188 / 288
0100
第0195話「優しい犬」
しおりを挟む
カレンの眼前にホーフェン男爵の姿が浮かび上がった。
老人自身も慌てふためいているようだ。
高齢者から見れば、このページまで読み進めたカレンは邪神「悪魔」に取り憑かれているとしか思えない。
ホーフェン男爵の「感情」を理解できるのはカレンだけではない。
ケビンの封印下にあるのは確かに悪神だ。
その悪神がペット状態に素早く変化し、ドアを開け閉めするような技能は生まれつきのもので、自分自身だけでなく術法も提供しつつプーアルに乗り回される存在だった。
しかしカレンは決してそれを自分のわんこと見なさない。
この金毛犬がどれだけ温かく優しいように見えるほど、その内面には怒りと不満が蓄積されているのだと人間心理から推測するのだ。
それでもカレンはケビンに封印を解くことを決意した。
慈悲や感情ではなく、自分のチームが小さい以上、賞罰分明でなければ隊伍がまとまらないからだ。
封印が重層的なら自分も段階的に解除していく。
その上で自身が常に制御できるようにすればいい。
ケビンの身分が露見すれば正教会からの無慈悲な弾圧を受けるだろうが、わんこが壁を乗り越えて密告する可能性はないとカレンは判断した。
そこに座っているケビンも何かを感じ取ったようだ。
視線が書机に向けられつつも温かなゴールデンレトリーバーの笑みを保ち続けている。
具体的な封印解除方法は第二段階から始まる九つの手順だった。
ホーフェン男爵がカレンに与えた公式通り、解き方を一つずつ適用していくだけだ。
各段階の終わりにはホーフェン男爵のコメントが添えられていた。
「第二段階……本当にそれでいいのか?」
「第三段階……もう少し考えてみる価値があるだろう?」
「第四段階……彼は悪神なのだ!」
「第五段階……今こそ醒めよ!」
……
「第九段階……本当にその覚悟なのか?」
「第十段階……悪魔の檻を開ける準備だぞ!」
全てを読み終えたカレンが伸びをすると、ついでに最後のページを開いた。
ホーフェン男爵からのメッセージだった。
「ラネダルが封印される前、ディースはあなたの胸から掴み、彼の胸から引き出した。
その魂……いや存在媒体と私が封印した際に、どうしてもインメレーズ家の匂いを付着させてしまった。
そこで良い知らせがある。
小カレンよ、この陣はインメレーズ家系に属する者だけが解除できるように設計されている。
ディースの血祭儀式の影響も考慮すると、この世で悪神様の封印を解くのはあなたとディースの二人だけだ」
当然、特殊な存在も例外なく封印を解くことは可能だが、問題は邪神様がその存在に助けを求めることに躊躇するかどうかだ。
「この文書を見せてやろう」そうだろう。
既に部分的な封印解除を許可した以上、文字理解能力があるはずだ。
最後に、
邪神様へ挨拶する
『一生忠実に仕えること、それが貴方の唯一の救い道だ』と。
カレンは鼻を撫でながら茶を飲んだ。
この文書をケビンに見せるのは犬にとって酷な行為だと感じたが、
人生も狗生も試練を通じて成長するものだ。
困難なくしてどう成り立つか。
そこでカレンはそのページのメモを指した。
アルフレッドが近づきノートを受け取り、カレンが頷くとケビンの前に置いた。
ケビンの頭部(犬)が左右・上下に揺れながら真剣に読んでいる様子が見て取れた。
最後の一文を読み終えると目を瞬かせた後、舌を出し鈍い笑みを見せつつ尻尾を振っていた。
アルフレッドはケビンの前にしゃがみ込んで言った。
「本心からなのか演技なのかは分からないが、伝えたいのは貴方が人生で最も重要な機会に直面しているということだ。
偉大な存在は貴方への仁慈と広大な胸襟を示すだろう。
金毛種かラネダール種か、野良犬であろうともこの席に座ればその光が全身に降り注ぐ。
空や地面も非情で全ての生物を草結びの狗として扱っている」
