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三村市兵衛、放逐の一件

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 市兵衛が、初めてでん留に顔を出すひと月が程前の話である。
 上州伊勢平いせだいらから江戸までは四日の行程で、中山道を本庄、鴻巣、大宮と泊りを重ね、四日目には江戸に着く。上州伊勢平一万石、山本家の徒士かち、十石二人扶持の三村市兵衛は、参勤で上番中の山本家当主、山本主計頭かずえのかみへの使者として国元を発した百石取の御徒士組頭、鬼頭惣兵衛の供の一人として、御徒士組五人の同輩と共に無事に武州大宮宿の山本家定宿に着到した。
 鬼頭惣兵衛は組頭としては未だ三十歳の若手だが、今は国元で隠居をしている先代主計頭、家中では大殿様と呼ばれているお方が奥女中に手を付けて成した子で、偶さかに、家中で代々御徒士組頭を勤める家柄の鬼頭家に男子が無かった為養子に出されたが、御連枝として家中では別格に敬されていた。
 一万石の小大名である山本家では、百石取りともなれば上級家臣である。
 国家老と江戸家老が三百石取、中老格と云われる組頭が五家有り、これが揃って百石取で、平士ともなればほぼ三十石以下となる。

 この御連枝鬼頭惣兵衛、実は今回が初の江戸入りであった。今回の使者も、別に鬼頭が行く必要は無かったのであるが、一度は江戸を観てみたいと何度も国元の大殿様や兄に当たる殿様へ無心をしていた為、大殿様の働きかけで、国元の菩提寺の庫裡の建て替え寄進が無事に完了した旨の使者として、江戸を経験させてやろうということになったのである。
 
 鬼頭惣兵衛は、酒の癖に少々難がある。飲む程に、酔う程に、眼が据わり、誰彼構わず口汚く罵り始める。
 一度、宴席で国家老の額を白扇で叩いてしまい、流石に目を瞑っておられなくなった殿様から、ひと月の閉門謹慎を命じられた事がある。従って今回の旅では万一の事故に備え、出立前に国家老や重職歴々の陪席の上で、大殿様から道中の飲酒は固く禁じる旨、格別に申し渡されていたのである。
 ところが、明日はいよいよ憧れの江戸という事もあり、つい、箍が緩み、飲んだ。
 本庄、鴻巣の宿ではしっかりと酒を断っていた為、供頭の徒士小頭、三十石取、杉田重蔵は諫めもせずに止めもしなかった。少し飲ませれば収まるであろうと軽く考えていたのである。
 いつにも増して上機嫌であった鬼頭が、掛かりは全て己が持つといい、市兵衛も含む供の五人にも馳走をしてくれたまでは良かった。
 鬼頭は極々上機嫌に酒を愉しんで明日の江戸入りについて陽気に話をしていた。
 宴席も半刻程が経ち、鬼頭の膳に、空の二合入りの銚釐が三本程並んだ所で、杉田はこれ以上の酒は無用との思いから、鬼頭に自制を促すべく、
「明日の江戸入りに備え、御酒はそろそろ仕舞と致し食事に致しましょう」
 と申し上げた。
 するとこれまでの上機嫌が嘘の様に、鬼頭の顔は怒気を含んで真っ赤な般若のそれに変わり、鬼頭の猪口が杉田の顔面へ向けて飛んできた。
「無礼者っ、これしきの酒で乱れるこの鬼頭惣兵衛と思うてかっ」
 こうなっては手が付けられない。杉田は鬼頭の酒を甘く見すぎていた事を痛感した。
 左右に居並ぶ供の徒士共は平伏しながら、嵐が過ぎ去るのを待つ他無かった。
(これが、噂に聞く鬼頭の悪酒か……)
 市兵衛も平伏しながら、悪評高い鬼頭の酒癖を目の当たりにして閉口していた。
 
