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EP 19
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予言者(カサンドラ)のジレンマ
1928年(昭和3年)、冬。
箱根の「要塞」に、冷たい木枯らしが吹き付けていた。
山小屋の中。坂上真一(68歳)は、老眼鏡をかけ、ノートPCの画面を睨んでいた。
彼の作業は、もはや「ハッキング」や「予測」ではない。
いつ読み出せなくなるか分からない「経典(SSDデータ)」を、紙に書き写す「写経」だ。
『CRITICAL ERROR: SSD LIFE, 10% REMAINING』
警告(ウォーニング)が、画面の隅で不気味に赤く点灯している。
PCは、テキストファイル一つ開くだけで、数分間のフリーズを繰り返した。
坂上は、その「虫食いだらけの歴史書」から、次の「大災害」の日付を、震える手で紙に書き写した。
【1929年 10月 24日】
【警告: 世界恐慌(グレート・デプレッション)】
【詳細データ: ニューヨーク……(以下、欠落)……資本主義ノ崩壊……(以下、欠落)……】
「……来たぞ、児玉さん」
火鉢にあたっていた児玉源太郎(76歳)に、坂上はその紙を突きつけた。
「あと、一年もない。ニューヨーク(アメリカ)で、経済が『死ぬ』。そして、その『死』は、世界中に伝染する」
児玉は、軍服の襟を正した。
「経済のことは分からん。カネが無くなる。……それが、どう、石原(満州)と繋がる」
「直結する」
坂上は、PCがフリーズする危険を冒し、かろうじて残っていた「テキストサマリー」を開いた。
「史実では、この『恐慌』で、日本の農村は壊滅し、失業者が溢れた。国民の不満は、無策な『政党政治』と『資本家』に向かった。……そして」
坂上は、児玉を真っ直ぐに見た。
「そして、国民は『救い』を、軍部に求めたんだ。石原莞爾のような『強い指導者』と、満州という『新天地(資源)』にな」
児玉は、全てを理解した。
「……つまり、この『恐慌』こそが、石原莞爾の『暴走(満州事変)』を、国民が『支持』してしまう、最大の『土壌(どじょう)』になる、ということか」
「その通りだ!」
坂上は、壁の年表を叩いた。「石原を止めるには、奴の『暴走』を止めるだけじゃダメだ! 暴走を『許容』する、この『経済的な絶望』そのものを、日本が回避する必要がある!」
「……どうやって」
「あんたの力で、政府を動かせ!」
坂上は、PCがフリーズする直前に読み出した、いくつかの「単語」を指差した。
「史実では、井上準之助(蔵相)が『金解禁(きんかいきん)』という愚策を断行し、日本経済は自爆した。これを、今すぐ止めさせろ! 逆に、円(えん)を売って、ドルを買い占めさせろ! アメリカが破綻する前に!」
それは、この時代の経済常識とは、全くの「真逆」の動きだった。
児玉は、火鉢の灰を静かに見つめていた。
長い沈黙。
山小屋には、渓流の水が「水冷管」を流れる音だけが響いていた。
やがて、児玉は顔を上げた。
その目は、坂上が日露戦争で見た、あの冷徹な「戦略家」の目に戻っていた。
「……いや、坂上君」
「……それは、できん」
「な……なぜだ!」
坂上は、掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。「あんたの力なら、井上蔵相一人、動かせるだろう!」
「動かせん」
児玉は、静かに首を振った。「井上(いのうえ)は、俺のような陸軍の老害(ろうがい)の言うことなど聞かん。奴は『金解禁』こそが、震災から復興する唯一の『正義』だと信じている。……そして、仮に、だ。仮に俺が奴を動かし、日本経済を『救った』として」
児玉は、立ち上がった。
