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EP 12
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豚骨の魔力と、第3の調停者
『ビストロ・アオタ』の厨房は、地獄の釜のような熱気と、ある種の「異臭」に包まれていた。
「うぅぅ……臭いですぅ……! 優也さん、これ本当に食べ物なんですかぁ!?」
ルナが鼻をつまみ、涙目で訴える。
彼女の指摘はもっともだ。寸胴鍋の中で煮込まれているのは、砕かれた大量の豚骨。
下処理をしたとはいえ、獣の骨を長時間煮込めば、独特の獣臭(ケモノシュウ)が発生する。
それは、この世界の住人にとっては「魔獣の死臭」や「腐敗臭」に近いものに感じられた。
「まだだ。ここからが勝負だ」
青田優也は、タオルで汗を拭いながら、巨大な木べらで鍋を掻き回し続けた。
『ネット通販』で購入した業務用コンロの火力を最大にし、骨の髄まで溶かし尽くす。
水と脂を強制的に混ぜ合わせる「乳化」のプロセス。
この工程を経て初めて、あの白濁したクリーミーなスープが完成する。
「……変わってきた」
数時間後。キャルルが鼻をひくつかせた。
「最初は臭かったけど……なんか、お腹が空く匂いになってきたよ? ドロドロしてて、甘そうで……」
「流石だな、キャルル。獣の本能か」
鍋の中身は、美しい乳白色(クリーム色)へと変化していた。
強烈な獣臭は、鼻腔を突き抜けるような「濃厚な旨味の香り」へと昇華されていた。
醤油ダレ(カエシ)の焦げた匂いと、背脂の甘い香り。
それは、深夜の繁華街で酔っ払いを誘い込む、悪魔のアロマだ。
だが、その香りは強力すぎた。
換気扇から排出された白煙は、風に乗って街道へ、そして森の奥へと広がっていく。
近隣の村では「アオタの店から、魔界の霧が出ている」「ついに黒魔術に手を出したか」とパニックになりかけていた。
そして。
その「魔界の霧」は、ある一人の男の鼻を直撃した。
***
ドォォォォォォンッ!!
突然、店の入り口が爆音と共に吹き飛んだ。
物理的な衝撃ではない。扉が瞬時にして凍りつき、粉々に砕け散ったのだ。
急激に下がる室温。
厨房の熱気が一瞬で冷やされ、白い冷気が床を這う。
「な、なにごとですかぁ!?」
「敵襲!?」
ルナとキャルルが身構える。
凍てついた入り口から、一人の青年が姿を現した。
逆立った銀色の髪に、獣のような鋭い金色の瞳。
身に纏うのは、ボロボロの毛皮――ではなく、冷気そのもので織られたようなオーラだ。
その男は、不機嫌そうに店内を見渡し、低い声で唸った。
「……おい。俺の縄張り(テリトリー)で、ふざけた悪臭を撒き散らしているのはどいつだ」
殺気。
ただそこに立っているだけで、生物としての格の違いを叩きつけてくるようなプレッシャー。
ルナがガタガタと震え出す。
「あ、あわわ……! その冷気、その威圧感……ま、まさか……狼王フェンリル様!?」
「あぁん? だったらなんだ。……おいエルフ、てめぇか? この死体を煮込んだような呪いの儀式をしてやがるのは」
フェンリルが一歩踏み出すと、床がパキパキと音を立てて凍結していく。
彼は、この世界の「調停者」の一柱。
女神ルチアナ、竜王デュークと並ぶ、世界最強の存在の一角だ。
しかし、優也は寸胴鍋の前から動かなかった。
むしろ、麺の湯切りをするザル(テボ)を手に取り、チャッチャッと小気味よい音を立てた。
「いらっしゃいませ。扉は直しておいてくださいね」
「……あ?」
フェンリルの眉がピクリと跳ねる。
神話級の存在である自分に対し、背中を向けたまま調理を続ける人間に、彼は苛立ちを覚えた。
「人間風情が、俺を無視するか。……死にたいようだな」
フェンリルが右手を上げた。
その手に、絶対零度の魔力が収束していく。店ごと氷漬けにするつもりだ。
「お待ちください」
優也は、どんぶりに熱々のスープを注いだ。
