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EP 4
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鉄格子の中の茶室と、カステラの誘惑
地下牢の冷たい空気は、いつの間にか春の陽だまりのような暖かさに変わっていた。
鉄格子の外に立つミーナは、眉間に皺を寄せ、腕を組んで飛鳥を睨んでいた――つもりだった。だが、その鼻はひくひくと動き、漂ってくる芳醇な香りを追いかけてしまっている。
(いや……騙されるな。飛鳥の力など、魔力感知で探っても無に等しい。ただの人間だ。……しかし、なんだ? 先程から鼻をくすぐる、この良い香りは……)
ミーナの視線の先で、飛鳥が懐から棗(なつめ)を取り出し、蓋を開けた。
中には、鮮やかな深緑色の粉末が入っている。
「見事な……緑色だな。その草のような粉が、良い香りの正体か?」
「はい。『抹茶』と言う物です。ミーナさん、気に入って貰えて嬉しいです」
飛鳥は嬉しそうに微笑むと、茶碗に抹茶を入れ、湯を注いだ。
シャカ、シャカ、シャカ……。
茶筅(ちゃせん)がお湯と抹茶を撹拌する音が、静寂の牢獄に響く。
それは、規則正しく、波音のように心地よいリズム。
(……良い音だ。戦いで昂っていた心が、不思議と安らぐ……)
ミーナの肩から力が抜けていく。尻尾の先も、ゆらりとリラックスして揺れていた。
飛鳥は点てた茶を脇に置くと、鉄格子の向こうの看守に向かって、まるで自宅の玄関に招くように手を差し伸べた。
「そこでは何でしょう。立ち話もなんですし、こちらへ。あ、靴は脱いで下さいね」
「う、うむ……」
ミーナは無意識のうちに鍵を開け、鉄格子を開けていた。
「尋問だ、これは尋問の一環だ」と自分に言い聞かせながら、ゴツゴツとした革のブーツを脱ぐ。
一歩踏み出すと、そこには飛鳥のスキルで出された畳が広がっていた。そして、目の前にはふっくらとした座布団。
「どうぞ」
「……し、失礼する」
ミーナは恐る恐る、その四角い布の上に腰を下ろした。
「……!」
ふわり。
お尻の下から伝わる、雲のような柔らかさ。硬い馬の鞍や、冷たい石のベンチしか知らない彼女にとって、それは衝撃的な感触だった。
「き、気持ちいい……ふかふかだぁ……」
思わず頬が緩み、猫のような声が漏れる。
そんなミーナの様子に目を細めつつ、飛鳥は懐紙に乗せた菓子を差し出した。
それは、鮮やかな黄金色をした、スポンジ状の焼き菓子。
「ミーナさんは、甘い物はお好きですか?」
「あ、ああ。……嫌いではない。むしろ好きだが……」
「では、これを。『カステラ』と申します」
「カステラ……?」
「さぁ、どうぞ」
ミーナはその黄金色の欠片を手に取った。指先でも分かるしっとりとした弾力。卵と砂糖の甘い香りが、ダイレクトに脳を刺激する。
彼女は意を決して、それを口に運んだ。
ハクリ。
「――んっ!」
噛んだ瞬間、ジュワリと広がる濃厚な甘み。ふんわりとした食感は、まるで雪のように舌の上で溶けていく。
サバルテの固い干し肉や、酸っぱい果実とは次元の違う「洗練された甘味」。
「甘い……! 美味しい……なんだこれは……!」
「お好きですか? 良かった」
「う、うん。凄く甘くて、卵の味がして……好き……」
副隊長としての威厳はどこへやら。ミーナは目を輝かせ、夢中でカステラを頬張った。
口の中に甘さが残っている絶妙なタイミングで、飛鳥はすっと茶碗を差し出した。
「では、抹茶をどうぞ」
「かたじけない」
ミーナは両手で茶碗を受け取った。
掌に伝わる陶器の温もり。鮮やかな緑色の泡(クレマ)が、カステラの黄金色と対照的で美しい。
一口、すする。
「……ふぅ」
濃厚な苦味が、口の中に残った甘さをさらりと洗い流し、えも言われぬ清涼感を残していく。
甘味と苦味の調和(マリアージュ)。
ミーナは知らず知らずのうちに、ほう、と熱い吐息を漏らしていた。
「美味しい……。苦いのに、甘い。それに……」
彼女は飲み干した茶碗を、まじまじと見つめた。
黒く艶やかなその茶碗は、一見歪んでいるようでいて、掌に吸い付くように馴染む。
「この器も……美しいな。ただの器じゃない。土の温かみを感じる」
農家の娘であるミーナには分かった。これが、ただならぬ技術と愛情で作られたものであることが。
「茶器を気に入って貰えて嬉しいです。……それは私が焼いたのですよ」
「えっ、貴様が? 魔法で出したのではなく?」
「ええ。土を捏ね、炎で焼いて。……土は嘘をつきませんから」
飛鳥の言葉に、ミーナはハッとして顔を上げた。
目の前の男は、無力な囚人などではない。
こんなにも美味い菓子と茶を出し、こんなにも美しい器を作る。そして何より、敵である自分をここまで骨抜きにする空間を作り出した。
(私は……とんでもない男を牢に入れてしまったのかもしれない)