 足蹴にされても、どんな罵詈雑言を浴びせられてもひたすら平伏を続け、まるで経を読む様にお許しを、お許しをと唱えていた杉田をいたぶり甲斐が無いとみた鬼頭は、一番下座の市兵衛の横にいた、同輩の岡本新一朗に目を付けた。
 ふらふらと覚束ない足取りで岡本の膳の前までやって来た鬼頭は、やれ軽輩者よ、徒士といってもその内実は足軽と変わらぬ、小者一人雇えぬ貧乏侍よと、悪口雑言をひとしきり浴びせかけた後、
「そんな軽輩が嫁など貰うから逃げられるのだ」
 と、白扇で岡本の頭を叩きながら、彼が最も触れて欲しくない心の傷に触れてしまった。

 岡本は一年前、領内の酒問屋の娘を嫁に貰っていた。娘を武家に嫁がせたい一心の父親が、親類を頼って話を持ち込んで来たのだ。たっぷりの持参金付でやってきた嫁であったが、貧乏な上に堅苦しい武家の生活に馴染まなかったのか、嫁入り前から実は理無いわりな仲になっていた店の手代と手に手を取って、半年前に何処と知れず欠け落ちをしてしまい、行方が分からなくなっていた。
 一万石の山本家の主邑である伊勢平の街は、高崎と桐生を結ぶ街道沿いにあり旅人で賑わってはいたが、そう大きな街ではない。武家屋敷から町人地に至るまで、嫁に逃げられた岡本新一朗の噂は風の様に広まり、岡本は無用な外出をしなくなってしまった。それ以来、元々大人しく無口な男であった岡本の表情には、陰鬱な影が常に付きまとう様になってしまっていた。
 鬼頭がしつこく岡本の頭を白扇で叩いている内、それまで何を云われてもじっと平伏し許しを乞うていた岡本の動きが一瞬止まり、右手が震えながら脇差に伸びて来たのを、平伏しながら横目で見た市兵衛は咄嗟に左手を伸ばし岡本の右手を制止した。
 それを見逃がさなかった鬼頭は逆上し、
「主筋を手に掛ける気かっ、この不忠者っ」
 と言うや否や腰の脇差を抜き放ち、岡本へ斬り付けて来た。
 市兵衛は小具足が使える。咄嗟に脇差を振り下ろす鬼頭の内懐に入り右手首を捻り上げ脇差を奪い座敷の隅に放り投げた。
「は、離さぬか下郎っ」
「お鎮まりくださいませ」
 更に逆上した鬼頭は、背中に回されて捻じ上げられた右腕を振り払おうともがいた拍子に酔いの為に足が絡れた。
 鬼頭の腕を取っていた市兵衛は転ばぬ様支えようとしたのだが、五尺七寸の背丈の市兵衛より更に大兵の鬼頭に引きずられる形で、二人は諸共にそのまま前のめりに倒れ込み、鬼頭は顔面を強かに畳に打ち付けてしまった。
 飲酒の所為であろうか、鬼頭は鼻からの出血がひどく顔面が大きく腫れてしまい、そのまま大宮宿を動けなくなってしまった。
 
 臣下に降りたとはいえ先代の殿様の実子、現当主の腹違いの弟である。急報を受けた日本橋蠣殻町、蠣殻河岸の山本家上屋敷では大騒ぎとなり、早駕籠を仕立てて江戸詰めのお抱え医師と目付が二名、大宮宿へ急行した。医師の診立てではやはり鼻の骨が折れているそうで、腫れが退くまで暫くは動かさず安静にする必要があると診断されたため、鬼頭の介添えに二人の供を残し、目付は杉田、岡本、市兵衛を連れて江戸上屋敷へ戻った。

 三人は、上屋敷のお長屋に別々に軟禁され、個々に調べを受けたが、三日の後に沙汰が下った。
 杉田は国元に戻った上でひと月の間出仕停止。
 岡本は屹度叱りきっとしか
 鬼頭は顔の腫れが退き次第、大宮宿から国元へ帰り、閉門、謹慎である。
 市兵衛には残酷な沙汰が下りた。
 放逐である。追放とも呼ぶが、要は改易である。沙汰状にはこの様に記されていた。
 
