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第三章 大和
EP 33
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見えざる「太陽」
昭和18年(1943年)冬。
東京には、冷たい木枯らしが吹いていた。
ミッドウェーの勝利、ガダルカナルの撤退成功。
戦局は、史実よりも遥かにマシな状態で推移していた。
だが、築地の「掃き溜め」研究所の空気は、これまでで最も重く、凍り付いていた。
深夜。
研究所の最奥にある、厳重に遮音された部屋。
そこにいたのは、坂上真一と、お忍びで訪れた連合艦隊司令長官・山本五十六の二人だけだった。
「……坂上君」
山本が、湯呑みを両手で包みながら、沈黙を破った。
「マリアナの要塞化は順調だ。海防艦も数が揃いつつある。
……これで、あと二年、いや三年は粘れるのではないか?」
山本は、少しだけ希望を持っていた。
持久戦に持ち込み、アメリカ国民が戦争に飽きるのを待つ。
それが、彼らが共有していた「講和」へのシナリオだったはずだ。
「……無理です」
坂上は、デスクの上の電気スタンドだけを点け、その光の中で、青ざめた顔を上げて言った。
「三年も待てば……日本は、地図から消えます」
「消える? どういうことだ」
坂上は、震える手で、一枚のレポートを山本に差し出した。
そこには、化学式と、物理学の数式が羅列されていた。
そして、表紙には一つの英単語が記されていた。
【MANHATTAN】
「……マンハッタン?」
山本が眉をひそめる。
「アメリカが進めている、極秘プロジェクトのコードネームです」
坂上は、まるで悪魔の名前を呼ぶように、低く言った。
「……『原子爆弾(げんしばくだん)』の開発計画です」
「原子……爆弾?」
「火薬ではありません」
坂上は説明した。
「原子核の分裂エネルギーを利用した、物理学の兵器です。
……その威力は、たった一発で、広島や長崎のような都市を、一瞬で蒸発させるほどです」
「……!」
山本が絶句した。
「馬鹿な。そんな……SF小説のような話が……」
「現実です」
坂上は、山本の目を真っ直ぐに見据えた。
「アインシュタインの理論が、悪魔の技術(テクノロジー)に変わろうとしています。
……私の『未来の記憶』によれば、完成は昭和20年(1945年)の夏。
あと、一年半しかありません」
坂上は、壁の太平洋地図――マリアナ諸島(サイパン、テニアン)を拳で叩いた。
「奴らが、なぜここを欲しがるか。
ただの補給基地にするためじゃありません。
……この『悪魔の爆弾』を積んだ超長距離爆撃機(B-29)が、日本本土へ届く距離だからです」
山本五十六の背筋に、戦慄が走った。
これまで坂上が行ってきた「マリアナの要塞化」。
その真の意味が、ようやく理解できた。
それは、単なる防衛線ではなかった。
日本が「太陽の熱」で焼かれるのを防ぐための、最後の蓋(ふた)だったのだ。
「……もし、マリアナを突破されれば」
坂上は、絶望的な未来図を語った。
「東京、大阪、名古屋……主要都市は焼き尽くされます。
そして最後には、この『原子爆弾』が投下され、数十万の市民が、一瞬で灰になる。
……それが、この戦争の『時間切れ(タイムアップ)』です」
山本は、長い間、沈黙していた。
葉巻を持つ手が、微かに震えていた。
戦艦や航空機の戦いなら、彼は理解できた。
だが、都市を一撃で消滅させる兵器など、軍人の常識を超えている。
「……止められるのか」
山本が、絞り出すように聞いた。
「その……マンハッタンとやらを」
「開発そのものは止められません。アメリカの奥地で行われていますから」
坂上は首を振った。
「我々にできるのは、奴らに『投下する場所(滑走路)』を与えないことだけです」
坂上は、地図上のマリアナ諸島を、赤いペンで幾重にも囲った。
「サイパン、テニアン、グアム。
この島々を、文字通り『地獄』に変えます。
アメリカ軍が上陸してきた時、彼らが『これ以上進めば、アメリカの若者が何万人死ぬか分からない』と悲鳴を上げるほどの、徹底的な出血を強いる」
坂上は、悲痛な覚悟を口にした。
「……アメリカは民主主義国家です。
世論は、兵士の死に敏感だ。
原子爆弾が完成する前に、アメリカ国民の戦意をへし折り、『講和』のテーブルに着かせる。
……それしか、日本が生き残る道はありません」
山本は、深く目を閉じた。
それは、軍人として、あまりにも過酷な任務だった。
勝利のためではなく、敵に「死体の山」を見せつけるためだけの戦い。
味方も、そして敵も、泥沼の中で殺し合わせる。
「……地獄だな」
山本は、目を開けた。
その瞳には、かつてないほど暗く、重い光が宿っていた。
「……よかろう。
その『地獄』の門番は、私が引き受ける」
山本は立ち上がった。
「マリアナ決戦。
ここで、連合艦隊の残る全戦力を、そして私の命も、すべて使い切るつもりで挑む。
……坂上君。
君は、そのための『道具』を揃えてくれ」
「……承知しました」
坂上は、頭を下げた。
山本が去った後、坂上は一人、暗い部屋に残された。
窓の外、冬の夜空には、美しい月が輝いていた。
だが、坂上の目には、その月に重なるように、不気味なキノコ雲の幻影が見えていた。
「……急がなければ」
坂上は、黒飴を噛み砕いた。
「エセックス級(物量)と、マンハッタン計画(科学)。
二つの怪物が、日本の喉元に迫っている」
昭和19年(1944年)が近づいていた。
歴史の分岐点、マリアナ沖海戦。
