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第5話
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◇
「レオン殿下。頬に、肉球のあとが」
俺が王太子専用の控え室で手当を受けていると、侍従長のメイソンが心配そうな顔でのぞき込んできた。
差し出した手鏡を受け取り覗いて見ると、確かに頬と額に猫の足跡がある。擦ってみると煤だった。
「メイソン、俺のことはいい。早くジュリアを連れ戻してくれ」
「殿下。夜の追跡は危険です。令嬢もそう遠くまでは行かないでしょう」
「夜は危険だから今すぐ追えと言っているんだが?」
語気を強めると、侍従長は「仰せのままに」と言って頭を下げた。
「そうよ。早く猫さまを連れ戻して!」
白い包帯で頭をぐるぐるに巻き、腕の引っ掻き傷に薬を塗り込む俺の傍で、ユリアは声を荒げた。
彼女から甘ったるい匂いが香った。前の世界から持ってきた物のようだ。ユリアはいつも同じ匂い袋を持ち歩いている。
「護衛兵が見たんでしょう? ジュリアさまが猫を抱えて馬車に飛び乗る姿を。きっと今も一緒にいるはずよ」
「猫よりも、大事なのは私の婚約者だ」
自分を引っ掻いた仔猫を捕まえてどうこうするつもりはない。ただもう一度、ジュリアに会いたかった。
ユリアはわざとらしく口と目を見開いた。
「王子さま、それでも王族? この物語は猫神さまがメインなのよ?」
「聖女さま、いくらあなたでも殿下を侮辱するのは許されませんよ」
長年王家に仕えてくれている老臣、セタンタが聖女を諫める。
「セタンタ。これはそういうものだ。いちいち目くじらを立てるな」
異世界から来たという聖女には身分を重んじる考えや礼儀作法というものが欠如している。あちらの世界では常識が違うのだろう。
「王子さまに近づけば、たくさんの猫と触れ合えると思ったのに。だからパーティーにも出席したのよ。話が違います!」
猫と触れ合えるなんて、言った覚えはない。
ユリア嬢がまた何か理解できないことを言いはじめたと、うんざりしながらも口を開く。
「勝手にパーティーに参加したのは貴女じゃないか。老臣たちは喜ぶし、無下にできないから相手にしていたまで」
異世界からきた聖女が不憫だった。見知らぬ土地に知らない文化と人々、きっと不安だろうと思い匿った。だが、それが間違いだった。
みんなが聖女と王子が仲睦まじいと勝手に喜び、はやし立てた。これで蝗虫の被害は収まる。聖女が助けてくれると多大な期待をさせてしまった。
「猫のことまでは世話できない。そもそも、」
そこで言葉を切ると立ち上がった。ユリアを見下ろす。
「聖女は猫に愛される者、猫神さまの使い。なのに、ユリア嬢に猫が寄りつかないのはなぜだ。話が違うと言いたいのはこちら側だ」
猫神さまは猫たちと共に蝗害を食い止めてくれる。だが、猫という生き物は人に命令されて動くような動物ではない、高貴で気高く、自由な存在だ。
パーティーが始まる前、王都に住まう猫を使って聖女の力を試したが、猫はユリアに従うどころか、逃げて隠れしてしまった。
「猫が私に寄りつかないのは、きっと、王子さまが私を大切にしてくれないからよ!」
ユリアは大きな瞳を潤ませながら訴えた。すると、さっきまで目をつり上げていたセタンタはとろんと目尻を垂らし、だらしない顔になった。
「そうですね~。きっと、レオン殿下の聖女への誠意が足りないんですよ~」
またこれだ。と俺は頭を抱えた。
聖女ユリアには『魅惑』という加護がある。彼女が涙ながらに訴えると、途端に周囲にいる者は恍惚とした表情になって、彼女の言いなりになる。
俺だけ、魅惑の力が効かなかった。
「君の力は、求めていたものじゃないようだ。悪いが、元の世界に帰ってくれないか?」
「嫌よ」
ユリアの目つきがきつくなった。
「私、帰らないわ。大好きな推しを抱きしめるまでは諦めないんだから!」
推しってなんだ……? と考えていると、
「兵隊のお兄さん、何をぼおっと突っ立ってるの? 王子さまがご乱心よ? 私に危害を加える前に早く捕らえなさい!」
彼女はあろうことかこの俺に向かって指を差し、護衛兵に命令した。
「待て。ユリア嬢、いったい何を言っている?」
「承知しました。聖女さま」
「はあ? 気は確かか、おまえたち。俺はこの国の王太子だぞ。捕まえるのは聖女ユリアだ!」
命令を下したが、俺はあっけなく護衛兵に捕らえられた。手を後ろにして縛られた。
「ちょっと待て! 正気かおまえたちって、正気じゃないのか、くそ!」
「あら、白馬の王子さまがくそとか言ったらだめよ。イメージ大事!」
「俺の愛馬は黒馬だ!」
今大事なのはそこじゃないが、つい向きになった。護衛兵が両脇に並び俺を引きずっていこうとする。
「王子を地下の牢獄へ」
目を見張った。
この女は城に来たのは今夜が初めてのはず。なのになぜ城の地下に牢屋があると知っている? 転移者のなせる技か?
