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Period 1 ならまちを知りましょう。
第15話 奈良漬け 中編
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「そろそろ来る頃じゃない? 看板直しとくよ」
最後のお客さんがお会計を終えて帰って行った。店内をくまなく掃除して万全の状態で紗穂ちゃんとおばあちゃんを迎える。お父さんにも事情を話して了解を得ている。そのお父さんは一段と張りきった様子で入り口の看板を外しに行った。
私はなんだか緊張していた。日を重ねるごとに接客も料理もメキメキと上手くなっていくのは実感している。しかし今回は普段とはちょっと違う。お客さんは一組だけ。貸切なんて出来るんだと思いながら、黙って紗穂ちゃんたちを待っていた。お母さんも緊張しているようで、店内には空調の音だけが響く。
すると、外から軽バンのエンジン音が聞こえてきて、店の前で止まった。急いで私とお母さんも外に出て家族総出でお出迎えする。車から出てきたのは運転手の紗穂ちゃんのおばあちゃん、紗穂ちゃん。と、それだけでなく伊納先生と知らない大人の女性もいた。
「ごめんな、四人でもええかな?」
申し訳なさそうにおばあちゃんは手を合わせる。
「私と紗穂。それから娘の歌織と孫の嫁の、伊納時雨ちゃんです」
つまりこの女性は紗穂ちゃんのお母さんということだ。お母さんとは初めて会う。叶恋のお母さんに似た感じがする。モデルのようなオーラを放っている。
「もちろんです。先生は……確か春夏の担任の先生ですよね?」
中へ入って私がお冷、お母さんがおしぼりを渡した。お父さんは厨房で待っている。
「はい、初めまして。金幹高校一年三組担任の伊納時雨です。これから一年間よろしくお願いします」
伊納先生は、学校でのタイトなスーツではなく、ゆったりとした白の無地のトレーナーに、こちらはやはりタイトなジーパンで来ていた。学校ではしていないが眼鏡もしている。学校ではその厳しさとイケボから怖いイメージがあったが、今はただ綺麗で美しい人だった。
「初めまして、紗穂の母の秋月歌織です。紗穂が毎日お世話になってるみたいで、ホントにごめんね春夏ちゃん」
紗穂ちゃんのお母さんはどこか気の弱そうな人だった。叶恋のお母さんと同じ匂いがしていながら、あの明るさは持ち合わせていないみたいだ。しかし礼儀の正しさと、微笑んだ顔が紗穂ちゃんによく似ていた。
「いえいえ、あれは私が望んでやっていることなので」
あれからきちんと毎日、私は紗穂ちゃんの分のお弁当まで作ってあげている。実は既に歌織さんは私が学校に行っている間にお店へ訪れたらしい。その時には何やら大人の取り引きがなされたらしいが、そのおかげで紗穂ちゃんが自分で作れるようになるまで私がお弁当を作るというのは両家族の共通認識となった。その都度大人の取り引きがなされるが。
お母さんとお父さんは厨房に入った。私は特にすることがなく手持ち無沙汰になり、隣の席に座って伊納先生に質問をし始めた。
「伊納先生、私のことは覚えてます?」
「もちろん。高確率で私の授業、居眠りしてるからな? それに、紗穂がよく春夏のこと話してくれるんだ。毎日お弁当作ってやってるんだっけ?」
「そうですね」
「健気だな~」
「そういう時雨ちゃんも学生時代は健太郎のお弁当、毎日作ってくれてたじゃない」
歌織さんが爆弾発言をする。私も紗穂ちゃんもそれに見事に食いつき、伊納先生を尋問した。普段はいくら建前で「教師と生徒は同じ立場」と言えどやはり溝があるものだ。しかし今はただの友達の義姉だ。ちょっとからかうくらいいいだろう。
「あ、そうだ。先にご注文伺ってもいいですか?」
私の大事な大事な役割を忘れていた。私は接客をしなければならない。世間話に興じるのは成すべきことを成してからじゃないといけない。
「じゃあ私は唐揚げ定食」
「私も唐揚げ」
「私は生姜焼き定食で」
「私はこの大和牛の味噌漬けってやついただこかな」
「唐揚げ2、生姜焼き1、味噌漬け1です」
「はいよー」
任務を終えた私は、再び隣の席に着いた。
「春夏ちゃんはさ、もうならまちには慣れた?」
優しく歌織さんが言う。
「慣れはしましたけど、まだまだ食い尽くせてません」
「食い尽す? あぁ、そういうこと。ならまちは美味しいものがたくさんあるからね。今度、うちにも来るんでしょ?」
来週木曜日は「昭和の日」で休みだ。その休みを利用して、秋月家に初めて伺うことになっている。そこで紗穂ちゃんの料理特訓をするのだ。
