国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

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第0834話 人選

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その日、江遠はまだ事件を選択していなかった。

「ロン・ウィン議員の死体不明事件」は前年の案件で、大馬警備当局が莫大な人員と予算を投入し、昨年と今年にもそれぞれ再捜査を試みたものの解決に至っていない。

良い面から見れば、この事件には整然とした証拠が集められ、量も質も高く、また一件の解決後も関係者の死亡記録はなく、事故死や自然死などいずれかの形でない限り……と。

崔小虎と褚冠梁のような政治案件に慣れた経験からすれば、この事件の安全性は相当高いと言えたし、むしろ政治とは無関係かもしれない。

とはいえそのように考えたとしても、二人はそれぞれ上級機関への報告を済ませていた。

江遠も同様で、黄強民に知らせた後は安心してマンゴーを食べ始めた。

仕事を急がなくても良い。

大馬の司法構造では、被告人から逮捕・判決まで、そして審結までも至るまでのプロセスと期間は非常に長く、三~五年というのは早い方だ。

その視点で見れば、江遠が数日間で一件の殺人事件を解決したことは、ニチャにしても驚きを禁じ得ず、同時に彼を多忙させることにもなった。

江遠はそのまま皆と遊び回り、次の日の昼頃には黄強民が早朝便で到着していた。

「誰かから連絡があった?」

黄強民はまずそう尋ねた。

江遠らは互いに顔を見合わせて首を横に振った。

「無意の怪我や交通事故、奇妙な手紙や電話など……」黄強民が指折り数えながら一気に列挙する。

「ない」と王伝星が断言した。

「ああ、まあ。

部委要員のご意見では、影響力のある案件を一つやる必要があるとされているが、刑事技術捜査を中心に、可能な限り事件そのものに集中すべきだとのことです」

江遠はこれまでの刑事事件で政治とは距離を置いてきたが、確かに一部の刑事事件は政治と切り離せない。

例えばアメリカの大統領暗殺事件や小ケネディ強姦事件、あるいは某島国の陳土円射撃事件など、また中国古来の大案件である明の四大奇案も同様に政治的事件中の刑事事件であり、そのような案件は捜査担当者にとって極めて厳しい試練となる。

