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EP 2
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王都の薬草店は、土と埃にまみれた騎士団のブリーディング・ステーションとは別世界の匂いがした。甘い芳香と、薬効のある魔草のツンとした刺激臭が混ざり合い、レオンの鋭敏な嗅覚をくすぐる。
「いらっしゃい。ああ、騎士団の御用かね。今日は何か珍しい病で?」
店の主人は、顔を丸い布で覆った九尾族の女性だった。商人気質が高い九尾族らしく、瞳の奥は計算と好奇心で光っている。
「いいえ。個人的に、これを」
レオンは懐から銀貨1枚と銅貨数枚を取り出し、カウンターに置いた。そして、レオンの『生体構造理解』スキルが瞬時に算出した、三日分の最適解となる魔草のリストを静かに告げた。
「月光草の乾燥根、雷鳴草の葉を細かく砕いたもの……それと、『灼熱の涙』という熱を持つ鉱石を粉末にしたものを、極めて微量、混ぜて欲しい」
九尾族の女性は、目の前の犬耳族の青年の、あまりにも正確で異様な指示に驚き、一瞬、商売用の笑顔を引っ込めた。
「『灼熱の涙』? それは火属性の魔力を活性化させるための高価な触媒ですよ。しかもそれを……孵化前の卵に微量? あなた、何者です?」
「ただの雑用係です。ですが、私の師匠が病気の家畜のために試す、新しい処方だと聞いています。これは門外不出の『叡智』ですので、他言無用でお願いします」
レオンは咄嗟に嘘をついた。そして、彼女の瞳の計算機が動く前に、銀貨を少し押しやった。九尾族は一瞬ためらい、その銀貨を素早く掴むと、にやりと笑った。
「獣人族の叡智、結構。お代はこちらで計算しましょう。銀貨一枚では足りませんでしたが、まけておきますよ」
九尾族がレオンの要求した素材を正確に調合する間、レオンは思考を巡らせた。
(『灼熱の涙』は、卵の内部温度を上げるだけでなく、ワイバーンの火属性の遺伝子発現を促すはずだ。雷撃型の素質がある卵にこれを加えるのは、この世界の常識では「矛盾」だが、前世の「遺伝子操作の基本」に照らせば、属性の幅を広げ、変異種を生む可能性がある。賭けだが、優良個体を生むにはリスクが必要だ)
三日分の特製栄養剤を手に戻ったレオンは、騎士団の裏手にある、普段は誰も近づかない、埃っぽい廃倉庫を秘密のブリーディング・ステーションに決めた。
まず、廃倉庫の床を徹底的に掃除し、泥を固めた。次に、木箱の周りを古布で覆い、レオン自身の体温を利用して熱を加え続けた。昼間は太陽の熱を利用し、夜間は小型の魔石(魔力を持続的に放出する石)を遠くに置き、温度を35.8℃に固定する。
この作業は、闘気で敵を吹き飛ばすよりも、遥かに細かく、神経をすり減らすものだった。
その夜、レオンはこっそりと卵に調合した抽出液を浸透させた。数時間後、卵に触れると、スキルのデータウィンドウが更新された。
体温:35.8℃ (安定)
魔力活性:上昇傾向(+0.05%)
診断結果:【回復中。成長曲線:微細な上向きの反応を確認】
データウィンドウの文字を見た瞬間、レオンは全身から力が抜けるのを感じた。小さな、しかし確かな「生存」のサイン。これは、彼が騎士団で初めて手にした「成果」であり、彼の知識がこの世界で通用するという何よりの証明だった。
次の日も、その次の日も、レオンは本業の雑用をこなしながら、秘密の倉庫へと通った。睡眠時間は削られ、クマが濃くなった瞳は、まるで廃魔石のようにくすんでいた。グレンたちからは「相変わらず役に立たない犬だ」と罵倒され続けたが、レオンの心は穏やかだった。
(彼らには、私が何をしているかが見えない。闘気を持たぬ者は、知識という見えない武器の威力を知らない)
五日目の夜。
レオンがいつものように倉庫の扉を開けた瞬間、冷たい空気を破って、微細な「魔力の振動」がレオンの耳に届いた。