「私も家にいるけど、火事だけは気を付けてね。春夏ちゃんの思ってる十倍はこの子、料理出来ないから。時雨ちゃんはどうする?」
「いつも通り、仕事が終わったら帰りますよ。えっと、春夏はお昼はどうするの?」
「多分ご馳走になるかと」
なんせ一日中休みなのだ。せっかくなら紗穂ちゃんにはたくさん練習して欲しいと思う。二人分のお弁当を作れなくなるのはどこか寂しい気もするけれど。
「お昼までには帰れるようにします。私が作りますよ」
なんと、先生の手料理を食べれるとは。私はお辞儀して「是非」と言った。というか先生は秋月家に住んでいるのか。って、あれ? そういえば……。
「先生ってなんで『秋月』じゃないんですか?」
先生の名前は伊納時雨。しかし紗穂ちゃんのお兄さんのお嫁さんならば秋月のはずだ。すると、先生は初めて笑った。私は一切の語彙力を失い、ただただ「可愛い」と思うしかなかった。
「本当は秋月時雨なんだ。けど仕事上面倒なことがたくさんあるから、仕事の時は旧姓を名乗ってるってだけだよ。そういう人は少なくはないと思うよ」
なるほど。合点がいく。教師の職に就いてから結婚したのだろうか。二人は学生時代からの知り合いなのだから、相当長い間付き合っていたのだろう。先生の恋愛を想像するとキュンキュンする。こんなクールな人でも、つい乙女な一面が出てしまうだなんて。
「はい、まずは唐揚げ定食の二人。紗穂ちゃんと時雨……私の高校時代の校長先生と同じ名前だから言いにくいわね」
気が付くとお母さんが両手に唐揚げ定食を持って立っていた。私もカウンターに行って、お父さんから生姜焼き定食と味噌漬け定食のプレートを貰う。あ、やばい。これは死んじゃう。
「お父さん、唐揚げ定食追加で……」
「みんなで食べませんか? 私たちだけじゃ悪いです」
時雨先生、ナイス提案!
「ありがとうございます。あ、でも冷めちゃいますんで秋月さんたちは先に食べてください。私たちは今から作ることにしますから」
お母さんもお腹をさすりながら言った。お母さんも私と同じで食いしん坊さんだから、耐えきれなくなってしまったのだろう。ここは親子の遺伝だなぁと思う。お父さんも見た目は細いしもやしだけどなんだっけな、インナーマッスルが凄い。もちろん食いしん坊である。
「お母さんは何にするの? 私はほっけの炭火焼。宏樹くんは?」
「いや僕が作るんだけど……。じゃあちょうど材料も余ってるし唐揚げでいいかな」
再び、食堂内が良い香りに包まれた。
最後のお客さんがお会計を終えて帰って行った。店内をくまなく掃除して万全の状態で紗穂ちゃんとおばあちゃんを迎える。お父さんにも事情を話して了解を得ている。そのお父さんは一段と張りきった様子で入り口の看板を外しに行った。
私はなんだか緊張していた。日を重ねるごとに接客も料理もメキメキと上手くなっていくのは実感している。しかし今回は普段とはちょっと違う。お客さんは一組だけ。貸切なんて出来るんだと思いながら、黙って紗穂ちゃんたちを待っていた。お母さんも緊張しているようで、店内には空調の音だけが響く。
すると、外から軽バンのエンジン音が聞こえてきて、店の前で止まった。急いで私とお母さんも外に出て家族総出でお出迎えする。車から出てきたのは運転手の紗穂ちゃんのおばあちゃん、紗穂ちゃん。と、それだけでなく伊納先生と知らない大人の女性もいた。
「ごめんな、四人でもええかな?」
申し訳なさそうにおばあちゃんは手を合わせる。
「私と紗穂。それから娘の歌織と孫の嫁の、伊納時雨ちゃんです」
つまりこの女性は紗穂ちゃんのお母さんということだ。お母さんとは初めて会う。叶恋のお母さんに似た感じがする。モデルのようなオーラを放っている。
「もちろんです。先生は……確か春夏の担任の先生ですよね?」
中へ入って私がお冷、お母さんがおしぼりを渡した。お父さんは厨房で待っている。
「はい、初めまして。金幹高校一年三組担任の伊納時雨です。これから一年間よろしくお願いします」
伊納先生は、学校でのタイトなスーツではなく、ゆったりとした白の無地のトレーナーに、こちらはやはりタイトなジーパンで来ていた。学校ではしていないが眼鏡もしている。学校ではその厳しさとイケボから怖いイメージがあったが、今はただ綺麗で美しい人だった。
「初めまして、紗穂の母の秋月歌織です。紗穂が毎日お世話になってるみたいで、ホントにごめんね春夏ちゃん」
紗穂ちゃんのお母さんはどこか気の弱そうな人だった。叶恋のお母さんと同じ匂いがしていながら、あの明るさは持ち合わせていないみたいだ。しかし礼儀の正しさと、微笑んだ顔が紗穂ちゃんによく似ていた。