そして、サイパン島の攻防戦。
人類史上、最も過酷な「盾」と「矛」の激突まで、あと半年。
昭和18年(1943年)冬。
東京には、冷たい木枯らしが吹いていた。
ミッドウェーの勝利、ガダルカナルの撤退成功。
戦局は、史実よりも遥かにマシな状態で推移していた。
だが、築地の「掃き溜め」研究所の空気は、これまでで最も重く、凍り付いていた。
深夜。
研究所の最奥にある、厳重に遮音された部屋。
そこにいたのは、坂上真一と、お忍びで訪れた連合艦隊司令長官・山本五十六の二人だけだった。
「……坂上君」
山本が、湯呑みを両手で包みながら、沈黙を破った。
「マリアナの要塞化は順調だ。海防艦も数が揃いつつある。
……これで、あと二年、いや三年は粘れるのではないか?」
山本は、少しだけ希望を持っていた。
持久戦に持ち込み、アメリカ国民が戦争に飽きるのを待つ。
それが、彼らが共有していた「講和」へのシナリオだったはずだ。
「……無理です」
坂上は、デスクの上の電気スタンドだけを点け、その光の中で、青ざめた顔を上げて言った。
「三年も待てば……日本は、地図から消えます」
「消える? どういうことだ」
坂上は、震える手で、一枚のレポートを山本に差し出した。
そこには、化学式と、物理学の数式が羅列されていた。
そして、表紙には一つの英単語が記されていた。
【MANHATTAN】
「……マンハッタン?」
山本が眉をひそめる。
「アメリカが進めている、極秘プロジェクトのコードネームです」
坂上は、まるで悪魔の名前を呼ぶように、低く言った。
「……『原子爆弾(げんしばくだん)』の開発計画です」
「原子……爆弾?」
「火薬ではありません」
坂上は説明した。
「原子核の分裂エネルギーを利用した、物理学の兵器です。
……その威力は、たった一発で、広島や長崎のような都市を、一瞬で蒸発させるほどです」
「……!」
山本が絶句した。
「馬鹿な。そんな……SF小説のような話が……」
「現実です」
坂上は、山本の目を真っ直ぐに見据えた。
「アインシュタインの理論が、悪魔の技術(テクノロジー)に変わろうとしています。
……私の『未来の記憶』によれば、完成は昭和20年(1945年)の夏。
あと、一年半しかありません」
坂上は、壁の太平洋地図――マリアナ諸島(サイパン、テニアン)を拳で叩いた。
「奴らが、なぜここを欲しがるか。
ただの補給基地にするためじゃありません。
……この『悪魔の爆弾』を積んだ超長距離爆撃機(B-29)が、日本本土へ届く距離だからです」
山本五十六の背筋に、戦慄が走った。
これまで坂上が行ってきた「マリアナの要塞化」。
その真の意味が、ようやく理解できた。
それは、単なる防衛線ではなかった。
日本が「太陽の熱」で焼かれるのを防ぐための、最後の蓋(ふた)だったのだ。
「……もし、マリアナを突破されれば」
坂上は、絶望的な未来図を語った。
「東京、大阪、名古屋……主要都市は焼き尽くされます。
そして最後には、この『原子爆弾』が投下され、数十万の市民が、一瞬で灰になる。
……それが、この戦争の『時間切れ(タイムアップ)』です」
山本は、長い間、沈黙していた。
葉巻を持つ手が、微かに震えていた。
戦艦や航空機の戦いなら、彼は理解できた。
だが、都市を一撃で消滅させる兵器など、軍人の常識を超えている。
「……止められるのか」
山本が、絞り出すように聞いた。
「その……マンハッタンとやらを」
「開発そのものは止められません。アメリカの奥地で行われていますから」
坂上は首を振った。
「我々にできるのは、奴らに『投下する場所(滑走路)』を与えないことだけです」
坂上は、地図上のマリアナ諸島を、赤いペンで幾重にも囲った。
「サイパン、テニアン、グアム。
この島々を、文字通り『地獄』に変えます。
アメリカ軍が上陸してきた時、彼らが『これ以上進めば、アメリカの若者が何万人死ぬか分からない』と悲鳴を上げるほどの、徹底的な出血を強いる」
坂上は、悲痛な覚悟を口にした。
「……アメリカは民主主義国家です。
世論は、兵士の死に敏感だ。
原子爆弾が完成する前に、アメリカ国民の戦意をへし折り、『講和』のテーブルに着かせる。
……それしか、日本が生き残る道はありません」
山本は、深く目を閉じた。
それは、軍人として、あまりにも過酷な任務だった。
勝利のためではなく、敵に「死体の山」を見せつけるためだけの戦い。
味方も、そして敵も、泥沼の中で殺し合わせる。
「……地獄だな」
山本は、目を開けた。
その瞳には、かつてないほど暗く、重い光が宿っていた。
「……よかろう。
その『地獄』の門番は、私が引き受ける」
山本は立ち上がった。
「マリアナ決戦。
ここで、連合艦隊の残る全戦力を、そして私の命も、すべて使い切るつもりで挑む。
……坂上君。
君は、そのための『道具』を揃えてくれ」
「……承知しました」
坂上は、頭を下げた。
山本が去った後、坂上は一人、暗い部屋に残された。
窓の外、冬の夜空には、美しい月が輝いていた。
だが、坂上の目には、その月に重なるように、不気味なキノコ雲の幻影が見えていた。
「……急がなければ」
坂上は、黒飴を噛み砕いた。
「エセックス級(物量)と、マンハッタン計画(科学)。
二つの怪物が、日本の喉元に迫っている」
昭和19年(1944年)が近づいていた。
歴史の分岐点、マリアナ沖海戦。
そして、サイパン島の攻防戦。
人類史上、最も過酷な「盾」と「矛」の激突まで、あと半年。
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