座布団の上でしっぽをパタパタと振らせながら、ミーナはカステラの最後の一口を惜しむように見つめるのだった。
地下牢の冷たい空気は、いつの間にか春の陽だまりのような暖かさに変わっていた。
鉄格子の外に立つミーナは、眉間に皺を寄せ、腕を組んで飛鳥を睨んでいた――つもりだった。だが、その鼻はひくひくと動き、漂ってくる芳醇な香りを追いかけてしまっている。
(いや……騙されるな。飛鳥の力など、魔力感知で探っても無に等しい。ただの人間だ。……しかし、なんだ? 先程から鼻をくすぐる、この良い香りは……)
ミーナの視線の先で、飛鳥が懐から棗(なつめ)を取り出し、蓋を開けた。
中には、鮮やかな深緑色の粉末が入っている。
「見事な……緑色だな。その草のような粉が、良い香りの正体か?」
「はい。『抹茶』と言う物です。ミーナさん、気に入って貰えて嬉しいです」
飛鳥は嬉しそうに微笑むと、茶碗に抹茶を入れ、湯を注いだ。
シャカ、シャカ、シャカ……。
茶筅(ちゃせん)がお湯と抹茶を撹拌する音が、静寂の牢獄に響く。
それは、規則正しく、波音のように心地よいリズム。
(……良い音だ。戦いで昂っていた心が、不思議と安らぐ……)
ミーナの肩から力が抜けていく。尻尾の先も、ゆらりとリラックスして揺れていた。
飛鳥は点てた茶を脇に置くと、鉄格子の向こうの看守に向かって、まるで自宅の玄関に招くように手を差し伸べた。
「そこでは何でしょう。立ち話もなんですし、こちらへ。あ、靴は脱いで下さいね」
「う、うむ……」
ミーナは無意識のうちに鍵を開け、鉄格子を開けていた。
「尋問だ、これは尋問の一環だ」と自分に言い聞かせながら、ゴツゴツとした革のブーツを脱ぐ。
一歩踏み出すと、そこには飛鳥のスキルで出された畳が広がっていた。そして、目の前にはふっくらとした座布団。
「どうぞ」
「……し、失礼する」
ミーナは恐る恐る、その四角い布の上に腰を下ろした。
「……!」
ふわり。
お尻の下から伝わる、雲のような柔らかさ。硬い馬の鞍や、冷たい石のベンチしか知らない彼女にとって、それは衝撃的な感触だった。
「き、気持ちいい……ふかふかだぁ……」
思わず頬が緩み、猫のような声が漏れる。
そんなミーナの様子に目を細めつつ、飛鳥は懐紙に乗せた菓子を差し出した。
それは、鮮やかな黄金色をした、スポンジ状の焼き菓子。
「ミーナさんは、甘い物はお好きですか?」
「あ、ああ。……嫌いではない。むしろ好きだが……」
「では、これを。『カステラ』と申します」
「カステラ……?」
「さぁ、どうぞ」
ミーナはその黄金色の欠片を手に取った。指先でも分かるしっとりとした弾力。卵と砂糖の甘い香りが、ダイレクトに脳を刺激する。
彼女は意を決して、それを口に運んだ。
ハクリ。
「――んっ!」
噛んだ瞬間、ジュワリと広がる濃厚な甘み。ふんわりとした食感は、まるで雪のように舌の上で溶けていく。
サバルテの固い干し肉や、酸っぱい果実とは次元の違う「洗練された甘味」。
「甘い……! 美味しい……なんだこれは……!」
「お好きですか? 良かった」
「う、うん。凄く甘くて、卵の味がして……好き……」
副隊長としての威厳はどこへやら。ミーナは目を輝かせ、夢中でカステラを頬張った。
口の中に甘さが残っている絶妙なタイミングで、飛鳥はすっと茶碗を差し出した。
「では、抹茶をどうぞ」
「かたじけない」
ミーナは両手で茶碗を受け取った。
掌に伝わる陶器の温もり。鮮やかな緑色の泡(クレマ)が、カステラの黄金色と対照的で美しい。
一口、すする。
「……ふぅ」
濃厚な苦味が、口の中に残った甘さをさらりと洗い流し、えも言われぬ清涼感を残していく。
甘味と苦味の調和(マリアージュ)。
ミーナは知らず知らずのうちに、ほう、と熱い吐息を漏らしていた。
「美味しい……。苦いのに、甘い。それに……」
彼女は飲み干した茶碗を、まじまじと見つめた。
黒く艶やかなその茶碗は、一見歪んでいるようでいて、掌に吸い付くように馴染む。
「この器も……美しいな。ただの器じゃない。土の温かみを感じる」
農家の娘であるミーナには分かった。これが、ただならぬ技術と愛情で作られたものであることが。
「茶器を気に入って貰えて嬉しいです。……それは私が焼いたのですよ」
「えっ、貴様が? 魔法で出したのではなく?」
「ええ。土を捏ね、炎で焼いて。……土は嘘をつきませんから」
飛鳥の言葉に、ミーナはハッとして顔を上げた。
目の前の男は、無力な囚人などではない。
こんなにも美味い菓子と茶を出し、こんなにも美しい器を作る。そして何より、敵である自分をここまで骨抜きにする空間を作り出した。
(私は……とんでもない男を牢に入れてしまったのかもしれない)
座布団の上でしっぽをパタパタと振らせながら、ミーナはカステラの最後の一口を惜しむように見つめるのだった。
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