「いえいえ、あれは私が望んでやっていることなので」
あれからきちんと毎日、私は紗穂ちゃんの分のお弁当まで作ってあげている。実は既に歌織さんは私が学校に行っている間にお店へ訪れたらしい。その時には何やら大人の取り引きがなされたらしいが、そのおかげで紗穂ちゃんが自分で作れるようになるまで私がお弁当を作るというのは両家族の共通認識となった。その都度大人の取り引きがなされるが。
お母さんとお父さんは厨房に入った。私は特にすることがなく手持ち無沙汰になり、隣の席に座って伊納先生に質問をし始めた。
「伊納先生、私のことは覚えてます?」
「もちろん。高確率で私の授業、居眠りしてるからな? それに、紗穂がよく春夏のこと話してくれるんだ。毎日お弁当作ってやってるんだっけ?」
「そうですね」
「健気だな~」
「そういう時雨ちゃんも学生時代は健太郎のお弁当、毎日作ってくれてたじゃない」
歌織さんが爆弾発言をする。私も紗穂ちゃんもそれに見事に食いつき、伊納先生を尋問した。普段はいくら建前で「教師と生徒は同じ立場」と言えどやはり溝があるものだ。しかし今はただの友達の義姉だ。ちょっとからかうくらいいいだろう。
「あ、そうだ。先にご注文伺ってもいいですか?」
私の大事な大事な役割を忘れていた。私は接客をしなければならない。世間話に興じるのは成すべきことを成してからじゃないといけない。
「じゃあ私は唐揚げ定食」
「私も唐揚げ」
「私は生姜焼き定食で」
「私はこの大和牛の味噌漬けってやついただこかな」
「唐揚げ2、生姜焼き1、味噌漬け1です」
「はいよー」
任務を終えた私は、再び隣の席に着いた。
「春夏ちゃんはさ、もうならまちには慣れた?」
優しく歌織さんが言う。
「慣れはしましたけど、まだまだ食い尽くせてません」
「食い尽す? あぁ、そういうこと。ならまちは美味しいものがたくさんあるからね。今度、うちにも来るんでしょ?」
来週木曜日は「昭和の日」で休みだ。その休みを利用して、秋月家に初めて伺うことになっている。そこで紗穂ちゃんの料理特訓をするのだ。
「私も家にいるけど、火事だけは気を付けてね。春夏ちゃんの思ってる十倍はこの子、料理出来ないから。時雨ちゃんはどうする?」
「いつも通り、仕事が終わったら帰りますよ。えっと、春夏はお昼はどうするの?」
「多分ご馳走になるかと」
なんせ一日中休みなのだ。せっかくなら紗穂ちゃんにはたくさん練習して欲しいと思う。二人分のお弁当を作れなくなるのはどこか寂しい気もするけれど。
「お昼までには帰れるようにします。私が作りますよ」
なんと、先生の手料理を食べれるとは。私はお辞儀して「是非」と言った。というか先生は秋月家に住んでいるのか。って、あれ? そういえば……。
「先生ってなんで『秋月』じゃないんですか?」
先生の名前は伊納時雨。しかし紗穂ちゃんのお兄さんのお嫁さんならば秋月のはずだ。すると、先生は初めて笑った。私は一切の語彙力を失い、ただただ「可愛い」と思うしかなかった。
「本当は秋月時雨なんだ。けど仕事上面倒なことがたくさんあるから、仕事の時は旧姓を名乗ってるってだけだよ。そういう人は少なくはないと思うよ」
なるほど。合点がいく。教師の職に就いてから結婚したのだろうか。二人は学生時代からの知り合いなのだから、相当長い間付き合っていたのだろう。先生の恋愛を想像するとキュンキュンする。こんなクールな人でも、つい乙女な一面が出てしまうだなんて。
「はい、まずは唐揚げ定食の二人。紗穂ちゃんと時雨……私の高校時代の校長先生と同じ名前だから言いにくいわね」
気が付くとお母さんが両手に唐揚げ定食を持って立っていた。私もカウンターに行って、お父さんから生姜焼き定食と味噌漬け定食のプレートを貰う。あ、やばい。これは死んじゃう。
「お父さん、唐揚げ定食追加で……」
「みんなで食べませんか? 私たちだけじゃ悪いです」
時雨先生、ナイス提案!
「ありがとうございます。あ、でも冷めちゃいますんで秋月さんたちは先に食べてください。私たちは今から作ることにしますから」
お母さんもお腹をさすりながら言った。お母さんも私と同じで食いしん坊さんだから、耐えきれなくなってしまったのだろう。ここは親子の遺伝だなぁと思う。お父さんも見た目は細いしもやしだけどなんだっけな、インナーマッスルが凄い。もちろん食いしん坊である。
「お母さんは何にするの? 私はほっけの炭火焼。宏樹くんは?」
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