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第10話
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◇
婚約者のジュリアは幼いころからやさしく、かわいらしかった。
二つ年上で、面倒見のいい彼女は遊ぶときもおやつを食べるときも、まず、俺の意見を優先してくれた。だから、調子に乗っていたのは認める。
彼女には何をしても許されると。
五歳の誕生日を迎えた日、城の中庭に、大きな猫が現れた。
瞳の色は翡翠色で、長い毛は陽の光に照らされて金色に輝いていた。
『レオンさま、大きな猫です。私、こんなきれいな子、初めて見ました!』
猫は、ジュリアが触れても嫌がらなかった。地面に腹をつけてじっとしている。背中を撫でられれば目を細めた。
『かわいい』
猫を見つめる彼女の目は、愛しさで溢れていた。自分には向けられたことがない表情に、胸の奥がちりっと熱くなった。
『レオンさまも触ってみますか?』
『やめろ、猫を押しつけるな。毛が飛ぶ!』
猫は俺の大きな声に驚き、飛び上がった。高い城壁をふわりと乗り越え、逃げてしまった。壁まで近寄ったが、子どもの自分では上って追いかけるのは無理だ。
『ごめん……』
振り返った瞬間、後悔した。後ろにいたジュリアは涙目で俺を睨んでいた。
猫を妬んで痛んだ胸が、今度はひやりと凍った。
その日を境に、彼女は二度と俺に笑顔を向けなくなった。
*
聖女の指示で地下の牢獄に入れられて二日経った。
牢獄と言っても、王族専用の牢屋のため、肌触りのいい絨毯が床に敷かれている。
腕の縄も解かれた。ただ、囚われの身のため、外には出られないし誰も言うことを聞いてくれない。
入り口は一つで、頑丈な鉄格子には太い南京錠が二個ついている。石造りの壁も強固で、体当たりしても無駄だった。
天井付近にある小さな窓にも鉄格子があり、陽の光が差し込んでいるが、ジャンプしても届かない。自力での脱出は不可能で、俺は冷たい壁にもたれるようにして座ると項垂れた。
「どうしてこうなったんだ……」
自分のふがいなさに頭が痛い。
俺は父である国王に、成人を迎えるんだからと聖女について一任されていた。
王太子として国王、老臣、民、みんなの期待に応えたくて、ジュリアが好きだという自分の気持ちは押し殺した。
聖女の案件を無事に片付け、みんなに認められたあとにあらためて彼女を正妃に求めようと考えていた。
「嫌われているってわかっていたのに。甘いよな……」
『聖女に頼る前に自分でできることがあるでしょう?』
脳髄を大きく揺さぶられたような衝撃だった。彼女の言葉でようやく過ち気づいた。
自分の国のことなのに、よそから来た少女に国の危機を救ってもらおうとした。
他力任せな考えを晒し、大事な人を逃してしまった。
自分の道は自分で切り開くと豪語する彼女の目には、頼りない王子に映っていたことだろう。
恥じたところで、過去は変えられない。だが未来は、反省を生かすことで変えられる。
瞼をそっと閉じた。幼いころのジュリアの笑顔が色あせることなく蘇る。
もう一度、彼女の笑顔が見たい。
好かれることを考える前に、まずは、誠意を尽くそう。謝罪と感謝の気持ちは伝えたい。
とにかく、一刻も早くここから抜け出さなければ。
「誰かいないのか? ここから出せ!」
何百回と叫んだが、他に方法がない。聖女の支配下にない誰かに届くまで、叫ぶしかなかった。
「……絶対にジュリアに会う」
抜け道はないかともう一度、牢屋内を観察する。ふと、足元の絨毯に目がいった。端の一部が浮いている。捲ってみると、その下から小さな枝が四本出てきた。
「なんだこれ」
「みゃーん」
鳴き声がして顔を上げると、小さな窓のところに猫がいた。
「どうした。そんな高いところいると危ないぞ」
心配する俺をよそに、猫は鉄格子をするりと抜けると静かに降り立った。
すらりとした白い猫だ。流氷のような水色の目をしている。こちらに近寄り、足に頭をこすりつけてきた。
「来てくれてありがとう。だけどここには君が食べられるようなものはないよ」
猫は後ろ足だけで立ち上がり、前足で俺の足に触れた。背伸びするようにして、手に持っていた枝の匂いを嗅いでペロリとひと舐めした。
「これが欲しいのか?」
枝を一本あげると、噛みついて夢中で遊びだした。
「この枝、マタタビかもしれない。誰かが絨毯の下に隠していたのか……」
過去に罪を犯した王族が幽閉されている間ここで、猫と遊んでいたのかもしれない。部屋の隅に毛玉や、虫を模した猫のおもちゃがある。
猫はマタタビに満足したのか、鉄格子の間をするりと抜けて外へ向かった。
護衛兵が猫に気づいたのだろう。体躯の良い男だったのに「あらかわいいっ!」と高い声で言っているのが聞こえた。
しばらくすると白猫は束ねた鍵を咥えて戻ってきた。俺の前で座り、ぽとりと鍵束を置いた。
「もしかして、マタタビのお礼に取ってきてくれた。とか?」
猫はすっと立ち上がると再び鉄格子へ向かう。しっぽをピント立てて、ときどきこっちに振り向く。
ついてこいと言っているみたいだった。
「なんか、よくわからないが助かった。ありがとう」
鍵をすぐに拾い、施錠を解く。看守が脱獄を止めにくるだろうと覚悟して進んだが、なぜか男は平伏して待っていた。
「王太子さま。申し訳ございませんでした!」
どうやら聖女の魅惑が解けて正気に戻ったらしい。
彼への罰は与えずに「ご苦労だった」と伝え、白猫と一緒に牢獄を抜け出した。
婚約者のジュリアは幼いころからやさしく、かわいらしかった。
二つ年上で、面倒見のいい彼女は遊ぶときもおやつを食べるときも、まず、俺の意見を優先してくれた。だから、調子に乗っていたのは認める。
彼女には何をしても許されると。
五歳の誕生日を迎えた日、城の中庭に、大きな猫が現れた。
瞳の色は翡翠色で、長い毛は陽の光に照らされて金色に輝いていた。
『レオンさま、大きな猫です。私、こんなきれいな子、初めて見ました!』
猫は、ジュリアが触れても嫌がらなかった。地面に腹をつけてじっとしている。背中を撫でられれば目を細めた。
『かわいい』
猫を見つめる彼女の目は、愛しさで溢れていた。自分には向けられたことがない表情に、胸の奥がちりっと熱くなった。
『レオンさまも触ってみますか?』
『やめろ、猫を押しつけるな。毛が飛ぶ!』
猫は俺の大きな声に驚き、飛び上がった。高い城壁をふわりと乗り越え、逃げてしまった。壁まで近寄ったが、子どもの自分では上って追いかけるのは無理だ。
『ごめん……』
振り返った瞬間、後悔した。後ろにいたジュリアは涙目で俺を睨んでいた。
猫を妬んで痛んだ胸が、今度はひやりと凍った。
その日を境に、彼女は二度と俺に笑顔を向けなくなった。
*
聖女の指示で地下の牢獄に入れられて二日経った。
牢獄と言っても、王族専用の牢屋のため、肌触りのいい絨毯が床に敷かれている。
腕の縄も解かれた。ただ、囚われの身のため、外には出られないし誰も言うことを聞いてくれない。
入り口は一つで、頑丈な鉄格子には太い南京錠が二個ついている。石造りの壁も強固で、体当たりしても無駄だった。
天井付近にある小さな窓にも鉄格子があり、陽の光が差し込んでいるが、ジャンプしても届かない。自力での脱出は不可能で、俺は冷たい壁にもたれるようにして座ると項垂れた。
「どうしてこうなったんだ……」
自分のふがいなさに頭が痛い。
俺は父である国王に、成人を迎えるんだからと聖女について一任されていた。
王太子として国王、老臣、民、みんなの期待に応えたくて、ジュリアが好きだという自分の気持ちは押し殺した。
聖女の案件を無事に片付け、みんなに認められたあとにあらためて彼女を正妃に求めようと考えていた。
「嫌われているってわかっていたのに。甘いよな……」
『聖女に頼る前に自分でできることがあるでしょう?』
脳髄を大きく揺さぶられたような衝撃だった。彼女の言葉でようやく過ち気づいた。
自分の国のことなのに、よそから来た少女に国の危機を救ってもらおうとした。
他力任せな考えを晒し、大事な人を逃してしまった。
自分の道は自分で切り開くと豪語する彼女の目には、頼りない王子に映っていたことだろう。
恥じたところで、過去は変えられない。だが未来は、反省を生かすことで変えられる。
瞼をそっと閉じた。幼いころのジュリアの笑顔が色あせることなく蘇る。
もう一度、彼女の笑顔が見たい。
好かれることを考える前に、まずは、誠意を尽くそう。謝罪と感謝の気持ちは伝えたい。
とにかく、一刻も早くここから抜け出さなければ。
「誰かいないのか? ここから出せ!」
何百回と叫んだが、他に方法がない。聖女の支配下にない誰かに届くまで、叫ぶしかなかった。
「……絶対にジュリアに会う」
抜け道はないかともう一度、牢屋内を観察する。ふと、足元の絨毯に目がいった。端の一部が浮いている。捲ってみると、その下から小さな枝が四本出てきた。
「なんだこれ」
「みゃーん」
鳴き声がして顔を上げると、小さな窓のところに猫がいた。
「どうした。そんな高いところいると危ないぞ」
心配する俺をよそに、猫は鉄格子をするりと抜けると静かに降り立った。
すらりとした白い猫だ。流氷のような水色の目をしている。こちらに近寄り、足に頭をこすりつけてきた。
「来てくれてありがとう。だけどここには君が食べられるようなものはないよ」
猫は後ろ足だけで立ち上がり、前足で俺の足に触れた。背伸びするようにして、手に持っていた枝の匂いを嗅いでペロリとひと舐めした。
「これが欲しいのか?」
枝を一本あげると、噛みついて夢中で遊びだした。
「この枝、マタタビかもしれない。誰かが絨毯の下に隠していたのか……」
過去に罪を犯した王族が幽閉されている間ここで、猫と遊んでいたのかもしれない。部屋の隅に毛玉や、虫を模した猫のおもちゃがある。
猫はマタタビに満足したのか、鉄格子の間をするりと抜けて外へ向かった。
護衛兵が猫に気づいたのだろう。体躯の良い男だったのに「あらかわいいっ!」と高い声で言っているのが聞こえた。
しばらくすると白猫は束ねた鍵を咥えて戻ってきた。俺の前で座り、ぽとりと鍵束を置いた。
「もしかして、マタタビのお礼に取ってきてくれた。とか?」
猫はすっと立ち上がると再び鉄格子へ向かう。しっぽをピント立てて、ときどきこっちに振り向く。
ついてこいと言っているみたいだった。
「なんか、よくわからないが助かった。ありがとう」
鍵をすぐに拾い、施錠を解く。看守が脱獄を止めにくるだろうと覚悟して進んだが、なぜか男は平伏して待っていた。
「王太子さま。申し訳ございませんでした!」
どうやら聖女の魅惑が解けて正気に戻ったらしい。
彼への罰は与えずに「ご苦労だった」と伝え、白猫と一緒に牢獄を抜け出した。
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