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「かわいい仔猫を愛でられたし、そろそろ失礼するよ。オリヴィア。マッサージよかった。またしてくれ」
「陛下がお望みでしたら、いつでも」
彼は変な人で容赦ないが、むやみやたらに血を好み、人を殺めて楽しむ人ではないのかもしれない。
マッサージひとつで、『戦争やめるよ』と、考えが簡単に変わらないことはわかっている。それでも、微弱な恩でも売らないよりは売ったほうがいい。
カルロスはにっと子どもっぽい笑みを浮かべると、なごみ惜しむ様子もなくあっさりと、部屋を出て行ってしまった。
彼が消えたドアを見ながらため息をこぼすと、そっと、キリアがオリヴィアに近寄ってきた。
「オリヴィアさま、ありがとうございます。陛下があんなにも素を出し、無邪気な顔をするのは久方ぶりです」
いきなりお礼を言われ、目を見開いた。
「あれ……、素、なんですか?」
「陛下の一面のひとつ。と言ったところでしょうか……」
彼女の表情は曇り、憂いを含んだものだった。
「オリヴィアさまはもうお気づきと思われますが、陛下はいささか強引なところがあります。そのため……いえ、なんでもございません。この国に来たばかりで、まだ若いオリヴィアさまに重ねてお願いして申しわけないのですが、陛下を、どうぞお頼み申しあげます」
強引なところがあるから敵が多いのだろうと、彼女の口ぶりから察した。
「……善処、します」
キリアは敵国のオリヴィアに対しても、礼を欠いたりしなかった。仕事は完璧、親切で人あたりもいい人というのが所感だ。
一方のオリヴィアは、自分の国が助かることが一番。そのためにカルロスに近づこうとしているだけ。
彼女の望む、皇帝陛下の皇妃にはなれない。期待されて、もうしわけない気持ちになった。
*
レオンティオ帝国にきた初日は、カルロスに剣を向けられたりと色々あったが、その後は死を伴う危険なことはなく、一週間以上が経った。
その間オリヴィアは、朝食以外部屋から出ることを許されなかった。カルロスと顔を合せるのも朝だけ。忙しいらしく、夜にオリヴィアのもとへ来ることもなかった。
――困った。せっかくここまできたのに。何もわからないままだわ。
レオンティオ帝国側が用意した侍女と護衛は、日に日に増えていった。オリヴィアの世話をする人が多い分、身動きが取れなくなったのだ。
オリヴィアの移動範囲は二階の自室と食堂のみ。時間も朝だけと限られている。祖国との連絡も断たれたままだった。
日中は、結婚式とは別にドレスを作るからと言われ、寸法合わせや、装飾品選び。
空いた時間に読書やお茶することを許されたが、自室からは出られず、軟禁状態だ。
建物の構造、城勤めの人数と警備体勢、ミディル国が今どう言う状況なのか、オリヴィアが把握できないように情報は遠ざけられていた。
「キリアさん、私、陛下と二人で話がしたいのですけれど、お時間をいただけないか聞いてもらえますか?」
「かしこまりました。陛下に伝えておきます」
朝食の席では人が多く、込み入った話ができない。
カルロスが兄に送った手紙の返事は来たのか、来たのならその内容はどんなものか知りたかった。
――側近のかたたちに間者と思われている。もう少し、自由にさせて欲しいとお願いしないと。
その日の午後は予定がなく、趣味の刺繍をして過ごしていると、部屋の外が騒がしいことに気がついた。
「……シグルドの声ね。マーラ」
「はい。止めて参ります」
オリヴィアの傍に控えていたマーラは頷くと、ドアへ向かった。
開いたドアのすき間からは、ミディル国から連れてきた護衛騎士シグルドが見えた。カルロスがオリヴィアのために付けた護衛騎士ジラードと言い争っている。
マーラが鎮まるように声をかけても、シグルドは止まらなかった。しかたなく、オリヴィアが間に割って入った。
「シグルド、落ちついて。どうしたの?」
「……オリヴィアさまの警護について、ジラード殿と話し合っているだけです」
シグルドの眉間には深いしわと、目の下には濃い隈ができている。あきらかに顔色が悪い。
ミディルから連れてきたオリヴィアの護衛騎士たちは、シグルド以外、レオンティオ帝国に着いてすぐ祖国へ帰した。
ミディル国の戦力を、自分を守らせることで失いたくなかったのだ。
侍女のマーラは、私の傍を離れないと頑なだった。そのマーラとシグルドは恋仲だ。
主であるオリヴィアと、恋人のマーラをシグルドは敵国のど真ん中で一人、一週間以上休まずに守ってくれていた。
オリヴィアは、今度はジラードを見た。
「ジラードさま、話し合いの内容を教えていただけますか?」
「話し合いではありません。シグルド殿が我々の命に背くので注意しておりました。オリヴィアさまが連れてきた彼は、休むことも、団体行動も拒むのです。はっきり言って迷惑です」
返答はとげとげしいものだった。
ジラードは、初対面のときからずっと変わらずオリヴィアのことを敵視している。命令だから護衛しているというのを隠す気がない。