「……」ケビンは黙った。
「その言葉の深意を感じ取れたか?」
アルフレッドが尋ねた。
ケビンは頷きつつ首を横に振った。
アルフレッドは笑みを浮かべて言った。
「それほど重要ではない。
ただ伝えたいのは、貴方の忠誠心や我慢強さ、裏切りや不満など、偉大な存在にとっては関係ないということだ。
貴方の行動がどんな結果を生むとしても、その光はより輝き続けるだろう。
重要なのは貴方の選択が未来の地位にどう影響するかだ。
永遠に虚無の闇に放逐されるのか、それとも聖なる壁画の一隅で貴方だけの場所を得られるのか?」
ケビンはアルフレッドを見つめたままだったが、彼は立ち上がりカレンの方を向いた。
「お主様、材料は準備済みです。
明日から始めることにしますか、それとも今すぐですか?」
「今すぐだ」カレンが答えた。
「終わったら休むことにする」
睡眠はカレンにとって重要な時間だった。
彼は新鮮な精神で次の日を迎えられるよういつもそうしていた。
「分かりましたお主様、一刻も早く準備を始めます」
「うん」
アルフレッドは書斎から倉庫へと向かった。
カレンは立ち上がり寝室に向かった。
プールが毛布をかぶって横たわっている。
その寝顔は深く、安らかな呼吸で毛布の端を持ち上げていた。
「今日はアルフレッドが回復したばかりの能力を使ってボイラーを燃やし切ったんだよ」
カレンはその情景を想像しながら口角が緩む。
すぐに書斎から音が聞こえてくる。
彼女は戻ると、アルフレッドが儀式環境を整え終えていた。
ケビンが中央の椅子に座り、笑みを消して真剣な表情で緊張していた。
その前に背もたれ付きの小板凳があり、これはアルフレッドがカレンのために用意したものだった。
カレンは板凳に腰掛け、アルフレッドがさらに二つの小さなテーブルを持ってきた。
左側にはノートブック、右側には氷水の入ったグラスと黒いチョコレート、クリームシフォンケーキを置いた。
「時間がかかるだろうから」という配慮でアルフレッドは準備を整えていた。
カレンがノートブックを持ち、第二段階から手順に従って作業を始めた。
するとケビンを取り巻く陣法が輝き出す。
彼女は左手でノートブックを持ち続けながら右手で指先を動かし、ケビンの方向へと探り出した。
「公式や手順は与えられたとしても、生々しい接触を避けて基礎的な計算を行う過程では、どうしても時間がかかる」
カレンが深く侵入するにつれ、ケビンの周囲に原理の光輪が現れた。
その一角で光明余党の老者の姿が浮かび上がる。
アルフレッドは初めてこの存在を見たが、既知の存在だったため頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
老者も同様に会釈した。
「お初にお目にかかります」
すると老者は儀式に近づき黙って観察し、アルフレッドもそばまで進んで並んだ。
「貴方の影響は及ばないでしょう。
安心して下さい。
私は思想のみで存在します。
貴方が彼をどうするか?」
老者が指差したのは、陣法作業に没頭しているカレンだった。
「貴方は貴方の幸福です」
「不純なものだ」老者は遮ることなく言った。
「私は疑っている」
「貴方が神々と呼ばれる存在を指導し、未来への明確な道を見せるのは貴方の機会です」
「私は思想の烙印に過ぎない。
私ではない。
私の本体にも影響できない」
「空と大地は残酷で、全てのものを草人形の犬のように扱っている」
アルフレッドは語録の一節を口ずさめたが、これは言葉尽くしではなく、その言葉自体が適切だったからだ。
以前は犬に向けたものだが、今回は思想の烙印に向けた。
どちらも人間ではないし、後者は生命すらない存在だった。
「草人形の犬とは何ですか?」
「私の解釈では、特定の文化圏で神々を祀る際に用いられる……犠牲品です」
「犠牲品か。
それなら空と大地は神々でしょうか?」
