ママ戦争を止めてくるわ

月神世一

文字の大きさ
3 / 15

EP 3

しおりを挟む
帝国ホテルの最上階、貸し切られたスイートルーム。
分厚い絨毯と豪奢なシャンデリアが彩る空間には、甘く芳醇な香りが漂っていた。
​「……ほう。これは驚いた」
​海軍省の重鎮である大将が、ティーカップを置きながら感嘆の息を漏らす。隣に座る大蔵省のトップ官僚も、指で摘んだ色鮮やかな焼き菓子――マカロンを口に運び、目を丸くしていた。
​「外はサクッと、中はしっとり……。帝都のどの西洋菓子店でも、これほど繊細な味は出せまい。桜田の若き御当主は、随分と腕の良いお抱え菓子職人を雇われたようだ」
​「お口に合って何よりですわ、先輩方。ですが、それは私の手作りですのよ」
​上質なベルベットのドレスに身を包んだリベラは、淑女の微笑みを浮かべて首を傾げた。
その言葉に、政財界のトップに君臨する五人の老紳士たちは一様にどよめいた。彼らは皆、慶應義塾を卒業し、現在の大日本帝国を裏から動かす『三田会』の長老たちである。
​先代の急死により突如として巨大財閥のトップに座った、うら若き未亡人。
最初は「小娘のお遊び」と高を括り、あるいは桜田の資産をどうしゃぶり尽くすか品定めするつもりで集まった彼らだったが、供された極上のダージリンティーと未来の洗練されたスイーツの前に、すっかり毒気を抜かれていた。
​(よし、胃袋と警戒心は解いた。ここからが本番ね)
​リベラは、部屋の隅に置かれたベビーベッドに視線を送る。ふかふかの毛布に包まれた優太は、すやすやと心地よさそうに眠っている。
その寝顔を確認した瞬間、リベラの纏う空気が一変した。
甘いお茶会の空気を一刀両断するように、彼女はテーブルの上に数枚の書類を滑らせた。
​「美味しいお茶の時間はここまでです。……さて、先輩方。我が国が数年以内に、致命的な経済的破滅を迎えるお話をしましょうか」
​「……破滅、だと?」
​大物政治家が眉をひそめる。
リベラが提示した書類――それは、彼女が現代の記憶と知識を総動員して書き上げた、数年先までの国際市場の動向、そして帝国陸軍が企てる大陸進出がもたらす『対日経済封鎖』の完璧な予測データだった。
​「陸軍の強硬派は、資源を求めて暴走を始めます。結果、諸外国からの禁輸措置を招き、鉄も石油も止まる。海軍さん、油がなければ戦艦はただの鉄屑ですよね?」
​「なっ……なぜ、それを……!」
海軍大将が書類を食い入るように見つめ、絶句する。そこに書かれた数字と兵站の予測は、軍の最高機密であるシミュレーションを遥かに凌駕する精度と絶望的な結末を示していたからだ。
​「桜田財閥の独自の情報網ですわ。……先輩方、陸軍の無能な暴走に付き合って、あなた方が築き上げた財や地位、そしてこの美しい国を灰にするおつもりですか?」
​リベラは静かに立ち上がり、老紳士たちを見下ろした。
法廷で裁判官を圧倒する時の、あの冷徹で理路整然とした弁護士の顔。そして、かつて数百人の不良を束ねていた絶対的トップとしての威圧感が、華奢な身体から立ち上る。
​「私は、私の息子が生きる未来に、焼け野原なんて残すつもりはありません。戦争は儲かると勘違いしている馬鹿共の兵站を、桜田の資本で内側から完全に締め上げます」
​「……我々に、陸軍と全面戦争をしろと言うのか? いくら三田会の繋がりとはいえ、それは……」
​「全面戦争? いいえ、そんな野蛮なことはしません」
​リベラはくすりと笑い、再び席についた。
​「私たちがやるのは『合法的な経済封鎖』と『政治的包囲網』です。先輩方には、議会と法廷、そして物流の面で桜田をバックアップしていただきたい。その代わり、この嵐を乗り越えた後の莫大な利権と、確固たる地位は保証します」
​部屋に重苦しい沈黙が降りた。
だが、老紳士たちの目には、単なる恐怖ではなく、野心と打算、そして目の前の底知れぬ女傑に対する強い興味が宿っていた。
​「……『独立自尊』、か」
大蔵省のトップが、ふっと笑みをこぼした。
「福澤先生も、随分と恐ろしい後輩を持たれたものだ。……よかろう。泥を被る覚悟があるのなら、我々『陸の王者』が、無謀な軍人どもに本当の戦争の恐ろしさを教えてやろうではないか」
​「契約成立(ディール)ですね」
​リベラは優雅にカップを持ち上げ、老紳士たちと乾杯の仕草をした。
帝国を裏で牛耳る最大のシンジケートが、一人の赤ん坊を守るために産声を上げた瞬間だった。
​ベビーベッドの優太が、「ふぁぁ」と小さく欠伸をした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一
SF
​【あらすじ】 ​「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」 ​ 坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。  かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。  背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。 ​ 目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。  鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。 ​ しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。  部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。 ​ (……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?) ​ 現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。  すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。  精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。 ​ これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

むしゃくしゃしてやった、後悔はしていないがやばいとは思っている

F.conoe
ファンタジー
婚約者をないがしろにしていい気になってる王子の国とかまじ終わってるよねー

秀頼に迫られた選択〜トヨトミ・プリンスの究極生存戦略〜

中野八郎
歴史・時代
​慶長十六年、二条城。 老獪な家康との会見に臨んだ豊臣秀頼は、時代の風が冷たく、そして残酷に吹き抜けるのを感じていた。 ​誰もが「豊臣の落日」を避けられぬ宿命と予感する中、若き当主だけは、滅びへと続く血塗られた轍(わだち)を拒絶する「別の道」を模索し始める。 ​母・淀殿の執念、徳川の冷徹な圧迫、そして家臣たちの焦燥。 逃れられぬ包囲網の中で、秀頼が選ぶのは誇り高き死か、それとも――。 ​守るべき命のため、繋ぐべき未来のため。 一人の青年が「理」を武器に、底知れぬ激動の時代へと足を踏み出す。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

処理中です...