オリヴィアは、彼に向かって頷きを返すとシグルドとマーラに向きなおった。
「いつも言っているけど、……二人とも、祖国へ帰ってもいいのよ?」
「私たちがオリヴィアさまを置いて帰れると思いますか? どこへ行こうと、何があろうと我々は傍を離れるつもりはありません」
このやり取りはすでに何度もしていた。その度に二人の意思は堅くなっていく。帰ることに同意してくれないとわかっていたのに、また同じことを言ってしまった。
一度死んで気付いたことはあっても、考えたかたの癖はすぐには変えられない。オリヴィアは自分の不器用さにへこんだ。
「二人には本当に感謝している。ありがとう」
落ち込んでいる場合じゃない。このままではシグルドは一度目のときのように、命を落としかねない。
――今生では、二人に幸せになって欲しい。
「シグルド。帰らないのであれば、ここでのやり方に従うしかありません。ジラードさまはあなたに休めと言っているんでしょう? 私も、その意見に賛成です」
シグルドは渋い顔のままで、なかなか頷かなかった。
彼が心配してくれる気持ちもわかる。
頼りない主でごめんね。と直接言ってあげたかったが、レオンティオ帝国の監視が厳しく、甘いところを見せられなかった。オリヴィアは心の中でシグルドに何度も謝った。
「オリヴィアさま、シグルドさまが外での護衛を交代しないのが、問題なんですよね?」
マーラはシグルドをちらりと見たあと、もう一度オリヴィアを見て、口を開いた。
「では、室内の警備をしていただくのはどうですか?」
オリヴィアは、マーラの案になるほどと思った。
「それはいいわね。そうしましょう!」
護衛場所は基本、部屋の外だ。ドレスの仕立屋など外部の者が部屋に入るときは、彼も一緒に部屋に入ってくるが、侍女とオリヴィアだけになると外の警戒に戻っていた。
マーラは、室内警護と言いながら彼を部屋で休ませようとしていると気付いたのだ。
「オリヴィアさま。それは承服しかねます。正妃の部屋への立ち入りは、原則、陛下のみと決まっております」
待ったをかけたのはジラードだった。
「では、決まり事を破ったのは私だと、忙しい陛下にジラードさまから伝えて」
オリヴィアはジラードに向かって「責任は私がとる」と伝えると、シグルドの腕を引っ張った。
シグルドは最初部屋に入るのを渋っていたが、マーラと二人で無理やり部屋に引き込んだ。
ドアを閉まるとき、ジラードの冷たい視線を感じたが、オリヴィアはあえて無視をした。
「陛下がお望みでしたら、いつでも」
彼は変な人で容赦ないが、むやみやたらに血を好み、人を殺めて楽しむ人ではないのかもしれない。
マッサージひとつで、『戦争やめるよ』と、考えが簡単に変わらないことはわかっている。それでも、微弱な恩でも売らないよりは売ったほうがいい。
カルロスはにっと子どもっぽい笑みを浮かべると、なごみ惜しむ様子もなくあっさりと、部屋を出て行ってしまった。
彼が消えたドアを見ながらため息をこぼすと、そっと、キリアがオリヴィアに近寄ってきた。
「オリヴィアさま、ありがとうございます。陛下があんなにも素を出し、無邪気な顔をするのは久方ぶりです」
いきなりお礼を言われ、目を見開いた。
「あれ……、素、なんですか?」
「陛下の一面のひとつ。と言ったところでしょうか……」
彼女の表情は曇り、憂いを含んだものだった。
「オリヴィアさまはもうお気づきと思われますが、陛下はいささか強引なところがあります。そのため……いえ、なんでもございません。この国に来たばかりで、まだ若いオリヴィアさまに重ねてお願いして申しわけないのですが、陛下を、どうぞお頼み申しあげます」
強引なところがあるから敵が多いのだろうと、彼女の口ぶりから察した。
「……善処、します」
キリアは敵国のオリヴィアに対しても、礼を欠いたりしなかった。仕事は完璧、親切で人あたりもいい人というのが所感だ。
一方のオリヴィアは、自分の国が助かることが一番。そのためにカルロスに近づこうとしているだけ。
彼女の望む、皇帝陛下の皇妃にはなれない。期待されて、もうしわけない気持ちになった。
*
レオンティオ帝国にきた初日は、カルロスに剣を向けられたりと色々あったが、その後は死を伴う危険なことはなく、一週間以上が経った。
その間オリヴィアは、朝食以外部屋から出ることを許されなかった。カルロスと顔を合せるのも朝だけ。忙しいらしく、夜にオリヴィアのもとへ来ることもなかった。
――困った。せっかくここまできたのに。何もわからないままだわ。
レオンティオ帝国側が用意した侍女と護衛は、日に日に増えていった。オリヴィアの世話をする人が多い分、身動きが取れなくなったのだ。
オリヴィアの移動範囲は二階の自室と食堂のみ。時間も朝だけと限られている。祖国との連絡も断たれたままだった。
日中は、結婚式とは別にドレスを作るからと言われ、寸法合わせや、装飾品選び。