「はい、でも私はむしろ、神よりも偉大な呼び名だと信じています。
少なくとも、それは諸神の意志を集めたものでしょう」
「分かりました、この言葉は味わい深いですが、同時に破壊的です。
なぜなら各神教が自らの神と信者を一種の親密関係で結びつけるプロパガンダを行っているからです
原理神教の人々が研究した『神性を点と面に分類する』という理論よりも、貴方の説は一つ段階が高い」
「うむ、私は非常に快適です。
なぜなら私も本体と同じように『草食動物』呼ばれる存在になったからだ」
「ああ、私の信仰が剥離し、同時に私の自己認識も消えつつあることを感じています」
「あなたを生み出したのは主人の意志であり、自我を持たせたのも主人です」
老い先知はアルフレードを見つめ、驚きを隠せない。
直感的に危機を感じた。
なぜなら自分が未来にこの赤いスーツの男になるかもしれないという予感があったからだ
そこで老人は話題を変え、儀式の中心にあるケビンを指して尋ねた
「その犬の中に封印されているのは何か?」
「うむ」
「何が封じられている?」
「一尊の邪神です」
「えっ?」
「邪神ラネダルです」
「おお……」
老人の表情が驚愕に歪んだ。
自分が最初に登場した際の冷静さを忘れ去った
「では現在行っていることは?」
「主人が自ら邪神の封印を解いているのです」
「聞き間違いですか?」
「いいえ」
「狂気ではありませんか?」
老人は再び尋ねた。
表情が驚愕から固まったまま
「あなたとこの邪神、主人の目には『草食動物』です」
「おお……」
老人は呆然と答えた。
その姿形が歪みだし声も乱れ始めた
「私は依然として……偉大なる光……光の神を信じています」
アルフレードは笑って返した
「しかし光の神はあなたから遠く、主人だけが常に眼前にいるのです」
「そうだね……」
老人の姿形が徐々に消えていく。
現れる時間は短くなりつつも受ける衝撃は増していく
その時、カルンがケビンへの封印解除を最終段階へと進め始めた
同時にケビンと彼の体内の存在もカルンに対して完全な信頼を開いた
距離が近い場合、強い方の魂は相手の深層記憶を見ることができる。
職業的習慣からカルンはその機会を拒まずに受け入れた
「バシャーッ……」
「バシャーッ……」
波の音が連続して響く
カルンは自分が砂浜に立っていることに気づいた。
目の前の岩場に男の姿があった。
近づき岩場に上がり、その隣に並んだ
カレンは、岩場の向こう側に広がる港を見やった。
そこには無数の海賊船が停泊しており、その上では人々が密集して立っていた。
すると、白い長衣をまとった女性が群衆から現れた。
彼女は一人で小舟に乗り込み、港の端へと向かう。
岸辺では女性たちが彼女の前に膝まずき、讃美の歌を口ずさめた。
周囲の恐ろしい海賊たちも一斉に静寂に包まれた。
その船は深海へと進み、女性の体から優しい白光が発せられ、月のように降り注ぐように輝いた。
突然、海底から壁のようなものが現れ、日没を遮るように高くなり始めた。
しかし彼女の光はそれを取り替え、巨大な口がその中に形成された。
船はその口の中に漂い、瞬間的に閉じられた。
すると空に雨が降り出し、港では女性たちの悲しみの声が響いた。
カレンの隣にいた男が海に向けて叫んだ。
「私は約束する。
いずれかの日、海神教を滅ぼし、海神その人を堕ちさせる!」
記憶の映像はそこで途切れた。
カレンの視界には十二個の光輪が浮かび上がり、それは十二重の封印を象徴していた。
彼女は最初の光輪に手を伸ばすとすぐに消えた。
意識を取り戻したとき、金毛のアルフレッドではなく、頭を爪で隠し涙をためているケビンがいた。
何も言わずにカレンはアルフレードに撤去を指示し、浴室へ向かった。
温水が身体を包むにつれ、彼女は先ほど見た映像を思い出すのだった。
小船に乗った女性はミルス神であるのか? ラネダールの恋人はミルス神なのか?
