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EP 1
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起動(ブート)
2025年・横須賀
ジリリリリ、と内線が鳴る。
海上自衛隊 開発隊群 艦艇開発隊。
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳、一等海佐。
その無機質な執務室で、彼はディスプレイに表示された工程表を睨みつけていた。
『次期イージス・システム搭載艦(ASEV) 第二工程・遅延(ディレイ)』
赤い警告表示が、坂上のこめかみを刺激する。
「……これでは、人が死ぬ」
呟きは誰にも聞こえない。
かつてイージス護衛艦の艦長として、BMD(弾道ミサイル防衛)任務の最前線に立った坂上にとって、装備(システム)の優劣は、即、部下の生死に直結する。
技術の遅れは、「犬死に」の同義語だ。
祖父が特攻で失われた、あの理不尽な死。それを繰り返させないために、自分はここにいる。
ガリ、と奥歯で硬いものを噛み砕く。
『UCC ミルクコーヒーキャンディ』。
本来、セキュリティ・レベルの高いこの執務室での飲食は推奨されない。だが、カフェインと糖分なしでは、この激務は乗り切れない。
時刻は12時45分。
坂上は無言で立ち上がり、隊員食堂へ向かう。
今日の昼食は、金曜恒例の『カツカレー』だ。
燃料を補給する機械のように、一定のリズムでスプーンを口に運ぶ。味はしない。頭の中は、遅延した工程をどう巻き返すかのシミュレーションで占められている。
13時10分。執務室に戻る。
坂上はスマートフォンのアラームを「13時25分」にセットすると、執務椅子に深く身を預け、目を閉じた。
艦長時代から続く、15分の仮眠(パワーナップ)。
それが、彼のパフォーマンスを維持する唯一の手段だった。
意識が、急速にブラックアウトしていく。
1812年(文化九年)・江戸
「――様、御奉行様……」
誰だ。
部下ではない、知らない声が鼓膜を揺らす。
「……奉行様、お目覚めを」
(奉行?)
坂上は、重い瞼(まぶた)をこじ開けた。
視界が、おかしい。
いつもの執務室の白い天井ではない。
年季の入った、黒光りする太い梁(はり)。
(……どこだ)
瞬時に覚醒し、状況分析(シチュエーション・アウェアネス)を開始する。
匂い。空調のフィルター臭ではない。これは……畳と、香(こう)の匂い。
感触。執務椅子ではない。柔らかく、肌触りの良い……布団?
「!」
坂上は、全身のバネを使って跳ね起きた。
視界が低い。
そこは、広大な畳敷きの和室だった。豪華な調度品。絹の掛け布団。
そして――。
自分の寝床の脇に、見知らぬ男がちょこんと正座していた。
年は30前後。小綺麗にはしているが、どこか締まりのない顔。着流し姿。
男は、坂上が起きたのを見ると、へらり、と歯を見せて笑った。
「いやあ、御奉行様。ひどく魘(うな)されておりましたが、お目覚め麗しく……つきましては、例の件、少々ご融通いただけませんかね?」
男はそう言いながら、親指と人差し指をこすり合わせる。
「金」の催促。
坂上真一(50)の頭の中で、何かが沸騰した。
拉致か? 演習か?
いずれにせよ、この男の態度は「規律違反」だ。
坂上は、イージス艦のCIC(戦闘指揮所)で全艦に指示を出す時とまったく同じ、冷たく、重い声で命じた。
「黙れ」
「ひっ!?」
空気が凍る。
男の顔から、一瞬で笑みが消えた。
目の前の若様(奉行)から発せられる、刺すような殺気。それは、遊び人の若者が持つものでは断じてない。
坂上は、男を睨み据えたまま、続けた。
「現在時刻。現在位置。貴様の所属と氏名を報告しろ」
「……速やかに、状況を報告しろ」
「あ、あ、秋元! 秋元雪之丞(あきもと ゆきのじょう)! 北町奉行所、定町廻り同心にございますっ!」
男――雪之丞は、畳に額がつくほど平伏した。
(なんだ、今日の若様は。人斬りの目だ……!)
「北町奉行所……?」
坂上は眉をひそめる。
江戸時代。
(非合理的だ。これは夢だ)
だが、肌を粟立たせるこの緊張感は、本物だ。
坂上は立ち上がる。
体が……軽い。30年酷使してきた腰の痛みが、ない。
部屋の隅に、鈍く光る銅鏡(どうきょう)が目に入った。
彼は、よろめく雪之丞には目もくれず、鏡へ向かう。
そこに映っていたのは。
「……………………」
坂上真一(50)ではなかった。
知らない若者だ。
年は25、いや26か。目元に坂上の面影はあるが、肌は白く、少しやつれている。
だが、紛れもなく、若く、健康な肉体。
(……人格、入れ替え?)
