国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

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第0819話 休沐

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焼肉屋の庭園。

清雅な淡い臭気、庭から漂い出て回転し螺旋を描き高く昇る。

馴染み深い草原の牛糞の匂いが燃え上がり暖かく臭く、優しく客の周囲に絡み付いてくる。

言葉を交わすのもためらうような感覚で、やめられない。

「早く一口食べさせてくれ」遅刻した黄強民が飛び込んで来て焼肉を掴み二串ほど豪快に頬張る。

同来の数人も同じ動きをする。

食べた後、黄強民は鼻をすってため息をついた。

「そういえば臭くないな」

「俺も初めて榴莲の匂い嗅いで思ったんだよ。

あれが売ってるのかと思った」柳景輝が笑いながら言う。

「食べてみればまあいいけど、今なら良い匂いに感じてる」

「俺はもうすでに唾液が出るわ」唐佳も一串を頬張りバリバリと食べる。

前回の牛糞焼肉で悩んだ記憶があるが今回は迷わず。

刑事だろうが鼻から臭いものを嗅いでない奴はいない。

唐佳という女警だって現場に出る回数は普通の刑事より多いかもしれない。

むしろ女性容疑者が出る場合はさらに頻繁に現場に行く。

王伝星が手を振って呼びかけた。

「陳さん、ここに榴莲はないか?開けてくれ」

「あー……実は考えてたんだよ」陳達金が焼肉の糞炉から立ち上がると笑った。

「誰かが嫌がるかもしれないと思って、果物店で買ってこようかと思った。

いくらならいいのかな?」

「構わねえ」王伝星は頷いた。

「10個くらい買ってくれよ。

人が多いんだから」

「食べきれないかも」

「大丈夫だよ。

食べる分だけ開けて、残りは食堂に持って行ってやる。

未出勤の連中には屎の匂いがしないようにしてやる」王伝星は日常的に積案班の台帳を作成しているだけでなく一部の小金も管理する立場だった。

陳達金が頷きすぐに店員を遣り出した。

唐佳が笑って言う。

「お前らだけでいいんだよ。

帰りに大馬へ行って、榴莲食べ放題だぞ!あの辺は成熟度が高い品種もあるし黒刺とか特殊なやつも」

「前回は機会なかったから今回は現地警対策課が協力してくれればいいんだけど……」牧志洋が笑いながら言うと、「でも榴蓮は飛行機に持ち込めないだろ……」

「帰り便なら頼むか?」

黄強民が突然言った。

牧志洋が一瞬迷った。

「関税局の規制があるんじゃないかな……」

「彼らなら何とかするさ。

それとも大口貿易業者を通じて高熟度の榴莲を一括輸入させればいいかもしれないよ」黄強民は牧志洋を見つめて言った。

「時に過剰な要求をしてみないと、相手が本当に協力してくれるかどうか分からないんだ」

牧志洋が慌てて頷いた。

柳景輝は寧台県人ではないので席を立って羊肉串を持ってきた。

黄強民たちの会話が終わるまで待ってから戻り皆に分けた後、口に入れた羊肉串を噛みながら満足そうに言った。

「陳さんのこの羊肉は本当に柔らかいんだよ。

ちょうど火通りで肉汁も出てて最高だわ」

「好きならいいんですわ」陳達錢が笑いながら続ける。

「ただ皆さんがこの味を嫌うんじゃないかと思ってたんですよ。

でも二度目の客は結構来てるみたいですね」

柳景輝(りゅうけいひ)「老陳、その考え方……面白いな。

最初に便器の臭みを嗅ぐのは大変だろ? でもみんな一度はお前の店で便器の臭みを嗅いでるんだぜ。

二度来ないなら損失が大きすぎるんじゃないのか?」

陳達錢(ちんたつけん)「その視点……意外と斬りそうですね」

柳景輝「だから臭いというのは安定剤なんだよ。

天然の宣伝効果があるんだ。

一度来た客は二度目も来るし、さらに友人を連れてくる。

最終的には多くの人が来たら、他の人は試さないわけにはいかなくなる。

例えば臭豆腐や臭鯉魚(ちゅうりょうぎょ)、ネギのスープみたいなものだぜ。

臭いものは宣伝しやすいんだよ」

「本当にそうなのか……」陳達錢は毎日黙々と『便器焼き』を作っているだけだったが、その理論的深みに驚いていたようだ

唐佳(とうか)が隣で笑う。

「うちの部屋では最初一人だけが榴蓮を食べていた。

他の人は臭いと言って嫌がっていたけど、三つ目まで食べたら最後の一人は誘われて試したんだ」

「そういえば……」陳達錢の目が光る。

「私の厨房にはもう一ついいものがある」

「何ですか?」

柳景輝が警戒するように尋ねた

「麻豆腐(まとうふ)は好きか? 俺は専門に数瓶作ってある。

