心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香

文字の大きさ
9 / 12

9

しおりを挟む
「記憶のない相手を罵ったり恨みを告げたりはしないわ。そんなことは無意味だもの、でも相手が何をしたか覚えているの。一度も話したどころか挨拶すらしたことのない人ですら私の敵だったわ。だって私が処刑される時、王都中の人が私の処刑を喜び石を投げたのよ。私に何の関係もない人がそれをしたのよ。義妹達の側にいた人たちなんて、もっともっと酷い事をしたし言って来た。それを忘れることなんて出来ないの、彼らが何も覚えていなくても、今の彼らが何も私にしていなかったとしても、私は彼らを許せない永遠に憎むし恨むわ。優しくなんて出来ないし笑顔で話をするのも無理よ」

 自死をせずに、ただ生きる事はするから、それだけで許して欲しいとアンカーは声に出さずに願う。
 アンカーにとって、この世のすべて、母以外はすべて敵だけれど、それでも生きるから許して欲しい。
 父と義母と義妹には奴隷の腕輪をつけさせ、母に魔力を譲渡させることで溜飲を下げるとアンカーは決めた。
 常に魔力譲渡を強制される生活は辛いから、何も出来なくなるくらいに辛いから、それでいいとアンカーは妥協したのだ。

「兄はどうでもいい、本音を言えば顔も見たくないけれど、血が繋がっているだけの他人と思えばいいわ。貴族の兄妹なんてそんなものだもの」
『それでいいのか』
「心穏やかに暮らせることは無いでしょうね。私から見たらお母様以外は敵しかいないのだから、そうねあなたが神託を出すのはどう? 『愛し子は大神殿の最奥で祈りの日々を送る』とか、そして私は神殿で生涯暮らすの」
「神殿で祈り暮らすのですか? それであなたは心穏やかに暮らせるとは思えないのですか? 神を敬わない不敬な態度を取るあなたが神に祈りを捧げられるのでしょうか。祈りというものは人にとって希望であり救いです。でもあなたはそうではないでしょう。あなたには苦痛なのではありませんか」

 祈りの日々を送るという神託、それが出てしまえば神殿は愛し子のアンカーにそれを強要することは、今迄の人生でアンカー自身も良く分かっている。
 神官達は自分を神かなにかと勘違いしているところがある、義妹の姿をしたアンカーに「愛し子様を不快にさせる不義の子の存在は、神殿を穢す」と言い、神殿に入ることすら神官達は許さなかった。
 愛し子の神託を受けたアンカーが、祈ることすらせずに神殿に暮らしたら神官達はうるさく騒ぐだろうことは、アンカーにも予想が付いた。

「貴族の令嬢が婚約者を持たずに生きるのは難しいでしょう、でもそれを回避するため神殿に暮らすのも苦痛ではありませんか。形だけ祈るのも苦痛でしょう、それに神を敬おうと思わないのは口に出さずとも周囲に伝わるでしょうし」

 神の使いは、神に不敬な態度を取るアンカーが不快で、でも心配なのだろうとアンカーは気が付いた。
 不快そうにしながらも心配そうにも見える神の使いの反応に、アンカーはつい笑ってしまう。

「何がおかしいのですか」
「その通りだなって思ったのよ、だって敬う気持ちなんてないもの。何度も人生をやり直しさせた上、義妹の成りすましに気がつかなかった事はまだ少し怒っているわ。正直無能だなともまだ思っている、でもお母様を救ってくれたから許してあげてもいいわ。祈ってあげてもいい。でもそれだけ、敬う気持ちは無い」
「許してあげてもいい? 祈ってあげてもいい? なんて不遜な」

 わなわなと怒りに震える神の使いを、アンカーはふふっと笑う。

「いいじゃない、長い付き合いになるんだし」
「長い付き合い?」
「お母様以外のこの世のすべてを恨むし嫌うけれど、あなた達だけは除外するって言ってるのよ」
『除外してくれるのか、アンカー。私の愛し子よ』

 少し嬉しそうに聞こえる声で、神はアンカーを愛し子と呼んだ。
 そう呼ばれるのはまだ少し不快だけど、でも許してやってもいいと、譲歩する道をアンカーは選んだ。
 母の命を救った瞬間から、神はアンカーの本当の意味の敵では無くなったからだ。母以外のすべての人を憎んでいるし、生涯恨みも憎しみも消えないだろうけれど、それでも神はもうアンカーの敵ではない。

「成人までは屋敷から神殿に通うわ、学校にも通わない。毎日神殿に通って祈りの間で過ごすの。成人後は結婚せずに神子として神殿に住む。結婚は絶対にしない、夫の寝首をかく自信しかないもの。そんなことしたら今度は冤罪じゃなく、本当の私の罪で処刑されちゃうわ」

 明るく言うけれど、夫を殺すなんて決して笑顔で言って良い話ではない。
 それなのに、これからのことを話すアンカーは笑顔で、アンカーの話を聞いている神の機嫌も良さそうで、神の使いは一人頭を抱え始めるしかない。

「それでいいのですか」
「自死させてくれないし、お母様を救ってくれたのだから、約束は守らないと」
「生きていれば夫にしたいと思う人も出て来るかもしれませんよ。それに一緒に暮らしていたら兄のことも許せる日が来るかも……ひっ」

 神の使いの話の途中で、アンカーは水差しの破片を掴み神の使いに投げつける。

「何をするのですか」
「許せる日が来るかもしれないとか、何も覚えていないのだから許すべきだとか、そんなフザケタことを言うなら、お前が許せと言った相手を私が殺すわ。そうして潔く笑顔で処刑されるわ。自死じゃないのだからそれで私が死んでも仕方ないわよね。お前が私を怒らせたのだもの」
「だって、今の世界ではあなたは誰にも虐げられていない……やめて下さい!」