キュー、キュー……
卵に触れる。
対象:ワイバーンの卵
魔力活性:急上昇中(+1.50%)
成長曲線:極めて急激な上向き反応
状態:【孵化直前】
レオンの心臓が警鐘を鳴らすように鼓動した。早すぎる。予測ではまだ一週間あったはずだ。彼は慌てて騎士団長のザイードに報告しなければならないかと考えたが、すぐに打ち消した。
(待て。ここで報告すれば、この卵はすぐにグレンたちの管理下に置かれる。彼らはこの成果を理解できないまま、この卵の特殊な育成方法を「偶然」として扱い、二度と同じ成功は再現できないだろう)
レオンは歯を食いしばり、そのまま卵に付き添うことを選んだ。知識という名の秘密を守るために。
そして、その朝。冷たい騎士団の倉庫とは全く違う、温かく湿った廃倉庫のなかで、卵の表面にヒビが走った。
「来た……!」
レオンは息を潜めた。ヒビはすぐに、まるで古い地図の等高線のように増えていく。そして、甲高い破裂音と共に、殻が弾け飛んだ。
生まれたばかりのワイバーンの幼体は、体長約30センチ。その幼い体は、通常のワイバーンのような鈍い灰色ではなく、まるで雷を閉じ込めたかのような、銀色の鱗に覆われていた。
「成功だ……」レオンの目頭が熱くなった。
そのとき、廃倉庫の扉がドゴン! と音を立てて開いた。
夜が明ける前の薄暗闇の中、逆光に立つ影。それは、怒気に満ちた獅子耳族の騎士団長、ザイードだった。
「犬耳族! 貴様、何を隠していた! なぜ、廃棄するはずの卵がここにいる!」
ザイードは凄まじい闘気を放ち、一歩踏み出すごとに廃倉庫の床が震えた。レオンの背中の冷や汗が、すぐに冷気に晒されて凍りつくような感覚に襲われる。
レオンは生まれたばかりのワイバーンの幼体を胸に抱きしめ、全身の震えを必死に抑え込みながら、論理的な言葉を紡ぎ出した。
「騎士団長殿、これは……不良品ではありません。これは、貴国が抱えるすべての課題を解決する、未来のワイバーンです!」
その言葉を裏付けるかのように、レオンの腕の中で、銀色の幼体が「キュン!」と一声鳴くと、その小さな口から青い雷光が一瞬だけ、廃倉庫を照らした。
「いらっしゃい。ああ、騎士団の御用かね。今日は何か珍しい病で?」
店の主人は、顔を丸い布で覆った九尾族の女性だった。商人気質が高い九尾族らしく、瞳の奥は計算と好奇心で光っている。
「いいえ。個人的に、これを」
レオンは懐から銀貨1枚と銅貨数枚を取り出し、カウンターに置いた。そして、レオンの『生体構造理解』スキルが瞬時に算出した、三日分の最適解となる魔草のリストを静かに告げた。
「月光草の乾燥根、雷鳴草の葉を細かく砕いたもの……それと、『灼熱の涙』という熱を持つ鉱石を粉末にしたものを、極めて微量、混ぜて欲しい」
九尾族の女性は、目の前の犬耳族の青年の、あまりにも正確で異様な指示に驚き、一瞬、商売用の笑顔を引っ込めた。
「『灼熱の涙』? それは火属性の魔力を活性化させるための高価な触媒ですよ。しかもそれを……孵化前の卵に微量? あなた、何者です?」
「ただの雑用係です。ですが、私の師匠が病気の家畜のために試す、新しい処方だと聞いています。これは門外不出の『叡智』ですので、他言無用でお願いします」
レオンは咄嗟に嘘をついた。そして、彼女の瞳の計算機が動く前に、銀貨を少し押しやった。九尾族は一瞬ためらい、その銀貨を素早く掴むと、にやりと笑った。
「獣人族の叡智、結構。お代はこちらで計算しましょう。銀貨一枚では足りませんでしたが、まけておきますよ」
九尾族がレオンの要求した素材を正確に調合する間、レオンは思考を巡らせた。
(『灼熱の涙』は、卵の内部温度を上げるだけでなく、ワイバーンの火属性の遺伝子発現を促すはずだ。雷撃型の素質がある卵にこれを加えるのは、この世界の常識では「矛盾」だが、前世の「遺伝子操作の基本」に照らせば、属性の幅を広げ、変異種を生む可能性がある。賭けだが、優良個体を生むにはリスクが必要だ)
