『江戸転生トライアングル ~法知識チートで裁く! 奉行と公事師と火盗改~』

月神世一

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第二章 正義は輝き、悪は潰れ、法は犯す

EP 2

忍び寄る「黒い薬」
「……おい。知らねえとは言わせねえぞ」
深川の裏路地。
腐ったドブの臭いが立ち込める暗がりで、低い、地の底から響くような声がした。
「ひ、ひぃっ! 雪の旦那!? 本気かよ、指が、指が折れるッ!」
チンピラが悲鳴を上げる。
その指を逆方向に捻り上げているのは、普段なら「事なかれ主義」を絵に描いたような男、平上雪之丞だった。
だが今の彼に、いつもの眠たげな表情はない。
充血した目は血走り、無精髭の奥にある唇は、獣のように引き結ばれている。
「あの店に出入りしている『医者』だ。……何を売っている? どこから仕入れている?」
「し、知らねえ! 俺はただの見張りで……!」
バキリ。
乾いた音が路地に響く。
「ぎゃあああ!!」
「次は手首だ。……吐け」
雪之丞は、自らが「奉行所の同心」であることなど、とうに忘れていた。
サボり癖も、面倒くさがりな性格も、すべて吹き飛んだ。
脳裏に焼き付いているのは、阿片(アヘン)に蝕まれ、虫けらのように悶え苦しむ朱音(あかね)の姿だけ。
(法の裁き? 証拠? 知ったことか。
朱音をあんな風にした奴ら……一匹残らず、俺の手で地獄へ送ってやる)
「ま、待ってくれ! 言う! 言うから!」
チンピラが涙と鼻水を垂らして叫ぶ。
「ゲ、玄道(げんどう)……玄道って医者だ! 長崎帰りの蘭方医(らんぽうい)で……!」
「……場所は」
「は、外れの廃寺だ! そこに『薬』の倉庫が……」
情報を聞き出すと、雪之丞はチンピラをゴミのように投げ捨てた。
そして、踵(きびす)を返そうとした時――。
「――随分と、『男前』な顔をしてるじゃないの。雪さん」
路地の出口に、一人の人影が立っていた。
火付盗賊改の岡っ引き、早乙女蘭。
彼女はいつものように懐から菓子(金平糖)を取り出そうとはせず、ただ静かに、悲しげな目で雪之丞を見つめていた。
「……火盗改(オニ)の犬か。邪魔するなら、容赦しねえぞ」
雪之丞が殺気立つ。
だが、蘭は動じない。
「やめときな。今のあんた、死に急ぐ野良犬の目をしているわ」
蘭は一歩踏み出す。
「……あの女(ひと)のため?」
雪之丞の肩が、ピクリと震えた。
蘭の情報網(噂)は、すでに雪之丞が深川の女郎に入れあげていること、そしてその女郎が「病(やまい)」に伏せっていることを嗅ぎつけていた。
「……あんたに関係ねえ」
「あるわよ。その『病』の原因が、ただの風邪じゃなくて……長崎渡りの『黒い煙』ならね」
蘭の言葉に、雪之丞が息を呑む。
「……知っていたのか」
「長官(デューラ)も追ってるわ。でも、あの人は『法』と『正義』で動く人。証拠が固まるまでは動かない。令状だ、管轄だ、ってね」
蘭は、雪之丞の前に立ち、彼の震える拳をそっと包み込んだ。
「でも、それじゃ間に合わないんでしょ?
……分かるわよ。大事な人が壊れていくのを、指をくわえて見てなきゃいけない辛さは」
かつて、くノ一として弟を守るために汚れ仕事に手を染めていた蘭。
彼女には、今の雪之丞の痛いほどの焦燥が、手に取るように分かった。
「……手を貸すわ、雪さん」
「蘭……」
「アタシの吹き矢は、あんたの剣ほど強くないけど、見張りくらいは眠らせられる。……行きましょ。『夜鷹』の旦那のところへ」
神田、喜助そば。
昼の営業を終え、暖簾を下ろした店内で、店主の喜助が蕎麦包丁を研いでいた。
その目は、研ぎ澄まされた刃物のように冷たい。
「……玄道、だと?」
雪之丞と蘭から事情を聞いた喜助は、吐き捨てるように言った。
「知ってるぜ。最近、裏社会で幅を利かせてる新顔だ。
『痛み止め』と称して、貧乏人や女郎に阿片を配り歩いてやがる」
「既然(なら)、話は早い」
雪之丞が身を乗り出す。
「アジトは割れた。……喜助、お前の『耳』と『技』を貸してくれ」
「断る」
喜助は即答し、包丁を置いた。
「俺は義賊だ。金は盗むが、命のやり取りはしねえ。
それに、相手はただの売人じゃねえぞ。バックに妙な『武装集団』がついてる。
……奉行所(さとう)か火盗改(デューラ)に任せな。お前らが死ぬだけだ」
「……任せてたら、朱音は死ぬんだよ!」
雪之丞がテーブルを叩き、立ち上がる。
「お偉いさんたちは、政治だ経済だ、証拠だって騒ぐだけだ!
その間に、朱音は……あいつは、薬漬けにされて、売り飛ばされるかもしれねえんだぞ!」
雪之丞の悲痛な叫びが、店内に響く。
喜助は、じっと雪之丞の目を見た。
そこにあるのは、同心の目ではない。一人の女を愛し、そのために修羅となる覚悟を決めた男の目だ。
「……チッ」
喜助は舌打ちをし、立ち上がった。
そして、店の奥から、商売道具ではない、黒い装束と忍具を取り出してきた。
「……勘違いすんなよ。俺は、テメェのために動くんじゃねえ」
喜助は、撒菱(まきびし)をジャラリと手の上で弄ぶ。
「俺のシマ(江戸)に、阿片なんてふざけた毒を撒くクソ野郎が気に入らねえだけだ。
……あれを吸えば、人は人じゃなくなる。金も、魂も、全部吸い取られる」
喜助は、雪之丞に向かってニヤリと笑った。
その笑みは、皮肉屋のそれではなく、頼れる共犯者のものだった。
「蕎麦代、高くつくぜ。雪之丞」
「……ああ。ツケにしといてくれ。必ず払う」
蘭も、懐から愛用の吹き矢を取り出し、組み立てる。
「決まりね。……相手は、玄道一味。場所は廃寺」
雪之丞は、腰の刀を強く握りしめた。
佐藤(法)も、デューラ(正義)も、リベラ(金)も、ここにはいない。
いるのは、愛のために暴走する同心と、弟のために生きた元くノ一と、庶民のために盗む元忍び。
「行くぞ。……今夜、ケリをつける」
江戸の法治システムから逸脱した、現場組(アウトロー)たちによる、命がけの「掃除」が始まろうとしていた。
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