乳白色の海に、特製の醤油ダレが混ざり合い、黄金色の油が浮く。
そこへ、硬めに茹で上げた極細麺を投入。
トッピングは、トロトロになるまで煮込んだ自家製チャーシュー5枚、煮卵、メンマ、刻みネギ、そして大判の海苔。
仕上げに、黒胡椒をパラリ。
「文句を言うのは、これを食べてからにして頂きたい」
優也はカウンターに、湯気を立てる丼をドンと置いた。
「当店自慢の新メニュー。『特製豚骨チャーシュー麺(全部乗せ)』です」
フェンリルの手が止まった。
鼻を刺激するのは、先ほどまでの「悪臭」とは違う。
暴力的なまでの「脂」と「肉」の香り。
野生の狼である彼の本能が、理屈抜きで反応してしまった。
「……なんだ、これは」
「毒ではありませんよ。……怖いなら残しても構いませんが」
「はッ! 狼王が恐れるものなどないわ!」
フェンリルは挑発に乗り、席にドカッと座った。
そして、怪訝そうな顔でスープを一口すする。
ズズッ。
――静寂。
フェンリルの動きが止まった。
金色の瞳が、カッと見開かれる。
口の中に広がったのは、豚一頭分の命を凝縮したような、圧倒的なコク。
臭みはない。あるのは、脳髄を痺れさせるような旨味の奔流だ。
冷え切った彼の身体に、熱々の脂が染み渡っていく。
「……ッ!!」
フェンリルは無言で箸(使い方は見よう見まね)を掴み、麺を一気にすすり上げた。
ズズズズズッ!!
硬めの極細麺が、スープを絡め取って喉を駆け抜ける。
チャーシューを噛めば、口の中でホロリと崩れ、肉汁が溢れ出す。
「う、美味い……! なんだこれは! 肉か!? スープか!? いや、全てが混ざり合って……!」
ガツガツガツッ!
王としての威厳も忘れ、彼は夢中で丼に顔を埋めた。
ものの数分、いや数秒で、麺と具が消滅する。
ドンッ!
空になった丼をカウンターに叩きつけ、フェンリルは叫んだ。
「おい人間!! これで終わりか!! 全然足りんぞ!!」
「……まだスープはありますよ」
優也はニヤリと笑い、茹で上がったばかりの麺をザルに入れた。
「『替え玉』ですね。……一玉、銀貨一枚になりますが?」
それが、最強の狼王が「ラーメンの虜」となり、優也の軍門に下る(バイトとして雇われる)運命の瞬間だった。
『ビストロ・アオタ』の厨房は、地獄の釜のような熱気と、ある種の「異臭」に包まれていた。
「うぅぅ……臭いですぅ……! 優也さん、これ本当に食べ物なんですかぁ!?」
ルナが鼻をつまみ、涙目で訴える。
彼女の指摘はもっともだ。寸胴鍋の中で煮込まれているのは、砕かれた大量の豚骨。
下処理をしたとはいえ、獣の骨を長時間煮込めば、独特の獣臭(ケモノシュウ)が発生する。
それは、この世界の住人にとっては「魔獣の死臭」や「腐敗臭」に近いものに感じられた。
「まだだ。ここからが勝負だ」
青田優也は、タオルで汗を拭いながら、巨大な木べらで鍋を掻き回し続けた。
『ネット通販』で購入した業務用コンロの火力を最大にし、骨の髄まで溶かし尽くす。
水と脂を強制的に混ぜ合わせる「乳化」のプロセス。
この工程を経て初めて、あの白濁したクリーミーなスープが完成する。
「……変わってきた」
数時間後。キャルルが鼻をひくつかせた。
「最初は臭かったけど……なんか、お腹が空く匂いになってきたよ? ドロドロしてて、甘そうで……」
「流石だな、キャルル。獣の本能か」
鍋の中身は、美しい乳白色(クリーム色)へと変化していた。
強烈な獣臭は、鼻腔を突き抜けるような「濃厚な旨味の香り」へと昇華されていた。
醤油ダレ(カエシ)の焦げた匂いと、背脂の甘い香り。
それは、深夜の繁華街で酔っ払いを誘い込む、悪魔のアロマだ。
だが、その香りは強力すぎた。
換気扇から排出された白煙は、風に乗って街道へ、そして森の奥へと広がっていく。
近隣の村では「アオタの店から、魔界の霧が出ている」「ついに黒魔術に手を出したか」とパニックになりかけていた。
そして。
その「魔界の霧」は、ある一人の男の鼻を直撃した。
***
ドォォォォォォンッ!!