「石原の思想は、止まらん。永田の渇望も、止まらん。彼らは、たとえ国が豊かでも、『最終戦争』と『国家総力戦』のために、いずれ満州を獲(と)りに行く。……変わらんよ」
「じゃあ、どうする! 見て見ぬフリか!」
「……利用する」
「……何を?」
「その『恐慌』という名の『大災害』を、だ」
児玉の言葉に、坂上は戦慄した。
「坂上君。貴様が蒔いた『種』は、山本(海軍)や永田(陸軍)のような『合理主義者』を育てた。だが、陸軍(ウチ)には、もっと根深い“病”がある」
「……『皇道派(こうどうは)』。荒木貞夫(あらきさだお)や真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)といった、精神論と天皇親政だけを信奉する、古(ふる)いバケモノどもだ」
「それが、恐慌と何の関係がある」
「大いにある」
児玉は、窓の外の暗い森を睨んだ。「『恐慌』は、史実通り、起こさせる。日本経済は、壊滅的な打撃を受けるだろう。……だがな」
児玉は、坂上を振り返った。
「その『経済崩壊』の『責任』を、俺は、無策な『政党政治』と……そして、この『皇道派』の連中に、全て押し付ける」
「……何?」
「永田(統制派)は、『合理性』を欲している。石原(関東軍)は、『資源』を欲している。だが、荒木(皇道派)は、『精神』しか語らん。……この『恐慌』という『膿(うみ)』を利用し、国民の怒りを『皇道派』に向けさせ、石原が満州で動く前に、まず、陸軍内部の『癌(がん)』を先に切除する」
坂上は、息を呑んだ。
児玉源太郎は、日本国民の「経済的な犠牲」を、あえて「コスト」として払い、その混乱を利用して「陸軍内部の粛清(クーデター)」を仕掛けるという、あまりにも非情な「政治的オペレーション」を選択したのだ。
「……あんたは」
坂上が、絞り出すように言った。「日本国民を、見捨てるのか」
「逆だ」
児玉は、断言した。「『精神論(皇道派)』という癌を切れなければ、いずれ日本そのものが死ぬ。……貴様の『祖父の死』とキノコの雲の未来を、回避するためだ」
1928年(昭和3年)、冬。
箱根の「要塞」に、冷たい木枯らしが吹き付けていた。
山小屋の中。坂上真一(68歳)は、老眼鏡をかけ、ノートPCの画面を睨んでいた。
彼の作業は、もはや「ハッキング」や「予測」ではない。
いつ読み出せなくなるか分からない「経典(SSDデータ)」を、紙に書き写す「写経」だ。
『CRITICAL ERROR: SSD LIFE, 10% REMAINING』
警告(ウォーニング)が、画面の隅で不気味に赤く点灯している。
PCは、テキストファイル一つ開くだけで、数分間のフリーズを繰り返した。
坂上は、その「虫食いだらけの歴史書」から、次の「大災害」の日付を、震える手で紙に書き写した。
【1929年 10月 24日】
【警告: 世界恐慌(グレート・デプレッション)】
【詳細データ: ニューヨーク……(以下、欠落)……資本主義ノ崩壊……(以下、欠落)……】
「……来たぞ、児玉さん」
火鉢にあたっていた児玉源太郎(76歳)に、坂上はその紙を突きつけた。
「あと、一年もない。ニューヨーク(アメリカ)で、経済が『死ぬ』。そして、その『死』は、世界中に伝染する」
児玉は、軍服の襟を正した。
「経済のことは分からん。カネが無くなる。……それが、どう、石原(満州)と繋がる」
「直結する」
坂上は、PCがフリーズする危険を冒し、かろうじて残っていた「テキストサマリー」を開いた。
「史実では、この『恐慌』で、日本の農村は壊滅し、失業者が溢れた。国民の不満は、無策な『政党政治』と『資本家』に向かった。……そして」
坂上は、児玉を真っ直ぐに見た。
「そして、国民は『救い』を、軍部に求めたんだ。石原莞爾のような『強い指導者』と、満州という『新天地(資源)』にな」
児玉は、全てを理解した。
