国民の監察医（こくみんのかんさつい）

きりしまつかさ

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第0006話「指紋鑑定」

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警視庁の庭は普段よりずっと閑散としていた。

人口数十万の県庁所在地とはいえ、重大犯罪が発生する確率は高くなく、一年に十件前後ある非自然死の中でも殺人事件になるのはせいぜい一～二件程度だ。

そのため今度の案件が単純そうに見えたとしても警視庁は全員出動体制だった。

江遠が事務室に戻ると四階にある指紋鑑識室だけが空いていた。

指紋鑑識室のドアは開き、誰かがキーボードを叩く音が聞こえていた。

「報告書は丁寧に書いてください。

この案件は死刑になる可能性があるから厳格な検証が必要です」吴軍が江遠に注意を促したあと続けた。

「我々が以前やった事件でプラスチックの油タンクという証物があったんですが、その事件が解決して二年後突然電話がかかってきて『写真にある油タンクは白いのに実際の証物は黄色だった』と問い合わせてきました」

江遠がパソコンを起動しながら尋ねた。

「なぜですか？」

「なぜですか？プラスチックが劣化したからです。

補足資料を作成しなければなりません」吴軍が一息入れながら続けた。

「それを言うのは死刑の検証は他の事件よりずっと厳しいということです多くの目でチェックされますので基準を少し高めても良いでしょう」

「分かりました」江遠が素直に従うと暫くして尋ねた。

「十七叔との関係……隠す必要があるでしょうか？」

「近親者だけです」吴軍の言う近親者は法律条文によって範囲が異なります。

行政法では最も広く刑法では最も狭く夫妻・父母子・兄弟姉妹までとされています

江遠が安心して業務に取り掛かるとすぐに机の前に並んだ写真列が目に入った。

十七叔の腸、十七叔の心臓、十七叔の脳切片、十七叔の胃内容物……江遠は慎重に選別し詳細なメモを付けた。

警察にとって捜査の煩雑さは事件解決よりも遥かに大きい。

目の前の殺人事件が単純明快で加害者が自白していても手続き段階では数え切れないほどの書類作成が必要になる

終業間際になってようやく警視庁の庭に騒音が響いた。

江遠が窓から見ると三台の車が止まり二中隊の劉大隊長は武装したように中央のパトカー前に立っていた。

十七婆は痩せた体で呆然と手錠を付けて後部座席から降りてきた

正直江遠には十七婆に好悪感覚はなかった。

医学部で五年間過ごし高校時代も三年間寄宿舎生活だったため十七叔の大きな腹の方がずっと印象的だったのだ

「加害者は凶器として使ったと指認しています。

それは料理用ナイフで小区外のゴミ箱に捨てられていた」吴軍も立ち上がり下を見ながら江遠に最新情報を伝えた

江遠が息を吐いた。

この段階まで来れば事件解決はほぼ終了だ。

凶器を捨てた場所や別の場所での指認があれば有罪確定の難易度は単なる供述より十倍以上高い

「遺体の搬送は一人ではできないだろう」江遠が追加質問した。

「弟が手伝ったんだ。

店の野菜運び用三輪車と押し入れを使ったよ」と吴軍が一呼吸置いて続けた。

「犯人も捕まえて、自白させた」

これで証拠と供述が揃い、ほぼ確定的な事件となった。

胡乱思考する中、半透明のシステム画面が浮かび上がった。

タスク：全身検死を行い犯罪捜査を支援せよ

報酬：重慶式単指紋分析法——弓型紋鑑定（LV3）

江遠は目を見開いていた。

すると銀色の塊が彼の額に飛び込んだ。

多様な情報が暴走するように押し寄せてくる。

重慶式単指紋分析法とは、単指紋分析法の一種で国内初採用の手法だ。

一つの指紋、あるいは欠損した指紋のみを対象とする専門技術である。

これに似たものとして国内では青島式、国外ではバッテリー式などの方法がある。

これらの分析法は優劣ではなく、指紋の分類や分型が異なるため手法も若干異なり、単純な比較検索とは限らない。

簡単に言えば指紋比対技術である。

江遠の目が輝いた。

痕跡鑑定の本質と言える技術だ。

しかも習得に時間を要するものをシステムが直接提供してくれるなど、幸福感が増した。

しかし指紋比対は決して楽なものではない。

例えば何らかの指紋写真をコンピューターに入力すると「ギシギシ」と類似度が高いものを探し出すような機械は存在しない。

国際的に確立された自動指紋認識システム（AFIS）では、RBNECやアメリカのコーゲント、フランスのモルフォなど様々な方式があるが、いずれも現場で採取した指紋の特徴点を人工的にマークし、その特徴点を自動的にマッチングさせ、類似度順に候補リストを作成する。

これは圧力や保存状態などの影響で変形した非線形なパターンに対応するためだ。

犯罪現場の指紋は多くが欠損しており、機械だけで完璧に処理できるものではない。

つまり自動認識技術には事前の人工的前処理が必要なのだ。

一方、勤怠管理用のICカードなどでは単純な同一性判定しかできず、警察の要求水準には程遠い。

吴軍は江遠の表情を見ると何か考えているようだと気づき咳払いをし、「特に問題はないから帰りたいなら帰っていい。

残りは私がやる」と言った。

「えーと…大丈夫ですか？」

江遠は少し迷った。

「新しい技術を試してみたい気もするが、家でやってみてもいいかもしれない」

「我々の仕事はこれだけだよ」吴軍は鼻を膨らませた。

まだ忙しくしている警官たちとは違い、法医の業務は終了していた。

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