 鬼頭惣兵衛組御徒士、山本市兵衛儀、
 公用で江戸参府中の主筋に対し奉り怪我を負わせた罪は死に値するが、三村家は軽輩と雖も上州山本家草分けの家臣である事に鑑み、罪一等を減じて放逐処分とする。

 
 江戸上屋敷の詮議之間に於いて、目付二名陪席の上、江戸家老から上意を以って沙汰を下された時、市兵衛は声を枯らして訴えた。
「組頭様は脇差を抜かれました。乱心でござる。それがしが止めなければ、今頃死人がでておったやもしれませぬっ。それがしだけが放逐とはこのお裁き、片手落ちでござるっ」
 市兵衛の必死の訴えは誰の耳にも止まらずお取り上げにはならず、杉田も岡本も抜刀の事実には何も触れなかった。
 大名の連枝が中山道の宿場町で酩酊し抜刀したなどという事が万一公儀に露見したら、一万石の山本家などあっという間に消し飛んでしまう。お家を守るためには抜刀の事実など有ってはならないというお家の意志が、この裁定には含まれていたのである。


 この後の市兵衛の記憶はまるで酒に酔った様に断片的である。
 覚えているのは、詮議之間を出る際に見た、青い顔をしたまま市兵衛の視線から目をそらしたままの岡本の横顔。
 杉田に伴われ、彼が江戸詰めであった頃の碁仲間であったという、猿江町佐治店の家主、佐治の家に連れていかれ、棟割り長屋の一室を世話された事。
 薄暗いその長屋で、杉田から、お家からの格別のご厚情という事で金十両を下げ渡された事。
 杉田は帰りがけに、一言、
「すまん、許してくれ」
 と云ったまま、長い間、じっと長屋の土間に土下座をし続け、そのまま逃げる様に出て行った事。などである。

 夕暮れに近い頃合いだろうか、坊主頭の佐治が古道具屋を連れて、鍋釜や茶碗に湯呑みなどの生活に必要な荒物や食器、布団一式と晩飯にと、佃煮を添えた塩結びを三個置いて行った。御代は全て杉田から貰っているという。又、独り暮らしの国元の屋敷にある私物は、お家が別途整理してこちらへ届ける段取りになっていると云い、最後に、ひと月分の家賃の前払いも、杉田が済ませているので心が落ち着くまで暫くのんびりしているが良いと云われた。

 薄暗い長屋の中で、市兵衛は、自分に何が起こっているのか、全く理解できないでいた。
 全て、悪い夢なのかもしれない。目が醒めたら、大宮のあの宿の布団の中で、昨晩の鬼頭の振る舞い酒を飲み過ぎたことを後悔しながら、隣で寝ている岡本に、
「嫌な夢を観た」
 と嗤って話せるのかもしれない。
 市兵衛は床を取り、頭から布団を被って横になった。
 目を瞑っても浮かんで来るのは、鬼頭や岡本、自分を助けてくれなかった上役の杉田や片手落ちの裁定を下した御重役へのを恨みごとばかりである。悶々としながらも微睡むと、お裁きが下される場面の夢を見ては目が醒める。
 一日中、醒めない悪夢が醒めてくれるのを布団の中で悶々として待ち、微睡んでは又悪夢を観、朝になり、悪夢は醒めていないことに気づかされる。
 朝遅く目を醒ますと、佐治が届けてくれたのか、上がり框に握り飯が置いてあった。
 呆として一日中布団にくるまっていても腹は減る。
 しかし、握り飯を齧っている時でも、ふと気が付けば、
「何故俺が、何故俺だけが」
「俺があの場面で岡本を制止していなければ、今頃腹を切っていたのは岡本で、俺は禄を失わずに済んでいたものを」
「俺は岡本の命の恩人ではないか」
「刃傷沙汰を防いだ俺が何故、放逐の憂き目に逢わねばならぬのだ」
 という怒りと憎しみの感情ばかりが込み上げて来る。