突然、店の入り口が爆音と共に吹き飛んだ。
物理的な衝撃ではない。扉が瞬時にして凍りつき、粉々に砕け散ったのだ。
急激に下がる室温。
厨房の熱気が一瞬で冷やされ、白い冷気が床を這う。
「な、なにごとですかぁ!?」
「敵襲!?」
ルナとキャルルが身構える。
凍てついた入り口から、一人の青年が姿を現した。
逆立った銀色の髪に、獣のような鋭い金色の瞳。
身に纏うのは、ボロボロの毛皮――ではなく、冷気そのもので織られたようなオーラだ。
その男は、不機嫌そうに店内を見渡し、低い声で唸った。
「……おい。俺の縄張り(テリトリー)で、ふざけた悪臭を撒き散らしているのはどいつだ」
殺気。
ただそこに立っているだけで、生物としての格の違いを叩きつけてくるようなプレッシャー。
ルナがガタガタと震え出す。
「あ、あわわ……! その冷気、その威圧感……ま、まさか……狼王フェンリル様!?」
「あぁん? だったらなんだ。……おいエルフ、てめぇか? この死体を煮込んだような呪いの儀式をしてやがるのは」
フェンリルが一歩踏み出すと、床がパキパキと音を立てて凍結していく。
彼は、この世界の「調停者」の一柱。
女神ルチアナ、竜王デュークと並ぶ、世界最強の存在の一角だ。
しかし、優也は寸胴鍋の前から動かなかった。
むしろ、麺の湯切りをするザル(テボ)を手に取り、チャッチャッと小気味よい音を立てた。
「いらっしゃいませ。扉は直しておいてくださいね」
「……あ?」
フェンリルの眉がピクリと跳ねる。
神話級の存在である自分に対し、背中を向けたまま調理を続ける人間に、彼は苛立ちを覚えた。
「人間風情が、俺を無視するか。……死にたいようだな」
フェンリルが右手を上げた。
その手に、絶対零度の魔力が収束していく。店ごと氷漬けにするつもりだ。
「お待ちください」
優也は、どんぶりに熱々のスープを注いだ。
乳白色の海に、特製の醤油ダレが混ざり合い、黄金色の油が浮く。
そこへ、硬めに茹で上げた極細麺を投入。
トッピングは、トロトロになるまで煮込んだ自家製チャーシュー5枚、煮卵、メンマ、刻みネギ、そして大判の海苔。
仕上げに、黒胡椒をパラリ。
「文句を言うのは、これを食べてからにして頂きたい」
優也はカウンターに、湯気を立てる丼をドンと置いた。
「当店自慢の新メニュー。『特製豚骨チャーシュー麺(全部乗せ)』です」
フェンリルの手が止まった。
鼻を刺激するのは、先ほどまでの「悪臭」とは違う。
暴力的なまでの「脂」と「肉」の香り。
野生の狼である彼の本能が、理屈抜きで反応してしまった。
「……なんだ、これは」
「毒ではありませんよ。……怖いなら残しても構いませんが」
「はッ! 狼王が恐れるものなどないわ!」
フェンリルは挑発に乗り、席にドカッと座った。
そして、怪訝そうな顔でスープを一口すする。
ズズッ。
――静寂。
フェンリルの動きが止まった。
金色の瞳が、カッと見開かれる。
口の中に広がったのは、豚一頭分の命を凝縮したような、圧倒的なコク。
臭みはない。あるのは、脳髄を痺れさせるような旨味の奔流だ。
冷え切った彼の身体に、熱々の脂が染み渡っていく。
「……ッ!!」
フェンリルは無言で箸(使い方は見よう見まね)を掴み、麺を一気にすすり上げた。
ズズズズズッ!!
硬めの極細麺が、スープを絡め取って喉を駆け抜ける。
チャーシューを噛めば、口の中でホロリと崩れ、肉汁が溢れ出す。
「う、美味い……! なんだこれは! 肉か!? スープか!? いや、全てが混ざり合って……!」
ガツガツガツッ!
王としての威厳も忘れ、彼は夢中で丼に顔を埋めた。
ものの数分、いや数秒で、麺と具が消滅する。
ドンッ!
空になった丼をカウンターに叩きつけ、フェンリルは叫んだ。
「おい人間!! これで終わりか!! 全然足りんぞ!!」
「……まだスープはありますよ」
優也はニヤリと笑い、茹で上がったばかりの麺をザルに入れた。
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