「……つまり、この『恐慌』こそが、石原莞爾の『暴走(満州事変)』を、国民が『支持』してしまう、最大の『土壌(どじょう)』になる、ということか」
「その通りだ!」
坂上は、壁の年表を叩いた。「石原を止めるには、奴の『暴走』を止めるだけじゃダメだ! 暴走を『許容』する、この『経済的な絶望』そのものを、日本が回避する必要がある!」
「……どうやって」
「あんたの力で、政府を動かせ!」
坂上は、PCがフリーズする直前に読み出した、いくつかの「単語」を指差した。
「史実では、井上準之助(蔵相)が『金解禁(きんかいきん)』という愚策を断行し、日本経済は自爆した。これを、今すぐ止めさせろ! 逆に、円(えん)を売って、ドルを買い占めさせろ! アメリカが破綻する前に!」
それは、この時代の経済常識とは、全くの「真逆」の動きだった。
児玉は、火鉢の灰を静かに見つめていた。
長い沈黙。
山小屋には、渓流の水が「水冷管」を流れる音だけが響いていた。
やがて、児玉は顔を上げた。
その目は、坂上が日露戦争で見た、あの冷徹な「戦略家」の目に戻っていた。
「……いや、坂上君」
「……それは、できん」
「な……なぜだ!」
坂上は、掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。「あんたの力なら、井上蔵相一人、動かせるだろう!」
「動かせん」
児玉は、静かに首を振った。「井上(いのうえ)は、俺のような陸軍の老害(ろうがい)の言うことなど聞かん。奴は『金解禁』こそが、震災から復興する唯一の『正義』だと信じている。……そして、仮に、だ。仮に俺が奴を動かし、日本経済を『救った』として」
児玉は、立ち上がった。
「石原の思想は、止まらん。永田の渇望も、止まらん。彼らは、たとえ国が豊かでも、『最終戦争』と『国家総力戦』のために、いずれ満州を獲(と)りに行く。……変わらんよ」
「じゃあ、どうする! 見て見ぬフリか!」
「……利用する」
「……何を?」
「その『恐慌』という名の『大災害』を、だ」
児玉の言葉に、坂上は戦慄した。
「坂上君。貴様が蒔いた『種』は、山本(海軍)や永田(陸軍)のような『合理主義者』を育てた。だが、陸軍(ウチ)には、もっと根深い“病”がある」
「……『皇道派(こうどうは)』。荒木貞夫(あらきさだお)や真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)といった、精神論と天皇親政だけを信奉する、古(ふる)いバケモノどもだ」
「それが、恐慌と何の関係がある」
「大いにある」
児玉は、窓の外の暗い森を睨んだ。「『恐慌』は、史実通り、起こさせる。日本経済は、壊滅的な打撃を受けるだろう。……だがな」
児玉は、坂上を振り返った。
「その『経済崩壊』の『責任』を、俺は、無策な『政党政治』と……そして、この『皇道派』の連中に、全て押し付ける」
「……何?」
「永田(統制派)は、『合理性』を欲している。石原(関東軍)は、『資源』を欲している。だが、荒木(皇道派)は、『精神』しか語らん。……この『恐慌』という『膿(うみ)』を利用し、国民の怒りを『皇道派』に向けさせ、石原が満州で動く前に、まず、陸軍内部の『癌(がん)』を先に切除する」
坂上は、息を呑んだ。
児玉源太郎は、日本国民の「経済的な犠牲」を、あえて「コスト」として払い、その混乱を利用して「陸軍内部の粛清(クーデター)」を仕掛けるという、あまりにも非情な「政治的オペレーション」を選択したのだ。
「……あんたは」
坂上が、絞り出すように言った。「日本国民を、見捨てるのか」
「逆だ」
児玉は、断言した。「『精神論(皇道派)』という癌を切れなければ、いずれ日本そのものが死ぬ。……貴様の『祖父の死』とキノコの雲の未来を、回避するためだ」
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