空いた時間に読書やお茶することを許されたが、自室からは出られず、軟禁状態だ。
建物の構造、城勤めの人数と警備体勢、ミディル国が今どう言う状況なのか、オリヴィアが把握できないように情報は遠ざけられていた。
「キリアさん、私、陛下と二人で話がしたいのですけれど、お時間をいただけないか聞いてもらえますか?」
「かしこまりました。陛下に伝えておきます」
朝食の席では人が多く、込み入った話ができない。
カルロスが兄に送った手紙の返事は来たのか、来たのならその内容はどんなものか知りたかった。
――側近のかたたちに間者と思われている。もう少し、自由にさせて欲しいとお願いしないと。
その日の午後は予定がなく、趣味の刺繍をして過ごしていると、部屋の外が騒がしいことに気がついた。
「……シグルドの声ね。マーラ」
「はい。止めて参ります」
オリヴィアの傍に控えていたマーラは頷くと、ドアへ向かった。
開いたドアのすき間からは、ミディル国から連れてきた護衛騎士シグルドが見えた。カルロスがオリヴィアのために付けた護衛騎士ジラードと言い争っている。
マーラが鎮まるように声をかけても、シグルドは止まらなかった。しかたなく、オリヴィアが間に割って入った。
「シグルド、落ちついて。どうしたの?」
「……オリヴィアさまの警護について、ジラード殿と話し合っているだけです」
シグルドの眉間には深いしわと、目の下には濃い隈ができている。あきらかに顔色が悪い。
ミディルから連れてきたオリヴィアの護衛騎士たちは、シグルド以外、レオンティオ帝国に着いてすぐ祖国へ帰した。
ミディル国の戦力を、自分を守らせることで失いたくなかったのだ。
侍女のマーラは、私の傍を離れないと頑なだった。そのマーラとシグルドは恋仲だ。
主であるオリヴィアと、恋人のマーラをシグルドは敵国のど真ん中で一人、一週間以上休まずに守ってくれていた。
オリヴィアは、今度はジラードを見た。
「ジラードさま、話し合いの内容を教えていただけますか?」
「話し合いではありません。シグルド殿が我々の命に背くので注意しておりました。オリヴィアさまが連れてきた彼は、休むことも、団体行動も拒むのです。はっきり言って迷惑です」
返答はとげとげしいものだった。
ジラードは、初対面のときからずっと変わらずオリヴィアのことを敵視している。命令だから護衛しているというのを隠す気がない。
オリヴィアは、彼に向かって頷きを返すとシグルドとマーラに向きなおった。
「いつも言っているけど、……二人とも、祖国へ帰ってもいいのよ?」
「私たちがオリヴィアさまを置いて帰れると思いますか? どこへ行こうと、何があろうと我々は傍を離れるつもりはありません」
このやり取りはすでに何度もしていた。その度に二人の意思は堅くなっていく。帰ることに同意してくれないとわかっていたのに、また同じことを言ってしまった。
一度死んで気付いたことはあっても、考えたかたの癖はすぐには変えられない。オリヴィアは自分の不器用さにへこんだ。
「二人には本当に感謝している。ありがとう」
落ち込んでいる場合じゃない。このままではシグルドは一度目のときのように、命を落としかねない。
――今生では、二人に幸せになって欲しい。
「シグルド。帰らないのであれば、ここでのやり方に従うしかありません。ジラードさまはあなたに休めと言っているんでしょう? 私も、その意見に賛成です」
シグルドは渋い顔のままで、なかなか頷かなかった。
彼が心配してくれる気持ちもわかる。
頼りない主でごめんね。と直接言ってあげたかったが、レオンティオ帝国の監視が厳しく、甘いところを見せられなかった。オリヴィアは心の中でシグルドに何度も謝った。
「オリヴィアさま、シグルドさまが外での護衛を交代しないのが、問題なんですよね?」
マーラはシグルドをちらりと見たあと、もう一度オリヴィアを見て、口を開いた。
「では、室内の警備をしていただくのはどうですか?」
オリヴィアは、マーラの案になるほどと思った。
「それはいいわね。そうしましょう!」
護衛場所は基本、部屋の外だ。ドレスの仕立屋など外部の者が部屋に入るときは、彼も一緒に部屋に入ってくるが、侍女とオリヴィアだけになると外の警戒に戻っていた。
マーラは、室内警護と言いながら彼を部屋で休ませようとしていると気付いたのだ。
「オリヴィアさま。それは承服しかねます。正妃の部屋への立ち入りは、原則、陛下のみと決まっております」
待ったをかけたのはジラードだった。
「では、決まり事を破ったのは私だと、忙しい陛下にジラードさまから伝えて」
オリヴィアはジラードに向かって「責任は私がとる」と伝えると、シグルドの腕を引っ張った。
シグルドは最初部屋に入るのを渋っていたが、マーラと二人で無理やり部屋に引き込んだ。
ドアを閉まるとき、ジラードの冷たい視線を感じたが、オリヴィアはあえて無視をした。
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