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第一章 竜嬢、逃亡する。

第一話 冤罪なので逃げます。

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「シロノメイ、貴様、王子である俺の婚約者であるのをいいことに、自分より美しく優れたアレナに数々の暴虐を働いたそうだな。その所業、実に許しがたい。よって、貴様との婚約は破棄し、この場でお前を処断する!」

「はい!?」

 いきなり婚約の統治する王領の片隅にある人気のない渓谷へと呼び出されたと思ったら、待ち受けていた婚約者に見に覚えのない話をされ、シロノメイは首を捻らせた。

「あの、ハレス殿下。一体何のお話ですか?」

 シロノメイは婚約者である第一王子・ハレス=ローローラックに説明を求めたが、答えの代わりに鋭い睥睨へいげいが飛んできた。

「惚ける気か? どこまでも救いのない女だ。まぁ、いい。可愛いアレナのためにも、お前には消えて貰う」

「ちょっ!? 何この急展開!?」

 ハレスが片手を挙げるとらゾロリと何人もの男達が現れて、シロノメイを囲い込んだ。
 服装からして、ハレスの部下らしき男達は、剥き身の剣先をシロノメイに向けてくる。
 四面楚歌状態に陥ったシロノメイは、目を丸くしてオロオロと左右を見渡してツッコミを入れた。

「ハレス殿下!? 流石にこれは冗談にしても質が悪過ぎます! この方々に剣を納めるよう言って下さい!」

「冗談なものか。アレナの身と心を傷つけた罪、その命で償って貰う。いや、それでも安いくらいだな」

「いやいやいや! そもそもアレナって誰です!? 殿下の言ってることが何一つわからないんですけど!?」

 余りにも一方的過ぎるハレスの行いに、シロノメイは頭が痛くなるのを感じていた。

(え!? ナニコレナニコレっ!? よく分かんないけど、私がなんかアレナって子をいじめて、ハレス殿下がその報復をしようとしてるってこと? いや、だからアレナって誰よ!? 初めて聞く名前なんですけど!?)

 ハレスの言葉から点と点を線で繋いで仮説を立てるも、導き出されたのは自分が冤罪を掛けられて私刑に処されようとしているという最悪の事実であった。

「耳障りだな。お前達、とっとと黙らせろ。さっさと首を落として、死体の処理は谷に落とすだけでいい」

(だから渓谷に呼び出したのか────!!)

 何故、こんな何もないところにと思っていたら、嫌な納得をしてしまった。
 それと同時に、シロノメイは最早、ハレス相手に対話を望んでも無駄だということも悟った。

 ハレスは完全に自分を殺しに来ている。
 それも思い込みによる冤罪で、ろくな取り調べもせずに、身勝手に私刑を行おうとしている。
 そんな相手に、懇切丁寧に無実を訴えて納得して貰う必要があるのか?

(何なんだこの馬鹿王子・・・・・・付き合いきれんわ)

 最早、怒りを通り越して呆れてきた。
 四方八方を剣先に囲まれたシロノメイであったが、この状況事態には全く危機感を感じていない。
 何故なら、シロノメイにとってはこれくらいは危機でもなんでもないから。

「行け」

 ハレスの唇が私刑の執行を命じる。
 それと同時にシロノメイを囲んでいた男達が一気に剣を振り上げて押し寄せて来た。

 ──が。

「あー、もう!!!!!」


 ──ドゥウウウン!


 シロノメイが片足を勢いよく振り下ろして大地を踏みつけると、大きな地鳴りと共に突風のような衝撃波が起きて、男達を全員吹き飛ばした。

「──なっ、何だと!?」

 地鳴りでバランスを崩して尻餅をついたハレスは、信じられない目の前の光景にずるずると後退った。

「──ハレス殿下」

「シロノメイ! 貴様、一体何をした? どんな怪しい術を使ったんだ!?」

 膝を震わせながらも、シロノメイを睨みつけて問い質すハレスに答えず、シロノメイは雪のように真っ白な長い髪を手の甲で撫で上げて宙に踊らせると、深い深いため息を吐いた。

「貴方にはもう付き合いきれませんし、貴方のような馬鹿のいる国にこれ以上住めません。婚約破棄ならどうぞご勝手に。私は逃げます」

 シロノメイが今すぐ会話を切り上げたいと言わんばかりの早口で宣言する。

「無駄な足掻きは寄せ! 万が一に備えて、この周囲にも部下を配置しているのだ。逃げられるとでも思って──」

「思ってますよ?」

「馬鹿か貴様は。俺の部下が何人いると思っている? およそ千五百人だぞ! どうやって逃げると言うんだ!?」

「こんなことにそんなに動員したんですか?」

 令嬢一人を亡き者にするために四桁もの人員を使って人海戦術を用意したハレスは、勝ち誇った顔をしているが、シロノメイにとってはたかが人間の千人や二千人など怖くもなかった。

「おい! お前たち! 今すぐにこの下手人を処刑しろ!」

 ハレスが大声を上げると、渓谷を取り囲む木々の間から新手がぞくぞくと顔を覗かせた。

「はぁ~、こんな馬鹿王子にほいほい従うなんて・・・・・・どのみちこの国は長くないわね。母さまたちは父さまが何とかするだろうし、私はこのまま出てっても問題ないでしょ」

「掛かれ! シロノメイの首を取った奴には褒美を遣わす!」

 ぶつぶつと呟いているシロノメイに、ハレスが部下達をけしかける。
 一人の少女相手に、屈強な男達が雄叫びを上げて飛び掛かる。

「ンンンンン! よいっしょ──!!!」

 だが、そんな周囲も気にせずに背中を反らしたシロノメイは、力の入った掛け声と共に上半身を前へ倒す。
 すると、丸まったシロノメイの背中から天へ向かって、大きな翼がバッサァッ! と音を立てて生えてきた。

「「「「「!!!!!」」」」」

 その光景に誰も彼もが動きを止めて息を飲む。

 それは、真っ白な翼だった。
 けれど白鳥とも白鷺とも似つかない、どこか獣染みた、けれども膝が震えるほどに神々しい穢れなき白翼。

「んー、翼を広げるものひっさびさー!」

 シロノメイは周囲の動揺など気にする素振りも見せず、背伸びをするような声を上げて数回翼をバサバサとはためかせた。

「ば、化け物──!」

 誰かが言った。
 シロノメイは声がした方を向き、ぷくーと頬を膨らませて反論する。

「失礼な! 私はご覧の通りの竜ですよ! まぁ、ハーフですけどね!」

 そう、シロノメイは竜である父と人間である母の間に生まれた半竜の娘であった。
 竜は人間など尾の一振りで吹き飛ばせるほどの強い力を持つ。だからハーフとはいえ、シロノメイにとっては千五百人の人間の群れなど取るに足らない存在であった。

「竜だと・・・・・・!?」

「あれ? 本当に知らなかったんですか?」

 顔中に驚きを滲ませたハレスは、婚約者でありながらシロノメイが半竜であることを知らなかったらしく、瞠目してわなないている。

「ま、いいや。どのみちもう関係ないし。それじゃ、皆様ごきげんよう──あ、もうお嬢様ぶる必要もないか」

 逃亡を宣言したシロノメイは、白い翼を大きく広げ、風を切る羽音お共にふわりと空へ浮かんでゆく。

 そして、王子の婚約者でも、貴族令嬢でもなくなったシロノメイは不敵に笑い、ハレスに対して最後の捨て台詞を吐いた。

「あばよ」

 そう言い放つと、シロノメイは二度と振り返ることなく、渓谷を越えて空の向こうへと去って行った。
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