調べた資料によると、彼女は海辺の売春婦たちを守るため深海へ赴き、大海に飲み込まれて海神の愛人となった。
それ以来、海賊団には「妓女への支払いを滞らせれば船が沈む」という規則が生まれた。
これはミルス神と海神の約束だ。
無法な海賊たちを恐れさせる唯一の存在は大海だったのだ。
フローラス神は厳密には主神ではないし、正統教会も彼女を真の神として認めない。
海神に依存する派生神のような存在だ。
しかし原教旨主義的海神教が崩壊した後、正統海神信仰が分裂し、かつては支流だったフローラス神が台頭していった。
彼女の信者はもはや海島の船乗りたちに奉仕する売春婦だけではなく大陸全域に広がった。
海神教崩壊は自家の問題だったのか?
しかしなぜ秩序神教から邪神と烙印を押され封印されたのか?
シャワーを済ませたカルンが洗面所を出るとベッドへ向かい、プールが毛布の端を持ち上げた。
彼は電気をつけず目を閉じた。
夜空に、葬儀屋の屋根に犬が座り月を見上げていた。
首を伸ばし口を開けたが、遠吠えも狂犬のような乱暴な鳴き声もなく、爪で天高く掴みかかったものの何もつかめなかった。
諦めて横になり、体を反らせて月と並んで寝そべる。
目の中に憎悪と不満が溢れ、次第に深い落胆と疲れへと変わった。
最後に爪を伸ばし、家で誰かが夜の猫にかけるように。
空の月に毛布の端を持ち上げて「ワン」と優しく呼んだ。
老人自身も慌てふためいているようだ。
高齢者から見れば、このページまで読み進めたカレンは邪神「悪魔」に取り憑かれているとしか思えない。
ホーフェン男爵の「感情」を理解できるのはカレンだけではない。
ケビンの封印下にあるのは確かに悪神だ。
その悪神がペット状態に素早く変化し、ドアを開け閉めするような技能は生まれつきのもので、自分自身だけでなく術法も提供しつつプーアルに乗り回される存在だった。
しかしカレンは決してそれを自分のわんこと見なさない。
この金毛犬がどれだけ温かく優しいように見えるほど、その内面には怒りと不満が蓄積されているのだと人間心理から推測するのだ。
それでもカレンはケビンに封印を解くことを決意した。
慈悲や感情ではなく、自分のチームが小さい以上、賞罰分明でなければ隊伍がまとまらないからだ。
封印が重層的なら自分も段階的に解除していく。
その上で自身が常に制御できるようにすればいい。
ケビンの身分が露見すれば正教会からの無慈悲な弾圧を受けるだろうが、わんこが壁を乗り越えて密告する可能性はないとカレンは判断した。
そこに座っているケビンも何かを感じ取ったようだ。
視線が書机に向けられつつも温かなゴールデンレトリーバーの笑みを保ち続けている。
具体的な封印解除方法は第二段階から始まる九つの手順だった。
ホーフェン男爵がカレンに与えた公式通り、解き方を一つずつ適用していくだけだ。
各段階の終わりにはホーフェン男爵のコメントが添えられていた。
「第二段階……本当にそれでいいのか?」
「第三段階……もう少し考えてみる価値があるだろう?」
「第四段階……彼は悪神なのだ!」
「第五段階……今こそ醒めよ!」
……
「第九段階……本当にその覚悟なのか?」
「第十段階……悪魔の檻を開ける準備だぞ!」
全てを読み終えたカレンが伸びをすると、ついでに最後のページを開いた。
ホーフェン男爵からのメッセージだった。
「ラネダルが封印される前、ディースはあなたの胸から掴み、彼の胸から引き出した。
