執事が〇〇だなんて聞いてない!

一花八華

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廻る廻る

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 伸ばされたお義兄様の手。
 指先が触れ合うものの、血で塗るりと滑り離れる。
 バルコニーを越え、落下する身体。

「セリぃなあぁあああぁ!!」

 必死の形相でお義兄様が叫ぶ。ああ……そっか、2階といえども頭から落ちたら……ひとたまりもないわね。

 ─落ちて死ぬのか。痛いのは嫌だなぁ。

 がそう呟く。死を意識した刹那、蓋をしていた記憶が走馬灯のようにめぐる。

 婚約者に裏切られ、自ら死を選んだわたし。婚約の破棄を望まれ、こうやって目の前で落ちたんだっけ。死ぬつもりはなかった。あてつけだった。それで死んだ。そんなつまらない女。
 前世と今世と……誰にも嫌われたくなくて、結局誰をも傷付けたセリーナわたし。お義兄様が壊れたのも、クラウスが消えたのも、全部全部私のせい……ごめんなさい。ごめんなさい。私が全部めちゃくちゃにした……

「……私なんて……いなければ良かったのに……」

 地面に接する間際、そう呟いた。どうせ死ぬのなら、最初から居なければよかった。私が居なければ、きっとこの世界はもっと上手く廻っていたのに……

 ──ドスン

 身体に衝撃が走る。 
 でも……あれ?地面にぶつかった筈なのに、なんで痛みはこないのかしら……

「……馬鹿な事……言わないで下さい」

 はぁー。頭上で大きな溜息が吐かれる。それとともに呟かれた言葉。懐かしい声がする。身体は、冷たく硬い地面の代わりに、暖かくしっかりとした腕に抱きしめられている。私を包む、甘いムスクの香り。見上げれば、翡翠の瞳が揺れていて……

「何をやってるんですか……貴女は……」

 其処には、顰め面したクラウスがいた。

「空から降ってくるなんて……お転婆にも程があるでしょう」

 少し震えた声で、そう呟く。……私を抱くその腕は、痛い程に力が込められていて……息が苦しい。

「……く……クラウス?」

 傍で感じる、彼の温もり。あぁ……彼の匂いだ……

「何があったのです」

 心配するその声。それを耳にし、抑えているモノがジワジワと込み上げてきた。ああ、ダメだ。今それを出したらダメ。

「クラウス……ちょっ……ちょっとうっかり手が滑ったみたい」

 お義兄様とのいざこざを、知られてはいけない。お義兄様は、悪くないもの。全部私の所為だから。私、上手に笑えてるわよね?クラウスは、ちゃんと騙されてくれる?

「彼処にいるのは、レイズ様ですね?」

 クラウスの視線の先、私の部屋のバルコニーには、お義兄様の姿があった……茫然とこちらを見つめている。不信の目で見つめるクラウスと、それを黙って受け止めるお義兄様。お義兄様は一瞬、悲しげな顔を浮かべ笑うと、私達に背を向け中へと消えた。

「……お義兄様」

 動こうとする私を、クラウスが止める。

「これは……血の跡? ……まさか……レイズ様が貴女を!?」

 私の手や衣服に付いた血。それをクラウスに見られた。不味い!

「何もないわ!」

 慌てて否定する。

「私が、部屋にでた虫に驚いて叫んだから……それを聞きつけたお義兄様が駆け付けてくれたの。アレを追い出そうとしてたら、ついうっかりバルコニーから落ちちゃって……ほほほ私ったら間抜けよね?」

 そう笑うのに、お義兄様が消えた先を見つめ、唇を噛み締めるクラウス。

「クラウス……本当になんでもないから……私が……私が悪いの」

 お願いよ。クラウス。何もなかった事にして?そんな目をしないで……貴方の瞳まで、光を無くしたら……私……私……

「貴方が受け止めてくれたおかげで怪我もないわ! ほら! ね?」

 まだ、少し身体は震えているけれど……私、上手に笑えているでしょう?

「怖い目に……遭ったのですね」
「……っ」
「我慢なんて……しないで下さい」

 そう言って、私の身体をぎゅっと抱き締めるクラウス。

「大丈夫ですよ。……俺が居ますから、大丈夫です。泣いて大丈夫なんです……独りで抱え込まないで。怖かった事、辛かった事は、ちゃんと吐き出して下さい」

 やだ。やめてよ。今、そんな風に優しくされたら、私……

「俺が……ちゃんと受け止めますから」
「クラ……うす……っ」
 
「問題を片付けて、貴女を迎えにきたら……中庭が騒がしくて……覗いたら貴女が落ちかけていて……」

「肝が冷えるかと思いました」
「貴女を失うかと……」
「やっと……手に入れられる。そう思ったのに……」

 隙間ないくらい密着する身体。その暖かさに恐怖も解ける。凍えていた指先には、じんわりと血が通い、それと共に胸がきゅっと締め付けられて……

「クラウス……」
「はい」
「クラウス……何処に……行ってたの?」
「お嬢様……遅くなってすみません」
「さみし……かった……離れて、居なくなって……二度と……会えないのかと」
「……」
「クラウス。二度と離れないで。……私の傍にいて……私、私、貴方じゃないと……だめなの……」
「……セリーナ」

 クラウスの首に縋りつき、みっともなく泣きじゃくる。怖かった。寂しかった。不安だった。色んな感情が嗚咽となってでてくる。

「二度と離れません。ずっと貴女と伴にある……その為に、俺は執事を辞めたのですから」

 とめどなく溢れる涙と鼻水。ずびずびと鼻を啜る私は、きっと令嬢と言えない程酷い顔をしているだろう。そんな私を見て、クラウスは微笑んだ。

「セリーナ。俺と結婚して下さい」
「ふぇ?」

 突然の言葉に、涙も引っ込む。ついでに鼻水も

「けっ……結婚?」
「ええ。ダメですか? 俺はもう執事ではありませんし、セリーナの傍にいる為には、それしかないかと……それに」
「約束しましたよね?」

 目を丸くしクラウスを見上げる私。クラウスは、その手をそっと取ると、掌にチュッと口付けを落とし囁く。

「……俺を恋人にしてくれる。って」

 掌に残る柔らかな感触。月の光を受け零れるアイスブルーの銀髪。熱の籠った翡翠の瞳が、私を逃さないとじっと見つめる。

 ぼふんッ!発火した。顔から火がでた!私、人体発火した!そんな至近距離で、色気全開で甘く囁くなんて!!

「セッ……セリーナ!?」
「むっ……無理(精神的に)」

 明日の婚約破棄断罪イベント、お義兄様の暴走ヤンデレ化、落下事故、とどめのクラウスの求愛いちげき……精神的にも肉体的にも、もういっぱいいっぱいで……


 そう呟き、私は意識を手放した。

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