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109 君たちはいつもそうだね
しおりを挟む鼠はつらつらと話しだす。
『猫魔が時成の思念を捉えていたのは知っているよね。』
「はい」
『猫魔が時成の思念にとりつく異形だったように、僕は時成の体にとりついていた異形なんだよ。』
…なんだか、もうわけがわからない。つまり何?時成さんには2匹もの異形が取り憑いていたということ?
『僕の場合は守るためにだった。昔、人間だった頃の時成は後悔と自責の念が強すぎてね。僕はそれから解放してあげたくて、時成の死と同時にその魂を全く別のものへとつくりかえ、人ではない存在にしたんだ』
「…。」
『時成は僕に、充分応えてくれたと思う。幾年の時を、世界に散った歪みの修正に尽力してくれた。だけどね、いつからか…時成の様子がおかしくなった。自分が何者なのか、記憶は薄弱になっていき、ついには僕の存在すら忘れてしまった』
鼠の言葉に思い浮かんだのは、記憶を取り戻した直後の時成さんだった。
「この記憶を捨てたのだ。」と「思い出したくなかった。」と嘆いていた理由は、そういうことなのだろう。
つらすぎたんだ。覚えていることが…。残酷な過去を、愛しい人の記憶を、もったままだったことが…。
記憶を自分で捨ててしまうほどに…。
(全然、解放なんてできてないじゃないですか…。)
鼠がしたことは、良い策だったとはとてもいえない。人ではないものへと生まれ変わったところで、余計な負担が増えただけだ。
『わかってるよ。所詮僕は何もできていない。そもそも獣である僕に人間の機微はわからない。だから由羅、君が現れて僕は嬉しかった。君はあの本を見つけ、時成の記憶のふたを開けてくれた』
期待通りだったよ、と明るい声を出す鼠に困惑する。
なんだろうこの鼠は…。
結局どういう存在なのだろうか…。
時成さんの味方という認識でいいのだろうか。
時成さんの中にいる異形だというけれど、今まで出会った異形達のような瘴気は感じられない…、だけどただの鼠というわけでもない。
あきらかに他の異形達とは違うなにかを感じるその鼠にたくさんの疑問が浮かぶけれど、私の口から出た質問はひとつだけだった…。
「…時成さんと、あなたが分離、することで、時成さんはどうなるんですか?」
『…その質問に答えるには、まず君に理解しておいてもらいたい。これは、僕らの最終手段だ。こうするしかないんだ。それも全て、君のせいだよ由羅』
「は?」
『君がいきなり死んだりするから、僕らは黙っていられなくなったんだ』
「どういうことですか」
『由羅、時成はいま、自分の命と引き換えに君を生き返らせようとしているんだよ』
あまりにも衝撃的な言葉に口をぽかんと開けて固まる。
何を言ってるんだこの鼠…。というか、時成さんが、なんてことをしようとしてるのか。
「…そんなのっ頼んでません!」
『それは時成も同じだよ。時成にまた、君の死を受け入れろ、なんて。それはひどく残酷だ』
「だけど、そんな今更っ。できるわけが…」
『僕らならできるんだよ。時成と僕が分離したことで、僕の能力は強化されたからね。』
「能力?」
『僕の能力は“意識を探り操作する”こと。だから死んだ君の意識もここに連れてこれたし、時成の命を身代わりにして、君を生き返らせることも可能だ』
「っ!そんなのいやです!断固断りますっ!!」
『もう遅いよ。僕は、了承した。だからほら』
見てごらん。と鼠が差した先に、いつの間にか地面に倒れている時成さんの姿が見えて、ひゅっと私の息が止まる。
それと引き換えに、死体だったはずの私の体がゆっくりと呼吸をし始めていて、絶望に襲われた。
「どうして…」
なにを、勝手なことしてるんですか…!