麻油で一ヶ月間漬け込んでおいたから、今食べるとちょうどいいんだよ」

「麻豆腐……記憶違いはないのか? それは臭いんじゃないのか?」

「その通りだ」陳達錢が言う。

「臭くて食べるのも臭いけど、油で揚げたらふわっとして外はサクッとしてる。

外カリ内フワのやつさ。

ちょっと待って準備するよ」

陳達錢も喜々しく店を出て行った

柳景輝は暫く硬直していたが、少し経て深いため息をつくと隣の人を見ながら笑った

牧志洋(まきしよう)が慰めるように言う。

「柳課長、大丈夫だよ。

便器焼きに来てるんだから、もう一つ焼いてやればいいんだぜ」

「良い慰めだね」柳景輝は牧志洋を横目で見ながら続ける。

「俺が嘆いているのは麻豆腐じゃなくて、事件のことさ。

方徳福と方徳寿の兄弟は主犯か共犯か分からないけど、死罪か死緩になるだろう。

それに一人被害者が出れば、方家は滅びるんだよ」

「被害者は関係ないわ」牧志洋が言う。

「殺人者の家族全滅ならいいことだろ?」

柳景輝「さみしいだけだよ。

江遠(こうえん)という名前がまた呼ばれるようになったら、『滅門の江遠』って呼ばれるんだぜ」

唐佳がピンクのクリップで挟むように繰り返す。

「滅門の江遠……いい響きじゃない?」

「兄弟同士で金のために自分の兄を殺したんだから、彼らは自ら滅びの道を選んだんだよ」江遠は無関心に肉串を受け取った

雷鑫(らいしん)が感慨深げに言う。

「兄弟間の不和があると、時には敵よりも酷い場合もあるぜ」

**

「日積月累の矛盾が突然爆発した。

現在の事件の動機はほぼ同一だ」柳景輝の口調には少々不満が滲んでいた。

現下最多発の殺人事件は激情殺人、事故殺人、そして親族間の殺人である。

逆に金品目的や色欲目的による素面同士の殺人は希薄だ。

推理小説で死んだ人物より現実の一地域で死んだ人物の方が遥かに多いと言える。

「あー毛豆腐来ましたぞ」陳老板が叫びながら手下数名を連れて瓶束、鉄鍋と豆油を抱えてやって来た。

柳景輝らは事件の議論を中断し好奇の目を向けた。

「この毛豆腐は辣椒塩などで和え、麻油に入れて数日間寝かせれば食べられる。

出来立ては白髪が生えたようだが今は見分けがつかない……最も美味しく食べる方法は揚げ物だ」

陳達泉が熱心に毛豆腐の食べ方を説明しながら大鉄鍋を構え豆油をドォォと注いだ。

「広めの油でないと美味しくないんだ」待つ間、陳達泉が瓶を開け中身を取り出す際に「ご覧になりたいか?」

と尋ねた。

牧志洋が勇んで前に出る。

「どうでしょう?」

皆が興味津々に見守る中、牧志洋は一瞬考えた末に「牛糞の臭いではない。

毛豆腐は純粋な臭いだ。

あの臭豆腐と何が違うんだ?臭豆腐もこれと同じように揚げ物になるのか?」

陳達泉が揚げながら考える間もなく「臭豆腐の方が美味い」と即答した。

「それよりこの方が臭い」牛糞焼き肉の調理人が補足した。

毛豆腐を揚げ終えた陳達泉はまず調味料を加え各人に一枚ずつ配った。

柳景輝が警戒しながら口に運びしばらく待ってから「本当に軟らかくて美味い」と評価した。

「確かに腐っている」

「臭い」

「臭豆腐と変わらないんじゃないかな、臭さでは負けない」

……

翌日。

休養を取った江遠・牧志洋・王伝星らはまず長陽市へ車で向かい上海国際空港から大馬へ飛行機で移動し、使節館警務協力官褚冠梁の案内でマレンボ警察署に到着した。

現地の警部補鍾仁龍とニチャが既に待っていた。

形式を済ませた後江遠はLV2のインドネシア語で二人と案件について話し始めた。

共同捜査への参加は事前に合意していたが、具体的にどの事件かについては協議されていなかった。

すぐにニチャが長いリストを出した。

「全て現行殺人事件です」褚冠梁が兼任通訳役を務めた。

牧志洋がその長いリストを見た途端「ちょっと異常だな」と感心した。

「ここに40%の解決率とあるが、残り60%は未解決案件だけでなく誰も手をつけていない事件も含まれている」褚冠梁が一旦言葉を切って続けた。

「だから皆さんは江さんのチームが複数件関わることを望んでいる」

「我々も特定の一件で詰まる可能性があるかもしれない」江遠がインドネシア語でニチャと鍾仁龍に指示した。

「死体が残っているものをマークして欲しい。

死体があれば解決率が高いかもしれない」

「はい。

神様」鍾仁龍がリストの1/3を塗りつぶし少なくとも十数件あった。

リストを塗り終わった後鍾仁龍が「この一件だけ特別に」とある事件を指差した。

江遠が「なぜ?」

と尋ねるとニチャが「これは特殊なケースです」さらに説明を続けた。



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