裏長屋のあやかし(お江戸あやかし賞受賞作)

堅他不願@お江戸あやかし賞受賞

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二十一、仕切り直し 一

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 上坪もさることながら、輪快が仰天した顔を人前にさらすのは非常に珍しい。さりとて喜べる展開ではない。

「お前が……小判を」

 輪快のいいぐさは、もちろん、銅吉を虚仮にしたものではない。ただ、基本的に戯作者なるものは……他に金回りのいい仕事がない限り……貧しい生活が当たり前である。

 銅吉個人は、三槌屋のお陰で、最低限の衣食住に不自由していないという立場ではある。その彼にしても、自由に使える金は一ヶ月で一分判が一枚あればいい方だ。

 ついに真相を……と唇が動きかけたとき、銅吉の後ろから一匹の三毛猫がだーっと走ってきた。そして、地面に落ちたままの小判をくわえたかと思うと墓石の上に乗り、ぼりぼりかじって食べはじめた。

「こ、これは何としたこと」

 上坪が、開いた口を塞ぐのに苦労している。輪快は大きく目を見開いたのみで、言葉もない。

 猫に小判とはいうが、小判を食べる猫がいるのを予想できたらおかしいだろう。

 三毛猫の尻尾が、ひどく膨れあがっているように見えたこともあり、銅吉はすぐ察しがついた。猫又が助けてくれたのだ。尻尾を一本に見えるようくっつけているので、太く思えているにすぎない。

 助けとはつまり、ここではまだ打ちあけないでおけという無言の忠告でもある。ただし、猫が小判を食べたことへの説明……というより嘘……は、銅吉がしなければならない。でなければ、結局は疑念がさらに膨らむだけだ。

「あれは、小判に見せかけた芋天です」
「芋天」

 輪快と上坪は、まさに異口同音となった。

「卑しい話で恐縮ながら、夕べの夜食を取っておいて、そのまま忘れておりました」
「どうも小判のようだったが……それに、芋天なら、縁に赤茶色の皮が巻きついているだろう」

 上坪は、銅吉を含めた三人の中で目が一番良い。

「執筆の息抜きに、座興で小判そっくりに作ったのです」

 戯作者だけあって、すらすらと出鱈目でたらめが頭に浮かんでくる。

「それはいささか悪趣味ではないか」

 上坪は、浪人になったきっかけがきっかけである。銭を座興のネタにするような感覚は理解しにくい。

「商売がら、凡人とは異なる角度で物事に当たらねばならんのだろう」

 輪快が、呆れつつもどうにかかばってくれた。

「猫は芋を食うものなのか。魚やネズミではないのに」
「食おうと思えば食う。ごくたまに、じゃが。寺でネズミが湧くと困るから、少し猫について調べたことがある」
「では、輪快殿は猫を飼ったことがおありか」
「いや、結局はネコイラズですませた」

