雨が乾くまで

日々曖昧

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昨夜未明

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 目が覚めると、時刻は九時半だった。昨夜に比べると雨の音も弱くなっている。
 普段に比べればかなり寝ているはずなのに、まるでさっき寝て今起きたような気分だった。夢一つ見ずに眠ったのなんていつぶりだろう。
 体を起こしてベッドを見ると、まだ少年は寝息を立てていた。こうして眠っていると、本当に女の子に見えてくる。
 なんとなく、天気を見ようとテレビをつけた。といっても、火曜日の朝九時にやっているテレビなんてニュースくらいしかないだろうが。そう思ってリモコンを操作すると、意外にもニュース番組はやっていなかった。まあどうせ天気予報を見ずとも、今日も終日雨なのだろう。
 私はテレビを消さずに、適当な食べ歩き番組にチャンネルを合わせた。どこかのタレントが朝市に行って、その日の朝獲れたという果物にかぶりついている。「まだ名前も紹介してないのに食べるな」と予定調和の様な指摘が入る。

「ん……」
 私がテレビを眺めていると、ぐっすりと寝ていた少年が声を漏らした。
「ごめんね、起こしちゃった?」
 慌ててテレビの音量を下げる。
「ここは? 俺、公園で……」
 どうやら倒れてからの記憶が曖昧らしい。少年は上体を起こして、周りをキョロキョロと見渡している。あまり整理されていない部屋を見られるのは、やはりそれなりに恥ずかしかった。
「ここは私の家。君、昨日公園で倒れたんだよ」
「……すみません、迷惑かけて」
 少し思い出してきたのだろう。少年は申し訳無さそうに言った。
「気にしないでいいよ、私も勝手に連れて来ちゃったんだし」
 私は少年が気にしないよう、そう言って微笑んで見せた。
 これは私が培ってきた、雰囲気を保つための狡い技術の一つだ。無意識的にこういうことをしてしまうのが、私という人間性を実にうまく表している。

「あ、家の人心配してるよね。携帯あるけど、家の連絡先って分かる?」
 私は昨日のままになっていた鞄から携帯電話を取り出した。昨日充電するのを忘れていたので、充電の残りは三割を切っていた。だがまあ、一回通話をするくらいなら支障はないだろう。
 そのまま携帯を少年に差し出したが、彼は受け取らなかった。
「……大丈夫です。きっと誰も出ませんから」
 少年は悲しげな顔をして膝を抱えそう言った。
「君に一体何があったのか、聞いてもいいかな」
 昨日あんな姿で公園にいた事も、自宅に電話をかけても誰も出ないと言い切れるのも明らかにおかしい。何もかもの説明がついていないままだった。あまり踏み込んではいけない予感はしていたが、どのみち家に連れてきてしまった時点で今更赤の他人にもなれない。
「昨日も言いませんでしたっけ。俺は、人を殺したんですよ」
 少年は膝を抱えたまま、淡々と言った。そんな異常を、淡々と。
「昨日も聞いたよ。でも、私には君がそんなことをするような子には見えない」
 私の言葉を聞いて、少年は膝に顔を埋めた。しばらく時間が経っても、私の言葉に対して彼からの返答はなかった。

『……昨夜未明、住宅で火災が発生。建物は内側から燃えて崩壊。昨夜の豪雨で火災発見が遅れたとのことです。建物の跡からは立木茉奈さん三十五歳と思われる遺体が発見され、お子さんである立木雪くんの遺体は未だ見つかっておりません』
 気づくとテレビはニュース番組に映り変わっていた。やけに物騒な事件だ。私は思わずそのニュースに気を取られてしまった。
「それ、俺の家です」
 少年はテレビの声を聞くと、顔を上げて言った。私は一瞬耳を疑った。
「……俺の名前は立木雪です」
 彼の言葉を理解するのに少し時間がかかった。そして胸に沸いた疑問をそのまま彼に投げかける。
「仮に君が、本当にこのニュースの立木雪くんだったとしたら……君が言ってる人殺しって?」
 私はもう、少年の答えを、心のどこかでなんとなく察していたのかもしれない。
「……昨日、俺は母さんを殺しました」
 自分の体が固まっているのが分かる。しかしそれは、目の前に殺人犯がいるという恐怖からではなかった。少年が、あまりにも悲しみに満ちた表情をしていたからだった。彼は血が滲むほど下唇を噛みしめて、その小さな肩は震えていた。人を殺した人間の表情だとは、やはり思えなかった。
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