​「敵は本能寺!」で転生したイージス艦長の明智光秀。現代防衛論と遅滞戦術で「中国大返し」を迎撃し、三日天下を回避する

月神世一

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EP 2

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ダメージ・コントロール
「者共! 勝鬨を上げよ! 天下は我らがものぞ!」
「市中へ繰り出せ! 織田の残党を狩り出し、金目の物を巻き上げろ!」
 本能寺の外では、アドレナリンが沸騰した明智の兵たちが、堰を切ったように京都の街へなだれ込もうとしていた。
 無理もない。極度の緊張から解放された兵士は、往々にして野獣と化す。略奪、放火、暴行。それが戦国の「勝利の作法」だった。
 だが、坂上真一(中身)にとって、それは最も忌むべき「規律崩壊(ディシプリン・ブレイク)」だった。
「やめさせろ!」
 坂上は、近くにいた馬に飛び乗ると、手綱を乱暴に引いて兵たちの前へ立ちはだかった。
 馬のいななきに、興奮していた兵たちが足を止める。
「殿……? いかがなされました、兵たちへの労いに、少々の無礼講は……」
 側近の一人、斎藤利三(さいとう としみつ)が怪訝な顔で進み出る。明智家筆頭家老。実直で優秀な武人だが、彼もまた戦国の常識の中にいる。
 坂上は、馬上で利三を見下ろし、冷徹な声で告げた。
「利三。我々の大義名分は何だ?」
「は? それは、暴虐非道なる信長公を討ち、天下の安寧を……」
「ならば、その安寧を願う民に対し、略奪を働くか。それは信長以下の下衆のやることだ」
 坂上は視線を兵士全体に向け、腹の底から声を張り上げた。
「総員に通達する! 本時刻をもって、京都市中における一切の略奪、放火、市民への暴行を禁ずる! 違反した者は、階級を問わず軍法会議――いや、即刻斬首に処す!」
 ざわり、と兵たちがどよめく。
 勝利の美酒を奪われた不満。だがそれ以上に、主君・光秀の放つ異常なほどの「圧力(プレッシャー)」に圧倒されていた。
「よいか。我々が戦うべきは、もはや織田信長ではない。これから押し寄せる『本当の敵』だ。民の支持を失えば、補給線は断たれ、情報の網は破れる。……これは道徳の話ではない。勝つための『戦略』だ」
 坂上はあえて、利三の目をじっと見つめた。
 この男を納得させれば、全軍が締まる。
「……利三。お前にはわかるな。民を敵に回して、籠城戦が戦えるか?」
「……っ! い、いえ……戦えませぬ」
「ならば徹底させろ。我々は『解放軍』だ。占領軍ではない。規律(ディシプリン)を守れ。守れぬ者は、我が軍には不要だ」
 利三の背筋が伸びた。彼は深く頭を下げた。
「はっ! ……目が覚めました。直ちに触れを出します。略奪者は、この利三が成敗してくれん!」
 家老の怒号が響き渡り、兵たちが慌てて整列を始める。
 坂上は小さく息を吐いた。
 (まずは第一段階クリアか。……治安維持活動(PKO)の教範通りだな)
 ***
 その日の午後。坂上は二条城に入り、仮の司令部(HQ)を設置した。
 広間に大きな和紙を広げ、筆を執る。
 描くのは、勢力図だ。
 北陸の柴田勝家。関東の滝川一益。四国の丹羽長秀。
 そして、中国地方の羽柴秀吉。
「殿。まずは朝廷への工作と、近隣大名への書状が急務かと」
 利三や明智秀満ら、幹部たちが集まっている。彼らの顔には、まだ「信長を倒した」という高揚感が残っている。危機感が足りない。
 坂上は、筆の先で「備中高松城」の地点を黒く塗りつぶした。
「諸君。現状認識(アセスメント)を共有する」
 聞き慣れない言葉に眉を寄せる家臣たちを無視して、坂上は地図を指した。
「最大の脅威は、ここにいる羽柴秀吉だ」