三日分の特製栄養剤を手に戻ったレオンは、騎士団の裏手にある、普段は誰も近づかない、埃っぽい廃倉庫を秘密のブリーディング・ステーションに決めた。
まず、廃倉庫の床を徹底的に掃除し、泥を固めた。次に、木箱の周りを古布で覆い、レオン自身の体温を利用して熱を加え続けた。昼間は太陽の熱を利用し、夜間は小型の魔石(魔力を持続的に放出する石)を遠くに置き、温度を35.8℃に固定する。
この作業は、闘気で敵を吹き飛ばすよりも、遥かに細かく、神経をすり減らすものだった。
その夜、レオンはこっそりと卵に調合した抽出液を浸透させた。数時間後、卵に触れると、スキルのデータウィンドウが更新された。
体温:35.8℃ (安定)
魔力活性:上昇傾向(+0.05%)
診断結果:【回復中。成長曲線:微細な上向きの反応を確認】
データウィンドウの文字を見た瞬間、レオンは全身から力が抜けるのを感じた。小さな、しかし確かな「生存」のサイン。これは、彼が騎士団で初めて手にした「成果」であり、彼の知識がこの世界で通用するという何よりの証明だった。
次の日も、その次の日も、レオンは本業の雑用をこなしながら、秘密の倉庫へと通った。睡眠時間は削られ、クマが濃くなった瞳は、まるで廃魔石のようにくすんでいた。グレンたちからは「相変わらず役に立たない犬だ」と罵倒され続けたが、レオンの心は穏やかだった。
(彼らには、私が何をしているかが見えない。闘気を持たぬ者は、知識という見えない武器の威力を知らない)
五日目の夜。
レオンがいつものように倉庫の扉を開けた瞬間、冷たい空気を破って、微細な「魔力の振動」がレオンの耳に届いた。
キュー、キュー……
卵に触れる。
対象:ワイバーンの卵
魔力活性:急上昇中(+1.50%)
成長曲線:極めて急激な上向き反応
状態:【孵化直前】
レオンの心臓が警鐘を鳴らすように鼓動した。早すぎる。予測ではまだ一週間あったはずだ。彼は慌てて騎士団長のザイードに報告しなければならないかと考えたが、すぐに打ち消した。
(待て。ここで報告すれば、この卵はすぐにグレンたちの管理下に置かれる。彼らはこの成果を理解できないまま、この卵の特殊な育成方法を「偶然」として扱い、二度と同じ成功は再現できないだろう)
レオンは歯を食いしばり、そのまま卵に付き添うことを選んだ。知識という名の秘密を守るために。
そして、その朝。冷たい騎士団の倉庫とは全く違う、温かく湿った廃倉庫のなかで、卵の表面にヒビが走った。
「来た……!」
レオンは息を潜めた。ヒビはすぐに、まるで古い地図の等高線のように増えていく。そして、甲高い破裂音と共に、殻が弾け飛んだ。
生まれたばかりのワイバーンの幼体は、体長約30センチ。その幼い体は、通常のワイバーンのような鈍い灰色ではなく、まるで雷を閉じ込めたかのような、銀色の鱗に覆われていた。
「成功だ……」レオンの目頭が熱くなった。
そのとき、廃倉庫の扉がドゴン! と音を立てて開いた。
夜が明ける前の薄暗闇の中、逆光に立つ影。それは、怒気に満ちた獅子耳族の騎士団長、ザイードだった。
「犬耳族! 貴様、何を隠していた! なぜ、廃棄するはずの卵がここにいる!」
ザイードは凄まじい闘気を放ち、一歩踏み出すごとに廃倉庫の床が震えた。レオンの背中の冷や汗が、すぐに冷気に晒されて凍りつくような感覚に襲われる。
レオンは生まれたばかりのワイバーンの幼体を胸に抱きしめ、全身の震えを必死に抑え込みながら、論理的な言葉を紡ぎ出した。
「騎士団長殿、これは……不良品ではありません。これは、貴国が抱えるすべての課題を解決する、未来のワイバーンです!」
その言葉を裏付けるかのように、レオンの腕の中で、銀色の幼体が「キュン!」と一声鳴くと、その小さな口から青い雷光が一瞬だけ、廃倉庫を照らした。
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