坂上がその非現実的な結論に達しようとした、その時。
雪之丞が、慌てて湯浴みのための手拭いを差し出してきた。
「お、御奉行、汗をお流しになったほうが……」
坂上はそれを受け取ると、雪之丞に「下がれ」と命じ、隣接する湯殿(ゆどの)へ入った。
混乱する頭を冷やさねばならない。
着物を脱ぎ捨てる。
そして、湯船に張られた水面に、自分の背中が映った時。
坂上真一は、今度こそ完全に言葉を失った。
背中一面。
肩から腰、太腿にまで達する、壮麗(そうれい)な彫り物。
天衣(てんえ)をまとい、金剛杵(こんごうしょ)を振り上げた、二体の猛々しい「仁王(におう)像」が、背中で睨みを利かせていた。
坂上真一(50歳・一等海佐)は、自分の新たな「身体(フネ)」を見下ろし、硬い声で呟いた。
「…………非合理的の、極みだ」
2025年・横須賀
ジリリリリ、と内線が鳴る。
海上自衛隊 開発隊群 艦艇開発隊。
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳、一等海佐。
その無機質な執務室で、彼はディスプレイに表示された工程表を睨みつけていた。
『次期イージス・システム搭載艦(ASEV) 第二工程・遅延(ディレイ)』
赤い警告表示が、坂上のこめかみを刺激する。
「……これでは、人が死ぬ」
呟きは誰にも聞こえない。
かつてイージス護衛艦の艦長として、BMD(弾道ミサイル防衛)任務の最前線に立った坂上にとって、装備(システム)の優劣は、即、部下の生死に直結する。
技術の遅れは、「犬死に」の同義語だ。
祖父が特攻で失われた、あの理不尽な死。それを繰り返させないために、自分はここにいる。
ガリ、と奥歯で硬いものを噛み砕く。
『UCC ミルクコーヒーキャンディ』。
本来、セキュリティ・レベルの高いこの執務室での飲食は推奨されない。だが、カフェインと糖分なしでは、この激務は乗り切れない。
時刻は12時45分。
坂上は無言で立ち上がり、隊員食堂へ向かう。
今日の昼食は、金曜恒例の『カツカレー』だ。
燃料を補給する機械のように、一定のリズムでスプーンを口に運ぶ。味はしない。頭の中は、遅延した工程をどう巻き返すかのシミュレーションで占められている。
13時10分。執務室に戻る。
坂上はスマートフォンのアラームを「13時25分」にセットすると、執務椅子に深く身を預け、目を閉じた。
艦長時代から続く、15分の仮眠(パワーナップ)。
それが、彼のパフォーマンスを維持する唯一の手段だった。
意識が、急速にブラックアウトしていく。
1812年(文化九年)・江戸
「――様、御奉行様……」
誰だ。
部下ではない、知らない声が鼓膜を揺らす。
「……奉行様、お目覚めを」
(奉行?)
坂上は、重い瞼(まぶた)をこじ開けた。
視界が、おかしい。
いつもの執務室の白い天井ではない。
年季の入った、黒光りする太い梁(はり)。
(……どこだ)
瞬時に覚醒し、状況分析(シチュエーション・アウェアネス)を開始する。
匂い。空調のフィルター臭ではない。これは……畳と、香(こう)の匂い。
感触。執務椅子ではない。柔らかく、肌触りの良い……布団?
「!」
坂上は、全身のバネを使って跳ね起きた。
視界が低い。
そこは、広大な畳敷きの和室だった。豪華な調度品。絹の掛け布団。
そして――。
自分の寝床の脇に、見知らぬ男がちょこんと正座していた。
年は30前後。小綺麗にはしているが、どこか締まりのない顔。着流し姿。
男は、坂上が起きたのを見ると、へらり、と歯を見せて笑った。
「いやあ、御奉行様。ひどく魘(うな)されておりましたが、お目覚め麗しく……つきましては、例の件、少々ご融通いただけませんかね?」
男はそう言いながら、親指と人差し指をこすり合わせる。
「金」の催促。
坂上真一(50)の頭の中で、何かが沸騰した。
拉致か? 演習か?
いずれにせよ、この男の態度は「規律違反」だ。
坂上は、イージス艦のCIC(戦闘指揮所)で全艦に指示を出す時とまったく同じ、冷たく、重い声で命じた。
「黙れ」
「ひっ!?」
空気が凍る。
男の顔から、一瞬で笑みが消えた。
目の前の若様(奉行)から発せられる、刺すような殺気。それは、遊び人の若者が持つものでは断じてない。
坂上は、男を睨み据えたまま、続けた。
「現在時刻。現在位置。貴様の所属と氏名を報告しろ」
「……速やかに、状況を報告しろ」
「あ、あ、秋元! 秋元雪之丞(あきもと ゆきのじょう)! 北町奉行所、定町廻り同心にございますっ!」
男――雪之丞は、畳に額がつくほど平伏した。
(なんだ、今日の若様は。人斬りの目だ……!)
「北町奉行所……?」
坂上は眉をひそめる。
江戸時代。
(非合理的だ。これは夢だ)
だが、肌を粟立たせるこの緊張感は、本物だ。
坂上は立ち上がる。
体が……軽い。30年酷使してきた腰の痛みが、ない。
部屋の隅に、鈍く光る銅鏡(どうきょう)が目に入った。
彼は、よろめく雪之丞には目もくれず、鏡へ向かう。
そこに映っていたのは。
「……………………」
坂上真一(50)ではなかった。
知らない若者だ。
年は25、いや26か。目元に坂上の面影はあるが、肌は白く、少しやつれている。
だが、紛れもなく、若く、健康な肉体。
(……人格、入れ替え?)
坂上がその非現実的な結論に達しようとした、その時。
雪之丞が、慌てて湯浴みのための手拭いを差し出してきた。
「お、御奉行、汗をお流しになったほうが……」
坂上はそれを受け取ると、雪之丞に「下がれ」と命じ、隣接する湯殿(ゆどの)へ入った。
混乱する頭を冷やさねばならない。
着物を脱ぎ捨てる。
そして、湯船に張られた水面に、自分の背中が映った時。
坂上真一は、今度こそ完全に言葉を失った。
背中一面。
肩から腰、太腿にまで達する、壮麗(そうれい)な彫り物。
天衣(てんえ)をまとい、金剛杵(こんごうしょ)を振り上げた、二体の猛々しい「仁王(におう)像」が、背中で睨みを利かせていた。
坂上真一(50歳・一等海佐)は、自分の新たな「身体(フネ)」を見下ろし、硬い声で呟いた。
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