胸の前で腕を組み、蔑むような目を向ける彼女を、俺は引きずられながら睨んだ。
「おまえの目的はなんだ? この国を、王家を乗っ取ることか?」
身体をよじり、護衛兵の一人に頭突きを食らわす。抵抗しながら聖女に訊いた。
「レオン殿下。頬に、肉球のあとが」
俺が王太子専用の控え室で手当を受けていると、侍従長のメイソンが心配そうな顔でのぞき込んできた。
差し出した手鏡を受け取り覗いて見ると、確かに頬と額に猫の足跡がある。擦ってみると煤だった。
「メイソン、俺のことはいい。早くジュリアを連れ戻してくれ」
「殿下。夜の追跡は危険です。令嬢もそう遠くまでは行かないでしょう」
「夜は危険だから今すぐ追えと言っているんだが?」
語気を強めると、侍従長は「仰せのままに」と言って頭を下げた。
「そうよ。早く猫さまを連れ戻して!」
白い包帯で頭をぐるぐるに巻き、腕の引っ掻き傷に薬を塗り込む俺の傍で、ユリアは声を荒げた。
彼女から甘ったるい匂いが香った。前の世界から持ってきた物のようだ。ユリアはいつも同じ匂い袋を持ち歩いている。
「護衛兵が見たんでしょう? ジュリアさまが猫を抱えて馬車に飛び乗る姿を。きっと今も一緒にいるはずよ」
「猫よりも、大事なのは私の婚約者だ」
自分を引っ掻いた仔猫を捕まえてどうこうするつもりはない。ただもう一度、ジュリアに会いたかった。
ユリアはわざとらしく口と目を見開いた。
「王子さま、それでも王族? この物語は猫神さまがメインなのよ?」
「聖女さま、いくらあなたでも殿下を侮辱するのは許されませんよ」
長年王家に仕えてくれている老臣、セタンタが聖女を諫める。
「セタンタ。これはそういうものだ。いちいち目くじらを立てるな」
異世界から来たという聖女には身分を重んじる考えや礼儀作法というものが欠如している。あちらの世界では常識が違うのだろう。
「王子さまに近づけば、たくさんの猫と触れ合えると思ったのに。だからパーティーにも出席したのよ。話が違います!」
猫と触れ合えるなんて、言った覚えはない。
ユリア嬢がまた何か理解できないことを言いはじめたと、うんざりしながらも口を開く。
「勝手にパーティーに参加したのは貴女じゃないか。老臣たちは喜ぶし、無下にできないから相手にしていたまで」
異世界からきた聖女が不憫だった。見知らぬ土地に知らない文化と人々、きっと不安だろうと思い匿った。だが、それが間違いだった。
みんなが聖女と王子が仲睦まじいと勝手に喜び、はやし立てた。これで蝗虫の被害は収まる。聖女が助けてくれると多大な期待をさせてしまった。
「猫のことまでは世話できない。そもそも、」
そこで言葉を切ると立ち上がった。ユリアを見下ろす。
「聖女は猫に愛される者、猫神さまの使い。なのに、ユリア嬢に猫が寄りつかないのはなぜだ。話が違うと言いたいのはこちら側だ」
猫神さまは猫たちと共に蝗害を食い止めてくれる。だが、猫という生き物は人に命令されて動くような動物ではない、高貴で気高く、自由な存在だ。
パーティーが始まる前、王都に住まう猫を使って聖女の力を試したが、猫はユリアに従うどころか、逃げて隠れしてしまった。
「猫が私に寄りつかないのは、きっと、王子さまが私を大切にしてくれないからよ!」
ユリアは大きな瞳を潤ませながら訴えた。すると、さっきまで目をつり上げていたセタンタはとろんと目尻を垂らし、だらしない顔になった。
「そうですね~。きっと、レオン殿下の聖女への誠意が足りないんですよ~」
またこれだ。と俺は頭を抱えた。
聖女ユリアには『魅惑』という加護がある。彼女が涙ながらに訴えると、途端に周囲にいる者は恍惚とした表情になって、彼女の言いなりになる。
俺だけ、魅惑の力が効かなかった。
「君の力は、求めていたものじゃないようだ。悪いが、元の世界に帰ってくれないか?」
「嫌よ」
ユリアの目つきがきつくなった。
「私、帰らないわ。大好きな推しを抱きしめるまでは諦めないんだから!」
推しってなんだ……? と考えていると、
「兵隊のお兄さん、何をぼおっと突っ立ってるの? 王子さまがご乱心よ? 私に危害を加える前に早く捕らえなさい!」
彼女はあろうことかこの俺に向かって指を差し、護衛兵に命令した。
「待て。ユリア嬢、いったい何を言っている?」
「承知しました。聖女さま」
「はあ? 気は確かか、おまえたち。俺はこの国の王太子だぞ。捕まえるのは聖女ユリアだ!」
命令を下したが、俺はあっけなく護衛兵に捕らえられた。手を後ろにして縛られた。
「ちょっと待て! 正気かおまえたちって、正気じゃないのか、くそ!」
「あら、白馬の王子さまがくそとか言ったらだめよ。イメージ大事!」
「俺の愛馬は黒馬だ!」
今大事なのはそこじゃないが、つい向きになった。護衛兵が両脇に並び俺を引きずっていこうとする。
「王子を地下の牢獄へ」
目を見張った。
この女は城に来たのは今夜が初めてのはず。なのになぜ城の地下に牢屋があると知っている? 転移者のなせる技か?
胸の前で腕を組み、蔑むような目を向ける彼女を、俺は引きずられながら睨んだ。
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