とはいえ政治的事件中の刑事事件は主に政治が中心だが、その事実関係自体も無視できないし、時には直接結論を左右するほど重要な場合もあるのだ。

黄強民が上層部と詳細な調整を行った後、江遠は異存なく準備を整え、大馬警備局へ向かった。

同行者は以前のチームに加えて大使館から一名のスタッフが合流した。

事前に連絡済みだったため、警備局に入ると既に様々な人々で賑わっていた。

警服姿の警察官やスーツ姿の政府職員、明らかに公務員ではない人物らも交じっている。

「この規模の陣容からして、我々は警備当局からの極めて高い関心を向けられていると言える」

崔小虎が江遠のすぐ後ろに付き添いながら深刻な表情で言った。



フ  褚冠梁は大笑いしながらも、同様に側に付き添った。

「倫恩は地元のベテラン議員だ。

各方面と千々に絡んでいる。

ある者は生きていてほしいと思うし、ある者は死んでいてほしいと思う。

当時は多くの人が何とも思っていたかもしれないが、二年経つと今はただ真実を求めるだけになったんだ」

「なぜなら真実は人々の本性を見せるからだ」途中で加わった大使館職員が一言述べた。

「我々は彼らの言うことを聞くだけでなく、彼らがどう行動するかを見る必要がある」

「見ればいいさ」江遠はそんなことは気にしない。

関係ないんだ

現在の江遠の視点では捜査の方がずっと簡単だった。

他のこと抜きに周囲に無数の人々がいる複雑な経緯と態度を見ると眉をひそめずにはいられない

「部屋で案件を見る」江遠はニチャと鍾仁龍だけに声をかけた

鍵仁龍がすぐ返事をした上で「江隊、結果が出たら電話するから」と付け足す

「絶対に秘密厳守だよ」ニチャも注意した

江遠が眉をひそめた「秘密保持が必要ならなぜ終結まで待たないのか?」

ニチャはため息をついた「来る人間たちの連絡は我々がしたんじゃない。

正直に言うとリークしたのは誰か知ってるけど、ロン恩溺死事件は多くの人が注目しているんだ。

彼らを断固として拒絶するよりはメリットがあるかもしれない」

江遠は鼻を鳴らした「分からないけど理解できる」

ニチャが咳払いしながら急いで補足した「実は江隊はこの案件に非常に適任だ。

捜査の速度が速いからこそ、各方面の反応が来る前に結果が出れば理想的なんだ。

実際我々が再開した当初は特に抵抗はなかったんだが、時間が経つにつれて各方面の力が障害を設け始めた……」

「君は江隊に早く捜査させろと言っているのか」褚冠梁がマレー語で笑いながら言った鍵仁龍が傍らで通訳した

江遠もマレー(インドネシア)語で答えた「速攻捜査は問題ない。

この案件は刑科の見地からそれほど複雑ではないんだ。

重要なのは貴方たちが排除対象を徹底的に調べて採取し終えた後に正式な質問乃至は尋問を行うことだ」

江遠マレー語LV2(日常会話レベル)の表現は非常に明確だった

ニチャが慌てて頷いた

江遠が首を横に振った「私が求めているのは単なる聞き取りではない。

標準的な排除対象となる人物は警署に連れてきて徹底的な検証と採取を終えた後、正式な質問乃至は尋問を行うことだ」

ニチャらの表情が次第に重くなり始めた

排除は中国警察だけが好んで使うのではない。

国外でも好まれる方法だった。

今は聞き少なくなっているのは彼らが使い切ったからかもしれない

ニチャらにとってはロン恩議員は自宅プールで溺死した。

事件当日夜には自宅でパーティーを開いていた。

来客が多くともあれ「往来無白丁(高級な人々しか訪れない)」という言葉通りの場所だった

もし単なる事情聴取程度ならニチャたちも問題ないが、警視庁に連行するようなケースとなると、関係者たちは弁護士を呼んで一言もしゃべらず警察の気を削ぐまで黙り続ける可能性が高い。

「何人くらい連れてくる?」

ニチャが尋ねる。

「まずは絞り込んでみよう」江遠が会議室に入るとテーブルに数枚の写真を並べた。

「プール脇の足跡は多いが、死体解剖報告書によれば犯人は被害者の頭を水の中に押し込み溺殺した。

その場合、犯人の足跡はプールサイドに残り、力の加減も読み取れるはずだ」

江遠は言いながら数枚の写真だけを切り出した。

「もし犯人が足跡を処理したなら例えば掃除や水で流すような形で……」ニチャが急ぎそう尋ねる。

「痕跡は残っている」江遠がファイルを指し示す。

「現在までプール脇の足跡を処理した記録も、その周辺の清掃を行ったという証言もない。

清掃係は翌朝まだ仕事始める前からレーンの死体を見つけた後に警察に通報している」

「つまり……」ニチャが唇を舐めながら江遠を見つめる。

「つまりこの足跡だけが犯人のものだ」江遠が写真を軽く動かした。

俯瞰図と個別の足跡写真があり、詳細な様子が確認できる。

技術班は複数の足跡を疑っていたが、プールからの距離などで判断するしかなく、力を入れた程度や方向性までは読み取れず、捜査段階で人物を絞り込むことはできなかった。

裁判での証拠としても危うさがあった。

江遠はその必要も感じず、足跡から得られたデータを示すと「この足跡からは犯人の身長が約170センチメートル、168から172まで体重70キロ前後。

男性で33歳から38歳くらい、体格が良く腕力も強く身体の安定性が高い。

長期的なトレーニングを積んでいると推測できる」

これまでの判断よりは控えめな分析だが、この基準で客席リストや家族・従業員名簿を絞り込むと残る人数は少なかった。

不安が募っていたニチャの胸に急に自信が湧き、内心後悔すら覚えた。

「早く言えばこんなことにならなくてよかった」



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