その魂……いや存在媒体と私が封印した際に、どうしてもインメレーズ家の匂いを付着させてしまった。
そこで良い知らせがある。
小カレンよ、この陣はインメレーズ家系に属する者だけが解除できるように設計されている。
ディースの血祭儀式の影響も考慮すると、この世で悪神様の封印を解くのはあなたとディースの二人だけだ」
当然、特殊な存在も例外なく封印を解くことは可能だが、問題は邪神様がその存在に助けを求めることに躊躇するかどうかだ。
「この文書を見せてやろう」そうだろう。
既に部分的な封印解除を許可した以上、文字理解能力があるはずだ。
最後に、
邪神様へ挨拶する
『一生忠実に仕えること、それが貴方の唯一の救い道だ』と。
カレンは鼻を撫でながら茶を飲んだ。
この文書をケビンに見せるのは犬にとって酷な行為だと感じたが、
人生も狗生も試練を通じて成長するものだ。
困難なくしてどう成り立つか。
そこでカレンはそのページのメモを指した。
アルフレッドが近づきノートを受け取り、カレンが頷くとケビンの前に置いた。
ケビンの頭部(犬)が左右・上下に揺れながら真剣に読んでいる様子が見て取れた。
最後の一文を読み終えると目を瞬かせた後、舌を出し鈍い笑みを見せつつ尻尾を振っていた。
アルフレッドはケビンの前にしゃがみ込んで言った。
「本心からなのか演技なのかは分からないが、伝えたいのは貴方が人生で最も重要な機会に直面しているということだ。
偉大な存在は貴方への仁慈と広大な胸襟を示すだろう。
金毛種かラネダール種か、野良犬であろうともこの席に座ればその光が全身に降り注ぐ。
空や地面も非情で全ての生物を草結びの狗として扱っている」
「……」ケビンは黙った。
「その言葉の深意を感じ取れたか?」
アルフレッドが尋ねた。
ケビンは頷きつつ首を横に振った。
アルフレッドは笑みを浮かべて言った。
「それほど重要ではない。
ただ伝えたいのは、貴方の忠誠心や我慢強さ、裏切りや不満など、偉大な存在にとっては関係ないということだ。
貴方の行動がどんな結果を生むとしても、その光はより輝き続けるだろう。
重要なのは貴方の選択が未来の地位にどう影響するかだ。
永遠に虚無の闇に放逐されるのか、それとも聖なる壁画の一隅で貴方だけの場所を得られるのか?」
ケビンはアルフレッドを見つめたままだったが、彼は立ち上がりカレンの方を向いた。
「お主様、材料は準備済みです。
明日から始めることにしますか、それとも今すぐですか?」
「今すぐだ」カレンが答えた。
「終わったら休むことにする」
睡眠はカレンにとって重要な時間だった。
彼は新鮮な精神で次の日を迎えられるよういつもそうしていた。
「分かりましたお主様、一刻も早く準備を始めます」
「うん」
アルフレッドは書斎から倉庫へと向かった。
カレンは立ち上がり寝室に向かった。
プールが毛布をかぶって横たわっている。
その寝顔は深く、安らかな呼吸で毛布の端を持ち上げていた。
「今日はアルフレッドが回復したばかりの能力を使ってボイラーを燃やし切ったんだよ」
カレンはその情景を想像しながら口角が緩む。
すぐに書斎から音が聞こえてくる。
彼女は戻ると、アルフレッドが儀式環境を整え終えていた。
ケビンが中央の椅子に座り、笑みを消して真剣な表情で緊張していた。
その前に背もたれ付きの小板凳があり、これはアルフレッドがカレンのために用意したものだった。