 三日ほど、そんな日が続いた。

 毎朝、新しい握り飯の包みを開き、塩の効いた握り飯を喰らう度に、いよいよ、これは夢ではないのだ。という気持ちを持つ事が出来た市兵衛は、重い体を引きずって、握り飯の礼を言いに、長屋の入口にある佐治の二階家へ向かった。

「少しは、お気持ちが楽になりましたか」
 つるつるに剃り上げた丸坊主頭の家主、佐治は市兵衛に尋ねた。
「はぁ。寝てばかり居るのにも飽きました。色々、造作を掛け申した」
 市兵衛は両の手を畳に付け礼を言った。
「湯屋へ、参りませんか」
「はぁ」
「暫く、湯を使っておられますまい。御髪おぐしにも、剃刀を当てた方が良い」
 市兵衛は、生返事をしながら、佐治の、縦に細長い坊主頭を見て、

(この爺さん、髭こそ無いがまるで福禄寿だな)

 市兵衛はぼんやりと、そんな事を考えていた。

(これも、夢であれば良いのに)

 少しでも隙があると、この身を包む現実を受け入れたくない思いが心に渦巻いてきて、市兵衛を苦しめた。

 佐治に連れられて、市兵衛は湯を浴びてさっぱりとし、髪結い床にも廻り、九鬼家の御下屋敷から小名木川へせり出した名所の五本松をはじめ、町内を一通り案内してもらった。
 米を買うなら奥州屋が良いと云われたのはこの時の事である。
 猿江河岸から小名木川の河岸道を東へ廻って土井家の御下屋敷の角を北へ折れ、佐治店へ戻る手前で福禄寿の佐治爺さんは立ち止った。
 そこには、縄のれんの店があった。
「もう少し、気持ちが落ち着いたら、そうですな、日雇取でも何でも良い、先ずは体を動かして働ける様になって、偶には外で飯を喰いたいというお気持ちになられましたならば、この店にござんなさい。ここは安くて旨い。客筋も悪くない。ここが良いでしょう。しかし、まだ焦る必要はない。こんな時に御酒はいけません。薬になる処か毒にしかならない。一日中、日の差さないあの棟割りで布団を被って寝ておられるのに飽いたのでしたら、晴れた日にはぶらぶらと散歩でもなすってみては如何ですか。体を動かすだけでも人の心持ちは変わってくるものです。それも焦る必要はない。嫌なら止めて、布団を被ってしまえばよろしい。焦らないことです」
「はぁ」
「自分で飯を炊こうというお気持ちになられるまで、うちの婆に握り飯を届けさせます。要らなくなったら云ってくださいな。そうしたら、奥州屋で米を贖って、ご自分で炊いてみなさると良い」
「はぁ」
 市兵衛は、己が生返事しか出来ていない事にすら今は気が付いていない。が、福禄寿はそんな事には頓着せず、話を続ける。
「失礼ですが、三村様はお独りでしたな? 煮炊きは出来ますか」
「はぁ。徒士とはいえ、十石二人扶持の足軽に変わらない身分です。母が三年前に他界し独りになってからは、全て自分でやっておりました。元々我が家には小者一人置くゆとりはございませんでしたから、男と雖も何でも手伝いましたので、そのご心配はご無用です」
「そうですか。それは良かった。おっつけ、ご両親の御位牌も、送られてくる事でございましょう。まずは焦らず、焦らず」
 そう云って、佐治は笑いながら歩き始めた。

 市兵衛が、福禄寿の佐治爺さんに、もう握り飯は不要だと申し出るまでには、まだ暫くの時間が掛かることになる。

 
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