。
 本来であれば男性は婚約者である女性を敬い、愛し守り抜くべきと教えられる。そして、女性も男性に心を尽くすべきだと。
 だというのに、ヴィネは反省のひとつもしないでこうして絡んでくる始末。全く救えない。

「こいつ誰?」

「元婚約者のヴィネよ。会ったことあるでしょ」

「さぁ」

「ん? カナ、何だその隣にいる男は」

「何でどっちも顔覚えてないのよ」

 マイペースな男たちである。







「何だって、私の新しい婚約者よ。幼なじみのソール」

 カナが簡潔に説明すると、ヴィネが顔を顰めた。

「婚約者ぁ~? おいおい。まだ婚約破棄して一ヶ月も経ってないぞ。早すぎないか。節操のない女だなぁ」

「婚約破棄から0秒交際どころかミルフィーユしていた奴に言われると大分腹立つなぁ」

 自分の言動を棚に上げたヴィネの言葉に、カナの表情が強ばる。
 隣でソールは神妙な顔をしていた。

「ま、仮にも貴族令嬢なら婚約者は見繕わないといけないからな。ご苦労様。俺には敵わないがそこそこじゃないか。お前、ソールとか言ったか? 俺のお古をやるんだから、少しは感謝を──」

「・・・・・・」

 ヴィネが信じられないくらいカナに対して失礼なことを言っているが、ソールは神妙な顔のまま黙り込み、ヴィネの言葉にも返事をしない。

「あ? おい、俺が話しかけてやってるんだぞ。返事くらいしたらどうだ」

「ソール」

 喋らないソールにヴィネは不愉快そうに鼻白み、カナもソールの様子がおかしいとその顔を窺った。

「あ、何? ごめん。聞いてなかった」

「!?」

 きゅぽんっと。ソールはいつの間にか再装着していたワイヤレスイヤホンを耳から取り、ヴィネに対して聞き返す。

「ソール、人が話してる時にそれは失礼だよ」

「今日、新曲の配信日なの忘れてて」

 カナが呆れ混じりに肩を落とし、ソールが言い訳にもなっていない言葉を紡ぐ。
 カナとしてはソールのこう言った挙動にも慣れていたが、初対面(という認識)のヴィネは馬鹿にされたと思い、赤い顔でぶるぶると激しく体を震わせた。







「な、何なんだお前は」

「ソールだけど」

「名前なんて訊いていない! 何なんだその態度は!」

「ありのままの俺だけど」

「~~~~~~っ!」

「わー、ソールは火に油注ぐ天才ねぇ」

「? さんきゅー」

「褒めてはいない」

 勝手に婚約破棄をしても自分は許されると思っているようなヴィネは、人からこのような扱いを受けたことはなく、それを酷い侮辱に感じた。
 ソールにその意図は全くなくとも、話を聞く態度を全く見せないのは喧嘩を売っているように見えるのだろう。
 このままでは収まりのつかないヴィネは、ソールの手元に手を伸ばし、イヤホンをひったくった。

「あ!」

 大事なものを奪われ、思わず声を上げるソール。

「この俺が話しかけてやってるのに、こんなもの──ん? うわぁあああああ!」

「きゃああああああ! 悪魔の雄叫びー!」

 ヴィネが手にしたイヤホンから、突如として地獄で宴を開く悪魔の声のような叫びが吹き出した。
 それはソールがハマっているデスメタルであり、イヤホンを奪われた衝撃で端末を手にした手元が狂い、音量を最大にしてしまったのだ。
 普段から聞いているソールはともかく、デスメタルをほとんど聞いたことのないカナとヴィネにはボーカルの声が悪魔の声そのものに聞こえる。
 低く恐ろしい歌声に、二人は心臓が冷えるほどの恐怖に包まれた。

「ぎゃあああああああああ! 助けてくれー!」

 ヴィネはその場にいることも出来ず、誰かに助けを求めて逃げ出して行った。途中、一度盛大に転んだが、すぐに飛び起き、一目散に走っていく。
 一方、カナも聞こえてきたデスボイスに身を固くしたが、さっき一度聞いているため、しばらく立つと冷静さを取り戻して落ち着いた。

「あー、びっくりした。心臓に悪いから音漏れやめてよ」

「そうか? このバンドの中では落ち着いた曲調だぞ。午後のティータイムとかに合いそうだよな」

「え?」
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