カレンは板凳に腰掛け、アルフレッドがさらに二つの小さなテーブルを持ってきた。
左側にはノートブック、右側には氷水の入ったグラスと黒いチョコレート、クリームシフォンケーキを置いた。
「時間がかかるだろうから」という配慮でアルフレッドは準備を整えていた。
カレンがノートブックを持ち、第二段階から手順に従って作業を始めた。
するとケビンを取り巻く陣法が輝き出す。
彼女は左手でノートブックを持ち続けながら右手で指先を動かし、ケビンの方向へと探り出した。
「公式や手順は与えられたとしても、生々しい接触を避けて基礎的な計算を行う過程では、どうしても時間がかかる」
カレンが深く侵入するにつれ、ケビンの周囲に原理の光輪が現れた。
その一角で光明余党の老者の姿が浮かび上がる。
アルフレッドは初めてこの存在を見たが、既知の存在だったため頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
老者も同様に会釈した。
「お初にお目にかかります」
すると老者は儀式に近づき黙って観察し、アルフレッドもそばまで進んで並んだ。
「貴方の影響は及ばないでしょう。
安心して下さい。
私は思想のみで存在します。
貴方が彼をどうするか?」
老者が指差したのは、陣法作業に没頭しているカレンだった。
「貴方は貴方の幸福です」
「不純なものだ」老者は遮ることなく言った。
「私は疑っている」
「貴方が神々と呼ばれる存在を指導し、未来への明確な道を見せるのは貴方の機会です」
「私は思想の烙印に過ぎない。
私ではない。
私の本体にも影響できない」
「空と大地は残酷で、全てのものを草人形の犬のように扱っている」
アルフレッドは語録の一節を口ずさめたが、これは言葉尽くしではなく、その言葉自体が適切だったからだ。
以前は犬に向けたものだが、今回は思想の烙印に向けた。
どちらも人間ではないし、後者は生命すらない存在だった。
「草人形の犬とは何ですか?」
「私の解釈では、特定の文化圏で神々を祀る際に用いられる……犠牲品です」
「犠牲品か。
それなら空と大地は神々でしょうか?」
「はい、でも私はむしろ、神よりも偉大な呼び名だと信じています。
少なくとも、それは諸神の意志を集めたものでしょう」
「分かりました、この言葉は味わい深いですが、同時に破壊的です。
なぜなら各神教が自らの神と信者を一種の親密関係で結びつけるプロパガンダを行っているからです
原理神教の人々が研究した『神性を点と面に分類する』という理論よりも、貴方の説は一つ段階が高い」
「うむ、私は非常に快適です。
なぜなら私も本体と同じように『草食動物』呼ばれる存在になったからだ」
「ああ、私の信仰が剥離し、同時に私の自己認識も消えつつあることを感じています」
「あなたを生み出したのは主人の意志であり、自我を持たせたのも主人です」
老い先知はアルフレードを見つめ、驚きを隠せない。
直感的に危機を感じた。
なぜなら自分が未来にこの赤いスーツの男になるかもしれないという予感があったからだ
そこで老人は話題を変え、儀式の中心にあるケビンを指して尋ねた
「その犬の中に封印されているのは何か?」
「うむ」
「何が封じられている?」
「一尊の邪神です」
「えっ?」
「邪神ラネダルです」
「おお……」
老人の表情が驚愕に歪んだ。
自分が最初に登場した際の冷静さを忘れ去った
「では現在行っていることは?」
