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86 風
しおりを挟むその翌日、私と時成さんはアネモネさんのいるミツドナへと向かった。
アネモネさんの病室で、キトワさんとツジノカさんが見守る中。
静かに眠るアネモネさんの傍に膝をつき、私はその手を握る。ヒヤリと自分より少し冷たいその手を温めるように少しだけ力を込めた。
時成さんが私とアネモネさんのおでこに手を置き、ぐわりと意識がぐらつき始める…。時成さんを仲介に、二度目に入ったアネモネさんの中は、相変わらずの濃い瘴気の霧が立ち込めていて、真っ暗の空間に、息もしづらい…。
だけど時成さんが言っていたように、私の浄化の力が強くなっている影響か…
前回よりは随分とマシだ。それに、以前までは真っ暗の霧しかなかったのに、遠くの方に何かが見える…。
(何かがいる…。)
目を凝らすように細めれば、淡い金色が見えてきた。金色に光るそれは、猫のようなシルエットにも見える…。もしかして、猫魔なのか…?とふと頭に過り、近づくことを躊躇した時、自分の足が突然、自分の意思とは反対に何かに引っ張られるように
それの近くへと勝手に歩き出した…。
この感覚は以前と同じだ。
意思とは関係なく『行かなければ。』という衝動に駆られている…。
もしかしてまた私の体は、時成さんの首を絞めてなどないよね…と、不安に駆られながらも勝手に動く足をなんとか止めようともがいた。
行きたくない自分と、早くそばに行きたい自分とが混在して、奇妙な感覚にめまいがする…。
だんだんと近づいていき、その金色に光る何かがこちらに振り向こうとしたとたん、ゴォォっと風が吹き、私とその金色を遮った。
あまりの強風に目を瞑り、俯いた私の眼前へと何かが舞い降りた気配がして、いつのまにか止まっている自分の足にも気付かないまま、顔を上げたその視界には、信じがたい光景が映っていて、私は自分の目を疑った…。
そこには、全身鱗に覆われた大きく長い体、そしてうねる長いひげをもつ生物が私をじっと見下ろしていた…。
(ーー龍だ……!)
絵本や物語でしか見聞きしたことのない、幻の存在を目の前に私が目を丸くした瞬間、再び、ゴォオ!と風が吹き荒れ、真っ黒だった空間が白へと変化していく…。
あの金色に光る猫も、行かなければと焦る焦燥感も、意思と反する動作ももうない。
目の前にある神々しく神秘的なその存在に、ただ茫然と固まる
そんな私に、その龍は少しだけ目を細めると『カラン』と音を発した
「ぁ…」
この音は…
『カラン、カラン』
あの、鐘の音だ…。最近頻繁に頭の中に鳴り響く、あの鐘の音とまったく同じ…。
もしかしてこの龍から発せられているの?私に話しかけているのだろうか…。この鐘の音が、龍の声…?
『カランカラン…』
【時が来た…】
え…?
鐘の音に混ざって誰かの声がした。
もう一度聞こうと、無意識に一歩、龍へと近づいたその瞬間、ぐわんと後ろからひっぱられる感覚がして、意識が浮上していく…。
気付けば私の前に、顔面蒼白な時成さんがいた
「あ…」
戻ってきたの?
「…時成さん、大丈夫ですか?」
「…大丈夫ではなくなる前に切り上げたつもりだけど大丈夫ではないかもしれないね…」
にっこりと胡散臭い笑みを浮かべた時成さんの顔色が死んでいる…。どうやら今回は首を絞めるなんてことはなかったらしいけど、無茶をさせたのは変わらないみたいだ…。時成さんの傍に行き、眉を下げた私の頭に、時成さんがポンッと手を置いた。
「由羅、成果はあったのかな?」
「はい…多分…。アネモネさんの声を聴いた気がします」
鈴が鳴るような、澄んだ綺麗な声。龍の声に交じって聞こえたあの声は、きっとそうではないかと何故か思う。
「ツジノカ、キトワ。変化は?」
「いえ、なにも…。依然アネモネ君の気配は感じませんでした」
「僕も同じく。熱も感情も変化はありません」
首を振る二人に、時成さんが何かを考えるように上を向いた。
その隣で私は疑問を口にする
「…あの、異形の中に…龍の姿をしたのっていますか?」
「龍…?」
「いないはずだ。リブロジに異形の数も特徴も聞いている。リブロジすら把握していない異形がいたら別だが」
「そうですか…」
あの龍はなんだったのか…
『時が来た』とはどういう意味なのか…。
ーーー
「浄化の力を強くする事が急務だね」
アネモネさんの中での事を全て話し終えた時、時成さんが告げた。
「猫も龍も気になるけれど、アネモネの言葉の方が重要に思う。その言葉の『時が来た』の意味がもし、私の考えるものと同じだとしたら、今は嵐の前の静けさも同じ。異形も猫魔もまだ大人しい今のうちに、早急に由羅の準備を整えなければならない。」
すぐにマナカノに帰るよ。と珍しく少し焦った表情を見せた時成さんは、キトワさんとツジノカさんにそれぞれ指示を出し終えると、ミツドナをあとにするため歩き出した。
なんだかよくわからないけど、大変な事が起こりそうな事だけは理解できた…。
「と、時成さん、体調は大丈夫なんですか?」
顔色が悪いまま、スタスタと歩く時成さんに、遅れぬように少し速足で隣に並び聞いた私の問いに、
時成さんはピタリと足をとめ、私を見た。
「…由羅、これから私の心配はいらない。自分の事だけ考えなさい」
「は…?」
言うだけ言って、再びスタスタと歩き始めた時成さんに、私は思いっきり顔をしかめた…。
なんですか、ソレ…。
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