 破片を次々と投げ続け、神の使いは悲鳴をあげて後退る。

「今虐げられていないから、許せと言うの? 私の心にどれだけの傷があるか、分かりもしないくせに。記憶の無い相手なのに許せない私が悪いとでも思っているの」
「そこまでは……あなたと関りが無かった人だって大勢いるでしょう」
「そうね、そうかもしれない。でも……ね。私はね、もう人が信じられないの、本当はお母様に会うのも怖いわ。今までの生で、お母様は亡くなっていたけれど、もしお母様が生きていても私と義妹の入れ替わりに気が付いただろうか、もしかしたらお母様も兄の様に私が義妹だと思い込んで私を甚振ったかもしれない。そうしなかったなんて保証はないわ。人は自分が見たいようにしか見ないもの。義妹はまだ生きている、神が奴隷の腕輪をあの子にはめてもそれは絶対の安全じゃない」

 アンカーの手首を斧で切り落とし、牢番がアンカーの腕輪を外した様に、誰かが義妹の手首を切り落としたら? そんなありもしない未来がアンカーを苦しめる。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お前を愛することはないと言われたので、姑をハニトラに引っ掛けて婚家を内側から崩壊させます

碧井 汐桜香
ファンタジー
「お前を愛することはない」 そんな夫と 「そうよ! あなたなんか息子にふさわしくない!」 そんな義母のいる伯爵家に嫁いだケリナ。 嫁を大切にしない?ならば、内部から崩壊させて見せましょう

従姉の子を義母から守るために婚約しました。

しゃーりん
恋愛
ジェットには6歳年上の従姉チェルシーがいた。 しかし、彼女は事故で亡くなってしまった。まだ小さい娘を残して。 再婚した従姉の夫ウォルトは娘シャルロッテの立場が不安になり、娘をジェットの家に預けてきた。婚約者として。 シャルロッテが15歳になるまでは、婚約者でいる必要があるらしい。 ところが、シャルロッテが13歳の時、公爵家に帰ることになった。 当然、婚約は白紙に戻ると思っていたジェットだが、シャルロッテの気持ち次第となって… 歳の差13歳のジェットとシャルロッテのお話です。

夢を現実にしないための正しいマニュアル

しゃーりん
恋愛
娘が処刑される夢を見た。 現在、娘はまだ6歳。それは本当に9年後に起こる出来事? 処刑される未来を変えるため、過去にも起きた夢の出来事を参考にして、変えてはいけないことと変えるべきことを調べ始める。 婚約者になる王子の周囲を変え、貴族の平民に対する接し方のマニュアルを作り、娘の未来のために頑張るお話。

女神様、もっと早く祝福が欲しかった。

しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。 今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。 女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか? 一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。

貧乏伯爵令嬢は従姉に代わって公爵令嬢として結婚します。

しゃーりん
恋愛
貧乏伯爵令嬢ソレーユは伯父であるタフレット公爵の温情により、公爵家から学園に通っていた。 ソレーユは結婚を諦めて王宮で侍女になるために学園を卒業することは必須であった。 同い年の従姉であるローザリンデは、王宮で侍女になるよりも公爵家に嫁ぐ自分の侍女になればいいと嫌がらせのように侍女の仕事を与えようとする。 しかし、家族や人前では従妹に優しい令嬢を演じているため、横暴なことはしてこなかった。 だが、侍女になるつもりのソレーユに王太子の側妃になる話が上がったことを知ったローザリンデは自分よりも上の立場になるソレーユが許せなくて。 立場を入れ替えようと画策したローザリンデよりソレーユの方が幸せになるお話です。

素直になる魔法薬を飲まされて

青葉めいこ
ファンタジー
公爵令嬢であるわたくしと婚約者である王太子とのお茶会で、それは起こった。 王太子手ずから淹れたハーブティーを飲んだら本音しか言えなくなったのだ。 「わたくしよりも容姿や能力が劣るあなたが大嫌いですわ」 「王太子妃や王妃程度では、このわたくしに相応しくありませんわ」 わたくしといちゃつきたくて素直になる魔法薬を飲ませた王太子は、わたくしの素直な気持ちにショックを受ける。 婚約解消後、わたくしは、わたくしに相応しい所に行った。 小説家になろうにも投稿しています。

振られたから諦めるつもりだったのに…

しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ヴィッテは公爵令息ディートに告白して振られた。 自分の意に沿わない婚約を結ぶ前のダメ元での告白だった。 その後、相手しか得のない婚約を結ぶことになった。 一方、ディートは告白からヴィッテを目で追うようになって…   婚約を解消したいヴィッテとヴィッテが気になりだしたディートのお話です。

両親のような契約結婚がしたい!

しゃーりん
恋愛
仲の良い両親が恋愛結婚ではなく契約結婚であったことを知ったルチェリアは、驚いて兄レンフォードに言いに行った。兄の部屋には友人エドガーがおり、ルチェリアの話を聞いた2人は両親のような幸せな契約結婚をするためにはどういう条件がいいかを考えるルチェリアに協力する。 しかし、ルチェリアが思いつくのは誰もが結婚に望むようなことばかり。 なのに、契約を破棄した時の条件が厳しいことによって同意してくれる相手が見つからない。 ちゃんと結婚相手を探そうとしたが見つからなかったルチェリアが結局は思い人と恋愛結婚するというお話です。

処理中です...