「主人が自ら邪神の封印を解いているのです」
「聞き間違いですか?」
「いいえ」
「狂気ではありませんか?」
老人は再び尋ねた。
表情が驚愕から固まったまま
「あなたとこの邪神、主人の目には『草食動物』です」
「おお……」
老人は呆然と答えた。
その姿形が歪みだし声も乱れ始めた
「私は依然として……偉大なる光……光の神を信じています」
アルフレードは笑って返した
「しかし光の神はあなたから遠く、主人だけが常に眼前にいるのです」
「そうだね……」
老人の姿形が徐々に消えていく。
現れる時間は短くなりつつも受ける衝撃は増していく
その時、カルンがケビンへの封印解除を最終段階へと進め始めた
同時にケビンと彼の体内の存在もカルンに対して完全な信頼を開いた
距離が近い場合、強い方の魂は相手の深層記憶を見ることができる。
職業的習慣からカルンはその機会を拒まずに受け入れた
「バシャーッ……」
「バシャーッ……」
波の音が連続して響く
カルンは自分が砂浜に立っていることに気づいた。
目の前の岩場に男の姿があった。
近づき岩場に上がり、その隣に並んだ
カレンは、岩場の向こう側に広がる港を見やった。
そこには無数の海賊船が停泊しており、その上では人々が密集して立っていた。
すると、白い長衣をまとった女性が群衆から現れた。
彼女は一人で小舟に乗り込み、港の端へと向かう。
岸辺では女性たちが彼女の前に膝まずき、讃美の歌を口ずさめた。
周囲の恐ろしい海賊たちも一斉に静寂に包まれた。
その船は深海へと進み、女性の体から優しい白光が発せられ、月のように降り注ぐように輝いた。
突然、海底から壁のようなものが現れ、日没を遮るように高くなり始めた。
しかし彼女の光はそれを取り替え、巨大な口がその中に形成された。
船はその口の中に漂い、瞬間的に閉じられた。
すると空に雨が降り出し、港では女性たちの悲しみの声が響いた。
カレンの隣にいた男が海に向けて叫んだ。
「私は約束する。
いずれかの日、海神教を滅ぼし、海神その人を堕ちさせる!」
記憶の映像はそこで途切れた。
カレンの視界には十二個の光輪が浮かび上がり、それは十二重の封印を象徴していた。
彼女は最初の光輪に手を伸ばすとすぐに消えた。
意識を取り戻したとき、金毛のアルフレッドではなく、頭を爪で隠し涙をためているケビンがいた。
何も言わずにカレンはアルフレードに撤去を指示し、浴室へ向かった。
温水が身体を包むにつれ、彼女は先ほど見た映像を思い出すのだった。
小船に乗った女性はミルス神であるのか? ラネダールの恋人はミルス神なのか?
調べた資料によると、彼女は海辺の売春婦たちを守るため深海へ赴き、大海に飲み込まれて海神の愛人となった。
それ以来、海賊団には「妓女への支払いを滞らせれば船が沈む」という規則が生まれた。
これはミルス神と海神の約束だ。
無法な海賊たちを恐れさせる唯一の存在は大海だったのだ。
フローラス神は厳密には主神ではないし、正統教会も彼女を真の神として認めない。
海神に依存する派生神のような存在だ。
しかし原教旨主義的海神教が崩壊した後、正統海神信仰が分裂し、かつては支流だったフローラス神が台頭していった。
彼女の信者はもはや海島の船乗りたちに奉仕する売春婦だけではなく大陸全域に広がった。
海神教崩壊は自家の問題だったのか?
しかしなぜ秩序神教から邪神と烙印を押され封印されたのか?