 話をしているうちに、猫又は墓石から降りて林の奥へと消えた。

「理屈は掴んだし、助けられたのには礼をいう」

 上坪は、銅吉に頭を下げた。またしても、銅吉の苦手ななりゆきに進みかねない。

「い、いえ、とっさのことでたまたま手が浮いたようなものですから」
「浮いた、か。なかなか面白い表現だ」

 嫌味ではなく、素で上坪は感心した。

「とにかく、ここで立ち話をするよりかは、腰を落ちつける場所にいこう」

 さすがに、輪快も仕切り直しが必要なようだ。

「宿場にもどれば、適当な茶屋くらいあるだろう」

 上坪も、異論ない。

「それでは出発しましょう」

 銅吉が促して、自ら一歩踏みだしかけた。とたんにがくんと膝をつき、肩から力がぬけてしまった。

「どうしたんだ。どこかやられたか」

 上坪が、表情を改めて近づいてきた。

「さ、さすがに精神がすり減りました」

 特に鍛錬したのでもないのに、ここ数日、生死を賭けた緊張感がやまない。負担も限界に達して当たり前というものだ。

「そうか。俺がふがいないせいで、苦労をかけた」
「上坪さんがいなければ、私も和尚様もどうなっていたことかわからないです」
「一人で歩けるか」

 上坪は、すぐにでも肩を貸さんばかりの勢いで聞いた。

「はい、ご心配をおかけしました」

 茶屋で団子でも食べれば、多少は回復するだろう。その意味でも、早くここを後にしたくなった。

 四半刻後。

 茶屋の座敷に腰を降ろした銅吉達は、各自が茶と団子を前にしつつ、いきさつを語りあうことになった。

 銅吉が今朝のいきさつを語りおえるまで、輪快は一言も口を挟まなかった。それほど時間がかかる内容でもないからだが、かくも輪快が気難しげな表情になるのは初めてだった。

「ご苦労じゃった。まさに間一髪であったわい。上坪殿にも、改めてお礼を申す」
「輪快殿、何を水臭い」

 この辺りの木賃宿で、輪快が上坪父娘を助けたことからしても、特別な感慨があるのだろう。銅吉としても、心が暖まる一コマとなった。

「では、こちら側の説明をしよう。あそこは、ただの墓場ではないとわしは考えている」
「ならば、やはり特別な由来があるということか」

 上坪は、一口飲んだきりの湯のみを軽く握りなおした。

「もっと酷い。八岐大蛇が、お淀と小早川秀秋の亡霊を操り、日ノ本を破滅に導こうとしておる」
「ええっ」

 と、声を大きくしてしまったのは上坪である。銅吉は、あらかじめあやかし達から知らされていたので動揺しない。それとは別に、輪快がこれほど短い時間に自力で真相に迫ったことへ感心していた。

「おみなを保護した日の晩、夢に御仏が現れた。そして、寝ているおみなの姿を浮かべ、次いで寺の書庫を示したのじゃ。さらには、大阪城の糒蔵ほしいい蔵でお淀と一子秀頼が自害する様子もありありと示された。起きてから、暇を拾っては書物を読み漁り、ようやく得心した」

 輪快ほどの徳を積んだ仏僧なら、あってもおかしくない。

「おみながどうかかわるか、細かいところまでは、わしにもわかからん。じゃが、亡霊どもに見こまれて、いわば呼びつけられたのはほぼまちがいない」
「何故、おみなが……」

 武士であろうがなかろうが、こんな境遇になった子の親なら、誰しも変わらない言葉が出てくるだろう。

「太助や左門次が理解に苦しむ喧嘩をしたのも、亡霊どもの力が次第に高まってきた証拠じゃろう。おみなは子どもなだけ、そうした力に大人より強く影響されたようじゃ」
「亡霊どもをどうにかせねば、おみなはこのままということか」

 銅吉が危惧した通り、上坪は、即座にまた墓場に出むいて墓石を叩ききりかねなかった。

「わしもそう判断し、とりあえず墓石を御仏の力で調伏できればと寺を出た。そこで襲われるとは、まだまだ修行不足じゃ」
「あれほどの手練れ、一匹狼の忍びに留まるとは思えぬ」

 銅吉も、上坪の意見に充分うなずくところがあった。

「銅吉、お前は何か気づいたか」

 輪快から水をむけられ、銅吉ははたと困った。小判の件はうまくごまかしたが、手形について喋るべきかどうか。

 銅吉に気づけたからには、上坪も知りはしただろう。とはいえ、あやかしにかかわりそうな要素には、なるべくなら避けておきたい。

「俺は、不覚ながら奴の着物に気を取られていたからな。銅吉なら、我らが見おとしたことを掴んでいるかもしれぬ」

 上坪の台詞で、銅吉も決心がついた。

「あの忍びは、背中に赤い手形がついておりました」
「やはり、お前にも見えたか。となるとまちがいない」
「手形と」

 輪快は、忍者が追いはらわれるまで気絶していた。だから、まさに初耳となる。

「はい。両肩の骨の間に」
「左様、まさにそこであった」

 銅吉と上坪が口をそろえると、輪快は一言うなって腕を組んだ。

「手形か。忍びがわざわざ、自分からつけたとは考えにくい。つまり、何者かの強制。上坪が認めるほどの手練れにそんなことができるのは……」
「八岐大蛇だからこそ、ですか」
「むろんじゃ。しかし、どうもそれだけでは終わらないような気がする」
「何故に」

 上坪が、身を乗りださんばかりに聞いた。

「わしが読んだ書物では、八岐大蛇は大阪夏の陣のすぐあと、お淀や秀秋を利用しようとして失敗したという。結局は備前にある祠に封印されたとも。今になって突然奴らが暴れだしたということは、封印を解いた者がいるのだろう。当然、それは人間となる」
「人間……。八岐大蛇に恩を売って、自分が日ノ本の王か何かになるつもりなのでしょうか」
「ああ、そうした気持ちでやった者がいても不思議ではない。ということは、八岐大蛇をどうにかする前に、その封印を解いた者を突きとめる必要がある」

 単純計算で、手間も危険も二倍になるということだ。

「八岐大蛇が封印を解かれて、めちゃくちゃになった日ノ本にどんな値打ちが残っているのか」

 上坪からすれば、想像を絶する展開だ。

「その、めちゃくちゃになるということ自体に価値を感じる者も世間にはいるということじゃろう。わしらには到底理解できんが」
「奉行所に訴えても無意味だな。八岐大蛇やらお淀の亡霊やらで動くなら、世話はない」
「そこは、わしとしても割りきるほかはないと最初から踏まえておった」

 輪快達の推察に耳を傾けながら、銅吉はこれからの行く末を一人想像した。
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