『ほら早く。体に戻らないと時成の死という犠牲が無駄になるよ』
「……。…死んだ人の意識を呼べるなら、時成さんの意識も今ここに呼べるってことですよね」
『え?まあ、そうだね…。』
もしかして、怒っているの?と小首を傾げてみせた鼠をギロリと睨めば、鼠はぴょんとあわてたように私から一歩後ずさった。
怒っているのかなんて、そんなの…怒っているに決まっているじゃないですか。怒りすぎて体が勝手に震えているくらいですよ…。
「ここに連れてきてください。時成さんの意識。今すぐ」
『え…。』
「早く。」
『あ、うん。』
鬼の形相をしていたであろう私の顔がよほど怖かったのか、少しひるみながら鼠はとことことどこかへ行き、姿が見えなくなったと同時に、今度は影が二つに増え戻ってきた。
見覚えのあるその人影がこちらに来るのを待つこともできず、私はそちらへとズンズンと進む。
見えてきた鼠と、その隣に立つ、時成さんに…私は一瞬泣きそうになるのを堪え、相変わらず何を考えているのかわからないそのうっすらとした笑みをキッと睨みつける。
再会を喜ぶでも、泣くでもなく、感じる憤りに身を任せるまま、私は口を開いた。
「何をしてくれてるんですか、時成さん!」
「…その言葉そっくり返すよ由羅」
顔を斜めに傾け、時成さんは少しだけ眉を下げた。
「…由羅、君は本当に、私のいうことを聞かないよね」
君の死なんてものを、私が素直に受け入れるとでも思っているのかな? と、怒気を含んだ声色で問う時成さんに少しだけ気圧されつつも、私は負けじとさらに一歩前にでる。
「時成さんだって、少しは私の願いも尊重してくださいよ!」
「由羅。私は消滅したいのだと、言っていたはずだろう。それがあるべきこの世界の幕だったんだよ」
「納得できるわけないじゃないですかそんなの!私は時成さんひとり不幸になって終わりだなんて、そんなの許しませんよ!」
「だからといって…君が犠牲になるのを、私が見過ごすとでも?少しは考えて行動してみようか。」
「考えた結果がこれですよ!」
「だとしたらもう由羅は考えない方がいいね。脳みそつるつるの頭で考えたところで待っているのは最悪の結末だからね」
「時成さんだって!自分がどれだけ皆から必要とされてるか理解してないくせによくいいますよ!少しはトキノワの皆のことも考えてください!」
息つく暇もないほどの怒涛の言い合いに、ぜぇぜぇと息をしながら私は時成さんをにらむ。負けじと、じとりと見下ろしてくるその顔にまた口を開こうとした時だった。
『君たち、僕の精神の中で喧嘩しないでよ。前世ではすごく仲が良かったじゃないか』
呆れたように呟いた鼠にぐりんと顔を向け叫ぶ。
「私は私です!前世の人とは違います!魂が同じなだけだし、というかそれすらもよくわかってないので!」
「私も前世のくだらなく女々しい男と一緒にされるのはごめんだね。」
お互いまったく譲る気のない私たちの様子に、鼠は静かにため息を吐き、頭を抱えた。
「魄子(ハクネ)。時間がないだろう?無理やりでいい。早くこのアホの子の意識を体に戻してくれるかな」
「鼠さん!聞かないでください!私はこのままでいいのでこの胡散臭い男を早くっ、元の世界に戻してください!!」
にっこりと威圧する時成さんと憤怒の形相の私という二人にずずいと詰め寄られ、魄子と呼ばれた鼠は数歩後ずさると、大きなため息をはいた。
『… 由羅は、かつての主人の魂の生まれ変わりだ。できることなら聞き入れてあげたい。だけど僕は、この幾年の時、ずっと時成の中にいた。時成の考えも感情も、もはや僕のものと言ってもいいほど。僕たちは同じ存在なんだ』
「私の望みはずっと変わらないよ。由羅を生き返らせてくれるかな」
「っ時成さん!」
「由羅、よく聞きなさい。私の役目は終わったんだ。猫魔が消え、光も消え、すべての世界から歪みも消えた。私にはもう、生きている意味がないんだよ」
「いやです!そんなことありません!時成さんは今からじゃないですか!これからやっと普通の人間として生きていけるのにっ!!」
「もう、充分なんだよ由羅。それに私はもう、由羅のいない世界を生きる自信はない…。」
時成さんの手が、私の頬を包み込んだ。その温もりに勝手に涙が溢れてくる…。嗚咽のせいで上手く喋れない私に、鼠が小さく頷いた。
『決まりだね由羅』
「ぃ、っ嫌です。か、勝手に決め、ないで…。うぅ、な、なんとかしてください…!」
『二人ともが納得いく結論へ導くことは、僕にはできないんだよ』
残念そうに告げた鼠の言葉に、唇をかんだ時だった。
『ならば、俺が力を貸そう』
突然背後から、聞き覚えのある声が聞こえてきて、私たちは固まる。
この、透き通るような力強い声は…と振り返り、予想通りの人物が見えて私は目を丸くする
突然響いた声はツジノカさんの声だった…。
『酔いつぶれている間に全てが終わっていたなんて、笑えないからな。少しは力にならせてくれ』
どうしてここにツジノカさんが?なんて疑問を抱く前に、見覚えのある白いもこもことしたものがだんだんと白い鼠の精神世界を覆っていく
『羊の能力か』と少し焦る鼠は慌てたようにぴょんと時成さんの肩に乗った。
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