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第2章

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「馬鹿じゃないの」

 掠れる声でそう呟いたセシル君。彼はそう言葉を落とすなり、私の手を強く握り引き寄せた。

「え? セシル君!? ちょっと!?」

 慌てる私を無視し、扉を抜け、部屋を飛び出し、石の回廊をぐんぐんと進んでいく。

「ちょっと……セシル君ってば…急に」
「黙って。ミコト」

 私の声を静かに静止し、カツカツと音を立て歩くセシル君。その態度に困惑を隠せない。痛いほどに強く繋がれた手は、指先を絡め取られ、振りほどく事ができない。呼びかける私の声を無視し、セシル君は先へと進む。

「セシル君……あの……私……部屋に戻らなきゃ」

 部屋にヴォルフが来ちゃう。私は神子として受け入れなくちゃ……それが私がこの世界に呼ばれ、私がこの世界を望んだ結果ことなんだもの。だから……部屋に……

「……ムカつく」
「え?」
「戻らなくちゃいけない? 部屋に? ヴォルフがくるから?」
「痛っ」

 手に込められた力が更に強まり、思わず顔を顰めてしまう。

「……僕の事、拒絶したすぐ後で、ミコトはヴォルフに抱かれるつもりなんだ?」

 感情を消したような無機質な声。言葉に詰まる。誤魔化そうにも頭が停止して何をどう答えていいのかわからない。だってその通りだから。不誠実な私は、差し出されたセシル君の手を拒絶した。そして今夜、魔王の命令とはいえ、ヴォルフを受け入れ抱かれる予定だったのだ。それがセシル君をどれだけ傷付けてしまうのか……鈍感で身勝手な私でも、嫌でもわかる。「ごめ……」

「……やめなよミコト」

 謝罪の言葉を口にしようとして開いた唇。それを止めるように、不意に柔らかな感触が頬をなぞる。

「……そうやって辛そうな顔をするミコトを、僕は見たくない」

 ギュッと胸が張り詰める。足を止め、こちらを見つめるセシル君。空いた左の指先で、私の頬にそっと触れている。
 
「あんた、ごちゃごちゃ色々考え過ぎ。自分は大丈夫だとか虚勢張るし……そんな顔ばっか浮かべて全然大丈夫じゃないじゃん。大丈夫じゃない癖に、周りや僕を気遣って自分の事二の次にして……それになに? 僕に嫌われようと悪女ぶって変な芝居始めるし……何よりあの言葉。なんなの? 忘れろって……。ふざけてんの? 僕がミコトの事忘れられるとでも思ってんの? 人間不信の僕が、初めて好きになった相手だよ? 忘れろと言われて忘れられるわけないでしょ? 僕の想いがその程度だって思ってんだよね? それ」

 そう一息で言われ、思わず固まる。「それって、すごいムカつく」ぽつりと吐かれたその言葉から、セシル君の怒りと悲しみが痛いほど伝わって、私の無けなしの良心をチクリと刺した。

「好きになっただけじゃない。笑顔を見たいのも笑顔にしたいのもミコトだけ。こんなにムカつくのも心踊らされるのもあんただけ。……キスをしたのもされたのも……したいのも……ミコト……だけなんだよ?」

 そう言って見つめてくるセシル君。

「……忘れられるわけないじゃん……あんたにどれだけ疎まれても、あんたにどんな酷い仕打ちを受けても……僕は一生あんたを想うから」

 赤く真っ直ぐな瞳が、私を見つめる。

「……愛してる。僕と一緒にきてよ……ミコト」

 その言葉に、私の視界はぐにゃりと歪んだ。慌てて下を向き、きゅっと唇を結ぶ。目頭が熱くなる。鼻先がつんと掠れて痛い。じわりとぼやける視界に慌てる。

「へっ……あっ……ちょっ……まっ」

 まって、それはダメだ。そんなの狡い。今此処で、そんな風に、その言葉を言うなんて……。

「うそ……」
「嘘なわけない。僕はミコトを愛してる」

 強く重ねられたその言葉に、跳ね上がる。ドクドク騒ぐ忙しない心臓。胸の奥底から込み上げてくる感情。想い。ソレは、どんなに願っても、私が向けられなかったモノ。欲しくて欲しくて、それでも怖くて、憧れると同時に拒絶していたモノ。ソレを今、こんな風に告げるなんて……

 抑えきれなかった感情が、つっと頬をつたい零れ落ちる。溜め込んでいた気持ちが、籍を外し、溢れでる。

 ─ぼろぼろぼろぼろ
 
「あれ? やだな。なんで涙が……」

 ぽろぽろと零れ落ちるそれを、慌てて拭いとる。笑わなきゃ。こんな風に泣いたら、戻れなくなる。セシル君の手を取っちゃだめ。だって私は神子として……

 そう思うのに、溢れる涙を止める事ができない。やだ……やっぱりやだ。笑ってお別れなんてできない。嫌われようとしても無理で、拒絶しても離してくれなくて、ただ真っ直ぐにぶつかってくるセシル君。歳下で、生意気で、口も悪くて……人間嫌いでいつもツンツンしていた彼。不器用で、駆け引きなんてできない……そんな彼が私も好きで、彼に愛されたい……そう思ってしまった。

 だめかな。セシル君の手を掴んじゃ。だめなのかな。このまま身を委ねたら……。

 私が欲しかったのは好きな人に愛される事。好意があるとしても、不特定多数の誰かに抱かれる事じゃない。叶うなら、許されるなら彼と共にありたい。でも、私が居なくなったらこの世界は……

 神子としての正解・・はわかってる。でも、私はそれができない。頭の中、ぐるぐると色んな感情や思いが混ざる。答えのない。だせない問答を一人繰り返す。

「……ほんと、あんたって馬鹿だよね」

 大きな溜息と共に、身体を引き寄せられる。ゼロ距離でギュッと抱き締められ、頭が真っ白になる。

「ねぇ。ミコト、悩んでくれてるって事は、ミコトも僕の事……好き?」

 その言葉に、思わず頷いてしまった。その刹那、セシル君の肩がピクリと震えた。私を抱き留める腕の力が、強くなる。

「なら、僕ときて」
「……でも」
「ミコトは神子として此処に残りたいの?」
「……それは……」
「あーなら、質問変える。ミコトは、神子としてヴォルフに抱かれたい?」 

 その言葉に、身を縮こませる。神子・・としてヴォルフに抱かれる。それは、そうしなくちゃいけないと思う。そう思ってた。納得していたし、それが自分の望む結果なんだと……でも、今は……

 首を横に振り、否定の意思を示す。

「ヴォルフに好意はあるけど……抱かれたいわけじゃないよ……」

 自分ながら、最低で都合がいい奴だなって思う。

「そういう事は、お互いに想いあった人とがいい」

 好意とか愛情とか、恋慕とか欲情とか、正直よくわからない。でも、こんなに真っ直ぐに好きと言ってくれるキミに、不誠実でありたくない。

「私は……セシル君……キミがいい」

 ぼろぼろに擦り切れたセシル君の服。その背中に手を回し、ギュッと力を込める。

「セシル君……私を連れてって」

 
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