「秀吉? あの猿ですか? しかし殿、奴は毛利と交戦中。身動きは取れますまい」
「そうだ。常識的に考えればな」
 坂上は冷ややかな笑みを浮かべた。
 史実を知る未来人としての優越感ではない。これから起こる「異常事態」への恐怖を、笑みで隠したのだ。
「奴は、常識の外にいる。……いいか、予測を立てるぞ。今日が6月2日。早馬が飛ばされたとして、秀吉が事変を知るのは明日3日の夜から4日の朝だ」
「はあ。いかに早馬といえど、それくらいは」
「秀吉は、即座に毛利と和睦するだろう。信長の死を隠してな。そして、全軍を反転させる」
「なっ!? まさか。毛利がそう易々と和睦に応じましょうか。それに数万の軍勢ですぞ? 撤退準備だけでも十日は……」
 常識的な反論だ。現代の軍事常識でも、師団規模の撤退・転進には膨大な時間がかかる。
 だが、秀吉はそれをやってのけた。
 世に言う「中国大返し」。
 約200キロの道のりを、わずか1週間強で走破し、京へなだれ込んでくる機動力の化け物。
「来るぞ。奴は輜重(荷駄)を捨て、兵に走りながら飯を食わせてでも戻ってくる。……6月12日か13日。その頃には、天王山の麓に秀吉の旗が立っていると思え」
 広間が静まり返る。
 10日後。
 あまりに短すぎる猶予。
「そ、そんな馬鹿な。それでは、味方を募る暇も……」
「そうだ。細川幽斎も筒井順慶も、日和見を決め込むだろう。秀吉の到着が早ければ早いほど、彼らは勝ち馬に乗ろうとする」
 坂上は筆を置き、腕組みをした。
「故に、我々は『時間』を稼がねばならない。秀吉の進軍を遅らせるか、あるいは……到着した疲労困憊の秀吉軍を、確実に粉砕する『迎撃システム』を構築する」
 喉が渇いた。
 無意識にポケットを探るが、もうキャンディはない。
 坂上は近くに控えていた小姓に声をかけた。
「水だ。……いや、待て」
 戦国の生水は怖い。腹を下せば指揮に支障が出る。
 ふと、部屋の隅にある火鉢に目が止まった。そこに、兵糧の残りだろうか、炒った大麦が入った袋があった。
「湯を沸かせ。その麦を、黒くなるまで炒ってから煮出せ」
「は? 麦の……お湯、でございますか? 粥ではなく?」
「いいからやれ。濃くな」
 しばらくして運ばれてきたのは、泥水のように黒い液体だった。
 家臣たちが「殿はご乱心か」という目で見守る中、坂上は湯呑みに注がれたそれを一口すする。
 苦い。焦げ臭い。
 だが、香ばしい香りが鼻孔を抜け、温かい液体が胃の腑に落ちる。
 コーヒーには程遠いが、「代用コーヒー(オルゾ)」としては悪くない。
「ふう……」
 一息つき、坂上は落ち着きを取り戻した。
 カフェインはないが、プラシーボ効果はある。頭の中のノイズが消え、艦橋(ブリッジ)に立っている時の感覚が戻ってきた。
「利三、秀満。作戦目標(ミッション)を通達する」
 坂上は、麦湯の入った湯呑みをドンと地図の上に置いた。
 その場所は、山崎――天王山と淀川に挟まれた、狭い平地。
「我々はここで待つ。攻めではない。徹底的な『待ち伏せ(アンブッシュ)』だ。秀吉が得意とする機動戦を封じ、火力の優位性で制圧する」
 坂上の目に、技術開発官としての冷徹な光が宿る。
「安土城にある鉄砲、玉薬、すべてかき集めろ。それから、近隣の村から竹と木材を徴発だ。……『馬防柵』ではない。もっとえげつない障害物を造る」
「えげつない……障害物、でございますか?」
「ああ。敵を殺すための誘導路(キルゾーン)だ。……安心しろ、私が設計図を引く。未来の戦争のやり方を、猿に教えてやろうじゃないか」
 湯呑みの黒い水面に、不敵に笑う光秀の顔が映っていた。
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