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帰りの馬車で

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「おい」

 お茶会から屋敷に帰る馬車の中で、お兄様は不機嫌そうに、私を呼びました。

「は、はい」
「お前がエルネクト殿下の婚約者に等、何かの間違いかもしれない。いいや、殿下は優しい方だ。貧相なお前に同情されているのだ」

 いつもお兄様は強い口調で私に話し掛けるのですが、今日は少し様子が違います。
 それでも私は怒鳴られるのではないかと、少しだけ体を固くしながら頷きました。
 エルネクト殿下はとても優しい方です。
 今日も緊張する私を気遣いながら声を掛けて下さり、素敵な贈り物を下さいました。
 殿下の魔力が込められた腕輪は、私の右手首に今もはめられたまま、温かな魔力を送り続けて下さっているのです。
 お兄様の近くにいるのは、まして二人だけで馬車に乗るのはとても怖い事ですが、殿下の魔力を感じていると怖さが少しだけ和らぐのを感じます。

「お前は今日が初めての外出だ。その日をそんな綺麗なドレスで迎えられたのは、殿下の婚約者となれたからだ」
「はい。すべては殿下が優しくしてくださったお陰と感謝しております」
「それなのに、なぜ私を応援した。エルネクト殿下の隣で、私を応援するなど。レオンハルト殿下はエルネクト殿下の兄上でいらっしゃるのだぞ」

 お兄様が何を言いたいのか、分かりませんでした。
 確かにお茶会の場でお兄様とレオンハルト殿下が剣の打ち合いをされた時、私はお兄様を応援しました。
 でも、私の声がお兄様に聞こえるなんて、そんな筈ありません。

「でも、私は、あの私は」

 ぎゅっとドレスの柔らかな生地を両手で握りしめ、考えました。綺麗なドレス、こんな柔らかな手触りの布は初めてでした。
 綺麗なドレスを着て、素敵な靴を履いて、殿下にエスコートされてお茶会の席に座る。夢の様な時間でした。
 この時間を下さったのは、エルネクト殿下です。本当はレオンハルト殿下を応援するべきだったと思います。
 でも、それでも、お兄様を応援したかったのです。
 何を言ってもお兄様を怒らせるだけでしょう。
 それでも、一度言いたかった事を、勇気を出して言おうと思ったのです。

「私は、お兄様に勝って欲しいと思ったのです。お兄様はいつも熱心に剣術のお稽古をされていらっしゃいます。お兄様が強いのだと、レオンハルト殿下に知っていただきたかったのです」

 幼い頃、お兄様に手を引かれつる薔薇のアーチを一緒に見た記憶が、お兄様に優しくされた最後の思い出です。
 お義母様には朧気にですが、膝に座らせ頭を撫でて下さった思い出だけ残っています。
 でも、あれは私の夢だったのかもしれません。
 私を嫌っているお義母様が、膝に座らせるなどあるはずがないのですから。

「レオンハルト殿下は五歳も年上、それに殿下は剣の腕では同じ年頃の誰よりもお強いのだ。私が勝てる筈などないだろうが」
「私がお兄様を応援するなど。ご不快でしたね。申し訳ございません」

 あの記憶の日から数日後、お兄様は「お前なんか妹だと思っては駄目だったんだ」そう言って私を避けるようになりました。
 理由が分からず悲しんでいた私は、ある日お義母様の侍女達が「フォルード様はあの子が卑しい女の子供だとお気づきになったらしいわ」と話しているのを聞きました。 
 卑しい女の意味は分かりませんでしまが、お兄様ともう遊んだりしてはいけない事は理解出来ました。
 お義母様やお義母様の侍女達の目を盗み、お兄様は私の所に来てくださっていました。
 絵本を一緒に読んだり、乳母が作ってくれたクッキーを一緒に食べたこともありました。
 あんな日は二度と来ないのだと、怖い顔で話すようになったお兄様を見る度に悲しくなりましたが、それでもお兄様を憎む気持ちにはなれませんでした。

「そうではない。お前が馬鹿だと言いたいだけだ。あの中で、誰が俺を応援していた。誰もしていなかっただろう。殿下が折角お前の様な者を見初めて下さったというのに、なぜお前は馬鹿なんだ」

 なぜでしょう。
 お兄様の顔が泣き出しそうに見えるのは。

「お前に優しくない兄を応援等するな。お前と仲良くなんて、そんな日は二度と来ない」
「でも」

 何か言わなければ。
 口を開きかけた瞬間、馬車が止まりした。

「フォルード様、到着致しました」

 御者がドアを開き、お兄様に続けて私も馬車を降りようとした時です。

「美しいドレスを着ていろ。お母様には私から新しい服を頼んでやろう。いつもそうやって着飾っていろ」
「お兄様」
「っ。で、殿下から頂いたドレスだけで足りないし、ひ古くさいドレスなんて、似合って。ちが、い、いつものドレスじゃ家が馬鹿にされるんだ!」

 どうしてでしょう。
 お兄様が気遣ってくださっている様に聞こえるのは、私の気のせいなのでしょうか。

「お前に優しくなんかしない。優しくなんか出来ない……そんなことしたら、母上が可哀想だ」

 後ろを振り返ることなく去っていくお兄様の最後の言葉は、小さすぎて聞こえませんでした。

☆☆☆☆☆
どちらも本当は仲良くしたいと考えている。
すれ違い兄妹でした。
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