シャワーを済ませたカルンが洗面所を出るとベッドへ向かい、プールが毛布の端を持ち上げた。
彼は電気をつけず目を閉じた。
夜空に、葬儀屋の屋根に犬が座り月を見上げていた。
首を伸ばし口を開けたが、遠吠えも狂犬のような乱暴な鳴き声もなく、爪で天高く掴みかかったものの何もつかめなかった。
諦めて横になり、体を反らせて月と並んで寝そべる。
目の中に憎悪と不満が溢れ、次第に深い落胆と疲れへと変わった。
最後に爪を伸ばし、家で誰かが夜の猫にかけるように。
空の月に毛布の端を持ち上げて「ワン」と優しく呼んだ。
1
あなたにおすすめの小説
没落貴族は最果ての港で夢を見る〜政敵の公爵令嬢と手を組み、忘れられた航路を拓いて帝国の海を制覇する〜
namisan
ファンタジー
日本の海運会社に勤めていた男は、事故死し、異世界の没落貴族の三男ミナト・アークライトとして転生した。
かつては王国の海運業を牛耳ったアークライト家も、今や政争に敗れた見る影もない存在。ミナト自身も、厄介払い同然に、寂れた港町「アルトマール」へ名ばかりの代官として追いやられていた。
無気力な日々を過ごしていたある日、前世の海運知識と経験が完全に覚醒する。ミナトは気づいた。魔物が蔓延り、誰もが見捨てたこの港こそ、アークライト家再興の礎となる「宝の山」であると。
前世の知識と、この世界で得た風を読む魔法「風詠み」を武器に、家の再興を決意したミナト。しかし、その矢先、彼の前に最大の障害が現れる。
アークライト家を没落させた政敵、ルクスブルク公爵家の令嬢セラフィーナ。彼女は王命を受け、価値の失われた港を閉鎖するため、監察官としてアルトマールに乗り込んできたのだ。
「このような非効率な施設は、速やかに閉鎖すべきですわ」
家の再興を賭けて港を再生させたい没落貴族と、王国の未来のために港を閉鎖したいエリート令嬢。
立場も思想も水と油の二人が、互いの野望のために手を組むとき、帝国の経済、そして世界の物流は、歴史的な転換点を迎えることになる。
これは、一人の男が知識と魔法で巨大な船団を組織し、帝国の海を制覇するまでの物語。
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
その狂犬戦士はお義兄様ですが、何か?
行枝ローザ
ファンタジー
美しき侯爵令嬢の側には、強面・高背・剛腕と揃った『狂犬戦士』と恐れられる偉丈夫がいる。
貧乏男爵家の五人兄弟末子が養子に入った魔力を誇る伯爵家で彼を待ち受けていたのは、五歳下の義妹と二歳上の義兄、そして王都随一の魔術後方支援警護兵たち。
元・家族の誰からも愛されなかった少年は、新しい家族から愛されることと癒されることを知って強くなる。
これは不遇な微魔力持ち魔剣士が凄惨な乳幼児期から幸福な少年期を経て、成長していく物語。
※見切り発車で書いていきます(通常運転。笑)
※エブリスタでも同時連載。2021/6/5よりカクヨムでも後追い連載しています。
※2021/9/15けっこう前に追いついて、カクヨムでも現在は同時掲載です。
異世界転移物語
月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……
エレンディア王国記
火燈スズ
ファンタジー
不慮の事故で命を落とした小学校教師・大河は、
「選ばれた魂」として、奇妙な小部屋で目を覚ます。
導かれるように辿り着いたのは、
魔法と貴族が支配する、どこか現実とは異なる世界。
王家の十八男として生まれ、誰からも期待されず辺境送り――
だが、彼は諦めない。かつての教え子たちに向けて語った言葉を胸に。
「なんとかなるさ。生きてればな」
手にしたのは、心を視る目と、なかなか花開かぬ“器”。
教師として、王子として、そして何者かとして。
これは、“教える者”が世界を変えていく物語。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
半竜皇女〜父は竜人族の皇帝でした!?〜
侑子
恋愛
小さな村のはずれにあるボロ小屋で、母と二人、貧しく暮らすキアラ。
父がいなくても以前はそこそこ幸せに暮らしていたのだが、横暴な領主から愛人になれと迫られた美しい母がそれを拒否したため、仕事をクビになり、家も追い出されてしまったのだ。
まだ九歳だけれど、人一倍力持ちで頑丈なキアラは、体の弱い母を支えるために森で狩りや採集に励む中、不思議で可愛い魔獣に出会う。
クロと名付けてともに暮らしを良くするために奮闘するが、まるで言葉がわかるかのような行動を見せるクロには、なんだか秘密があるようだ。
その上キアラ自身にも、なにやら出生に秘密があったようで……?
※二章からは、十四歳になった皇女キアラのお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる