美醜逆転の異世界で騎士様たちに愛される

志季彩夜

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番外編

〈リクエスト〉素敵な人 2

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 一台の大きな馬車がエストロの入口に停まり、一人の少女が中から降りてきた。

「ここがエストロね!」

 初めて訪れる町にはしゃぐ彼女に、馬車の窓から帽子が差し出される。

「アンナ姉さん、忘れてるよ」
「あ、本当だわ。シオン、ありがとう」

 帽子を渡した彼も馬車から降りて、両腕を上げて伸びをする。

「んー!しばらく乗っていたから腰が痛いよ」
「私もだわ。もう日も沈みかけているし、疲れたから今日は早く寝ましょ」

 馬車から荷物を降ろしていた二人の父親と兄が声をかける。

「それなりに広い町だし何かいい物が見つかるかもしれない。休息も兼ねてしばらく滞在することにしよう」
「おい、荷物多いんだから、シオンも手伝え」
「はーい」

 アンナの生まれた家では代々骨董屋を営んでおり、骨董品の仕入れと販売のために様々な地域を巡っていた。アルデン国内から隣国のその先まで。その旅の期間は短くても一か月、長ければ半年。この旅もすでに二か月が過ぎようとしている。
 また、珍しく高価なものを売買するとなればその客は貴族が多く、彼らは平民の中でも富裕層と呼ばれる家庭だった。
 町の中で一番高級な宿を取り、一家は数日間の寝床を得る。

「近くに良いレストランがあって良かったわ!メニューもいっぱいあったし、毎日のご飯が楽しみね!」
「どれも美味しかったね。……ふぁ……お腹いっぱいになったら余計に眠くなってきた……。姉さん、おやすみ」
「ええ、おやすみ」

 そしてこのエストロというありふれた町に、アンナの人生を変える出会いがあるのだった。

 仕事をしないアンナが今回の旅に同行している理由は、彼女の結婚相手を探すためだ。
 アンナも十八歳の適齢期。
 良さそうな相手を探して紹介しても結婚に興味が無くなかなか応じない娘を案じて、父親は直接アンナを連れて男性を探そうと考えた。
 もしかしたら貴族のご子息の目に留まって良い繋がりが得られるかもしれない、というビジネス的な思考も少なからずある。
 なので王都に向かう途中に寄っただけのこの町では、アンナは特にやることなどなく、暇を持て余していた。

「つまらないわ……」

 シオンはこの旅の中で幾度か聞いたアンナのその言葉の、次の行動をすでに分かっていた。
 父親の元へ向かった姉に、彼は何も言わずにのんびり付いていく。

「ねぇお父さん、町を見てきていいでしょ?」
「ああ、夕刻までには戻ってくるんだぞ。あと、シオンを連れて行きなさい」

 仕事を覚えろと言われ付いて来たが、今や姉のお目付け役となっている。
 そうして父親と兄は仕事に向かい、アンナとシオンは早速町を探索することにした。

「宿の周りは住宅が多いわね。お店とか無いかしら」
「向こうの通りかな?大体固まってると思うけど」

 シオンの言う通り主な店は大通りの周辺に建てられ、食べ物、洋服、雑貨など一通り何でも揃いそうだ。

「とりあえずお菓子でも買う?」
「そうね」

 美味しいお菓子があれば暇な時間も癒やしに変わる。目的を決めて店を見て回り、意外と早く時間は過ぎていった。
 端から端まで見ることは出来なかったが、父との約束があるのでキリをつけて宿に戻ることにする。
 帰り道の途中、一つの建物が目に入った。

「ここも……何かのお店かしら」
「看板立ってるし、オープンの札も掛けてあるね」

 二人は目を合わせ、興味本位で入ってみることにした。こういう時に物怖じしないのがこの姉弟である。
 扉を開けるとチリンと鈴の音がなる。

「凄い……!本がいっぱいね!」

 どうやらここは本屋らしい。
 いくつも設置された背の高い棚の中は隙間なくびっしり埋められ、狭い店内に何百冊という本が詰め込まれている。
 感心しながらキョロキョロ見回し、店の奥へ進んでいくと、角にあるカウンターで一人の青年が座っていた。

「いらっしゃい」
「こんにちは。ここは貴方のお店?」
「いや、私はただの店員だよ。店主は今日は留守にしてる」

 アンナと同い年か、少し上くらい。金色の瞳が特徴的だった。

「何か探してる本がある?」
「探してる……ものは特に無いわ。見かけて入ってみただけなの」
「そうか。こんな古臭い本屋は君みたいな若い女性にはつまらないんじゃないか?」
「私、本は結構読めるのよ。あ、これ、去年読んだ本だわ」

 アンナが傍らの棚から手に取り見せた本は随分昔の歴史書で、全く女性の関心を引きそうにないその一冊に、彼は驚きで目を丸くする。

「君は……随分、変わっているな」
「いえ、読んでみたけど面白くは無かったわ。ちょっと背伸びしすぎたかしら」

 カッコつけもせず正直な感想を言い、彼がクスリと笑ったのを見てアンナも思わず微笑んだ。
 そんな短い会話の間に窓から差し込む光が弱くなっていき、一気に店内は暗くなっていく。

「姉さん、そろそろ帰らないと」
「本当だわ、お父さんに怒られちゃう。また明日来てもいい?」
「いつでもどうぞ」

 灯りをつけた彼に手を振り、二人は店を後にした。

「この町には本屋があるのね。びっくりしたわ」
「そういえば前の町には無かったっけ。姉さんは本好きだねぇ」
「シオンが読まなさすぎるだけじゃない?昔から図鑑ばっかり」
「いやぁ、絵があったほうが覚えやすいから……」

 久しぶりの本屋というのはそうだが、あの青年ともう少し話がしたいという気持ちもあり、アンナは浮き足立って次の日を迎えた。

「こんにちは」
「お邪魔しまーす」

 二人は挨拶しながらカウンターの方へ顔を覗かせた。

「ああ、昨日の……」
「私はアンナ。こっちは弟のシオンよ」
「よろしく~」

 ニコニコするシオンに、彼も笑みを返す。

「ジンだ。よろしく」

 お互い自己紹介を終えたところで、アンナは持参した一冊の本を彼に見せる。

「昨日探している本は無いと言ったけど、一つ思い出したの。この本の続きが最近出たらしくて、ここに置いてあるかしら?」
「ああ、それはちょうどこの前入荷したばかりだ」

 店の奥に入っていった彼は本を持って来て彼女に確認すると、丁寧に紙に包む。

「年頃らしいファンタジー小説も読むんだな」
「ええ。やっぱりこれくらいが私にはちょうど良いわ」

 代金を支払い、アンナはお目当ての本を手に入れた。
 満足げな彼女の様子を見て、ジンは少し迷った後二人に尋ねる。

「ここら辺じゃ見かけたことのない顔だけど、引っ越してきたのか?」
「私たちお父さんの仕事の関係で旅をしてて、その途中で寄ったの」
「数日だけどね。そこの宿にしばらく泊まる予定だよ」
「そうなのか。何もない町だが、ゆっくりしていってくれ」

 その後も軽く雑談を……と言いつつも、思ったより会話が弾んで長居をしてしまった。

「お仕事中に邪魔しちゃってごめんなさい。買い物しなかったらお客でも無いし、居座ったら良くないわよね」

 夕刻前にアンナがようやくカバンを持つと、ジンは少し目線を逸らす。

「……この店に来る客は元々少ないよ」

 その言葉に、アンナは笑顔で頷いた。

 旅する一家がこの町に来てから一週間が経った。

「昨日、近くのサロディーアっていう町に行ったの」
「あそこはだいぶ近いだろう。馬車も通ってるし、私もよく行くんだ」

 アンナとジンが話し始めたのを見て、シオンはタイミングを見計らったように声をかける。

「僕はちょっと用事があるから、ジンさん、姉さんのこと見ててよ」
「え、あ、ああ……。構わないが、私でいいのか?」
「逆にジンさん以外に居ないからね。じゃあよろしく!」

 弟は姉を置いて、何やら意気揚々と店を出て行った。

「シオンったら、見ててよって……ペットじゃないんだから。ジンもなんであっさり聞き入れてるのよ」
「いや、間違ってはないだろう」
「もう!」

 大袈裟にむくれてみせたアンナにジンは面白そうに笑い、その笑顔に彼女は不思議な感覚を覚えた。
 楽しいだけじゃなくて……ジンが笑っているところを見ると嬉しい……のかしら、私。
 それは初めての感覚だったが全く嫌では無く、とても心地よいもので。
 アンナは外へ出た時は、必ず彼の居る店へ足を運ぶようになっていた。

 毎日お世話になっているレストランでの夕食中。あまり態度を表に出さない父が、今日はやけに機嫌が良さそうだ。

「お父さん、今日は仕事が上手くいったの?」
「ああ、良い取引先を紹介してもらえてね。交渉はこれからだが、粘れば何とかいきそうだ。だからこの町にはまだしばらく留まることになる」

 それを聞いてアンナがまず思ったのは、ジンのお店にまだ通うことが出来る、ということだった。

「そうなのね!良かったわ!」
「なぜそんなに喜ぶんだ?ここの宿が気に入ったのか?」

 父の不思議そうな顔に、アンナは慌てて首を縦に振る。

「え、ええ!ここはとっても居心地が良いし、私は全然大丈夫よ」
「そうか、どのくらいかかるか分からないから、また決まったら改めて伝えるよ」

 ホッとしたアンナがふと横を見ると、シオンも何故かいつも以上にニコニコしていた。
 シオン……ここ最近楽しそうというか、生き生きしてるわね……。
 そんな弟が翌日、朝早くにアンナの部屋に来た。

「姉さん、今日は僕も父さんたちに付いていくから」
「あら、そうなの?……やけに嫌そうね」

 普段町に出かける時よりきっちりとした服を着たシオンは襟元を正しながら、昨日とは打って変わって苦い顔をする。

「まあ、ね……。この仕事は僕に向いてないよ。もし騎士団みたいに試験があるなら、まず最初にネクタイを結ぶところで不合格だ」
「そうね。今日も上手に曲がっているわ」
「はは……ありがとう。それじゃ行ってくるよ」

 シオンが部屋を出て行き、アンナは宿に一人になってしまった。
 しばらく本を読んで過ごしていたが一冊読み終わって、やっぱり外へ出たくなってしまう。
 ……それなりに近くだし道も分かってるし、ちょっとくらいなら良いわよね。
 それに、ジンの所へ行くとシオンはどうせどこかに行ってしまうので一人で行っても変わりは無いだろう。
 いそいそ準備をして、昼頃にいつもの本屋へ向かった。

「あら、閉まってるみたい……」

 来てみたはいいが、窓のカーテンが閉ざされ札の表示はクローズド。
 一人で行けるとこと言えばここしかないので、こっそり外に出た意味もなくなってしまった。

「……帰って二冊目読もうかしら……」
「アンナ?」

 後ろから声をかけられ振り向くと、紙袋を抱えたジンがそこに立っていた。

「ジン!ちょうど良かった、今日はお店やっていないの?」
「今日明日は休みだ。何か必要なものでもあったか?」
「ううん、暇だったから。シオンもお父さんの仕事について行っちゃって一人なのよ」
「一人で出歩いて大丈夫なのか?」
「……大丈夫よ!」

 ジンは彼女の返事に間があるのが若干気になったが、大丈夫と本人が言ったので言及はしなかった。

「この町は人通りが多いから気をつけてくれ」
「分かったわ!」

 歩き出したジンに、アンナはトコトコと付いて行く。

「ジンは休みの日は何をしてるの?」
「基本買い出しと料理だな」
「料理?」
「休みの日は時間があるから、少し凝った物を作ったりしている」
「そうなのね!料理が好きならレストランとか開いたらどうかしら?」
「いや、自己満足というか……自分の好きな味を探すのが楽しいんだ。趣味の範囲内だよ」

 話しながら小さな橋を渡る。一軒のレンガ調の家の前で立ち止まると、ジンはそのドアの鍵を開けながらアンナに訝しげな視線を向けた。

「ところで、どうして付いてきているんだ?」
「え、だって暇だもの」
「……」
「ここが貴方のお家?お邪魔してもいいかしら」
「……アンナ……もう少し警戒心を持った方がいいんじゃないか?」
「?」

 キョトンとするアンナに、ジンはため息を吐いた。

「……どうぞ」
「お邪魔します!」

 外観からも思ったが中を見てもだいぶ広く、ジン一人で暮らす家には少し大きすぎる気がする。

「お洒落な家ね!ご家族はいらっしゃるの?」

 そう聞くと、ジンは特に気にした様子も無く答える。

「いや、今は一人だ。元々父親と二人暮らしだったんだが、二年前に亡くなったから」
「そうだったの……」

 一人で暮らしたことのないアンナにはなかなか想像がつかなかったが、毎日家に一人だったら寂しいだろうなとぼんやり考えた。

「紅茶を入れるから座っててくれ。何か菓子は食べるか?」
「ありがとう!じゃあ頂くわ」

 ジンはダイニングテーブルの横に置かれたカゴの中からクッキーを四枚取る。

「それ、全部お菓子?随分沢山……山盛りだけど」
「……まとめて買っておいてあるだけだ」

 四枚のうちの二枚受け取ったアンナは、誤魔化すようにさっさとキッチンに行ったジンの背中をジトーッと見つめた。
 数分後、用意してもらった紅茶を一口飲んで驚く。

「この紅茶、凄く美味しいわ……!」
「そうか?普通の安物の茶葉だが……」
「じゃあジンの淹れ方が良いのね!」

 目を輝かせている彼女に、金持ちの割には庶民舌なのかとジンは少し笑ってしまった。

「意外と、口に入れば何でも良いっていうタイプか?」
「そんな適当な舌はしてないわよ。出されたら食べるけど、好き嫌いは沢山あるわ」
「っ…はは、そんな堂々と言うことじゃないだろう……」
「……確かにそうね」

 もっと笑ってしまったジンに、アンナもつられて笑いだす。
 これまでは日常の中で笑うことなんてそうそう無かったのに、彼女と居ると何でも楽しく思えて笑顔になる。
 これまで誰かとしていたのと同じようなくだらない話も、彼と話すともっと面白くて楽しい。
 二人はお互いが特別な存在だと、その意識がすでに芽生え始めていた。

「そういえば、アンナは何で父親に付いてきたんだ?旅は骨董屋の仕事が目的だろう?」
「私は仕事は関係無くて、結婚相手を探すために来たの」

 十八歳の女性が夫ではなく弟を連れて歩き回っているのはそういうことかと、ジンは納得する。

「実家に居た時にもお父さんが何人か連れてきて、会ってはみたんだけど何だかピンとこなくて。王都に行けば良い出会いがあるんじゃないかってお父さんが言うから」
「……」
「ジン?どうしたの?」
「いや……なんでもない」

 言われてみればそうだ。平民とはいえ貴族と商売をするくらいなら同等の資金力はあるだろう。人脈も広いだろうし、結婚すれば貴族にとってもメリットはあるから可能性は十分にある。
 ……そうだよな、何を勘違いしていたんだろうか、私は……。

「……一人だけを選ぶわけではないんだから、条件の良い人とは結婚して、どうしても嫌になったら離婚すればいいんじゃないか?」
「……そうなんだけど……」

 特別な事情が無い限り、妻が離婚したいと言えば夫の同意が無くても離婚することが出来る。貴族相手の場合はどうか分からないが、その権利は当然あるはずだ。
 王都での結婚相手探しにもあまり乗り気ではないアンナは、自分の気持ちがなかなかまとまらずにモヤモヤしていた。

「同じ家に住んで子供を作って、自分の生活を預けるのに、その人たちが誰でもいいだなんて思えないの。離婚だって軽々しくはしたくないわ。相手に迷惑がかかるし、自分の子供と無理に別れなきゃいけなくなったら……悲しいもの」

 小説のような恋愛をしたいなんて言わない。ただ……信頼できる人に傍に居て欲しい。

「アンナは優しいな」

 唐突に言われて、アンナは少し照れて顔を赤らめる。

「条件の良い人は経済的なものだけじゃない。一生共に過ごすなら勿論内面も大切だろう。ただ、人は皆性格も考え方も違うから全く同じ人なんて居ないし、同じだから合う訳でもない」
「……そうよね」
「それでも、自分に合う人はきっとどこかには居る。その相性が完璧でなくても、言葉を交わしていけば足りない部分も補えると私は思う」
「言葉を交わして……」
「一度で決められなくても、沢山会って話せば愛着が湧くかもしれないだろう?」

 ジンは手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でる。

「大丈夫。アンナは、必ず素敵な人に出会えるよ」
「!」

 彼のその手の温もりに心が和らぎ、アンナは顔を綻ばせる。

「ねぇ、明日も来ていい?」
「……好きにしてくれ」
「やった!」

 やっぱり警戒心の無いアンナにジンはまたため息を吐いたが同時に嬉しさも感じ、知らずに口元が緩んでいるのだった。
 帰りはジンが宿まで送ってくれた。
 いつもと同じ時間だったが宿の近くに着くとアンナは、こちらに気づき向かってくる父親の姿を見つける。

「あ……ジン、ここまでで良いわ。もうすぐそこだから」
「そうか?じゃあ……また」
「ええ。また明日」

 ジンが背を向けて歩き出したのを確認して、アンナは父親のもとに駆け寄る。

「お父さん、今日は早かったのね」
「ああ。……あの男は誰だ?」
「えっと……近くのお店で働いてて、この町に来てから色々お世話になっているのよ」

 詳しくは言おうとしない娘を、父はじっと見つめる。

「……まあ……良いだろう。一人で外に出るのは止めなさい」
「……分かったわ。ごめんなさい」

 きついお咎めは無かったが、父が自分と彼が会うことを良く思っていないのは事実だ。
 アンナは父親に反抗的な態度を取ったことはあまり無く、今までだったらこの場面でもあっさり引いていただろうが、今回はどうしても大人しくは出来なかった。
 彼に会えないとソワソワして、会えると思うとワクワクする。
 この少し苦しくて、とても嬉しい気持ちが何なのか。
 その後もシオンを連れて何度も彼の元へ足を運ぶ中で、アンナはその答えが分かりかけていた。
 しかし、幸せな時間はずっと続くものではなかった。

 空に雲が広がり、まばらに雨が降っている。
 アンナは一人でジンの家に向かっていた。その足取りはどことなく重い。
 レンガ調の家の前に着いて扉をノックすると、ジンがいつも通り出迎えてくれた。

「今日は一人なのか?雨も降っているのに」
「シオンは……ちょっと用事があって」
「……そうか」

 中に入りダイニングの椅子に座ったアンナのいつもと違う様子に、ジンもすぐに気づく。
 とりあえず紅茶を入れるため準備をし、何か菓子を出そうとカゴを漁る。

「何が食べたい?」
「……クッキーはある?」
「そうだな……確かあったが」

 もう少し後に話そうと思っていた。しかしそのことを考えると落ち着いていられなくて、どうせまともな会話なんて出来ないだろう。

「ジン」
「なんだ?」
「私、別の町に移動することになったの」
「!」

 動きを止めたジンをチラッと見ながら、アンナは気づかない振りをして話を続ける。

「ブルージュっていう、ここより大きな町らしいわ」
「……ああ、ブルージュか」
「ジンは行ったことあるの?」
「……行ったことはないな。名前を知っているだけだ」

 二人の間に沈黙が流れる。
 お湯の沸く音がしてようやく動いたジンはキッチンに行き、ゆっくりとポットにお湯を注いで蓋をする。
 丁度良く蒸らされた紅茶は二つのカップに注がれ、アンナの前と、彼女の向かいに座ったジンの前にクッキーと共に置かれた。

「いつ、出発するんだ?」
「明後日よ。明日は準備があるから……ここに来れるのは今日が最後。ほら、沢山居座っちゃったし、一応お世話になったから挨拶くらいはしないとって」

 少し早口に話すアンナは言葉を止めると、一つ息を吐いて紅茶を飲む。

「ジンが淹れてくれる紅茶を飲めるのも最後ね。凄く気に入っちゃったから、もう他の紅茶は飲めないかも」
「そんなことは無いだろう。店の物の方が美味しいに決まっている」
「お世辞で言ったんじゃないわ。本当よ」
「……ありがとう」

 ジンも、静かに紅茶を飲む。
 アンナがこの町に居るのは一時的にだと、最初にそう聞いたはずだ。彼女がここに来てくれる日々がこのまま続くのだと思いたくて知らぬふりをしていたのかもしれない。

「ブルージュの次にようやく王都に行くみたい。どんな所なのかしら?美味しいお菓子があればいいけど」
「私はろくにエストロから出たことがないから想像もつかないが、きっと菓子は沢山あるんだろう。色んな店を回っても楽しそうだ」
「それなら……」

「いつか二人で行きたいわ」と、その言葉が言えたら良かったのに。
 気まずさを誤魔化すように他愛のない世間話をして、最後の時を引き伸ばす。
 そして二人は少し冷めてしまった紅茶を飲み干し、アンナは帰るために、ジンは彼女を見送るために席を立つ。

「それじゃあ……短い間だったけど、ありがとう」

 アンナが彼に背を向けてドアを開けようとしたその時、ジンは衝動的に彼女の手を取った。

「っ……アンナ」

 アンナが振り返り、ジンは口を開くが……その先の言葉が出てこなかった。
 彼女はこれから出会う素敵な男性たちと結婚するはずなのだから、その機会を奪うことも、自分の為だけにこの場所に引き留めることも許されない。
 また、貴族と結婚することを望むなら平民の中でもそこまで裕福ではない自分が居れば条件として不利になる。
 全部、分かっている。頭の中では理解しているのに……この手を離したくない。

「……」

 悩み俯くジンを見つめ、アンナはポツリと呟いた。

「ジン……私、ここに居たいわ」

 口から零れた本音にジンだけでなくアンナ自身も驚いたが、一度言葉にしてしまえば自分に嘘をつくことは出来なかった。
 アンナは取られた手で彼の手を握り返す。

「このまま別れるなんて嫌。今までの誰よりも、ジンと居る時が一番楽しくて幸せだから」

 アンナも自分と同じ気持ちを抱いてくれている……。ジンの胸に喜びが満ちあふれた。
 しかし現実的な問題を考えてしまうと、躊躇いを捨てきれない。

「私は……ろくに金なんて持っていないし、特別容姿が秀でていたり、何か才能があるわけでもない。……アンナに相応しいと言える男じゃないんだ」
「そんなの分かってるわ」
「……」

 あっけらかんと言われ、ジンは逆に戸惑う。

「貴方が自分自身をそう思っているのは分かってる。でも、私にとってはジンが世界で一番カッコよくて素敵なの」
「!」

 キッパリと言い切ったアンナは真っ直ぐにジンを見据える。

「ブルージュに行っても王都に行っても、他の国に行ったって貴方の代わりは居ないわ。っ…だから……」

 言いかけたアンナは突然、ジンに強く抱きしめられた。

「……!」
「そこまで言われて、引き止めないわけにはいかないな。……アンナ」

 彼女は顔を上げ、二人の視線が交わる。

「ここに残って、私と一緒に居てくれ」

 はっきりと彼の口から伝えられて、アンナは思わず涙を流した。
 ジンは照れくささも混じった苦笑いをしながら、彼女の頭を優しく撫でる。

「実際、こんなことを言われたら困るだろう」
「ええ……困るわ……」

 彼の胸元に顔を埋めたアンナは小さく呟く。

「だって、もっと好きになっちゃうじゃない……」

 あの日、本屋で出会ってから少しずつ募っていった二人の恋心がようやく通じ合った。

 宿に戻ったアンナだったが、ここからが大変だった。

「お父さん、私、この町に残るわ。彼と一緒に居たいの」
「何を言っているんだ!アンナにはもっと相応しい人が居る。わざわざあの青年を選ぶ必要はないだろう!」
「選ぶんじゃないわ、私は彼と結婚したいの。他の人とだったら結婚しない」

 父だけでなく、兄もアンナに反対する。

「他の人と結婚しないって、アンナ、夫が彼一人だって言うのか?生活だってだいぶ厳しいじゃないか」
「大丈夫よ、兄さん。何とかなるわ。私も彼を手伝うし……」
「女の子が家事なんてしちゃ駄目だろう!」

 何でも駄目だ駄目だという彼らにアンナがうんざりしていると、どこからか現れた彼が口を挟んできた。

「それなら、僕が姉さんと居るよ!」
「「……は?」」

 兄弟の一番末っ子、シオンはニコニコしながらのんびりと言う。

「僕が近くに住んでれば、男手一つ増えるんだから問題無いよ」

 急な提案に戸惑う二人に、彼は追い打ちをかけるように言葉を続ける。

「どうせ姉さんが誰かと結婚するなら父さんと兄さんの元からは離れるし、何も変わらなくない?」
「シオン、あのな……」
「まさか無理やり貴族と結婚させようなんて思ってないよね」
「いや……」
「姉さんのことが心配なくせに、そんな奴と結婚するならって無駄に厳しくて援助はろくにしないんでしょ?全くもう、見栄っ張りなんだから」
「……」
「姉さんは一度決めたら意地でも動かないもんね?」

 シオンに目配せされたアンナは慌てて頷く。

「そ、そうよ!私動かないわ!」
「というわけで、僕たち二人で頑張るよ!」

 弟のお陰で無事父と兄を黙らせることに成功した。

「シオン~!!ありがとう!!」
「はは、姉さん苦しいよ~」

 勢いよく抱きつかれて、首を絞められながらシオンは笑う。

「でも良かったの?シオンも家を出て行くなんて」
「いやぁ、このままここに居ても父さんたち絶対花屋なんてさせてくれないからさ。それに、サロディーアにちょうどいい空き店舗があったんだ!ジンさんの所までも、隣町だから馬車六分と徒歩三分!超優良物件だよ!」

 これまで何度かアンナを置いて行っていたのは、なんとサロディーアで花屋を始めるためだったらしい。
 普段のほほんとしているくせに意外と策士。やる時はやる男だ。

「あ、店が整うまでは僕もしばらくお邪魔させてね」
「もちろんよ!さあ、荷物を纏めましょう!」
「わぁ、行動力~」

 父親たちと別れた二人はジンの家に住み始め、数か月後にシオンは自分の店を持ち引っ越していった。
 その後正式に結婚したアンナとジン、夫婦二人の生活が始まったのであった。


「あれからもう二十二年も経つのねぇ……」
「ん?何がだ?」
「私たちが結婚してよ」

 言われてジンも昔を思い出し、懐かしさを感じながら頷く。

「あの頃のアンナはだいぶお転婆だったな。すぐどこかに行きたがるし」
「……否定はしないけど、今はもうおしとやかでしょ」
「ああ。いつになっても可愛いが」
「……もう」

 手を伸ばした彼にそっと頭を撫でられて、昔から変わらない彼の優しい手つきと眼差しに何となく思う。

「サキさんは、少しジンと似ている気がするわ」
「俺とサキさんが?流石にそれは失礼なんじゃ……」

 困惑し首を傾げるジンに、アンナはこっそり微笑む。
 二人とも……とっても素敵な人だから。私とリュークの目に狂いはないわ。

「勿論ミスカもね」
「?」
「そういえばミスカのあんな優しい顔、初めて見たかも」
「正直、私も初めてだな。まあ……私たちだけでは埋めれないものがあったんだろう」
「それで良いのよ。親としてできることなんて限られてるんだから」

 最初背中を押したなら、後は見守るだけ。
 息子たちの居場所となってくれた彼女に感謝しながら、彼らの幸せな未来に想いを馳せた。
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感想 63

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みんなの感想(63件)

海陽
2025.12.08 海陽

リクエスト話ありがとうございます!こんな出会いだったのか!とニヤニヤしながら読みました(๑¯ω¯๑)そしてお義母さん……実はお嬢さんだった!この世界ではあまり見ない性格の女性な気がしますね。サキの周りの同性が優しい人で嬉しいです

2025.12.08 志季彩夜

アンナさんは、サキちゃんを支えてくれる女性として一番の存在でいて欲しいと思い、この世界では珍しくとってもお優しい方になりました😊
リクエスト外のものがメインみたいになってしまってすみません……笑
楽しんでいただけたなら良かったです!

解除
海陽
2025.11.23 海陽

早速のリクエストに応えていただきありがとうございますっ!どうしよう、ニヤニヤが止まりません(笑)ハインツさんが可愛い……♡(๑¯꒳¯๑)続きも楽しみにしてます!

2025.11.24 志季彩夜

ニヤニヤして頂けて嬉しいです〜!
引き続き、ごゆっくりお待ちください😊

解除
海陽
2025.11.05 海陽

ご返答ありがとうございます。
「祖父との対面」でのおじい様からの初見のサキや初めてのおじい様宅訪問(その時のサキを見た使用人達の話なんかも読みたい)とか。「ハインツとのデート」でのサキとの会話での陛下からの印象とかが見てみたいです!

2025.11.05 志季彩夜

なるほど!了解です!具体的にありがとうございます。とても助かります🙏
順に進めていきますので、気長に待っていただけると幸いです。よろしくお願いします!

解除

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